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夏の夜のLabyrinth
〜2nd. 硝子のMermaid〜

■seashell・7■



目に見えて、ゆいの落ち着きがなくなっているのは、忍でなくても気が付く。
でも、もっともそれをよく知っているのは、ジョーだろう。
昨晩、戻って来て『小さな岩のくぼみに『緋闇石』らしきものがある』と告げたまではいいが、どうも、見てくると言い切ったときとは、様子が違う。
気もそぞろの様子なのだ。
別荘へ向かう道すがら、黙りこくっていたかと思うと、急に質問したりした。
内容は、すべて『緋闇石』に関することだ。
モノを目前にして、急に恐怖感が湧いた、とも考えられるが、それだけではなさそうだ。
深海で、なにを目にしたのかは、彼女は口にしなかった。
だから、あえて詮索はしない。
だが、亮の言うとおり気を付けていたほうがいいのは確かそうだ。
玄関のポーチは広い作りになっているのだが、その隣に談話室風の大部屋があり、いつも扉が開いていて都合がいいので、ジョーはここに陣取って新聞を広げた。
もともと新聞は嫌いじゃないのだが、いまの目的は読むことではないので、神経は別のほうに研ぎ澄ましている。
それくらいのことなら、朝飯前だ。
もちろん、たまにページを繰るのも忘れない。
階段から、誰かが降りてくる音がする。二階にいる人間だから、その時点でゆいではない。
顔を上げれば、そちらに神経を研いでるのがわかってしまうので、ジョーはそのまま新聞に目を落としている。
だから、降りてきた人間が誰かまでは、彼にはわからない。
降りてきた人は、談話室に誰かがいるのに気付いたのだろう。立ち止まる気配を見せたが、すぐに台所のほうへと、その気配を消した。
ジョーはまた、新聞を一ページめくる。

二階から降りてきた方、忍は、談話室に人がいるのに気付き、ふと足を止めた。
金髪が見えている。ジョーだ。
そのまま、声をかけずに台所に向かう。
手にしていたグラスを洗いながら、ひとりごちた。
「ジョーだったんだ」
もちろん、ゆいが自分の確認してきたことを、告げた相手のことだ。
告げた相手が亮ならば、『急がなくては』という単語は、もっと落ち着いて発せられたに違いないから。
ジョーなら、まず安心だ、と思う。
顔を上げたりはしなかったが、どこに神経を集中させているかは想像に難くない。
ゆいが、無謀な行動をとらないよう、何気なく見張っているのだろう。
彼なら、間違いないだろう。
とすれば、当面の問題は、解決の糸口をつかむまでは、食事をしないであろう軍師どのの健康管理だ。
コトの解決の前に、軍師に倒れられてはたまらない。
おそらく、すでに当人の自覚はなくなっているだろうが、亮はまだ、せんだってのケガが全快したわけではないのだ。そうでなくても、自分を壊さないようにするという概念が抜け落ちている。
誰かが見ていなくては、どんな無理をするか、知れたものではない。
当面の問題は、昼食をどうするか、である。
洗い終えたグラスを、食器乾燥機の中にいれ、忍は軽いため息をついた。



本当なら、亮が今日の食事当番なのだが、そんなヒマはなくなったので、代理で須于が食事を作るべく部屋を出る。
とたんに、ばさり、という音したので、そちらに眼をやった。
扉の開きっぱなしになっている談話室から、ジョーと視線があう。一瞬、彼が戸惑ったのがわかる。
誰かと、勘違いしたらしい。
その誰か、が、誰なのかは、考えなくともわかるが。
「部屋は、ずいぶん静かよ」
須于は、彼の気にしている相手のことをそう告げると、台所へと向かおうとする。
「あ」
という声に呼び止められて、足を止める。
「?」
振り返ると、ジョーが、ちょっと決まり悪そうな表情をして、こちらを見ていた。相変わらず、新聞は手にしたまま。
「えっと、昼飯、なに?」
いま考え付いた質問だというのは、そのぎこちなさで分かる。
視線があったのに、なにも言わずでは間が悪いとでも思ったのだろうか?
そんな気を使うことはないのに。
ジョーがご飯のメニューを訊くというのが、らしくなくて少しおかしい気がしてきて、思わず笑顔になりながら須于は答えた。
「急に食事当番になったから、冷蔵庫の中身、確認しないとわからないわ」
「そうか」
なにやら、余計に間が悪いことになっている気がするが。ジョーは、これ以上取り繕う言葉が見つからない<らしく、決まり悪そうに視線を新聞に移す。
「リクエストでもある?」
「え?」
ジョーが、顔を上げる。
須于は、質問を繰り返した。
「なにか、食べたいものある?」
「あ、そうだな……」
どうやら、フル回転で考えているらしい。顔つきが、ちょっと難しくなった。
さんざん考えた後、彼の口から出てきた単語は、
「……そうめん」
難しい顔とのギャップに、思わず、吹き出してしまう。
それなら、たいへん簡単だ。茹でればいいのだから。恐らく、彼なりに気を使ったメニューなのだろう。
「夏の風物詩ね、わかったわ」
笑顔のまま言うと、今度こそ須于は台所へと向かった。



そんな経緯で、本日の昼食はそうめんとなる。
昨晩が冷やしうどんだったので、どうかな、と須于は思わないでもなかったが、暑い気候のせいもあり、好評だったようだ。
一通り食べ終わった忍が、他の人より先に立ちあがる。
「なぁ、須于」
「はい?」
「冷ポタージュなかったっけ?」
麗花が、怪訝な表情をした。
「そうめんの後で、冷ポタージュ?」
それは、あまり気分のいい組み合わせではなく思われる。
忍も、思わず想像してしまったのだろう、眉をよせながら、首を横に振った。
「俺じゃないよ」
「あ、そか」
ここに、一人来ていないのを、忘れているわけではない。麗花も納得したらしい。
相手が相手だ。時間の猶予がないのは、皆わかっている。
亮は、ご飯を食べる気などまったくないに違いない。でも、それでは躰を壊すのが目に見えてるので、なにか栄養のとれるもの、と忍は考えたのだろう。
「うん、あるわよ」
返事をしながら、須于も立ち上がる。
忍は、適当なカップを物色している。麗花も、食べ終わって自分の食器をまとめると、流し台に立つ。
「では、本日の後片付けはうけたまわりましょう」
蛇口をひねると、水が気持ちのよい音で流れ出す。
「あ、じゃあ頼む」
俊が、自分の食器を差し出す。
亮の姿が見えないことを除けば、あまりにものんびりとした光景だ。
もちろん、いま、慌てたところで何も出来ないと知っているからだけれども。
焦り気味のゆいにとっては、いらつく光景に他ならない。
黙ったまま、かたり、と立ち上がると、部屋に入っていってしまう。
ジョーはその様子を視線で追いながら、小さく肩をすくめると、午前中と同じように、談話室に向かう。
そして、今度は新聞ではなくて、雑誌を広げた。
誰も、同じモノを広げっぱなしだとかまで、チェックしてなどいないとは思うが、気分の問題である。
どちらにしろ、まともに読みはしないのだから同じことなのだが。
解決方法を見つけ次第、動けるようにとの配慮から、早めの昼食だったので、まだ時計は十二時前をさしている。
さきほどの様子だと、絶対に一回は飛び出してきそうだ。
それにしても、と考える。亮は『生命反応が消えている』と言っていた。前回の『紅侵軍』戦にときには、見られなかった現象だ。その上、ゆいの仲間の誰かに、あの忌まわしい人格変化をもたらす、『寄生』をしているわけでもないようだ。
挙動が随分、異なるように思えるが、相手は旧文明産物だ。どんな機能を備えているのか、わからない。
対策は、亮にまかせるしかないだろう。



「……おまじないでも、ないよりマシ、か」
ため息交じりの亮の台詞に、忍が振り返る。
「まじない?」
「ええ」
視線をこちらに移し、頷いてみせる。
「『崩壊戦争』後、『緋闇石』は、何度か出現しています……そのうち、水中に現れたのはどうやら、今回が二回目のようですね」
ようは、参考になる資料が、一つしかないということだ。参考になれば、だが。
「『緋闇石』の作用ですが、地上では『人格変化』、水中では『大量殺戮』のようです……おそらく、その類の波長を発する機能があるんでしょう」
「やっかいだな」
本当に、やっかいだ。水中のそれに近づくこと自体が、難しいということだ。何らかの方法を用いて、水中で殺られずに『緋闇石』を持って来れたとしても、地上にたどり着いたとたん、『人格変化』が待っていることになる。
それで、さきほどの『おまじない』という単語になるのだろう。
「で、そのまじないってのは?」
「ホントにまじないなんですよ、『聖水』をまく、っていうんですから」
「『聖水』……?」
なんか、神話かなにかのような様子を呈している。
「前のときは、それでどうにかなったってのか?」
「と、書いてありますね、資料には」
半信半疑なのがわかる。忍だって、そんな御伽噺みたいな話は鵜呑みに出来ない。
でもたしかに、いまは『無いよりマシ』な状況であることには、変わり無い。
「その『聖水』がなんなのかは、わかってるのか?」
亮は、頷いてみせた。
「『地球』の湧き水です」
『地球』とは、もちろん、かつて人が住んでいた惑星のことだ。遠い昔に、人間が捨て去った。
そこでの産物は、なににしろ、かなりの貴重品だろう。
『聖水』と呼びたくなるのも、わかる気はする。
「んなもの、手に入るのか?」
「総司令部に特殊保存してあるんですよ。少量ですが、入手できるよう、手配はしました」
「手配?」
にこり、とする。
「いちばん早い、輸送手段で運ぶようにね」
いちばん早い、ということは。
「空軍軍機か」
戦闘機がいちばん早いに、決まっている。
「一時間ほどで、こちらの最寄りの着陸可能地点まで輸送される手はずになっています」
忍は、亮の先回りをする。
「その場所は決まってるんだろうな?取りに行けばいいんだろう?」



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