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夏の夜のLabyrinth
〜8th  平和主義者の天使〜

■ripple・8■



扉が開く気配に、惇は弾かれるように顔を上げる。
須于が、少し困ったような表情で扉の付近に立っている。なにか言いたそうだが、言えない。そんな雰囲気だ。
なにか、イヤな感じがして、惇は恐る恐る尋ねる。
「あの……ケガ……」
もちろん、自分が亮に負わせたケガのことだ。
相変わらず、少し困ったような表情のまま、須于は答える。
「手当てはしたわ、命にも別状はないし」
ひとまず安心してよいという内容だが、にしても口調も顔つきも冴えない。
惇は、戸惑った表情のまま、須于を見つめる。
が、須于はそれ以上なにも言おうとしないし、かといって立ち去る風でもない。
「なにか……あったの?」
「探しているの、惇くんを襲った犯人を」
ここが、天宮家の私有地であることは、惇ももう知っている。そこに、あんな物騒な連中が侵入してきたのだ。野放しにしておくわけにはいかない、ということも。
「亮は、そういうのが得意だから」
得意かどうかはともかく、亮自身が犯人探しをしている、という事実に惇の顔色が変わる。
あれだけ血が出るようなケガをした体で、動き回っているなんて。
慌てたように立ち上がり、須于の立っている扉まで駆け寄る。
「犯人が、わかればいいの?」
「犯人がわからなければ、捕まえることができないわ」
惇は、須于を押しのけるようにして扉から走り出ると、一気に階段を駆け上がる。
須于も、後を追う。

勢いよく開いた扉に、中にいた全員の視線が集まる。
正確には須于を除いた五人、扉と逆側の壁に寄りかかっている俊と麗花、中央に置かれたテーブルに端末を開いている亮、そのテーブルに寄りかかっている忍、ベランダへと続く窓に寄りかかって煙草をくわえているジョー。全員が、真剣な目つきで惇を見つめている。少し、怖くなるくらいの視線だが、惇は躊躇わずに口を開く。
「叔父さんだよ、僕の、叔父さんが犯人なんだ!」
必死の声で、告げる。
犯人を告げれば、亮は休んでくれるはずだと信じて。
が、惇の言葉をきいても、まったく反応が返ってこない。相変わらず、五人の視線は惇に集中したままだ。
少し戸惑いつつも、惇はもう一度、口を開く。
「叔父さんが捕まれば、終わりなんでしょう?」
奇妙なくらいの、沈黙。
「あの……叔父さんを、捕まえて……」
「よっしゃ、ご依頼一丁!」
いきなりの大声と、ぱんっという手を叩く音に惇は、首をすくめてしまう。
「ご依頼、ありがとうございま〜す」
「これで、正規任務だよー」
惇が驚いてるのはほったからかしで、俊と忍と麗花が口々に言う。
わけがわからないまま周囲を見渡すと、派手に喜んでいる三人だけでなく、窓に寄りかかっているジョーも、タバコをくわえたままニヤリとしているし、端末に向かったままの亮の口元にも、笑みが浮かんでいる。
そして、休むどころか、手袋をしている亮の左手はすごい早さでキーボードを叩き始めた。
「侵入経路は、先ほど説明した通りです」
落ち着き払った声。
「出動準備、入ってください」
「ちょっ……」
犯人を教えたら、それで済むと思っていた惇は、慌てて亮に駆け寄ろうとする。が、それは目前にしゃがみ込んだ須于に阻まれた。
相変わらず少し困ったような表情だが、口元には先ほどまではなかった笑みが浮かんでいる。
「ごめんなさいね、惇くんから、はっきりと聞かなくちゃダメだったの」
なんと返事をしていいかわからないまま、目をぱちぱちさせている惇の脇を忍と俊が通り過ぎて行く。
「よっしゃ、朝飯前に終わらせてやろうぜ」
「そうそ、腹減ってかなわねぇよ」
その後ろについていく麗花が、ぼやくように言う。
「ウチの軍師は、ちょっぴり人使いが荒いのよねぇ」
軍師、という単語に、惇ははっとする。
それは、今朝も聞いた。
俊が、ジョーに向かって言ったのだ。「どうせ、軍師殿の読みだろ」と。
最初、襲いかかった時から妙に身の軽い六人だとは思っていたが、今朝の一件で軍隊に関係しているのだということは、わかった。
そうでなければ、銃など持っているわけがない。警察でも銃を持っているが、どうみても警察には見えないから。
が、軍師、という単語は聞いたことがない。
「軍師……?」
部屋を出たばかりの忍の声が、返事をくれた。
「俺たち専属の総司令官だよ」
驚いて、振り返る。
「俺たちは、亮を信頼してるよ」
忍だけではない。俊も麗花も、笑顔でこちらを見ている。迷いもなにも、無い瞳で。
部屋に視線を戻す。
須于も、にこ、と微笑むと、惇の脇を通り過ぎて行く。
煙草をもみ消して灰皿に放り込んだジョーも、惇と視線が合うと口元に笑みを浮かべた。
五人が部屋を出たのを見送って、亮は通信器を耳にかける。慣れた様子でマイクを調整し、端末に向き直る。
感情の無い、静かな声が専門用語をいくつか口にする。
と、同時に窓の外から、朝とは比にならない大きさのバイクのエンジン音が響く。
爆音に惇は首をすくめたが、亮はまったく動じた様子もなく、さらに数語、専門用語らしきものを口にした。
それから、感情のこもらない瞳が惇を捕らえる。
「今日は、いつになく派手なのが見られると思いますよ」
窓の外を指してみせる。
言われるままに惇は窓を開け放ち、凝った造りの手すりにしがみついて爆音の方を見下ろす。
耳がおかしくなるんじゃないかと思うくらいの爆音なのに、五人は惇を見上げる。
楽しそうに手を振っているのは、麗花のようだ。
忍も、軽く手を振ってくれる。
「Labyrinth、go!」
よく通る声がしたかと思うと、バイクは一斉に走り出す。
部屋を振り返って、声を出したのが亮だと気付いて、少し驚く。
「ケリがつくまで、一時というところですね」
簡単に告げると、亮は端末に向き直ってしまう。
その様子に、惇ははっとして駆け寄る。
「あ、ね……」
亮は、顔を上げて惇へと視線をやる。
「はい?」
「叔父さん、殺しちゃうの……?」
「まさか」
亮の顔に、鮮やかな笑みが浮かぶ。
「殺しても、なんの解決にはならないでしょう?」

一時間後。
無表情に端末に向かっていた亮は、キーボードを軽く叩く。
とたんに、弾んだ声が飛び込んでくる。
『あげたぜ!』
嬉しそうな声は俊のものらしい。
あげた、というのは、もちろん惇の叔父を逮捕した、という意味だろう。惇の顔に、複雑な表情が浮かぶ。
亮の顔に、苦笑が浮かぶ。
『証拠もバッチリ』
麗花の声のようだ。
「ヒトツだけ質問に答えていただければ、任務完了です」
浮かれる様子もなく、亮が落ち着いた声で告げる。
「犯人に、怪我はないでしょうね?」
『大丈夫よ、怪我はさせていないわ』
すぐに返事を返したのは須于。それを気にしているのが誰なのか、わかっているのだろう。
亮は、軽く惇に頷きかけてから、端末に向かい直す。
「任務完了、撤収」
『よっしゃ、すぐ帰るからなっ!』
とは、俊の声。すぐに、忍の情けない声が続く。
『腹減ったー!!』
『たくさん食べたいー!』
口々に聞こえる声に、惇も吹き出してしまう。
「朝食の準備は、しておきますから」
『期待してるからなっ』
わざわざ念を押すあたり、かなりお腹がすいているらしい。
軽く肩をすくめてから亮は、端末の画面は開いたまま、通信機器を下ろす。
それから、惇に向き直る。
まっすぐな視線に、惇も笑いをおさめて見つめ返す。
「命に関わる危険は、排除済みです」
それから、堤防の上で見せたのと同じ、どこか皮肉な笑みを浮かべる。
「経営の方は、危ないかもしれませんけど」
後見していた叔父が経営の中心を担っていたのだ。いなくなれば経営の根幹から崩れ去る可能性があることは、惇もよくわかっている。
本当に、誰にも甘えられない状況になったのだ。
かわいそうなくらいに張り詰めた表情で、こくり、と頷く。
「電話を、貸してくれる?」
「いいですよ」
亮は、端末にちら、と視線を走らせて異常がないコトを確認してから、立ち上がる。



太陽が、空の高いところから、ギラギラと照りつけている。
忍たちが、それを意識したのは、惇を迎えに来た秘書の姿のせいだろう。この熱いのに、しっかりとスーツを着込んでいる。しかもサービス業のトップにつく秘書だけあって、礼の尽くし方が行き届いていて、こちらが照れくさくなってしまう。
大きな外車が止まっていて、扉を開けて惇が乗るのを待っている。
望むと望まないと関わらず、惇には背負っていかなくてはならないものがあるということだ。
秘書のお礼がすんで車の方に下がってから、惇はもう一度、忍たちの方をまっすぐに向く。
「総司令官に騙されてるなんて言って、ごめんなさい」
素直に、頭を下げる。
さすがに、秘書たちのいる前では言いにくかったのだろう。
顔を上げてから、まだ、立ち去らずにじっとしている。
「どうかしたか?」
忍の助け舟に、おそるおそる口を開く。
「あの……もう一度聞いてもいい?信じてる?」
言葉数が足りないが、何を尋ねているのかは、すぐにわかる。
忍も俊も、麗花も須于も、それから、ジョーも。
笑みを浮かべる。
「信じてるよ」
「ありがとう」
いままででいちばん、子供らしい笑みを浮かべる。そして、くるり、と背を向ける。
少年は、振り返らずに車へと向かう。
秘書と二人、もう一度深く頭を下げてから、外車が去っていく。
大きく手を振って、姿が見えなくなるまで見送って。
「さて」
と、麗花がくるりと方向転換して、五人に向き直る。
「夏休み、再開よ!」
「いいねぇ、ビーチボールの決着もついてないしな」
頷いたのは俊。忍が、にやり、とする。
「しょうがねぇなぁ、そんなに雪辱戦がしたいなら、受けて立つぜ」
「そうね、そこまで言うなら仕方ないわ」
須于まで頷いてみせると、麗花がにっこりと告げる。
「もちろん、ジョーも参加するのよ」
「亮は、いいのか?」
大騒ぎが苦手なジョーが、苦し紛れに他も巻き込もうとする。
「亮は、手をケガしちゃったからなぁ」
「飲み物補給係だな、それから、審判」
「審判ですか、責任重大ですね」
亮がにこり、と微笑む。
「よーし、では着替えて十五分後に集合!」
「おー!」



〜fin〜


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