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夏の夜のLabyrinth
〜8th  平和主義者の天使〜

■ripple・7■



すさまじい勢いの声に、相手の動きが一瞬止まる。
「殺しちゃえっ!」
「自分の邪魔をするモノは排除する、というのは、ある意味正しい考え方だとは思いますけど、方法が物騒ですね」
相変わらず落ち着いた口調でコメントしたのは、亮だ。
言ったところで、惇が落ち着くとは思わなかったが。
早くに父を、そして兄と母を立て続けに失い、一人ぼっちになってしまった彼に、叔父は優しかったのだろう。まずは信頼されなくてはならないから。そして、万が一とは思うけどねと、遺言を用意させる。邪魔になるのは、その後だ。
叔父にとって、優しくしたのは打算でしかなかったかもしれない。
でも、惇は、たった一人残った肉親の優しさが嘘だった、とは確認したくない。
少なくとも、そういう存在なのだ。
亮は、惇の叔父の顔は知らない。だが、交渉役にたっていた男がそうなのだろう。
このままでは、叔父が敵なのだと、自分を邪魔にしているのだと、確認してしまう。
確認する前に、消してしまうしかない。
本当に孤独だと、知ってしまう前に。
これ以上、傷付きたくないという悲鳴のかわりが、「殺しちゃえ!」なのだと知っている。
だが、遅かれ早かれ、惇は向き合わなくてはならない。
どんなに望んでも、完全に消し去ってしまうことなどできない。
相手がスキにつけこんでくる前に、亮は最後の武闘派男を叩き落とす。
いいかげん最初に落とした連中がよじぼってきてもいいころだ。言いかえれば、今が引き際だ。
相手は体力充分な連中のはずだし、こちらは疲れていくばかりだから。
護身術程度はできるが、そう長い時間は体力がもたない。
ちら、と亮は惇の方を振り返る。
いまは何を言っても無駄なのはわかっているから、無理矢理にでも連れて帰るしかない。
惇は、燃えるような目で立っていた。まっすぐに、顔を隠した交渉役の男を見つめている。
その手に、しっかりと剣を握りしめて。
亮が叩き落とした相手の得物を、拾ったらしい。
叩き落とすのは、簡単だ。
が、亮はそれを、しなかった。
「わぁっ!」
叫びとも悲鳴ともつかない声を上げて、惇が剣を握り締めたまま突進する。
空を切る音の後。
惇の動きが止まる。
自分で止まったのではない。なにかに剣が阻まれて、動けなくなったのだ。
「殺したからといって、コトが済むわけではないですよ」
相変わらずの静かな声に、惇は我に返る。
切っ先が亮の手と腹のあたりに挟まれているのがわかる。その周囲が赤く染まっていくのが目に入る。
「あ……」
びく、としたように後ずさると、剣はいとも簡単に手元に帰ってきた。
だが、堤防のコンクリートの上に、ぱた、と赤いシミが出来る。
それが目に入った瞬間、惇は足がすくんだように動きを止める。
自分が何をしたのか、はっきりと認識したのだ。
己の手で、人を傷つけたと。
堤防の上には、新たなシミが出来る。
が、亮はそれを気にする様子はなく、空いてる方の手を惇に向かって差し出す。
惇は、操られるように、亮の手を握り返す。
交渉役は顔を見られることを嫌ったらしい。亮が振り返った時には、姿を消していた。

帰ってきた二人を迎えた五人は、驚いた声を上げる。
「亮?!」
「ケガしたのか?」
左手で腹部を抑えているが、そのあたりが血特有のどす黒い赤に染まっている。どうみたって、切られている。
通信で聞こえてきた声があまりにも落ちついていたので、まさかケガをしたとは思わなかったのだ。
「お腹、やられたの?」
麗花が心配そうに眉を寄せる。
亮は、少し血の気の引いた顔で微笑んでみせた。
「かすっただけですから」
「かすっただけで、こんな血がでるわけないだろ」
俊が様子を見ようと押さえている手をどけようとしたが、亮は口元に笑みを浮かべたまま、手を離そうとはしない。
「僕よりも」
視線を、隣へと移す。つられるようにして、皆の視線も移る。
亮の隣に立っている惇は、血の気の引いた顔のまま表情を失っている。おとなしく亮に手を取られているというよりは、しっかりと握り締めている。
まるで、放したらどこかへ行ってしまう、とでもいうように。
「………?」
あまりにも血の気の引いた表情に、忍は亮を見る。亮は奇妙な笑みを浮かべたまま、視線で自分の腹部を押さえている左手を見る。
惇をかばったのだと思っていたが。どうやら、そうではなさそうだと察しをつける。
須于が、惇の視線の高さまでしゃがみこむ。
ジョーさえもがはっとするほどの静かで優しい視線で見つめながら、そっと呟くように言う。
「戻らないのよ、なにをしても」
惇の肩が、ひく、と震える。
「死んでしまった人はね、どんなに想っても、必要でも、戻ってこないの……誰かの命を引き換えたとしても」
凍り付いていた瞳が、ゆらり、と揺れる。
「……ふ」
という、息が漏れるような声が出て、もういちど肩が大きく震えた。
「ひぃっく」
しゃくりあげる。
大声と共に、大粒の涙が零れ出す。
須于はただ、そっと頭をなでてやる。
この場はひとまず、須于にまかせておけばいいだろう。
忍は、黙ったまま空いた亮の右手を掴むと、ぐんぐんと歩き出す。麗花と俊は、顔を見合わせたが肩をすくめて見送る。
亮の扱いは、忍がいちばん馴れているのを知っている。こちらもまかせるべき人間に、まかせるべきだろう。そうはわかっているけれど。
二人が階段を上がりきったところで、俊が呼びとめる。
「亮」
亮が、振り返る。
「あんまり、無理すんな」
「あんま無茶しないでよ」
麗花と俊が、二人同時に言ったものだから、わけのわからない和音になる。が、二人だけでなく、黙ったままのジョーも似たような表情で見上げている。
亮は困ったような表情を浮かべたが、なにも言わずに忍についていった。

階段を上がり、扉を開け、亮を部屋に押し込む。
そして、扉を閉めて。
忍は、かなり不機嫌な表情を亮に向ける。
「ケガ、みせろ」
亮が俊に言われても怪我から手を離さなかったのが、惇を驚かせないためだったとしたら、かなりエグイことになっているはずだ。
第三者が見ていなければ、亮は手抜きをするに決まっている。自分を扱うコトにかけては、粗略さにおいて右に出る者はいないというくらい、自分に対する意識が欠けているのだから。
亮は、おとなしく左手を離す。
そして、その手の平を開いてみせた。
「切れたのは、こちらだけですよ」
どうやら、腹部は怪我をしていないらしい。たしかにシャツは血まみれになってはいるが、破れてはいない。にしては、出血が妙に多い。手のひらの傷が、それだけ深いということになる。
忍は亮の左手を取る。まだ、出血は完全には止まっていないようだ。
夏になってもはずさない肘までの手袋が、手の平のところで真っ赤に染まっている。
「ひとまず、コレ、切るぞ」
手袋に覆われたままでは、手当てができない。亮は、こくり、と頷いてみせる。
応急箱のハサミで、器用に手首から手袋を切り離しながら、不機嫌な声のまま尋ねる。
「何でやったんだ?」
「微細剣で」
「やりようによっちゃ、神経まで行くって考えなかったのか」
消毒綿を消毒液にひたしてから、血まみれの手を洗浄がてら消毒していく。
亮はおとなしく手を預けたまま、人ごとのように答える。
「血が流れないと、諦めがつかなそうに見えたので」
惇のことだというのは、すぐにわかる。通信にも、惇の「殺しちゃえ!」という声ははっきりと入っていた。
「だからって、自分の血を簡単に流すな」
「他人の血を流すわけには、いかないでしょう」
「そういう問題じゃない、諦めなくても血を流すような真似はやめろ」
いつになくキツイ口調に、亮は首を傾げる。
手の方は、どうやら縫わなくてはならないほどではないらしい。忍は、ぎゅう、と消毒綿を押し当ててやる。が、亮は微かに眉を寄せることすらしない。
「痛くないのか?」
これだけ深く切れているのだから、軽く触れただけでもしみるはずだ。
「少しは」
正直な返答のようだ。
自分への関心のなさは、痛覚までコントロールしてしまっているらしい。
「少しは自分を大事にしろよ」
亮は首を傾げたまま、また困惑の表情になる。粗末にしているつもりもないのかもしれない。関心がないから、わからないということか。
忍は、小さくため息をつく。ガーゼをあててやり、包帯を巻きながら言いかえる。
「ヘタに神経切ったら、仕事にならなくなるぞ」
「それは……困りますね」
そこまで考えていなかったらしく、包帯を巻かれた自分の左手を見つめながら、呟くように言う。
「これからは、気をつけます」
「手の平じゃなかったら、イイわけじゃないからな」
「心配をかけるようなことは、できるだけしないように気をつけます」
亮の口から殊勝な言葉が出てきたコトに驚いて、顔を上げる。少々困惑気味の表情のままの瞳と、視線がぶつかる。
どうやら、口先でごまかす為に言ったのではないらしい。
「そうしてくれ」
こくり、と素直に頷いてから、亮は左手を軽く握る。うすくまいた包帯に、あらたな血は滲んでこない。完全に血は止まったし、ケガも出血のわりにひどくはなさそうだ。
左手から視線をあげた亮の顔には、困惑した表情は残っていない。いつもの、軍師な表情だ。
「十分ほどしたら、五人とも上がって来てもらえますか?」
「ああ」
忍は頷くと、部屋を後にした。

言われたとおりに十分後、惇を落ちつかせた須于も含めて五人が部屋にくる。
が、いちばん最初に扉を開けた俊が立ち止まってしまった為に、後ろがつかえる。
「なに止まってるのよ」
すぐに麗花が言うが、俊から反応が返ってくるまでには、たっぷり三十秒はかかった。
「わりぃ」
いちおう、麗花の文句に返事をしてはいるが、他に気を取られているのは一目瞭然の口調だ。俊が中に入ってどいてくれたおかげで、ジョー達も部屋に入ったが、同じくぽかん、としてしまう。
さきほど手当てをした忍さえも、瞬きをしたまま、まじまじと見つめてしまう。
忍たちが注目しているのは、亮だ。
机にハンドキャリー可能な端末を開いて、いつもと変わらぬ様子で座っている。
血がついてしまった服を着替えているのは当然だろう。少し灰色がまじったようなブルーで、相変わらず右の袖が少し長い非対称なカタチの、襟ぐりが広めのTシャツを着ている。
が、短めの左手の袖の下にあるはずの、手袋がない。手首から肘の上まで、ぬけるような白い肌が見えている。
ただ、手の甲から肘まで、すさまじいくらいの傷跡がある。かなり古そうだが。
「もともと、コレを隠す為に手袋をしていたんです」
亮は、五人の視線が集まっている左手を持ち上げて、傷跡を指す。
それから、くるりと手を裏返す。
「自分では、アレ以来やってないですよ」
たしかに、アーマノイド反乱の時に五人が見た、切り刻んだと言っていいくらいの傷はどこにもない。
いまの口調からすると、痛々しいくらいの大きな傷は自分でつけたものではないらしい。
こんな傷があるとは、気付かなかった。あまりに亮が自分で傷つけた痕が酷くて、そちらにばかり気を取られていたからだろう。
「……その」
相変わらず、黙り込んだままの忍たちに見つめられている亮は、すこし視線を落とす。
「安易に、剣をうけたりして、すみませんでした」
らしくなく、声が少し小さくなっている。
「よかったよ、ヤなコト考えてたんじゃなくて」
忍の声に、亮は視線を戻す。
忍だけでなく、俊も麗花も須于もジョーも、笑顔になっている。
少なくとも自分で傷つけることはやめたのだ。それに、傷つけたことで心配をかけたという自覚もある。
それに、隠しつづけていた傷を見せたということは、知られてもいいと判断したわけで。
が、笑顔だった俊が、少し眉を寄せる。
「でも、手もやったのか?」
真白の包帯を巻かれた左手の平を見ている。
亮は、小さく肩をすくめた。
「ケガをしたのは、手、だけです」
「はぁ、マジで?」
手当てをしたはずの忍を、戸惑って見つめる。だったら、あんなに頑なに手を離さないままでいなくても、いいはずだ。
「うん、手だけ」
忍の肯定に、他の四人は問い掛ける視線で亮を見る。
亮は、あいまいな笑みを浮かべた。
「命に関わりそうなケガをさせたと思ってくれたほうが、ショック療法になるかな、と……」
「策士だな」
呆れた口調で言ってから、俊はため息をつく。
自分がケガしているというのに、そんな判断を冷静に下すとは。亮らしいといえば、亮らしい。
「いいじゃん、ケガが酷くなかったんだから」
麗花は笑顔で言うと、首を傾げる。
「んで、集まったってことは?」
「もちろん、ケリをつけるんだろう」
ぼそりと言ったジョーの口調は、問いかけではなくて断定だ。
亮は、くすりと笑って頷く。
「もちろん、そのつもりです」
せっかくの夏休みに、騒ぎを持ち込まれたお礼はしなくてはならない。



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