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夏の夜のLabyrinth
〜9th  木の葉の色が変わったら〜

■fallenleaf・1■



まだまだ暑さの残る九月始め。
須于は、大きな買い物袋をいくつも下げて歩いている。目指す先は、総司令部ビル。そこに、亮の車が待っていてくれるているはずなのだ。
ここ一年で、それなりに給料は貯まったので、忍たちは相次いで車を買った。
遊撃隊結成時に中古を貸し出されているが、やはり自分のが欲しかったのだろう。
忍はこの春にダークグリーンのスマートなセダンを入手したし、ジョーは夏休み直前に、目の覚めるのようなブルーメタリックのスポーツタイプツーシーター。俊は、去年の冬に漆黒のバイクを手に入れている。
夏休みが終わった後、すっかり使われなくなった中古車を返すと同時に、亮が眩しいくらいの白のツードアのセダンを入手した。後部座席が少し狭そうなそれが納車された時、誰もが意外な気がしたことは否めない。
以来、亮も出かける時はもっぱら自分の車だ。今日も、総司令部に行っている。
で、思った以上の買い物量になってしまった須于が、助けを求めた、というわけだ。
本当は、ほとんどカラになってる冷蔵庫を埋めるだけの買い物をしたら、車無しには帰れないとわかっていた。
だけど、まだ、亮の車には誰も乗ったことが無い。
亮がどんな運転をするのか興味深々な悪巧み三人組が、須于を焚きつけたのだ。須于も興味が無いわけではなかったので、引き受けた。
ひとまず、待ち合わせの約束をしたロビーに入る。
買い物袋を持っているといっても、麻で出来た大きめの袋を二つ持っているだけなので、そうは目立たない。広いロビーにはそれこそ、いろいろな人がいる。
総司令部が些少でも関わることに関する文献は全て揃っているので、夏休みになれば小学生もいるし、普段でも学生が多く出入りしているような場所だ。それこそ、一階にいる人間の格好など、千差万別といっていい。
一角に用意されている新刊の棚の前に立つと、さっと視線を走らせる。
目的の本を見つけて、須于は口元に笑みを浮かべた。採光のよいイスに腰掛けると、脇へ荷物を下ろす。
それから、ゆっくりと冊子を開く。
須于が手にしたのは、外交官たちの手記を集めたモノ。別途堅苦しい報告もしているのだろうが、こちらに集められているのは、軽い読み物として楽しめる内容になっている。物心ついてからリスティアを出たことのない須于にとっては、物珍しい内容ばかりだ。
が、次のページを開く前に須于は視線をあげる。なにやら、ロビーがざわついている。
どうやら、人々の視線は今入ってきたばかりの彼女に集中しているらしい。
建物の中に入ってもサングラスをかけたままというのが変わっているとかではなくて、彼女のまとう空気だ。
人を惹きつけずにはいない空気をまとっている、と須于は思う。女優という落ち着きではないから、おそらくアイドルかないにかだと見当をつける。
麗花だったら、サングラスをしていようとも誰なのかわかったのだろうが、残念ながら須于にはわからない。
軽く肩をすくめると、手にしていた冊子に視線を戻す。
次のページをめくり、文章を追い始めたのだが、またその視線はとまった。
今度は、視界に影がさしたから。
視線を上げると、先ほどの彼女が口元に笑みを浮かべて立っていた。
こざっぱりとしたショートカットはゆるやかにウェーブしていて、着ている秋がかった草色のカットソーもベージュの綿パンも、ぴったりとしているわけではないのに、彼女の細い体つきを際立たせている。
サングラスの向こうの視線はわからなかったが、どうやら視線があったらしい。彼女は、口元の笑みを少し、大きくする。
「早乙女須于さんですよね?」
柔らかな声が、確認の質問をした。
須于の顔に浮かんでいた不思議そうな表情は、警戒へと変わる。
アルシナドに、遊撃隊の仲間以外の知り合いはいないはずだ。ましてや、アイドルなどには。
相手は、慌てたように付け加える。
「わかんないかな、私よ私」
言いながら、サングラスを軽くずらして顔を見せる。
警戒の表情は、驚きへと変わった。
「……弥生?」
一呼吸おいたのは、大きな声になってしまいそうなのを我慢したから。
「うん、ひっさしぶりだねぇ」
サングラスをかけ直しながら、弥生は須于の隣に腰を下ろす。口元には相変わらず、嬉しそうな笑みを浮かべて言う。
「三年ぶりくらい?」
「そんなもんかな」
須于も頷く。
「よかった、元気そうで」
弥生は、独り言ともとれるような口調で言う。
「須于ったら、突然、なにも言わずに飛び出してっちゃうんだもん……あんなに、軍隊には入らないって言ってたのに」
サングラスの向こうの視線が、くるり、とこっちを向いただろうと思う。
こういうことを言うときは、弥生はいつもそうだから。
「香奈も、軍隊入っちゃったんだよね」
須于から返事がないので、弥生は視線をはずしながら付け加える。
「そう……」
軽く返事をしてから、須于は話題をずらす。
「弥生も、元気そうね」
「まぁね」
「みんなが注目してるみたいじゃない?」
言われた弥生は、軽く肩をすくめた。
「うん、最近は目立たない格好にしてもバレることが多くなったかなぁ」
「忙しいの?」
「おかげさまで、そうじゃないとダメだもんね、この仕事は」
苦にしてない様子で、にっこりと笑う。
「たしかに、そんなとこありそうね」
芸能界なんて、須于にはもっとも想像し難い世界だけど。
もともと、かわいらしかった彼女にはデビューしないかという話は数多かった。
「今日はついてるかも」
弥生は、突然話題を変える。が、いつものことなので、須于は驚きもせずに尋ねる。
「どうして?」
「須于に会えたし……それに、すっごいキレイな人!」
サングラスの視線が向いているほうに、須于も視線を向ける。
視線の先には、たったいまエレベータから降りてきた人々が映る。珍しくたくさんの人が降りてきているが、弥生の言ったのが誰なのかは、すぐにわかる。
繊細な細工の人形ではないかと思うくらいに華奢な人物がいたからだ。
透き通るようなという表現があう白い肌、全体的に水で溶いたように薄い色、柔らかく長い髪、それから印象的な海の色を宿した瞳。
どれをとっても、申し分のない綺麗さだと、須于も思う。
その人物は、こちらにまっすぐに向かってやってくると、弥生に向かって微笑みかける。
「荻那さんですね、お待たせしました、こちらが、臨時パスです」
話し掛けられて舞い上がってるらしい弥生は、こくこくと頷くと、慌ててメモを受け取る。
そして、軽く須于に向かって手を振ると、エレベータへと向かう。
弥生がエレベータに乗ってしまうのを見届けてから、弥生にメモを渡した綺麗な人物は須于に向かって、もっと親しげな笑みを浮かべる。
「遅くなってすみません」
綺麗な人物の正体は、亮だ。
「ううん、私のほうこそ、急にごめんなさい」
買い物袋のひとつを手にしながら、亮はにこりと笑う。
「忍たちあたりに、頼まれたんじゃないんですか?僕の運転がどんなだか確かめろって」
「え?!」
あんまり須于が驚いた顔つきになるものだから、亮は、おかしそうにくっと笑う。
駐車場に行く間中、亮がくすくすと笑っているものだから、いいかげん須于も恥ずかしくなってくる。
「そんなに笑わなくてもいいんじゃない?」
控えめに抗議すると、亮はやっとのことでといった様子で笑いを収めてから、
「俊や麗花ならともかく、須于が後先考えずに歩いて出るなんてないでしょう?」
言ってるそばから、また口元が笑っている。最初からお見通しだったらしい。
「黙ってるなんて、人が悪いわ」
「忍たちに頼まれたからって、わざわざ車なしで出てくるのと、どちらが人が悪いでしょうね?」
こたえた様子もなく亮は言うと、薄暗い駐車場の中でもその白さが際立つ車のトランクをあける。
亮相手に、口で勝つのはまず無理だと気付いた須于は、おとなしく自分の手にした荷物もトランクに入れる。
さほど力を入れた様子もなくトランクを閉じると、助手席の扉を亮は開く。
「どうぞ」
ハイソなデートにでも誘ってくれそうな仕草だが、顔はいたずらっぽく微笑んでいる。
「まだ、からかってるわね?」
「ご期待に添えるよう努力してるんですが」
亮に逆らってもムダそうなので、おとなしく座りながら拝んでみる。
「もう、許してよ」
「ここらへんにしておきますよ」
軽く頷いてみせると、須于が完全に中に入ったのを見届けて扉を閉じる。大げさな仕草はわざとなようだが、気配りのほうは慣れているようだ。
「マニュアルなのね」
亮がシートベルトをするのを見ながら、須于が言う。
キーを指しこみながら、亮は返事を返す。
「ジョーだって、マニュアルでしょう?」
「ええ、そうだけど」
「ツードアでオートマじゃ、サマにならないと思いますけど」
言いながら、エンジンを何度かふかして暖める。
サマにならないなどという単語が亮の口から出るとは思わなかった須于は、黙って亮がハンドルを握るのを見つめてしまう。
「じゃ、行きましょうか」
言ったなり、亮はアクセルを踏む。
「???」
亮の台詞が終わるか終わらないかのうちに、車はバックを終えて車庫の出口へと方向転換している。
怖いとか危なかったとかいうのはまったく感じなかったが、あっという間だった。
片手をギアに置いたまま、慣れた様子でハンドルを回して駐車場出口へと向かっていく。
ジョーの車に乗ったときも感じたが、どう考えても軍隊入隊前に教習所で訓練しただけでは身につかない運転だ。忍にも俊にも、同じコトは言えるけれど。
「亮まで、無免やってたのね……」
亮はくすりと笑うと、しゃあしゃあと言ってのける。
「自主訓練ですよ」
明るい日差しの中へと車は出て行く。
と、同時にDJの声が飛び込んでくる。
『今日は、弥生ちゃん大特集です!』
カーオーディオの下には数枚のアルバムも入っているようだが、ラジオになっていたようだ。
『待望のセカンドアルバムを、一足先にお届けします!』
ラジオの前に、いま何人の人間がいるのだろう?
弥生はそういう立場になったのだな、と須于はぼんやりと思う。が、亮の声に我に返る。
「そういえば、荻那さんの知り合いなんですね」
「うん、ずっと学校一緒だったから」
一緒にいたところを見られているし、亮がその気になればすぐに調べがつくことだ。
が、須于の口調がかすかに硬かったことに、亮は敏感に気付いたらしい。
それ以上は何も言わない。
バラードっぽいメローなイントロが流れてきて、懐かしいような他人のような声が聞こえてくる。
『なにもかも忘れて 遠くへ行きたいの』
歌うのは好きだった。
よく、歌っていた。私たちの前で。
なにも知らなかった、あの頃。
弥生の、少し恨みがましい声が耳朶に蘇る。
『須于ったら、なにも言わずに行っちゃうんだもん』
窓の外へと視線を移す。
「なにもかも忘れたかった……からかな」
ぽつりと、須于は呟く。半ば、無意識に。



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