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夏の夜のLabyrinth
〜10th 迷宮の中の迷宮〜

■pebble・1■



走ってる。
息つく暇もないほどのスピードで。
間に合わせなくてはならない。
わかっているのは、それだけ。
断片的な景色が、視界の端に見える。
ほとんど暗闇としかいいようのない路地で、誰かが倒れている。
無数の剣に貫かれているということを、なぜか知っている。そして、倒れている彼の口元には笑みが浮かんでいることさえ。
景色はすぐ行き過ぎ、大きなステージが見える。
観客はもう誰もいない。
ステージの真ん中に、額を撃ち抜かれた派手な衣装の歌姫がいる。
瞳を見開いたまま、虚ろに宙を眺める彼女の顔にも笑みがある。
それから、別の場所にも銃で狙撃されたカップル。
しっかりと手を繋ぎあった二人の口元にも、微かな笑みが見えた。
異様な光景だ。
死を目前にして、微笑んだなんて。
しかも、それが一人ではないなんて。
でも、悲しみも疑問も恐怖もない。
間に合わせるため。
すべては、その為だけにある。
走って、走りつづけて。
やっとたどり着いた先には。
斬りつけるような風の中、真紅の光景が広がっている。
血でまみれた手に、なにかを手渡される。
手にしたそれを高く掲げた。
最後に思ったことは。
間に合った。
ただ、それだけ。
そして、自分の視界も紅にかき消されていった。

「………?」
ぐっしょりと汗をかいているのがわかる。躰中がだるい。
額がやけに冷んやりとしてるので手を伸ばして、忍は熱を出していたのを思い出す。
そういえば、数年ぶりに風邪を引いた挙句に熱まで出たのだった。
最初は「なんとかは風邪ひかないっていうのになー」とか、「うっわー、風邪のほうがシッポ巻いて逃げると思ってた」などとからかわれていたのだが、すぐにシャレにならない状況に陥った。
自分でも忘れていたが、忍の場合は風邪と扁桃腺が直結してしまうのだ。扁桃腺が腫れれば、当然、熱が上がるわけで。
「おう、目ぇ覚めたか」
俊が顔を出す。
「あぁ」
「汗かいてんだろ?着替え持ってきてやるよ」
言ったなり、俊の顔は引っ込む。
まだけだるい躰を持ち上げながら、忍はなんの夢を見ていたのだろうと考える。
残っているのは、目にも鮮やかなくらいの真紅。
すぐに、俊は気持ちよいくらいに乾いたパジャマを持って来てくれる。爽やかな、なんて形容されそうな青だ。真紅の思考は途切れる。
後ろから、麗花が引っ付いてきて覗き込む。
「熱、どうよ?」
「ん、もう大丈夫、むっちゃ腹減った」
「あー、わかりやすぅ」
食欲が出てきたのは回復傾向のイチバンの証拠だ。大袈裟に肩をすくめてから、麗花はにやりと笑う。
「んじゃ、須于に頼んで来てあげるよー」
「なんか腹にたまるもんがイイな、下、降りるから」
「はいはい」
麗花が引っ込んでから、しめったパジャマを脱ぎすてる。
「亮はどうしたんだ?」
とぎれとぎれの記憶では、マメに亮が看病していてくれたような記憶がある。
「ああ、総司令官に呼び出されてさ」
「事件か?」
「さぁなぁ?」
風邪ひいて寝込んでたのに顔つきが変わった忍に、俊は肩をすくめてみせる。
「ま、忍は風邪を直すのが先だわな」
俊のおっしゃる通りなので、忍は大人しく着替えを渡す。
「特別にオレ様が洗濯してやる」
「ありがとうございます」
大袈裟に拝んでみせると、俊はべろりと舌を出す。
「感謝の気持ちは小判の厚さってな」
「うっわー、悪徳〜」
笑い声を残して俊が消えて、忍は窓の外に目をやる。
穏やかな秋の赤が目に入る。
今年の紅葉は、いつにも増して鮮やかな気がする。
そして、さっき見た夢は真紅だった。



総司令官の前には三人。
「間違いなく、プロの仕業ですね」
仲文が告げる。
「見事しか言いようのない手際ですよ」
広人も手にした資料を並べて見せながら続ける。
「証拠の無さから言っても間違いなく」
健太郎は、片眉を上げる。
「本来の仕事ぶりとは少々異なるようだけど、な?」
言いながら、最後の一人へと視線を移す。視線の先、亮の顔にはなんの感情も浮かんでいない。
「警告、と取るべきでしょうね」
広人が並べて見せたなかの一枚は、被害者のモノだ。
通常の検死では『心臓発作による突然死』としか分類されないだろう。まったくと言っていいほど、傷がない。
わかっている人間が、よく調べない限り。
死んだのは、アファルイオの元秘密工作員だ。アファルイオを脱出してリスティアに進入したことまでは掴んでいた。
もちろん、殺ったのはアファルイオからの追っ手、特殊部隊だ。
健太郎が『いつもの仕事ぶりとは違う』と言ったのは、遺体が残っていたことを指している。
よほどの者が見なくてはわからないが、その気になれば『他殺』ということがわかる証拠を残すような真似をしないのが、アファルイオ特殊部隊の特徴なのだから。
証拠を残さないということに関しては、徹底していることで知られている。
その特殊部隊が誰の仕事かわかる証拠を残していった。
意図は、別のところにあると取るべきだ。
「アファルイオからの警告とすれば、ヒトツしかないな」
健太郎は小さく肩をすくめてみせる。
仲文と広人は、どちらからともなく顔を見合わせる。それから、亮へと視線を移す。
「そうでしょうね」
肯定した亮の顔には、相変わらずなんの感情も浮かんでいない。健太郎の口元に微かな苦笑が浮かぶ。
「で、アレの方はどうだ?」
亮はほっそりした手を、健太郎の目前のキーボードへと伸ばす。
いくつかのキーワードが入力されると、そこにはアファルイオの地図と数点をしめした点、それから写真が現れる。
写真は、全て遺体だ。
「これらは間違いなく、アレです」
相変わらず感情のない口調で亮は言う。
さらに、画面上には別の地点と遺体の写真が加わる。
「これは、特殊部隊の仕事ですね」
ただ、事実を告げる声。
「……連動してるな」
広人が、指で軽く画面をなぞりながら呟くように言う。
「ってことは、アレは……」
「近いところにいるのは、確実です」
特殊部隊に、ということだ。
「当人に変化は見られないってことか」
仲文の問いに、亮は頷いて見せる。
「公の場に現れることも多いですから、変化を隠し通すことは難しいです」
「だとしたら、ますます扱いが難しいってことになるんじゃないのか?」
眉をしかめた広人に、亮は首を横に振る。
「いえ、アファルイオ国内の動きと今回の警告はベツモノです」
「まぁな」
健太郎は頷く。
「アレにとっては、なんのメリットもないからな、今のところ」
「警告するのにこれしか方法が無かったのですから」
亮の口元に笑みが浮かぶ。
「その分は、こちらが有利です」
「相手が特殊部隊だけなら、な」
健太郎と亮の視線が、まっすぐに合う。
「知性でどうにかなる相手なら、よかった」
亮の口元の笑みは、消えていない。ただ、その瞳には確固たる意思がある。
「『緋闇石』は、消します」
先ほどから、四人が『アレ』と言っていたのは、『緋闇石』に他ならない。リマルト公国を侵略軍へと変化させ、マリンスノーを舞い上がらせて死の海へと変えた『緋闇石』が、今、アファルイオの特殊部隊と共にある。
視線を外した健太郎は、少しの間言葉を捜していたようだが、やがて諦めたのか小さくため息をつく。
「『警告』の扱いは、お前にまかせるよ」
従うか、無視するか。
無視すれば厄介なことになるが、それも構わない、という意味に他ならない。
亮の笑みが、少し大きくなる。が、『警告』をどうするつもりかは、言葉にしない。
「では、これで」
それだけ言うと、背を向ける。
亮の姿が消えてから。
三人は誰からともなく、顔を見合わせる。
「また、傍観者ですか?」
不満そうに口を開いたのは、広人だ。どことなく諦めが入った表情で、仲文が肩をすくめる。
「どうにかできるとしたら、あいつらしかいないけど、な」
健太郎の顔からは、笑みが消えている。笑みだけではない。感情を示すモノがなにもない。
「そして誰かが、生き残らなくてはならない」
ぽつりとこぼれた言葉は、事実を告げるだけの声だった。



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