[ Back | Index | Next ]


夏の夜のLabyrinth
〜10th 迷宮の中の迷宮〜

■pebble・2■



亮が総司令部から帰ってきたのは、忍が居間で須于の作ってくれたご飯を平らげ終わった時だった。
忍は、少し首を傾げる。
空気が、少し冷えた。
そんな気がしたからだ。
が、亮は忍と目が合うと、微笑んだ。
「元気になったみたいですね」
「ああ、もうすっかり」
にやり、としてみせる。
「お帰りなさい、お茶飲む?」
須于がキッチンから声をかける。
「ありがとうございます、いまはいいです」
笑顔を須于のほうに向ける。忍に視線を戻した亮から表情が消える。
空気が冷えた気がしたのは、気のせいではないと気付く。
なにかが、起こった。
いや、忍自身は予感していた。
『第2遊撃隊』との件にケリがついた時から、おぼろげには。なにか言葉を飲み込んだ健太郎と、あえて追求しなかった亮。
「俺なら、もう通常稼動できるよ」
亮は、微かに微笑む。忍が、なんのことか正確に把握したとわかったのだろう。
忍の言葉に、テレビを見ていた麗花も、キッチンの須于にも、なにかあったとわかったらしい。新聞に目を落としていたジョー、洗濯カゴを起きに来た俊も顔つきが変わる。
「では、総司令室に集まってください」
そう言った亮の顔には、もう表情はない。

総司令室に揃った五人に、亮はいつになくストレートに告げる。
「『緋闇石』が動き始めました」
消えていないとは、知っていた。
いつかは、対峙することになるかもしれないと覚悟もしていた。
現実になったのだとわかった途端、予測していた忍でさえ、ぞくりとする。
「今度は、どこに?」
忍の問いに、亮はまったく目線を反らすことなく答える。
「アファルイオに」
誰かが、かすかに息を飲む。
が、それに構うことなく、亮は画面にアファルイオの地図を映し出す。そこには数点の印がある。
「『緋闇石』と特殊部隊が連動で動いています」
「アファルイオの特殊部隊って言ったら……」
俊が、かすかに首を傾げる。後を引き取ったのは、ジョー。
「暗殺部隊だな」
表に出ることはなく、その実態を知る者はアファルイオでも少数と言われている。
「その特殊部隊が、リスティアにも侵入しました」
「どういうことだ?」
ジョーの眉が上がる。さすがに、驚いたらしい。それに対する答えは、簡単明瞭だ。
「アファルイオの秘密工作員が逃亡潜入したからです」
「でも……?」
納得行かない様子なのは、俊。
「遺体が、残っていました」
言いながら亮の視線は、さきほど息を飲んだ人物へと移る。自然と、皆の視線もその人へと集まる。
「なるほど、ゲームオーバーってことね」
笑いを含んだ声を出したのは、麗花だ。
「相手にする前からゲームオーバーはないでしょう?」
怪訝そうに須于が尋ねる。麗花は、大きく肩をすくめる。
「アファルイオ特殊部隊はね、遺体さえ残さないのが流儀なの……よほどの邪魔が入ったとしても」
言いながら、麗花は目に手をやる。ぽろ、と落ちてきたそれは、コンタクトらしい。しかも、カラーの。
「だから、遺体が残ってたというのは別の『意味』があると考えなきゃいけないってわけ、例えば『隠れてても無駄』の警告とか、ね」
顔を上げた麗花を見て、忍が呟く。
「紫根……」
灰がかった瞳だと思っていたが、それはカラーコンタクトのせいだったのだ。あまりにも鮮やかな紫の瞳。
それを持つ血筋を、知らぬ者はいない。
が、そんな立場の人間が、こんな場所にいるなんて俄かには信じがたい。
恐る恐る、俊が尋ねる。
「麗花って、孫麗花?」
「アタリ」
にやり、といつも通りの笑みを麗花は浮かべる。
孫氏と言えば、ヒトツしかない。アファルイオ王室の姓だ。
孫麗花の名は、ニュース好きな俊やジョーでなくても知っている。現国王、孫顕哉の妹姫。
ここ二年ほど、公の場には姿を現していない。麗花が『第3遊撃隊』に所属した時期と、確かに合っている。
「高梨麗花ってのは仮名ってヤツ、まっさか本名で他国の軍隊に所属するわけにはいかないもんねぇ」
知ってる性格から考えたら、とても姫君とは思えないが、奇妙な違和感は納得できる。何ヶ国語も理解出来ること、遊び好きのクセにリスティアのことはよく知らないこと、国宝級の美術品の鑑定眼があること。
そして、張一樹の反乱の時。
麗花は、一樹に命令したのだ。「亮を元に戻せ」と。一樹は、尊敬語で返事を返した。
そういう立場であるというのは、わかった。だけど。
「そりゃそうだろうけど」
聞きたいのは、そういうことではない。忍の口調で、なにが言いたいのかはわかったのだろう。麗花はもう一度肩をすくめてみせると、あっさりと告げる。
「死にたくなかったからさ、逃げたんだよ」
なんとなく、察しはつくのだが口にはし辛い。
麗花は、にやりとしたまま続ける。
「両親も朔哉兄さんも殺されたら、やっぱ身の危険感じるでしょ」
まぁ、朔哉兄さんは暗殺未遂だけど、と付け加える。
「暗殺未遂?」
アファルイオ先王、朔哉は夭折したという公式発表になっているはずだ。
「眠ったまんま、永遠に」
言葉を捜すように視線を漂わせた麗花は、亮へと視線を戻す。
「……植物人間みたいな感じって言えばいいのかな?安藤せんせには来てもらったから、亮は知ってるよね?」
「銃弾による脳の損傷で、意識回復の見込みはないという所見です」
「と、天下の名医が言っても、まだ命狙われてるんだから笑っちゃうけど」
「まだって、いまだにってこと?」
「そうだよ、特殊部隊の人間が常に一人、護衛してる」
国家首脳部というものは、多かれ少なかれ身の危険は伴うものなのだろうとは思う。いろいろな思想の人間が存在する限り。
だが、リスティアのみならず『Aqua』の権力を一手に握る天宮健太郎でさえ、ここまでは危険にさらされていないだろう。アファルイオ王室は、あまりにも血塗られているように思われる。
「やっかいな人が権力欲に取り憑かれててね、確実な証拠がない限り絶対に手を出せなくて」
麗花の口調は淡淡としたままだ。いつものおしゃべりと、調子は変わらない。それが、返って痛々しい。
感情をのせて話すことが出来ない、ということだから。
手だけが、きつく握り締められている。
思わず須于が手を伸ばしたのは、きつく握り締めすぎて血の気が引いていることに気付いたからだ。麗花は少し、照れたように微笑んでから、続ける。
「私たちは、顕哉兄さんの次の王位継承者を隠すくらいしか出来なかったんだよね、情けないことに」
それで、麗花の国外脱出ということになったのだ。
「もしかして、いまの国王のも……?」
尋ねながら、俊が片目を指してみせる。アファルイオ現国王である顕哉は、片目が常に髪に隠れているのだ。
「顕哉兄さんのあれはね、オッドアイなの」
「オッドアイって?」
「瞳の色が違うことです、両目で」
「そ、あの下はジョーみたいなキレイな青なの、私から言わせるとかっこいいんだけどさ、アファルイオって迷信深いとこあるからね」
不吉の象徴のように言われてしまうのだろう。ましてや、連続して王が夭折しているのだ。国の不安感はそう簡単には消え去らない。
「で、手を出せない犯人って誰だよ?」
忍が尋ねる。
「権力の座に近いところにいながら、実質の政権は握ることが出来ずにいる、それでいて安全という人物ですよ」
亮には、とうに誰なのかわかっているらしい。
「実質の政治ができないのに権力の座に近いって……?」
須于が首を傾げる。麗花が吐き捨てるように答えを告げる。
「祭主公主」
祭主公主、とは巫女のような役目を担う者だ。神事の多いアファルイオでは要職であり、国民の尊敬を国王と二分する存在。
だけど、驚いたのはアファルイオの象徴である存在が自国を血塗っている張本人だったからではない。
「待てよ、祭主公主って……」
俊の焦り気味の台詞をジョーが引き取る。
「先々王妃の、妹のはずだ」
先々王といえば、麗花の父になる。ということは、いまの祭主公主は叔母ということになる。麗花の言う通りだとすれば、実の姉を手にかけたということになるではないか。
「そうよ、横恋慕から始まった暗殺劇だもの」
そう言われれば、どういうことなのかはわかる。祭主公主は麗花たちの父を想ったのに、麗花の父が想ったのはその姉だったのだ。そして、彼女は一線を超えた。
しかし、想い人を失っても王の想いは変わらなかった。
「感情的で迷信深いアファルイオの象徴、祭主公主を捕えて離さないのは愛情が敗れた後の憎しみだけというわけ」
一度血で手を染めた彼女は、もう止まらなかった。
己に振り向かない王を殺し、そして姉の生んだ子をも手にかける。意のままにならない者たちを、全て消し去るために。
だが、国の巫女は絶対の証拠無くしては手にかけられない。
彼女は安寧の場所から毒牙を伸ばしつづける。
「そいつが、麗花に帰って来いって?」
忍が、不機嫌そのものの口調で言う。
「馬鹿らしい」
殺されに帰って来いということではないか。
「そうだけどさ、アファルイオもリスティアほどじゃないけど、大国ってヤツだからね」
麗花が苦笑する。摩擦は出来るだけ避けるべき相手なのは、確かだ。
が、亮はかすかに微笑む。
「『警告』を無視するかどうかは、好きにしていいそうです」
「好きにしてイイって……健さんが言ったの?」
麗花が戸惑った声を上げる。摩擦、ではすまないかもしれない。
かすかに浮かんだ亮の笑顔は、すでに消えている。
「優先すべきは、『緋闇石』消滅です」
にやりと笑ったのは、忍。
「なるほど?麗花がアファルイオの姫君なのも、警告も『緋闇石』を消すためのコマってわけだ」
「でも……?」
亮もはっきりとした笑みを浮かべる。
「麗花がどこの誰であろうと、いまは『第3遊撃隊』の一員ですから」
「ま、一人でも欠けてくれると迷惑だからな」
ぼそり、とジョーが言うと、俊が横目で睨む。
「ほっとけよ」
「で、どうするの?」
須于が微笑みながら尋ねる。
「アファルイオ国内で『緋闇石』と行動を共にしている特殊部隊と、リスティアに侵入した特殊部隊は別物です」
いつもの軍師な表情で亮は言う。
「国内で暗殺されたのは、祭主公主派の者ばかりだからです」
王室直系に重用されていない者が祭主公主を利用しようと考えるのは、当然の動きだろう。ましてや、王室が手出し出来ないとなれば。
「アファルイオの特殊部隊は二隊いるってこと?」
「祭主公主の護衛部隊が独自の動きをしている、と言ったほうがいいでしょうね」
「んじゃ、『緋闇石』配下の方が多いってことじゃん」
げぇ、と忍と俊が舌を出す。
「行動を共にしてはいますけど、特殊部隊自体が『緋闇石』の指揮下ではありません」
「どういうことだ?」
ジョーが続きを促す。
「特殊部隊を率いている周雪華が、『緋闇石』に操られているわけではないからです」
少し明後日の方向を見ていた麗花は、なにかを飲み込んだようだ。まだ、少し眼の端に涙が残っている。
「亮、国内の特殊部隊がやった分、もっと詳しい写真見せて」
「いいですよ」
アファルイオの地図に重なる写真が、特殊部隊が手を下したものだけになる。
ざっと見た麗花が、一つを指差す。
「コレ、もっと大きくして」
大写しになって、やっとわかる微かな傷があることに、忍達も気付く。
凝視していた麗花は、やがて信じられないというように首を振る。
「雪華の仕事だ……」
『緋闇石』と行動を共にしているのが、特殊部隊の一部ではないということに他ならない。
「ありえないよ、雪華が誰かの指示に従うなんて」
「相手は『緋闇石』だぜ?」
あり得ないことを、しかも最悪方向でやってのけるのが『緋闇石』だ。
が、麗花は首を横に振る。
「雪華は、朔哉兄さんが倒れてから側を離れたことがないんだよ」



[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □