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夏の夜のLabyrinth
〜12th  哀しい異邦人〜

■frothspit・11■



亮の顔には、どこか痛みを含んだ笑みが浮かぶ。窓の外へと視線をやったまま、ぽつり、と口を開く。
「血が繋がっているから親なんでしょうか?育てられたら親なんでしょうか?」
「さぁ、な……多分、俊にとっては血の繋がったのが誰であれ、佳代さんが母親になるんだと思うけど」
相変わらず窓の外を向いたままの亮の笑みが、微かに大きくなったようだ。
「そうですね……」
「亮にとっては?」
「母は亡くなった、と最初から教えられていましたから……よく、どんな人だったのか話していましたよ」
健太郎が、麻子のことを語って聞かせていたのだろう。自分たちの命と引き換えるように亡くなった麻子が、亮にとっては母親になるらしい。
それは、健太郎にとっての救いなのかもしれない。
「……なぁ、亮」
視線だけが、忍の方へと戻る。
「俺、ヒトツだけ、訊きたいことあるんだけど」
亮は、黙って忍の次の言葉を待っている。
忍は、車の流れが少ない道へと入り、路肩に止めた。
まっすぐに、前を向いたまま言う。
「あれは、亮が判断したのか?」
「そうです」
ぽつり、と肯定の返事を返した亮の視線は、また、窓の外へと移る。
「決めていて、訊いたのか?」
「はい」
静かな声だが、躊躇いはない。
バックミラーから、窓の外を向いている亮の表情が、どんなに痛いのかはよくわかっている。それでも、忍は言葉を重ねる。
どうしても、確認しなければならないことだから。
「思い出すことは絶対にないと、そう思った?」
「そうでなければ……」
言葉はそこで途切れたが、なにが言いたいのかはわかる。
忍は、少し、語調を緩める。
「どこまで思い出したのか、確認してもいいか?」
「……はい」
亮は、瞼を閉ざしたまま、大人しく頷いた。
「俺が、あの男に俊と間違えられて誘拐されたのは、これが二度目だよな……一度目は、六歳の時」
健太郎の口にした「二度も迷惑をかけてしまって」の意味は、それしかないから。
「そう……アスクレス事件の、後です」
元々、伸之介は健太郎の子である俊と亮とは、面識がない。亮の側にいる者が俊だと、部下が勝手に判断を下したのだ。
十四年前も、今回も。
ただ、二つ、今回と違うことがある。
ひとつは、あの時は、なにがなんだかわからずに、ただ恐怖だった。
自分には理解できないことばかりを言われ、本能的に口をつぐんだ。
もうひとつは、あの時は亮も誘拐された、ということ。
そこで出会ったのは、ほんの偶然だ。
なにかの痛みに耐えるように座り込んでいた亮に、声をかけた。
大丈夫だ、と頑なに言う亮を送っていくと言い張ったのは、青白いを通り越して真白といっていいほど血の気が引いていたからだ。
だから、忍は天宮の屋敷に行ったことがあった。記憶が戻ったから、爆破の時に廃工場から抜け出した後、亮と別れて身を隠すのに、天宮の屋敷に行くことができたのだ。
送ってくれた礼にお茶をごちそうになり、その帰り道に黒尽くめの男たちに囲まれた。
呼び出された亮は、ひどく驚いた顔つきになった。誘拐されたのが、間違っているとわかったから。
自分も大人しく伸之介に従ったのは、忍を無事に返すためだと気付いたのは、それからすぐだ。
余計な者にコトが知られたとわかれば、容赦なく消されると亮は知っていた。だから、忍に、必要最低限の知識を入れた。
どうして誘拐されたのか、何者のふりをすべきか、どういう態度でいるべきか。自分が、間違えられて誘拐されたのだということ、それを知られれば命が危ないこと。
同じ年頃とは思えない、冷静な判断と万全の構え。亮の言葉を聞いていると、敵中にあって、そうでない気がしてくる。
自分を捕えていた恐怖が、少し、薄らいだ。
どうせ子供で、何も出来ないと思われているらしく、二人でほったらかしにされていることが多かった。だから、話す時間は充分にあった。
いつもどおりに、亮が今日はどう対応するかを話した後。
「すごいね」
と、思わず言った忍に、返ってきたのは痛そうな笑みだった。いつもの感情さえ伺えない沈着な表情からは、想像の出来ないくらいの。
「……普通じゃ、ないから」
ぽつり、とそれだけ言った。
「そうなの?でも、そのおかげで僕、殺されずにすんでるんだから、やっぱ、すごいよ」
素直にそう思ったのだけど、亮は首を横に振った。
「守る以上に……傷つけることの方が、多いですから……あなたも、僕に関わらなければ、こんな目には……」
忍は、俯いてしまった亮の顔を、覗き込んだ。
「だって、わざとじゃないでしょ?」
数日過ごしていたけれど、望んでそんなことをするようには、見えなかった。いつも、自分よりも忍のことばかりで。
時折、自分を守ることは考えの中に入っているのかと、確認したくなるほどに。
「ね?」
俯いたまま、亮は首を振った。
「欺いたんです……守ってくれようとしていたのに……」
声が、細くなった。
その顔を見て、少し、ぞくり、とした。
血の気の引いた顔の、瞳の焦点が、合っていなかった。
直感で、まずい、と思った。
だから、思い切り両肩を掴んだ。
「亮っ!」
びく、と肩が震えて、それから、ゆっくりと焦点があった。
「亮、あのね、僕は信じるから」
どこで憶えたのかはわからないけれど、その意味と重さだけは、なんとなく知っていた。
まだ、自分には相応しくないような気がして、口にしたことはなかった。
でも、今が、その時のような気がした。
その言葉が、必要だと思った。
亮の瞳に浮かんだのは、困惑と、それから、諦めと。
「わかった、じゃあね」
少なくとも、こんなに哀しい色の瞳を見たことがない。だから、少しでも楽になるのなら、と思ったのかもしれなかった。
そんな自覚はなかったけれど。
「なにがあったのか、もしよかったら、話してみてよ。それでも僕が信じられるか、それから決めるから、ね?」
誘拐した連中を油断させるための猶予が必要で、その間は彼らには、とてつもなく長い時間だった。
亮は、ぽつりぽつりと、事情を話し出した。
亮のお父さんとお祖父さんが、上手くいっていないこと。
お祖父さんに、好きな人との結婚を邪魔されてしまったお父さんが、なにか特別な方法を使って、お父さんとお父さんの大好きな人のイデンシを使って、お兄さんと亮を、つくったこと。
お父さんの大好きな人は、死んでしまったこと。
お祖父さんは、会社を大きくするためなら悪いことでも平気なこと。それに反対のお父さんと亮が、お祖父さんがこれ以上悪いことができないようにしたこと。
その時に、亮が、お兄さんの前で躰が不自由なふりをして、騙したこと。
自分の邪魔をされて怒ったお祖父さんが、お父さんの二人の子供を誘拐して困らせようとしてること。
そのせいで、忍と亮が誘拐されたこと。
忍は、亮の双子のお兄さんと間違えられたのだということ。
忍に理解出来たのは、やっとこれだけだ。亮が話したのは、もっと複雑で難しかった。
「普通じゃないから」
亮はそう言った。確かに、記憶力、思考力では、そうかもしれない。同じ年とは思えなかった。
でも、ココロが痛むのは。
それは、同じだと、それだけはわかった。
なにも言えずに、ただ、手をつないだ。
しばらく、黙ってそうしていてから。
「一緒に、帰ろう」
言われた亮は、驚いたようだ。
亮が、ここから帰らないつもりでいる。そんな気がした。
だから、繰り返す。
「ぜったい、一緒に帰ろう、ね」
亮は、俯いた。
「……僕が、あなたも利用しているかもしれないとは、思わないんですか?」
「思わないよ」
にこり、と笑った。
そんな余裕が、亮といるうちに出来ていた。
一緒に帰ろうと思ったら、亮に考えさせれているばかりではダメだということだけは、わかった。
だとしたら、強くなるしかない。
自分も、自分にしか出来ないことが出来るように。
「亮は、そんなことしない」
初めて、亮の顔に微かな笑みが浮かぶ。
「……ありがとう」
それから、一日と経たないうちに、チャンスは訪れた。
二人は、脱出を決行した。
それは、ほとんど上手く行ったかにみえた。
警察も駆けつけ、ほとんどが捕らわれた、その時。
ヤケを起こした男が一人、忍に切りかかる。避けられない、と思った。
次の瞬間。自分の頬に、なにかの飛沫が飛んだことに、気付いた。
それは、忍をかばった亮の、左腕が切り裂かれたがために、飛び散ったモノ。
「亮!」
叫んだ忍に、亮は、微笑んだ。
「なんで?!」
まだ、庇うという単語さえ、知らなかった。
「だって……忍がいなくなるのは、イヤだったから……」
言ってる間にも、腕は真っ赤に染まっていった。初めて見る血。止めど無く流れつづける赤い液体。
痛いはずで、苦しいはずで。
それでも、亮は微笑んでいた。
忍が無事だったから、と。
「亮……」
「いた!ここだ!」
不意に声が聞こえ、亮は白い服の大人たちに抱え上げられてしまった。
忍も警察とおぼしき大人たちに抱え上げられる。が、連れて行かれる方向は亮と逆だ。
忍は、必死で叫んだ。
「亮!僕だって、亮がいなくなるのは、ヤだよ!亮!!」
その後、一度だけ、亮と会うことができた。
誘拐されていたことで、外傷や精神的ショックがないか検査する為に入院していた間だ。
いつの間にか、そっと戸口のあたりに立っていた。
白い包帯をされた左腕は痛々しかったけれど、命には別状なさそうだった。
「よかった!」
そう笑いかけた忍を、亮はどこか思いつめた表情で見つめていた。
「どうしたの?」
「……僕を、いまも信じてますか?」
ぽつり、と尋ねられた。
「信じてるよ」
迷わずに、答えた。
「それから」
「それから?」
亮は、微かに首を傾げた。
「今度は、僕が守るから」
それを聞いた瞬間。ゆら、とその瞳が揺れた。本当に、微かな笑みが口元に浮かんだ。それは喜んでいるというよりは。
それから。
なにかを振り切るかのように、首を横に振った。
背を、向けた。
「……さよなら」
その言葉通りに、忍の記憶から、その出来事は消えた。
忍は、まっすぐに外の景色へとやっていた視線を、亮へと向ける。
「全部、思い出したことになるのか?」
「はい」
はっきりとした返事が返る。
「俺の記憶を消したのは、余計なことを知らせすぎたからか?それとも……」
「あの時、忍はすでに俊と知り合っていました」
亮は、窓の外へ視線をやったまま、ぽつり、と言う。
「僕がそれを知ったのは、解放されてからです」
俊に知らせるわけにはいかない事実を、忍に教えすぎてしまった。亮と顔見知りだというだけでも、俊にとっては許せない事実になりかねない。
頑なになっているであろう心を、忍ならときほぐせると、そう思った。
自分が、誰にも言えなかったことを、口にしたように。
閉じていた瞼を、亮は開く。
「……奪うことは、出来ませんでした……それに……」
「知らない方が、幸せだから?」
なにも返事がないことが、肯定だ。
「亮が、一人になってしまっても?」
亮の口元に、苦い笑みが浮かぶ。
「関わる時は、命がけになってしまうでしょう……今回も……」
「それで?一人で背負うつもりなのか?」
「背負うとか、そういうつもりでは……」
忍の語調がさらに強くなったからか、亮は困惑した顔を向ける。が、忍は不機嫌な声のままだ。
「忘れられても平気だったわけか?」
視線が、漂う。
「亮、こっちちゃんと見ろ」
躊躇いがちの視線が、こちらを見る。
「忘れられても、平気だったのか?」
微かに痛みを含んだ表情が、無表情へと取って代わる。
「いまさら、それを聞いて、どうするんですか?」
「俊の側にいるのに、この記憶はマズイよな、いまと違って隠し通すことなんて、出来るわけないから」
ひとつ、呼吸をおく。
「あの時、俺に選択権があったなら、どちらを選んだか考えたことなかったのか?」
亮の無表情は、自分の感情を押し殺す前兆だ。それをしつづける限り、多分、気付かない。
だから、忍は告げる。
「平気じゃなかっただろ?ずっと、あんなことしてたんだから」
左手を見る。
ずっとあった、無数の傷。忍を守った為についたのではくて、自分で自分を責めつづけて。自分が生きているのかどうかすら、わからなくなって。
「いいか?これだけは忘れるなよ、亮も幸せになっていいんだからな」
無表情な瞳が、かすかに揺れる。
今だから、わかる。
亮がどれだけ孤独だったのか。
普通じゃないから。
その言葉で自分を縛ったまま、全てを諦めてしまって。
「欲しいものがあるのなら、そう言っていいんだよ、握って離さなくても、それで誰かを傷つけてもいいんだよ」
自分が壊れてしまうくらいなら。
亮の顔に、困ったような微かな笑みが戻る。
「もう、充分に我侭ですよ、ずいぶん、忍に背負わせてしまってますから……もうヒトツ、付け加えてもいいというのなら」
促すように、忍は少し、首を傾げる。
「……思い出した記憶は、そのまま憶えていてもらっても、いいですか?」
忍は、呆れ顔になる。
「また、消すつもりだったわけ?」
「そういう意味ではなくて……」
珍しく、言葉に詰まったようだ。亮は、口をつぐんでしまう。
「じゃ、どういう意味?」
亮は、困った顔つきになって、視線をうろうろさせる。
忍の視線は、亮をまっすぐに見たままだ。聞くまでは諦めそうにはない。
困惑顔のまま、俯く。
「その……忍に、知っていて欲しいと、思ったから……僕が、幼い頃から人を傷つけられるだけのことができたこと、そして、そうしてきたこと……」
自分を責める言葉に、忍は少し眉を寄せる。
亮は、俯いたまま、続ける。
「ヒトツだけ、訊きたいことが、あるんですが」
「うん?」
らしくなく、息を大きく吸うのが肩の動きでわかる。
「……僕を、今も信じてますか?」
「信じてるよ」
それは、全部知っていても、信じてほしいという意味だから。
「今度こそ、俺が守るから……もう二度と、俺のためにこんなケガはさせないから」
亮が、顔を上げる。どういう表情をしていいかわからないまま。
忍は、くしゃ、と亮の頭をかき回してやる。
「俺のこと、かばってくれてありがとうな」
亮は、ただ、微笑んでみせる。



「おかえりー、お疲れさまー」
忍たちが家に着いた時には、もう四人とも先に帰っていた。須于が、さっそくなにか作ろうと準備を始めたところらしい。
亮が微笑む。
「やりますよ、買い物してきていただきましたし」
「そう?でも疲れてない?」
「ケガもしてるだろ」
と、俊。
「もう大丈夫ですよ」
なにか飲もうと冷蔵庫を開けた忍が、ワインを取り出してみせる。
「あ、酒がいっぱい」
「たまには、な」
ジョーが口の端に笑みを浮かべる。
麗花が、お腹をぽんぽんと叩いてみせる。
「なんでもいいからー、お腹すいたー!」
須于と亮は、顔を見合わせてしまう。
「じゃあ、須于はサラダつくってもらえますか?ドレッシングが美味しいから」
「わかったわ」
須于が、にこり、と笑う。馴れた調子で、亮もエプロンをかける。
「早くしないと、侍が出ちゃうよ」
麗花の台詞に、思わず忍たちが笑い出す。亮が首を傾げる。
「誰ですか、侍って?」
「ジョーだよ、お腹すくと『腹が減っては戦はできぬ』って言うから」
忍も、モトン王国での発言をしっかり憶えていたらしい。ジョーが赤くなっている。
「では、斬られる前につくらないと」
亮にまで言われて、ますますジョーは困り顔だ。それを見て、忍達は大喜びしている。
包丁や炒め物の小気味いい音が、しばししてから。テーブルには、ざっと料理が並ぶ。
「やっほー、ご飯ご飯!」
麗花が嬉しそうに声を上げる。俊とジョーと忍も、素直に手を叩いている。
それぞれ、グラスを手にしたところで、忍が音頭をとる。
「では、無事にコトも終わったということで」
「かんぱーい!」
六人の声が揃う。
気持ちのいいくらいの勢いでグラスを空けてから、今度は料理に取り掛かる。なんといっても、皆お腹は空いているのだ。あっという間に料理は消えていく。
亮と須于が、かわるがわる追加の料理を足しながら、ひとしきり騒いで、最後は亮の煎れてくれたお茶。
ふんわりと柔らかい湯気をあげるカップを抱え込むようにしながら、須于が、ため息混じりに言う。
「考えてみたら、たった一日半なのよね」
忍が誘拐されてから、いま、こうしてお茶をするまで、のことだ。
言われて、忍たちも思い返してみてるらしい。少し、沈黙があったあと。
麗花が驚愕しきった顔つきになる。
「ホントに一日半だよ、信じられない!」
「すんげ、長かった」
床に足を投げ出した俊が、ため息混じりに言う。ジョーも、ぽつり、と言う。
「ああ」
「でもま、ちゃんと帰ってきたんだし」
忍が笑顔をみせる。亮が、微かに首を傾げる。
「ここにいると、ほっとしますね」
「私も!」
麗花が、ぱっと笑顔になる。須于も、頷く。忍も俊も、ジョーも、なにも言わなかったけれど。
六人の夜は、静かにゆっくりと、更けていく。



〜fin〜


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