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夏の夜のLabyrinth
〜12th  哀しい異邦人〜

■frothspit・10■



伸之介の笑い声は続く。
「私にも、この自爆装置を解除することは不可能だ」
日本刀を手にしていたのと反対の袖から投げ捨てたのは、起爆装置らしい。
「ついでに教えてやるが、扉は内側から開くことは不可能だ」
ジョーが、須于を見やる。
須于が、こくり、と頷いて装置を覗きこむ。広人も、一緒に調べ始める。
が、ほどなくして二人とも首を横に振ってみせた。
「自爆装置解除も、外からじゃないと無理ね」
「扉は?」
仲文が問う。
広人と須于と、手分けして二つの扉を手早く調べる。
勝ち誇ったような伸之介の声が響き渡る。
「無駄だ、開けることはできない」
「須于?」
麗花が、返事を促す。須于が、血の気の引いた顔で振り返る。
「残念ながら、彼の言う通りだわ。内側からは、どうにもできない」
「君らの命もあと二十分をきったというわけだ、せいぜいこの世に別れを告げるんだな」
銃を構えたままの健太郎の顔に、憎悪と憤怒が浮かぶ。
「お前を消せるなら、俺が死ぬのは構わない。だが……」
いやしくも『Aqua』の命運を握るといわれるリスティア総司令官を務める健太郎は、どんな大きな事件が起こったとしても、取り乱したことなど無い。『緋闇石』の一件の時でさえ、ほとんど表情を変えることも声を荒げることもなかった。
その健太郎が、はっきりと感情を表している。
伸之介は、可笑しそうに笑う。
「私の言うことが正しいかどうかも判断できない君に、なにかが出来ると思っているのかね?」
「こんな時にアンタの笑い声って、すっげー不快なんですけど」
むっとした顔つきで言ったのは広人。
仲文も頷いてみせる。
「それは俺も賛成」
ポケットから取り出したのは、なんと包帯。さすがは医者、というべきなのかどうか。
あっという間に猿ぐつわをかませたかと思うと、もう一本の方で広人が手足の自由を奪ってしまう。
邪魔なのを、転がしたところで。
麗花が、ひとつため息をつく。
「やっぱり、忍、いなかったね」
「ああ……」
俊が、頷く。
廃工場の爆発現場では、遺体は発見されなかった。おそらくは潜んでいたはずの、伸之介の手先の者のも。
だから、心のどこかで期待していたのだ。
忍は、まだ生きて、捕らわれているのでは、と。
そうならば、ここを攻略している途中の、どこかにいるはずだったけれど。
「じゃ、忍に会えるのね」
須于が、微かな笑みを浮かべる。
「ま、な」
ジョーは、密室になってしまっているので、煙草は諦めたようだ。
なにげなく、広人が伸之介の落とした起爆装置へと目をやる。
「あと、八分だってさ」
なんとなく、あとそれだけで死んでしまうという実感がわかない。確実に、それは近付いて来ているのに。
俊が、ふと思い出したらしい。
「そういえばさぁ、時間を気にしたのといえば」
「知沙友ちゃん」
と、須于。
「ああ、そうだったな」
仲文も微笑む。俊は肩をすくめる。
「間に合わないかもって、俺、すっげー焦ったもんなぁ」
「そっか、知沙友ちゃんにも会えるんだな」
「俺にも紹介してくれよ」
広人が笑う。
「会えるって言ったら、優も……」
「私なんか、家族ほとんどあっちだもんねー」
麗花の自慢気な口調に、思わず皆が笑ってしまう。
「忍のヤツ、きっとさ、相変わらず呑気に手ぇあげちゃったりして……」
俊が、忍の真似をしてみせる。
「よう」
「わ、すっごい、そっくりー!」
嬉しそうに手を叩いたのは麗花。思わず、ジョーまでひゅーと口笛を吹いてしまう。
俊一人が、慌てて首を横に振る。
「違う、俺じゃない」
「そりゃそうだろ」
もう一度、聞き覚えのある声。
七人の視線が、声の方へと集中する。
視線を集めた人は、開いた戸口に寄りかかって笑っている。
柔らかい笑顔で、穏やかな瞳で、こちらを見つめている。腰には、彼しか手にすることのできない龍牙剣。
「忍……?」
「他に誰に見えるよ?」
肩をすくめてみせる。
「え、でも……?」
「まだ、爆発してないよね?」
戸惑い気味に、麗花と須于が顔を見合わせる。くすり、という笑い声が、反対から聞こえる。
「爆発は、永遠に起こりませんよ」
「亮!」
俊が思わず声を上げる。
自信しかない笑みに、左手には肘よりも長い手袋。亮の姿も、いつもと変わりない。
ケガはしていたけれど、命には別状無かった亮が死ぬわけが無い。
と、いうことは。
やっと現実へと戻ってくる。
生きている。忍も、自分たちも。
自爆装置は解除されたし、こうして扉も開いてる。
亮は、笑みを床に転がされている伸之介の方へと向ける。
「頭数が足りないことに、気付いていなかったようですね?」
伸之介は、目を見開いたまま、健太郎の方を睨みつけている。
健太郎は、無表情にそちらを見やったあと、亮を見て、にこ、と笑う。
「よう、間に合ったな」
「間に合った……?」
その台詞を真っ先に聞き咎めたのは、広人だ。
「もしかして……忍くん無事なの、知ってました?」
「だって、俺のとこに来たから」
「はぁ?」
目が点になったのは、俊たちも一緒だ。
「その話は、後でするとして」
相変わらず、大きくはないのに通る声で亮が言う。
「先ずは、こちらの始末をつけてしまいましょうか」
「まーな」
広人が伸びをしてみせる。
「転がしてる連中も、そろそろ気付いちまう頃だしな」
銃で撃ったと言っても、殺してしまったわけではない。一時的にショックを受けるだけの弾だ。俊のは、もちろん峰打ちだ。
「手間かかるなぁ、もう」
言いながら、仲文も歩き出す。自分たちが倒してきた連中の人数を考えたら、とてもじゃないが広人たち二人では足りない。
また動き出したら、やっかいなことは確かだ。
「あ、手伝います!」
俊たちも、後を追う。
忍が腰のモノを抜いて、伸之介を自由にしてから、立ち上がらせてやる。
それから、亮と二人で軽く会釈をすると、その場を去る。
後に残ったのは、伸之介と健太郎。まっすぐに、二人の視線が合う。
先に口を開いたのは、伸之介だった。
「やはり、あいつが……自分の愛した男との間に生んだ子というのは、こんなものか」
「そんなものですよ」
吐き捨てるような声に応えた健太郎の声は、静かなものだ。伸之介の目が、微かに見開かれる。
「知って……いたのか?」
「知っていましたよ」
微かな笑みが浮かぶ。
「あなたがどうして、あなたの思い通りの人生を俺に歩ませたいのかも」
自分の想った女性は、側に引き寄せても他の男を想ったままだった。しかも彼女は他の男の子供を産んでみせた。
縛ろうとしても、彼女はすり抜けてしまう。 最後には、死という永遠の羽を得て。
伸之介にとって、健太郎を思い通りに支配することは、想った女性を支配するのと同じことだったのだ。
喉の奥にひっかかるような笑いが、伸之介から漏れる。
「なるほど……最初から、私の負け、というわけか」
ガリ、という鈍い音がする。
伸之介の口元から赤い筋が流れ落ち、そして、ゆら、とよろめく。
歯に、なにか毒物を仕込んでいたらしい。
よろめいた躰を、受けとめる。
横たえると、瞼はすでに、固く閉ざされていた。
健太郎は、その口元の血を、ぬぐってやる。
しばらく、眺めていたが。
やがて、立ち上がる。
背を向けて、それから。
「やっと、お互い自由だな」
ひそやかな声は、おそらく彼にはもう、届かない。

トスハ軍空港での後始末のほとんどは、結局のところ警察である広人任せで、アルシナド市内へと戻ってくる。
伸之介の方の始末をつける健太郎と仲文とも別れて、それから。
なんとなく、中央公園の人の少ないベンチ付近で、止まる。もうすっかり、夜だ。
誰からともなく、顔を見合わせる。
「で?」
口を開いたのは、麗花。
「忍、なにか申し開きは?」
「あの状況なら行方不明になった方が得策だったから」
忍は、あっさりと言う。
むう、と麗花が頬を膨らませる。須于が首を傾げる。
「それは、わかるけど……」
俊が後を引き継ぐ。
「俺たちにも、なにも言わないってのは、ちょっとヒドくないか?」
「それは、僕が謝らないと」
亮が、すまなそうに微笑む。
「あんなにヒドイ貧血になるとは、思わなくて」
「あれだけのケガして、貧血にならない方がおかしい」
ジョーが呆れた口調になる。忍が、苦笑する。
「亮だから、自分のケガのことはそこまで考えないよ」
「もう、大丈夫なの?」
いつもどおり手袋をしているから、失念していた。須于が心配そうに尋ねる。
「ええ、出血が酷かっただけで、そんなに深くなかったので」
にこり、と微笑んでみせる。そこらへんのことは、忍が管理するだろう。
無事だったのだ。ケガもなく、忍は生きている。それに、亮のケガもそうは酷くない。
それだけで、充分だ。
「なら、いいけど」
「で?」
と、言ったのは、今度は俊だ。
「これから、どうするよ?」
「まぁな、休暇完璧返上だもんなぁ」
「もう、改装は終わっていますけど……」
亮の言葉に、もう一度、六人の視線が合う。
「じゃ、帰ろうよ」
「そうだね」
誰からともなく、笑顔になる。が、すぐに亮が、思い当たった顔つきになる。
「冷蔵庫が空っぽですね」
「買い出しだな、まず」
「それに、心配してる人たちに報告もした方がよくない?」
気が回る発言は須于だ。
「じゃ、買い出し部隊と報告部隊に分かれよう」
「椿さんとこは、俊だよね」
と、麗花。一回会っているし、花を届けるとか言えば、怪しまれずに近付けるだろう。
「お袋んとこは、花もらいに行くついでに俺が行くわ」
「じゃ、報告は俊だね」
「俺、一度、家帰らないとさすがにヤバいかも」
忍が、舌を出してみせる。たしかに遊びに行ったきっきり連絡もせずに帰ってないわけで。
「無断外泊状態?」
「そりゃ、顔くらいは出さないとねー」
「荷物も置きっぱなしだしな」
「あー、荷物!」
いきなり、思い出す。それぞれに、それなりの荷物を手にして出かけたのだ。回収してこなければなるまい。
「荷物、家の人」
忍と亮が、軽く手を上げる。
「私と俊は、国立病院で、須于とジョーは?」
「俺たちは、ホテルだな」
須于も頷く。
「では、俊と麗花が報告組、ジョーと須于は荷物を取って……」
言いかかった亮の台詞を、須于が引き取る。
「ホテルからなら近いから、買い出ししてくわ」
「じゃ、俺らは後始末手伝ってから帰るよ」
忍が言って、決まり。
「また後でね」
手を振りあって、別れる。
少し、行ってから。
誰からともなく、振り返る。
六人で目があって、思わず、笑ってしまう。
麗花が大きく手を振る。
忍たちからも、須于たちからも、大きく手を振り返される。
今度は、振り返らずに、歩き出す。

忍たちが総司令官室へと行くと、健太郎はちょうど、なにかを見つめているところだった。
それを仕舞いこんでから、すまなそうに微笑む。
「私事に巻き込んでしまって、すまなかった」
「いえ」
忍は、首を横に振ってみせる。
健太郎は、少し躊躇ってから、言う。
「しかし、忍くんには二回も迷惑をかけてしまった……」
もう一度、忍は首を横に振ってみせる。
「それより、後始末は大丈夫ですか?」
「ああ、そうたいしたことはないから……ありがとう」
窓から外を眺めていた亮が、振り返る。
長い髪が、柔らかに揺れて細いうなじが、微かに見える。
そして、こちらを見る、少し淡い色の瞳。
確かに、ここにいるのは忘れ形見だ。伸之介の言った通り。
「佳代さんが言う気になるまでは、俊には言わないでいるよ」
健太郎の言葉に、亮は、ただ頷いてみせる。
「では」
「ああ」
扉を出る前に、忍は、ふと、振り返る。
健太郎が、微かに頭を下げてみせる。忍も、頷き返した。

仲文の家に寄って亮の荷物を回収してから、忍の家へと向かう。
トスハに向かう時から車を使っていたので、荷物を回収しても移動は楽だ。だが、弊害もあったりする。
たとえば、違法駐車の取り締まり。車から降りながら、忍が思わず呟く。
「やーば、見まわってら」
ここらへんは住宅街だから、案外多いのだ。
「そこらへん流してますから、連絡して下さい」
「ああ、悪いけど……」
「いえ」
薄く微笑んでから、亮は運転席へと移る。慣れた様子でエンジンをかける。忍も、家へと入っていく。
流す、と言ってもあまり離れるのもなんだし、同じところをぐるぐると回ってるのも住宅街では変なものだ。適当な場所を探していた亮は、まだ開いている店をみつけて駐車場に滑り込む。
車を降りてから向かいの店が花屋であることに気付く。
この寒空の中、ガラスケースの向こうの花は今が盛りと咲き誇っている。どれも、綺麗に見えるようにと丁寧に飾られているようだ。
ふ、と柔らかな色合いの花の方へと、身をかがめた時だ。
人の気配を感じて、振り返る。
相手は、凍りついたように立ち尽くしていた。
その表情で、ここがどこなのか気付く。忍の家の近所で花屋といえば、ヒトツしかないのに、失念していた。
自分が、彼女にどう見えるのかは、想像に難くない。
ましてや、今日は。
健太郎でさえ、あの表情だったのだ。
身を翻そうとして、微かな声に立ち止まる。
「……ごめんなさい」
細い、声。
「あの時……私はあなたと天宮を一緒にいられるよう、動くことだってできたはずなのに」
もう一度、振り返る。ただ、首を横に振る。
それから、少し、微笑んだ。
つられたように、佳代も微笑む。
健太郎の側にいたいが為に、自分に振り返って欲しいが為に、伸之介に手を貸した彼女。
多分、まだ、どこかで想っている。
亮は、そのまま背を向ける。
もう一度、声がした。
「ありがとう」
す、と店の明かりが落ちる。
亮は車へと戻り、エンジンをかける。

忍に運転を変わって走り始めてからも、亮は黙りこくったままだ。
「佳代さんが、俊にホントのこと言うのが気になってる?」
亮は我に返ったようにこちらを見る。
が、すぐに軽く首を横に振ってみせる。
「それが、佳代さんにとってケジメだというのならば」
「俊は、大丈夫だよ」
「そうですね……」
亮の視線は、また、窓の外へとうつる。
「佳代さんに、会いました」
「え?」
忍が、問い返す。少し、驚きを含んだ声で。
「先ほど、待っている間に……」
だいたいの、状況は飲み込める。ここらへんで駐車場は、そうはない。
「ああ……」
「……麻子さんに、間違われました」
「そりゃ……」
忍は、言葉を捜す。が、うまいのは、見つからない。仕方ないから、ままを口にする。
「やっぱり、親子だから」



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