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夏の夜のLabyrinth
〜13th  卒業〜

■florid・1■



まだ、どちらかといえば冬に分類したいと思う三月初旬。
木々の枝に、そっと新芽がつき始めている。
緩やかに季節は冬から春へ移り変わる為の、準備をはじめている。
そんな、柔らかさを秘めた中央公園の木々の脇を、一台の高級車が走りぬけていく。
運転席にいるのは、落ちついた色合いのスーツに白い手袋をした男。専属の運転手なのだろう。
後部座席には、二人。
右側に座っているのは、年の頃は三十を少し過ぎたくらいだろうか、落ちついた色合いのワンピースを着ており、髪は肩を少し過ぎたくらいの理知的な美人だ。
彼女は、隣りに座っている、娘である少女に弾んだ声をかける。
「梓さんも、もうすぐ卒業ですわね」
それが、自分のことのように嬉しいらしく、花がほころぶような笑顔になる。
「お父さまも、とても喜んでおられるのよ」
お父さま、というのは少女にとって、だ。彼女にとっては夫になる人のこと。
満面の笑顔で話す彼女の隣りの少女は、鞄を抱え込んだまま、凍りついたような表情をしている。彼女の笑顔にも、言葉にも、表情を変えることさえない。
それに気付いた彼女は、心配そうに一人娘の顔を覗きこむ。
「梓さん、どうかいたしまして?」
車は、もう少しで交差点にさしかかろうとしている。
少女は、無表情のまま、返事もしない。
「梓さん?気分でも……」
「『卒業』というのはね」
不意に、少女が口を開く。が、口調は独り言のようだ。
「『ある課程を終えること』なのよ」
彼女は首を傾げ、いったいなんの事なのか、尋ねようとした。
その時だ。
運転手が、悲鳴に近い声を上げる。
「奥様!ブレーキが!ブレーキがききません!!」
なにが起こるのか、本能的に察知した彼女が、とっさに少女を抱きかかえる。
次の瞬間。
交差点に、大音響が響きわたる。



同じ日の昼頃。ここ、桂通りの寿司屋からは、明るい声が聞こえている。
「な、ここの鮨、美味いだろ?」
ご機嫌そうな顔つきで言ったのは、広人だ。
「ん、んまひよ」
口の中をもごもごとさせながら答えたのは仲文。
「お前、口の中なくなってからしゃべれよ」
広人のツッコミに、仲文はきちんと飲み込んでから反撃する。
「口の中に入ってる時に、話しかけてきたのはお前」
「そいつは悪かったな」
スクール時代からの付き合いだから、お互い遠慮がない。スキップしまくった事情で、そんな相手がそう多くない二人にとっては、そういう関係は貴重なモノだ。
よく、出来て羨ましいと言われたりもするが、それなりに犠牲になっているモノもあるということ。それを知っている相手でもある。
それはそうとして、ともかくは鮨である。
「にしても、こんな美味い鮨は久しぶりだよ、あ、次は車海老お願いします」
「俺、中トロ下さい……ってさ、同僚と飲みに行くくらいは、してるだろ?」
広人の問いに、仲文はちょっと眉を寄せる。
「そりゃ、付き合いってヤツもあるからな、でもハイソなとこ行きたがる金持ち連中に付き合わされてもねぇ……フランス料理フルコースを野郎同士で、しかも仕事の話なんかしたくないって」
なにやら嫌な思い出があるらしい。なんとなく想像した広人も、かなり嫌だったようだ。
躊躇いなく値段の張りそうなネタを頼めるのだから、二人の収入もそれなりにある。問題は、食事の値段ではなく、メンツとシチュエーションと会話の内容だ。
出された中トロを手にしながら、眉を寄せる。
「確かに、そりゃ嫌だ」
「だろ?」
「やっぱ、そういう小洒落たトコは、女の子連れてく時に使うもんだよなー」
それを聞いた仲文が、にやり、と笑む。
「そういや、彼女、検事だって?」
「まだ彼女じゃないって……って、なんでお前が、ソレ知ってんだよ」
「情報に強いのは、総司令官だけではないのだよ」
エビを頬張りながら、胸を張ってみせても、カッコよくはないが。
互いに、それぞれの場所では目立つ存在だ。その二人が学校時代からの同級だというコトを知っている者も少なくはないから、必要以上に情報が行き交うのは事実だが。
あまりに情報網がありすぎて、誰なのかはすぐにはわからない。
「あ、アイツだな」
広人は思い当たるフシがあったらしい。舌打ちをする。
「くそう、今度、眼にモノ見せてやる〜」
「あはははは」
「次は、穴子ね」
と、板さんに頼んでから、少し悔しそうに広人は横目で仲文を見やる。
「そういうお前はどうなんだよ」
「あ、俺も穴子ちょうだい、ガリもくれるかな」
すぐに出されたガリを箸でつまみながら、仲文は余裕の表情だ。軽く肩を竦めて、あっさりと言ってのける。
「んなとこに時間割いてる暇なんざないね」
「……ふぅん?」
不満というよりは、別の含みのある言い方をしてから、広人は穴子一本をつかった贅沢な鮨に手をつける。
ちょっと幸せそうな表情になったその時だ。
広人の胸元で、ぶるぶるっとなにかが震動する。
「ちぇ、非番なのに」
穴子は根性で頬張ってみせてから、眉を寄せながら震動の原因たる携帯を取り出して店の外へと出ていく。
仲文も穴子鮨を頬張りながら、次はなににしようか、などと考えていると、だ。
出てく時とは裏腹に、にやりと笑みを浮かべた広人が戻ってくる。
「なんだ、仕事じゃないのか?」
広人が昼ご飯時に携帯で呼び出されるとすれば、それくらいしかない。
なのに、楽しそうな顔とは、どうしたのだろう?
「そう、仕事」
口元の笑みを大きくしてから、広人はもったいつけて言う。
「お前もな」
「は?」
眼が点になっている仲文をよそに、広人はさっさと締めにかかる。
「あ、おあいそお願いします」
「毎度」

混雑している道を、警察だと思いきり主張する赤いランプを光らせながらすり抜けて行く。
サイレンは鳴らしていないが、急いでいるのだという自己主張には、充分になっている。その証拠に、目前の車は次々と脇へと寄せて行く。
通常三車線のはずの道路を四車線状態にさせ、その隙間を走る広人の車の助手席で、仲文が肩を竦める。
「いったい、同僚になにを話してるわけ?」
「仲文と知り合いだってのは、課長にも知れてるからなぁ」
広人は車でごちゃごちゃになっている交差点を、まるで迷路からすり抜けるかのように猛スピードで過ぎながら、笑みを浮かべる。
「ま、こうなりゃ一蓮托生ってヤツよ」
「あのなぁ、だいたい今日会ったのだって……」
「わかってるって、でも、別に俺がお前呼べって言ったわけじゃないぞ」
ひとつ、ため息が漏れる。
「ったく、俺は今日という貴重な休日を、有意義な研究にあてようと思っていたというのに」
「はん、医学誌ナナメ読みしながらゴロ寝ってとこだろ?」
決めてかかられて、仲文は言い返す。
「違うって、お前に会う前も研究室行ってた」
「だったら丁度いいじゃないか、どうせ病院戻るんだから」
もともと、口が回るのは広人の方だ。勝とうと思うほうが間違っている。
それに気付いて、仲文は口をつぐむ。
ふ、と広人も笑みをおさめる。仲文が、休日まで潰してなにをしようとしているのかを、知っているから。
「そんなに、急ぐのか?」
「無茶ばかりしてくれるからな」
仲文は、珍しく苦味のある口調だ。
「気力で持たしてるようなもんだ」
「ストッパーくんに、もう少しがんばってもらわないといけないかな」
「さてな……」
空気がシケたのを、振り切るように仲文は広人を見やる。
「それよりも、なんでまた吉祥寺が俺を指名するんだ?」
「そりゃ、国立病院でも腕が立つって有名なんだからしょーがないだろ」
「そうじゃなくて」
吉祥寺グループも、天宮財閥ほどではないが、それなりの規模を誇っている。そんな立場の者から指名されるのは、仲文にとっては珍しいことではない。
が、なぜ広人と一緒に呼び出されるのかがわからない。
「ああ、事故ったってさ」
広人は、大型トレーラーの間をすり抜けながら、説明する。
「交差点にブレーキもかけずに突っ込んで、運転手と総裁夫人が重傷、娘も頭を打ったんだと」
「事故なら、畝野さんの担当じゃないか」
『Aqua』でも最高と名が知れてるおかげなのだろうが、国立病院に来る患者の数は半端ではない。とてもじゃないが全てを網羅しきるのは無理なので、外科も病気関連を統括する仲文と事故・法医を統括する畝野が中心となって動いている。
そんなわけだから、交通事故の患者なら畝野が担当するのがスジというわけだ。
畝野も国立病院の外科を統括するような立場にいるのだから、腕は確かだ。それを差し置いて仲文が担当医になれば、コトはややこしくなるに決まっている。
嫌そうに眉を寄せる仲文に、広人は笑みを向ける。
「あ、それだけどね、畝野医師のご紹介だってさ」
「なに?」
「ゴネる子供は仲文へってなことらしいよ」
「………」
頭痛がしてきたポーズに、一瞬なった仲文だが、どうにか気を取り直したようだ。
「厄介ごとなら、『第3遊撃隊』をオススメするがな」
特別捜査課の中でも、切れ者の名を欲しいままにしている広人が呼び出されたのだ。恐らく、ただの事故ではないだろう。
挙句に事故にあったという少女が、なにやらゴネているとくれば、『厄介ごと』の他、なにものでもない。
「はは、違いないな」
広人が思わず笑う。
向かう先には、もう国立病院が見えている。



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