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夏の夜のLabyrinth
〜16th  軍隊+警察+医者=〜

■phantasm・8■



らいんだよ



仲文は、国立病院の院長室にいる。もちろん、目前の椅子に座っているのは院長だ。
患者の家族への説明を終えたこと、家族は納得したこと、警察からの現状での報告内容を告げ終えた仲文は、あっさりと院長に言われる。
「では、安藤くん、約束通り、兼任外科部長となってもらうよ」
「早めに人員補充していただきたいものですね」
どこか、皮肉な笑みが院長の顔に浮かぶ。
「さて、それはどうかな?畝野くんが二人も腕のいい法医を減らしてくれた挙句、当人もいなくなってしまったからねぇ」
ため息をつきながら、テーブルにひじをつく。
「まったく、医学界の損失は大きいよ」
「それはそうですが、お忘れかもしれないので言っておきますが、俺は法医は専門じゃないですからね」
少々、機嫌の悪そうな表情で仲文が言う。
「知ってるよ、でも外科は専門だ」
「せめて、法医の方は西村さんの後輩とかいう方に回してください」
「それは、私の口を挟むことではないね。警察が誰を頼りにするかは、警察が決めることなのだから」
ぼそり、と仲文は付け加える。
「嫌ってほど、人脈持ってるくせに」
「当院の方針は、君もよく知っているはずだろう?」
にっこりと、食えない笑みを浮かべる。
「自分の担当部門は、自分で責任を持つことになっている」
「大変しっかりと存じ上げてますよ、その法則でいくと、院長は病院全体に実に大きな責任を持っていらっしゃることになりますよねぇ?」
仲文も、まったく負けていない笑みを浮かべる。
「それが人にモノを頼む時の態度かね?」
「院長の資格の中には、法医も含まれていたと思いましたが?もちろん、外科も?」
少し間を取ってから、付け加える。
「専門外の人間が、部長に納まってると世間に知れたら、畝野氏のに加えていいスキャンダルになりそうな予感ですよ」
「それは困るねぇ」
「国立病院自体の存続の危機になるでしょうから」
どちらも、なにも困ってなさそうな口調だ。
「仕方ないね、一ヶ月がんばってくれれば、いいよ」
「ありがとうございます」
にっこり、と微笑んでみせる。
一杯食わされて悔しいというよりは、興味深そうな顔つきで院長は首を傾げる。
「しかし、相変わらず邪魔は許さないねぇ」
「ヒマじゃないものですから」
あっさりと、仲文は答える。
「そうだね、お互いに。話は決まった、もういいよ」
「では、失礼します」
ぺこり、と頭を下げると、仲文は院長室を出る。
仲文の姿が消えてから、院長の口からは耐え切れなくなったかのように笑いがもれる。
「変わらないねぇ」
就職のための面接で、初めて会った時と、だ。
『当病院について、何か質問は?』と問うた。
まっすぐにこちらを見つめて、仲文は口を開いた。
『一定の業績を上げると、己の研究のための部屋と資金をいただけると聞きました。条件を教えてください』
そして、二年と経たぬうちにやってのけ、いまにいたる。
少しの無駄も、しなかった。
『本当に、まったくの無駄無しだな』
と笑うと、仲文は表情も変えずに返したのだ。
『ヒマじゃないものですから』
仲文がしたいと思っていることの内容は、察しがついている。
それが、間に合うのかどうかは、院長にもわからない。だが、出来る限りのことをするのを、邪魔するつもりもない。
文句無しに『Aqua』で最高の医師がどこまでやってのけるのか。
むしろ、興味あることだと思っている。
仲文は、畝野のような過ちは犯すまい。
どちらも、彼が知る限り、最も人間らしい性格をした医者だけれど。
もう一度、にやり、と笑う。
これを当人に言えば、仲文は嫌そうな顔になるに違いないから。



怒涛のような手術から、二週間後。
国立病院の裏庭に忍はいる。
目前には、慣れた調子で車椅子を操る香織がいる。
どうしても会いたいから、都合をつけてくれないかと電話が入ったのだ。
予想はしていたし、様子が気にならないと言えば嘘になることもあり、こうしてここにいる。
振り返った香織は、にこり、と微笑んだ。
「いままでのこと、ごめんね。それから、今日もワガママに付き合ってくれてありがとう」
ぺこり、と頭を下げる。
亮が言うとおり、いままでのワガママっぷりは畝野の暗示によるものが大きかったのかもしれない。
「いや……まぁ、そりゃ成功率あんな低い手術だと思ったら、不安にもなるよな」
肩をすくめた忍に、香織は目を細める。
「そんな甘いこと言ってると、またつけこまれちゃうよ」
「え?」
くるり、と器用に背を向けてから、話し出す。
「あれから、警察の人が来てくれて、ものすごく丁寧に説明してくれたよ……暗示のことも」
「…………」
「でもね、暗示ってなにもないところにはかけられないよね。私の中に、ああいう気持ちがあったっていうのは、ホント」
頭の動きで、空を見上げたのがわかる。
一緒になって見上げると、ぬけわたるという表現が、ぴったりの青空が広がっている。
「あれだけ大騒ぎしたんだから、バレバレなんだけど、もう一度言うね」
くるりん、と、こちらを振り返って、少し、どきり、とする。
「私、忍ちゃんのこと、好きだよ」
どきり、としたのは、怪我をしてからみせたことのなかった、穏やかな笑みを浮かべていたからかもしれない。
「その気持ちがあったから、がんばれたの。ありがとうね」
なんと返事をしていいかわからない間に、また、香織は口を開く。
「いままでのワガママとなんにも変わらないって言われちゃうかもしれないけど、もうしばらく、忍ちゃんに振り返ってもらえるようがんばってもイイかな?」
香織が、リハビリの為に転院することは忍も聞いている。
ちょうど、実家近くにリハビリの名医がいるのを、仲文が紹介してくれたそうだ。手術の後のほうも落ち着いてきたので、これからは元のように歩けるよう、長いリハビリが始まる。
ある意味、彼女にとってはこれからが本番と言えなくもない。
他人に命を預けるのではなく、これからは自分の努力ヒトツで全てが決まってしまうのだから。
かすかな苦笑が浮かぶ。
「気持ちは嬉しいけど……もう、俺の為じゃなくて自分の為にしろよ」
「はは、そう言うと思ったんだよねぇ」
泣き笑いのような表情を、香織が浮かべる。
やっと、こうして外の空気が吸えるようになったばかりなのに、酷なことを言ったかな、と忍は少し、後悔する。
「でも、正直に言ってくれて嬉しいかな」
くしゃり、と自分の髪を直すフリをして、目元を隠す。
「悪い」
「悪くないよ、いつも、ちゃんと誠実に応対してくれてたじゃない。でも、暗示で告白してもさ、ホントじゃないから……ちゃんと、言いたかったの」
笑顔を、みせる。
「ありがとう」
「そんな殊勝に言われると、こっちは調子狂う」
「あ、それって失礼ー」
二人して、笑う。
笑い収めてから。
「ねえ、ヒトツだけ、訊いてもイイかな?」
「ん?」
「ホントに、誰とも結婚するつもりないの?」
急に言われて、面食らう。確かに、香織には言ったのは、嘘ではない。
「ああ、そうだな」
「探してる人が、見つかっても?」
覗き込むように問われて、言葉に詰まってしまう。
いままで、誰かを探していたことなどない。
「俺が?」
思わず、自分を指差して確認してしまう。
「うん。ずっとずっと、忍ちゃんのこと見てて、思ったの。誰かを探してるんじゃないかって」
「そんなつもり、なかったけどな……?」
首を傾げる忍を見て、香織は笑う。
「運命の人でも、いるのかもね」
「なんだそりゃ、少女マンガの読みすぎじゃねぇの?」
「いいじゃなーい、どっかにいる、運命の人」
くるり、と、また背を向ける。
「あーあ、私の運命の人はどこかなぁ」
「さてな、どっかにはいるだろ」
少々無責任な発言に、香織は笑顔を向ける。
「ね、忍ちゃん、いつか運命の人がみつかったら、きっと教えてね」
「だから、そんなのいないって」
肩をすくめる忍に、香織はまだ言う。
「忍ちゃんが気付いてないだけだよ、絶対、誰か探してるって」
頑固なところは、暗示でもなんでもなく、彼女の素地のようである。
忍は、もう一度肩をすくめる。
「わかったわかった、見つかったらな」
「約束だよ?」
「結婚したくなるような人が出てきたんなら、嫌でもわかるだろ」
香織は、むう、とわざとらしく頬を膨らませる。
「んもう、面倒くさがりだなぁ?」
「んな恥ずかしいこと出来るかよ」
「なんだぁ、照れくさいのね」
忍の苦笑を見て、香織ははじけるように笑い出す。
もう、大丈夫だろう。
自分の中の感情とも、付き合っていける。いつか、自分の運命の人を見つけ出すに違いない。
「じゃあ、俺、そろそろ行くよ」
「うん、ありがとう」
がんばれ、という単語は、プレッシャーにもなるだろうから言わない。
軽く手を振って、背を向ける。

駐車場に向う為に、正面玄関を入ったところで、ふ、と足を止める。
白衣に眼鏡の亮が、おばあさんに手を握られながら、やわらかく微笑んでいる。
事故・法医の外科部長が決まるまでは忙しくなりすぎるので、時間がある時には仲文の手伝いに行っているのだ。
手を握っているおばあさんは、どうやら今日で退院らしい。
何度も何度もお礼を言っているようだ。
家族が、困惑顔で、先生もお忙しいのよ、と言っているのが聞こえる。
亮は、おばあさんの目線の高さまで、視線を落とすと、にこり、と微笑む。
医者そのものの笑みだ。
「これからも、元気でいて下さいね」
おばあさんは、また何度も頭を下げて、それから、やっと家族と一緒に病院を後にしていく。
まだ、名残惜しそうに振り返るおばあさんに手を振り終えてから、視線に気付いていたのだろう、こちらを見て、にこり、と微笑む。
その笑顔は、いつもの見慣れた方の笑みだ。
忍も軽く手を振ると、背を向ける。
駐車場に向いながら、考える。
なにかが、足りない。
そんな感覚が、ずっとあるのは確かだ。
冬に、消されていた幼い頃の記憶を、取り戻した。
幼い頃に、亮と出会っていたという記憶。
信じると、守ると言ったのに、出来なかった。
亮は、器用に自分を使い分ける。
軍師として、医師として、そして、過去の記憶を持ち合わせる旧文明の始末者として。
どれも、本当だとは思うけれど。
なにか、足りない。
香織に、指摘されるまでもなかったのだ。
なにか、大切なことを忘れているような、そんな喪失感を、ずっと抱えている。
もしかしたら、過去の記憶を持ちあわせ始めたからなのかもしれない。ほんの断片だからこそ、その穴を埋めたい衝動に、無意識にかられているのかもしれない。
そう思うのに。
いま、生きている間の記憶は、全てあるはずなのに。
最も、自分が忘れたくないなにかを、忘れているという感覚が消えない。
もしも、誰かのことを狂おしいくらいに想うことが出来るようになったなら。
そうしたら、この喪失感は埋まるのだろうか?
苦笑を浮かべて、軽く首を横に振る。
香織の少女趣味に、少々引きずられているらしい。
車のキーを開けて、エンジンをかける。
考えを吹き飛ばすように、勢いをつけて発車させる。



〜fin〜

らいんだよ


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