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夏の夜のLabyrinth
〜16th  軍隊+警察+医者=〜

■phantasm・7■



らいんだよ



振り返った先には、青年が一人、立っていた。
にこやかに微笑んだ青年が取り出して見せたのは、警察という証だ。立っているのは高崎広人、警視庁特別捜査課所属で、警視であると証明している。
「畝野嵩明さんですね、いやぁ、自らいらして頂けるとは思いませんでしたよ」
相変わらず広人の表情はにこやかだが、有無を言わせない力で畝野の右手を掴む。
「自分が最もイロイロと思い当たっているであろう理由で、逮捕します」
ガチャリ、という金属音は、手錠の立てた音だ。
どこか呆然としていた畝野は、のろのろと視線を漂わせる。
視界に入ってきた建物は、見覚えのあるモノだ。
いや、法医としての仕事を引き受けることの多い畝野にとっては、見慣れたモノと言ったほうが合っている。
警視庁だ。
なんのことはない、延々と続いていた追いかけっこは、畝野をここへと連れてくるための茶番だったのだ。
「は……」
最初から、選択肢など存在していなかった。
「はははははは」
畝野の口から、笑いが溢れ出す。
誰の差し金なのかは、わからないが。
その誰だかは、見事にやってのけたわけだ。今まで、延々と人の意識を弄んできた男を翻弄してのけて。
畝野が特別な存在ではないことを証明してみせた。
いつからだろう?
自分が特別だと思うようになったのは。
それでいて、いつか己を超える者が出てくることが怖かった。
あまりに可笑しそうに笑う畝野に、広人は少々眉を寄せる。
亮の薬が、少々効きすぎただろうか?
が、そうではなかったようだ。
笑い終えた畝野は、むしろ、すっきりとした顔つきで広人を見る。
「完敗だ」



すぐに来るはずの医者が来ないまま、閉じ込められたらしいことには、久美子も母親も、とうに気付いている。
しかも、ご丁寧に防音処理がほどこしてあるらしく、扉を叩いてみても反応はないし、携帯も圏外。
携帯についている時計のおかげで、時間の経過だけはわかる。香織の手術がとっくに始まっているはずの時間になっているのに、閉じ込められたままだ。
騙されたのだと、今はわかる。
いま、ここへと案内した看護婦の特徴を言えと言われても、太ブチの眼鏡とソバカス、そして間延びした口調しか思い出せない。
久美子だって、推理小説くらいは読んだことがあるので知っている。
そうやって、妙に特徴がある部分を作って、集中力をそこへと導き、次に会った時に誰だったのかわからないようにするトリックの一種だったのだ。
それはそうとして、よりによって、この肝心な時に、なぜこんなところに閉じ込められねばならないのだろう?
扉が開いたら、絶対に苦情を言ってやろうと息巻いていた二人は、鍵を開けた人物を見て目を丸くする。
忍が、すまなそうに頭を下げる。
「こんなところに閉じ込めちゃってごめん」
「待って、これって忍くんが……?」
久美子たちにとっては、理解し難い状況だ。
「一枚は噛んでるかな、ちょっとトラブルになりそうだったから」
「トラブル?」
眉を寄せて、久美子が尋ねる。
「香織ちゃんを巻き込んだ犯人が、弾を狙っているという情報が入ったんだよ」
「なんですって?!」
今度は、母親も一緒に身を乗り出す。
にこり、と忍は微笑む。
「大丈夫、犯人は逮捕されたし、手術も順調に進んでいるから」
忍の笑みを見ていると落ち着いてくるから不思議だ。
思わず安堵のため息をついて、母親は椅子へと座り込む。
香織を歩けなくしたのは、拳銃だ。やろうと思えば、命を奪うことなど簡単なのだ。
が、久美子は、怪訝そうな表情をしたままだ。
「でも、犯人はどうやって香織が今日、手術することを知ったの?」
「それは簡単だよ」
忍は、肩をすくめる。
「犯人が、手術の日を設定したんだから」
「まさか……」
そこまで言われれば、二人ともどういうことかは理解出来る。
「まさか、畝野先生が?そんな?」
感情の方は、まるでついていけていないが。
それはそうだろう、畝野は患者の前では、常に完璧な医師であり続けたのだから。
恐れることなど、なにもなかったのに。
追い落とさずに受け入れても、証明するだけだったろう。
『Aqua』で最も優秀な法医であると。
なにが、彼をそこまで追い詰めたのかは知らない。ただ、畝野も弱いところを併せ持った人間だったということだけは、知っている。
「詳しいことは、午後から警察が説明してくれると思うから」
そこまで言って、忍は、さきほどまで閉ざされていた扉を開く。
「手術のことは畝野先生が説明してくれたと思うけど、かなり長時間になるから、病室の方で待っていていただけると幸いですってさ、ちょっと遅くなっちゃったけど昼を食べるのを忘れないようにっていうのも、伝言な」
「伝言って、誰の?」
「手術担当医だよ、こっちも、手術後にご挨拶させていただきますって言ってた」
もう一度、忍は振り返る。
「それから、今回の処置の件は、トラブルにお二人を巻き込まないためにやむを得なくしたことなので、お許しいただけると幸いですって、こちらは警察と医者の双方からね」
そう言われてしまったら、怒ることは出来ない。
ただ、きっちりとした説明は求めなくてはと思いながら、椅子から立ち上がる。
忍の後について部屋を出ながら、久美子は、もうヒトツ尋ねる。
「ねぇ、忍くん」
「はい、なんでしょう?」
先にたって歩きながら、後姿が返事をする。
「なんで、そんなに詳しいの?」
「それは……」
振り返った忍は、珍しく言葉を探している顔つきだ。
「んー、たまたま、だな」
「たまたま?」
面食らっているうちに、忍はひらり、と手を振る。
「じゃ、悪いんだけど、俺はこれで。香織ちゃんによろしく」



難しい手術だという言葉には、嘘はなかったらしい。
亮が帰宅したのは、すっかり夕闇に辺りが包まれてきてからだ。夏が近いので、朝からと思えばかなりの長時間の手術になる。
さすがに、少々疲れてそうな顔ではあったが、皆が気になっていることがあることは先刻承知であったようだ。
須于がいれた、やさしい香りのハーブティーのカップを手にして、微かに苦笑を浮かべる。
「実におとなしく、全てを話しているようですよ」
畝野のことだ。麗花が首を傾げながら、先を促す。
「でで?」
「畝野さんは、天才型というよりは努力型の人だったようです」
静かに、話し始める。
子供の頃、男の子であったから特にだろう。
あまり運動神経のよくない畝野は、なにかとからかわれることが多かった。だが、負けず嫌いでもあった彼は、血の滲むような努力で穴を埋め続けた。
他人が、感心するくらいの運動神経と、それから知力を身につけて乗り越えてきたのだ。
元々、勉強は出来ないわけではなかったこともあり、こちらはあまり労せずしてトップを走ることが出来た。
が、どんなにがんばったとしても、敵わない人種がいるということも、身に染みて知っていた。
「天才ってヤツだな」
俊が、苦笑混じりに言う。
亮は、微かに視線を落とす。
「そう、どんなに休まず努力を積み重ねたとしても、まるで翼があるかのように飛び越えてしまう、と畝野さんは言っていたそうです」
だから、畝野は勉強を生かす方へと道を選んだ。
少しでも、己の有利な場所へと進めるように。
最終的に選択した医学部のカウンセリングで、初めて天才と言われることになる。
権威と言われる教授でさえお手上げだというような患者をも、笑顔にしてみせた。
だから、畝野の同期も教授たちも、カウンセラーになるのだと思っていたのだそうだ。
だが、畝野はその職を選ばなかった。
「更に、上を行こうとしたのです」
カウンセラーとしての能力も生かしながら、さらに上を。
深い心の傷を負っていることがほとんどの、事故や事件の被害者たちを治療する道へ。
「当然のように国立病院は病気と事故、事件を分けていますが、あれは新しい試みなんです」
「じゃあ、畝野さんは新規分野の開拓者ってこと?」
須于が首を傾げる。
「ええ、そうですよ。殺人者の汚名を着ることになっても、この功績が消えることはないでしょう」
「でも、天才に追い越されてしまうことへの恐怖は、消えなかったんだな」
忍が、静かに言う。ジョーが、微かに眉を寄せる。
「……強迫観念になっていたのだろう」
「失いたくないものであればあるほど、怖くなる、か」
どこか、微妙な笑みを麗花が浮かべる。
「腕がいい、というのはあっという間に知れますから……業界内の情報は早いですしね」
いつからか、畝野は天才に抜かされることをなによりの恐怖とするようになる。医学会で、新しい発表を聞くたびにぎくりとする自分がいたという。
自分が、気付きもしなかったテーマで、論文を仕上げてくる医者たちを見て。
「患者の不安を取り除く天才なのに、自分の不安には対処出来なかったわけか」
そんな不安を抱えているときに、増員の話がきた。
疑心暗鬼は、あまりに巨大になりすぎていた。
六年前のあの日。
それは、畝野が己に負けた瞬間なのだろう。
「自分で、そう言ったのか」
「広人からの伝聞ですが、ほぼ正確でしょう」
この手のことは、脚色しないですから、と亮は付け加える。
「相談できる人が、いなかったのね」
「ま、相談するのも難しいけどな」
須于の言葉に、俊が苦笑を浮かべる。
医者が、自分の腕に自信がないなんて、そうそうは口に出来ないことだ。
だが、すぐに首を傾げる。
「でも、聞いてくれるだけでも誰かいたなら……違ったかもな」
「やっと、重荷が下りたのかもな」
「そうかもね」
なんとなく、やりきれない。
「天才って、人は勝手に分類するけどさ、それがイイとは限らないのに」
ぽつり、と麗花が言う。
忍が、にこり、と笑う。
「別に、天才でも凡才でもいいんじゃないの?ようは、詰まったときに誰か側にいてくれる人間がいるかどうかのほうが、ずっと大事」
「それは、言えたかも」
六人は誰からともなく顔を見合わせ、そして、どことなく照れくさそうに笑う。
「さて、じゃ、夕飯にしましょ」
須于が立ち上がる。
亮が口を開く前に、俊が言う。
「今日は手術で疲れてんだろ、少しは気をつける」
「はい……じゃ、お言葉に甘えて」
浮かしかけた腰を、もう一度下ろした亮のカップに、麗花がお代わりを注ぐ。
俊が、軽く肩をすくめる
「でもま、手術成功してよかったよな」
「あったりまえじゃん、仲文と亮だよ?」
麗花は、なに言ってるんだか、という口調だ。
「これ以上の腕はないってな」
にやり、と忍も笑う。ジョーが、お茶を飲み干してから、ぼそり、と言う。
「後始末が、終わったわけではないだろう?」
「まぁな、もう一度は会わないとダメだろうな」
忍の笑みは、苦笑へと取って代わる。
「ね、手術ってどんな風にやるわけ?」
麗花の興味はそちらへと移ったようだ。
亮は苦笑する。
「さて、食事の前にはしない方がいい気がしますけれど」
「俺、パス」
俊は、さっさとあちらへと顔を背けている。
ジョーと忍も、あまり歓迎の顔つきでないのを見て取って、麗花はため息をつく。
「んもう、学究的知識欲が足りんよ、君たち!」
「そういう問題じゃないって」
俊がツッコんで、大笑いになってしまう。



同じ日の深夜も近い頃。
香織の容態が落ち着くのを確認して、自分の担当の患者の方のフォローも終えた仲文は、メールをチェックして、ヒトツため息をつく。
院長からの呼び出しだ。
くるとは思っていたのだが、今すぐとは。
さっさとすませておくに限るか、と思い直し、立ち上がる。


らいんだよ


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