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夏の夜のLabyrinth
〜17th  たまにはoutsider〜

■cocktail・1■



非常時における行動には、人の真価が表れるという。
その観点からいえば、天宮健太郎はリスティア総司令官であり、天宮財閥総帥として『Aqua』の命運を政治経済共に握るに相応しい冷静さ、ということになる。
言い換えれば、少々尋常ではない冷静さになるだろう。
総司令官室の、机前に立っている当人にも異常という自覚はあるらしく、口元に苦笑らしきものが浮かんでいる。
が、それ以上に歯を食いしばっているのに目がいく。
右手は、先ほどから忙しくなにかを書き付けているが、左手の方は、腹部を押さえている。
その指の間からは、赤い液体がにじんでいる。
血だ。
自分で腹部に歯を食いしばるほどの血がにじむようなケガを、するわけがない。
ということは、これは他人の手によるモノ。
物騒極まりないことに、暗殺されかかったということだ。
総司令官で、『Aqua』最大の財閥総帥ともなれば命を狙うような連中も数多くはいるだろうが、今回の犯人は命はともかく、ケガをさせた初ということになる。
刺された場所は、ここ、総司令官室ではない。
総司令部ビルに入る直前だ。
常にSPがついているのにやってのけたのだから、相手は相当だということになる。
現に、まだSPたちは健太郎がケガを負ったことを知らない。
それを告げることなく、ここまで戻ってきたからだ。
まずは、やらなければならないことがある。
騒ぎになる前に。
にしても、だ。
下手に口を開くと、むせて口からも紅い液体が出てきそうな気配なので我慢しているが、実のところ言いたいことは、たくさんあったりする。
まずは、痛いってこと。
刺されて、血がこれだけ出ているのだから当然だが。
エレベーターの中で、傷の様子は調べたので、命に別状がないことはわかっている。
ただ、やらなければならないことをしている間に、けっこうな出血になりそうなので、数日は病院に拘束されることになるだろう。
健太郎の立場になると、なにかと周囲は大事を取りたがるから。
それ以上に悔しいのは、今日に限ってお気に入りのスーツとネクタイであったこと。
スーツの方は切れてるし、先ほど確認したところ、ネクタイにも血がついていた。
どちらも、二度とは使えまい。
いいモノしか持っていないが、その中でも高かった部類だ。
まったくもって、悔しい。
ホントにお気に入りだったのに。
くだらないことが頭を渦巻いているのは、少々現実逃避も入っているかもしれない。
切られれば、痛いのだ。健太郎だって人間なのだから。
それを考えまいとすると、どうも、やくたいもないことばかりを思いつく。
なのに、やるべきことは着々と片付いて終わったのだから、我ながら器用だ。
口元に浮かんだ苦笑が少し大きくなり、それから、むせる。
予想通り、口の中に鉄の味が広がる。
血の匂いは、気持ちのいいモノではない。
同時に、ぐらり、と自分の体が揺れるのがわかる。
床に寝転ぶのは、あまり趣味ではないので、出来れば椅子に座りたかったのだが、もう制御がきかない。
「……甘く見るなよ」
ぽつり、とくぐもった声で言うと、そのまま視界はブラックアウトする。



「地下にでも、潜りますか」
いきなりの亮の発言に、俊が思い切り眉を寄せる。
もちろん、意味通り地下に住まうと思ったわけではない。『潜伏』、もしくは『逃亡』の意だとわかってはいるが、それが亮の口から出てきたことが意外だったのだ。
「なんだそりゃ?なんかやっちまったわけ?」
「僕が、ではないですが」
手元の端末から顔を上げて、にこり、と微笑む。
久しぶりに居間で端末を広げていたので、五人とも気にはなっていたのだが。
にしても、煙に巻くような発言だ。
「誰がなにして、どうなった?」
忍が、的確に説明しろと促す。相変わらず微笑んだまま、亮は告げる。
「総司令官暗殺未遂事件が発生して、遊撃隊の存在は抹消されました」
「なに?」
「それって、どういうこと?」
「待て、ええと……」
どこに驚いていいかわからずに、口々に戸惑った声を上げる。
ここは、順番にいくしかあるまい。
「健さんがケガしたってことか?」
「暗殺ってことは、総司令官を狙ったテロ?」
「ニュースには、入ってないぞ」
テレビをつけて、速報をチェックしながらの俊の発言だ。亮は、穏やかな表情のまま首を横に振る。
「表沙汰になるまでには、まだ少しかかるでしょうね。直に当人からの連絡ですから」
それを聞いて、五人の顔には安堵の表情が浮かぶ。
連絡が出来るくらいなのだから、命に別状はないということだ。いや、それ以上だろう。
須于の顔にも、ほっとした笑みが浮かんでいる。
「連絡出来るくらいには、元気ってことね?」
「いえ、腹部を縫わなくてはなりませんし、貧血も起こしているでしょうから、大事を取って少なくとも一週間は入院することになるでしょう」
亮は、首を横に振ってみせる。抜糸の目安が一週間だからだ、というのは理解できるが。
「待て、そんな怪我してる人間から、なんで直の連絡がくるんだ」
俊が、戸惑いきった顔つきで尋ねる。
「それが必要と判断したからでしょう」
軽く首を傾げながら、亮が答える。
その様子で、はた、と思い当たる。
『Aqua』全土を焦土に変えることが出来るだけの力を擁したリスティア軍総司令官が、何者かによって襲撃され、数日とはいえ立場を離れねばならない。
これは、緊急事態といっていい。
万が一があれば、危うくなるのはリスティアだけではないのだ。
それを、知らない健太郎ではないことを、六人ともが知っている。
そして、そういう立場であることを知るがゆえに、己よりも立場を優先した。
自分という存在に対する意識が、ほとんど言っていいほど無い亮には、この行動は当然に映るのだということに。
「あのなぁ、普通、ケガしたら治療するのが最優先だろ?」
俊の呆れ声の抗議に、疑問を投げたのは忍だ。
「それ以上に、優先されるべきことだったってわけか?遊撃隊の抹消が?」
「そうしたのですから、そうなのだと信じるよりほかないでしょう」
その言葉に、す、とジョーが目を細める。
「刺した犯人は、誰だ?」
「わかりません」
あっさりと、亮は返す。
五人が、ぽかん、としたのを責められまい。麗花などは、思わずつぶやいた。
「嘘ぉ」
当然、健太郎がそれも告げたものと思っていたこと以上に、亮が常に先回りをし続けたことの証拠でもある。
でも、よくよく考えてみれば、当然だ。
痛みに耐え、立場を優先したとはいえ縫わなくてはならないほどのケガをしているのだ。
健太郎がしてのけたのは、最優先事項のみだったわけだ。
「で、健さんは、ちゃんと刺されたって言ったんでしょうね?」
亮の父親なのだ。どこまで無理をするか知れたものではないのだと、須于が眉を寄せて尋ねる。
「まだ死ぬ気はないでしょうから」
肩をすくめて答えてから、端末に向き直る。
余裕のある態度だ。亮は自分のことは意識に無いが、周囲には気を配りすぎているというほど気を配っていることを、忍たちは知っている。
健太郎が大変なことになっていれば、必ず、少なくとも忍にわかる変化があるはずだ。
それは、ない。絶対に大丈夫だと、わかっているのだろう。
忍の口の端にも笑みが浮かぶ。
「なら、俺らは俺らの仕事をすべきだろうな」
その言葉に、ジョーたちも頷く。
もう、皆、いつもどおりの表情だ。
俊もにやり、と笑う。
「だな、遊撃隊という存在が総司令部から消えるだけなんだから」
「だけではないですよ、優遇措置は全て消えていますから、下手なことをすれば法に触れます」
むしろ、どこか楽しそうな表情で亮が返す。
くっと、詰まるような笑いを漏らしたのは俊で、どこか含みのある笑みを浮かべたのはジョー。
どちらからともなく、顔を見合わせる。
「法に触れさえしなきゃ、いいんだろ?」
「言うまでもない」
「もちろん、犯人を捕まえるのね?」
麗花が、やる気を顔にも声にもにじませて尋ねる。
「そうですね、一組は『第2遊撃隊』に、もう一組は『第3遊撃隊』で」
言いながら、亮の指は軽やかに端末に入力を続けている。
「ちょい待ち、犯人わからないって、さっき言ったじゃないか?」
俊の抗議に、亮は相変わらず笑みで答える。
「動機が見えてしまえば絞り込むのは難しいことではないですよ。もちろん情報収集は必要ですが……刺した犯人は、SPの目に付かずやってのけたんですから、プロと見て間違いないです。こちらは、『第2遊撃隊』にお任せしましょう」
『第2遊撃隊』には、武器密輸組織を壊滅させる為に自ら囮となって飛び込んだ須于の幼馴染、白鳥香奈が軍師としている。
壊滅させえるだけの情報を得ようと思えば、それなりに深入りも必要で、そこで行きかった情報を聡い彼女はしっかりと把握しているはずだ。
陽動を主な任務としているとはいえ、あちらも遊撃隊。
こちらと同じく、存在が抹消されている間、昼寝している気はないだろう。
忍たちも、亮が犯人が二組と言った時点でどういうことか、理解している。
実際に手を下した者と、裏で糸を引く者。
データセキュリティなど存在しない亮は、裏で糸引く者の情報を巧みに引き寄せるに違いない。
総司令官復帰までにカタがつくのが一番であり、互いに得意なところで動くのがいい。
亮は、そう判断したわけだ。
「須于、連絡は取れますね?友人ですから、どう連絡しようと不審はないでしょう」
にこり、と微笑む。
すぐに頷いた須于の顔に、別種の笑みが浮かぶ。
「ありがとう」
「なんのことです?」
指示を飛ばしたのに礼をいわれたので、亮が首を傾げる。
「香奈のこと、信頼してくれて」
前回の畝野の件の時も、亮は手術室に異種の電波を持ち込むわけにはいかない、と通信を切ってしまった。
忍たちならば、自分が監視し続けなくてもやってのけると信じたからだ。
もちろん、いままでだって信用してくれていたし、畝野の件は戦争ではないからだとわかっている。
それでも、あの出来事は五人にとっては嬉しいことだった。
最初の時に、自分たちの方から亮の指示を無視しかねないことをやってのけていたのに、それほどの信頼を示してくれたのだから。
そして、今は、総司令官を手にかけた者の捜索は自分の親友に任せると言う。
須于にとっては、自分の友人が亮に信頼されたのは嬉しいことで、だからお礼を言った。
まっすぐな視線で言われて、亮はなんと返事をしていいかわからなかったらしい。
珍しく、少々困惑気味に、端末へと視線を戻す。
「仲文に連絡をつければ、どんな傷を負ったのかはわかります」
「わかったわ、じゃあ、すぐに」
速度が大事と、須于にもわかっている。
くるり、と踵を返した須于に、亮はさらに言葉を投げる。
「気をつけて」
その言葉の意味するところは、須于にもすぐ理解できる。遊撃隊が抹消されたのだから、ここは使い続けることが出来ない。
そのまま、姿を消せと言っているのだ。
にこり、と微笑む。
「じゃあ、また会いましょう」
なぜか、ジョーと俊ににっこりとした笑みを向けると、須于は数日分の荷物をまとめに部屋へと消える。
麗花や忍、俊は素直に手を振り返したが、ジョーは少々複雑そうな顔つきだ。
俊が、にやり、と笑ってジョーの肩を叩く。
「諦めろ、ありゃ、止めるのは無理だ」
「わかってる」
須于の意思の強さは、ジョー自身が最も良く知っている。だが、だからといって心配が消えるわけではない。
強気だからこそ、気にもなるわけで。
相変わらず煮え切らない表情のジョーに、忍も笑顔をむける。
「大丈夫だと確信してるんだと思うよ」
「そうですね、スコーピオンとスティンガー揃い踏みでは、そうそうは手を出せないでしょう」
亮も、にっこりと微笑む。



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