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夏の夜のLabyrinth
〜19th  想いの行方〜

■alae・1■



床に咲いた、赤い花を見つめる。
鮮血の、色。
そう、頭が理解するのと同時に、また、ひとつ咳が出る。
床の花は、その数を増やす。
「……………」
口元を抑えながら、少しの間、そのままでいてから。
ひとまず収まった、と判断する。
そっと手を離すと、真白と言ってもいいくらいの自分の手のひらにも、見事なほど対照的な赤が広がっている。
これが、いつ来てもおかしくないと、知っていた。近い、ということも。
自分が、どう生きるかを決めた時から、覚悟も出来ていた。
なによりも。
これは、もっとずっと早くに、来ているはずのことだった。
静かに、瞼を閉じる。
ゆっくりと、息を吸う。
大丈夫、まだ、自分の意志で立つことも、動くことも出来る。
もって、あと二日。
冷静に判断するだけの、思考力もある。
完全に終わるまでは、ほんの少しだが、時間がある。
ゆっくりと、瞼を開ける。
まっすぐに、視線を上げる。
総司令部地下は、いつもと変わらぬ景色だ。
自分が咲かせた、赤い花以外は。
いつもよりも緩慢な動作で、数ヶ月前に自分の目前に立っていた人がいたあたりへと、視線をやる。
伸ばされた手と、交わされた会話と。
忘れたわけではない。
忘れられるわけはない。
きゅ、ともう一度、瞼を閉じる。
自分を見失ったら、お終いだ。
自分の思いのままに生きるのは、簡単かもしれない。
でも、それは、全てが終わるのを、意味してしまう。
それは、絶対にあっては、ならないこと。
軽く寄せられていた眉が、元へと戻る。
再び、瞳を前へと向けた顔つきに、迷いはない。
床に咲いた赤い花など、なかったかのように、手はキーボードを叩き始める。
送信まで、完了し終えてから。
半ば無意識に、微かな笑みを浮かべる。
それが、どこか痛みを帯びていることは、知らない。
ぽつり、とした声。
「………さよなら」
そして、その細い姿は総司令部から、消えた。



女の子とお知り合いになるのは、大歓迎だ。
でも、合コン以外で。
理由を聞かれても困るが、警視庁警視特別捜査課所属たる高崎広人の、確固としたポリシーである。
で、いま広人は、お知り合いになる場としては使用したくないと決めている合コン現場にいたりする。
まだ、相手となる女性たちは到着していない。
不機嫌そのものの顔つきで、ぶっすーと窓の外を眺めている。
「な、高崎ぃ、機嫌直してくれよぅ、少しくらい俺らにイイコトあったっていいじゃーん」
情けない声にも、容赦ない一言。
「ヤロウだけで飲むってから、付き合ったのに」
「悪かったってば、ね、頼む、この通り」
ココロの中で、そんなんだから、いつまでたっても恋人、とか、奥さん、とかに縁が無いんだ、と毒づく。
仕事仲間としては悪くない。頭もキレるし、行動力もある。この手のことだけは、どうにもダメであるらしい二人だ。
が、これも修行と決め込んで、そっぽを向いたままでいると。
「あ、こっちこっち」
と、一人が呼んでいる声がする。
「あ、佐山さん、こんばんはー」
明るい声が飛び込んでくる。どうやら、相手のご登場らしい。
女性に非があるわけではないので、いちおうは視線を向ける。
「!」
一瞬、軽くだが、目を見開いてしまう。驚く、というのは、広人には先ず滅多にありえないのだが。
でも、これは驚いた。
柔らかな黒髪のストレートの持ち主である相手も、同じだったらしい。
が、すぐに、にこり、と挨拶をしてくる。
「こんばんは」
「こんばんは、お久しぶり」
言ったなり、相手の腕をぐい、と掴んで歩き出す。
「高崎?!」
「あのねぇ、彼女、先約済みなんだよね。こんなとこいさせたら、後で俺が殺されるから連れて帰る」
そこまで言い切って、手を振る。
「じゃ、な」
呆然と見送る四人を尻目に、ずんずんと広人は歩いていく。
相手は、驚いてはいるが怒っては無い顔つきで、大人しくついてきたが、店の外へと完全に出て、残してきた人らが追いかけても来ないのを確認してから、くすり、と笑う。
「相変わらずらしいわねぇ、高崎くん」
「九条こそ、いつ戻ったんだ?」
「私?二日前よ」
九条仁未は、軽く肩をすくめてみせる。
「なんだよ、連絡くらいしろよな」
仁未は、年は同じだが学年は一つ下の、スクール時代からの知り合いだ。スキップ度は広人たちから一年分遅れていたが、それでも充分に高速だ。
リスティアの女子最短卒業記録保持者でもあるし、『Aqua』でも最高峰といわれるリスティア最終学府の薬学部研究学府を出て、国立研究所に就職したという頭脳の持ち主で、しかも、その才能を認められて、薬学ではトップレベルの学問を誇るルシュテットに国の経費で留学していた。
が、なによりも人から見て、まず目に付くのはその容姿だろう。
胸を過ぎるほどまであるのに、綺麗なストレートの髪もだが、目鼻立ちといいプロポーションといい、完璧という単語を贈りたくなる。
が、広人にとっては、いい友人だ。
携帯を取り出しながら、肩をすくめる。
「ったく、ステディーいるのに合コンとはねぇ?」
「高崎くんに言われたくないなぁ、歓迎会っていうから行ったら、合コンだったのよ?それに、付き合いに関しては保留中なんですけど?」
高嶺の花を用意しておいて、身近な花に引き寄せようとでも思ったのかどうか知らないが、仁未も同じような成り行きであの場に連れて来られていたらしい。
「はいはい、よーくわかってますって」
言いながら、慣れた番号を探し出す。
それを見て、仁未は首を傾げる。
「もしかして、仲文?」
「ああ、どうせ、連絡してないんだろ」
友人だけならともかく、恋人に連絡しないとはねぇ、と言いながら発信しようとする広人を、仁未は首を横に振って止める。
どこか、真面目な目付きになっている。
「連絡しようと思ったんだけどね、見かけたの、帰国してすぐに」
「仲文を?」
ひとまず、発信するのは止めて、首を傾げる。
見かけた、と仁未は言ったが、会いに行ったの方が正確なのかもしれない。だけど、声はかけなかった。
仁未は、こくり、と頷く。
「そう、ちょっと、追い詰められてるように見えたから……あの時みたいに」
あの時、がいつなのか、二人には説明の必要は無い。
二人は、仲文が、なぜ最短記録をつくるほどにスキップを重ねたのか、志望の職業が医者なのか、を知る数少ない人間だから。
仲文の両親は、二人とも遅行性細胞破壊症患者だった。
いつだったか、半ば独り言のように、口にしたことがある。
「子供生むのは、随分と反対されたみたいだけどな。でも、両親が生きて、誰かと想いあったっていうなにより確かな証拠だから、どうしても欲しかったんだと」
ぞんざいに言ってのけてから、ぽつり、と付け加えた。
「いっぱい、両親との思い出作ってやりたいからって、えらくかわいがられたよ」
いまは、遅行性細胞破壊症は、発見さえされてしまえば発症も抑えられるし、発症後でも時間はかかるが治癒する病気だ。
遅行性細胞破壊症の両親を持った子供は、精一杯の努力で、その治療法を確立したから。精一杯に愛してくれた両親に応える術は、それしかないと思ったから。
現に、彼は『Aqua』でもトップレベルの医師として、世間に認識されている。
でも、そんな名声など、彼にはなんの意味も関係もない。
なぜなら、治療法も治療薬も。
一番救いたかった両親には、間に合わなかったから。
眠ったままに見える両親。
残された時間がわずかだと、医師である仲文が、最もよく理解していた。
あと少しで、試験治療薬が完成する。
あの時、仲文は本当に一睡もしなかった。もうすでに知り合っていた、子供と思えぬ知識をもった亮も随分と手伝っていたはずだ。
必死に、研究しつづけて。
そして、間に合わなかった。
仲文は、愚痴らしいことも口にしなかったし、喪主として両親を立派に見送った。
だけど、あの前後の憔悴ぶりは、見るに堪えないほどに痛々しかった。
涙一つ、こぼさなかったから、余計に。
「医者は、たった一人のために存在するわけじゃない」
ぴしり、と院長が言ってのけた言葉を、仲文はきちんと理解していた。
だから、仕事は本当にきっちりとこなした。あと一歩で間に合わなかった遅行性細胞破壊症の試験薬も、完成させた。
でも、結局は、憔悴しきって倒れて、数日寝込んだ。
院長は、自己管理がなっていない、とは言わなかった。彼にも、わかっていたのだ。
むしろ、こんなカタチでしか休めないと、誰よりも知っていたのかもしれない。
「間に合わなかった」
朦朧としながら、肺腑から搾り出すように言った一言を、広人も仁未も、忘れることは出来ないだろう。
その時を思い出させる、と仁未は言っているのだ。
「だから、私の研究結果まとめてからのがいいのかなって」
いま、仲文が研究している内容を、仁未は誰よりも良く知っている。
仲文が恋人だから、というのではなく、自分の研究対象として申し分ない、と判断したから、彼女の専門分野として出来る研究を進めてきた。
帰国した、ということは、それなりの成果を上げてきた、ということに他ならない。
それに、追い詰められてる、と思ったから声をかけるのを逡巡したのは、それだけ、そんな仲文を見るのが痛い、ということ。
大事な人だからこそ、自分の胸が痛むから。
広人の見るところでは、仲文が付き合いの『保留』を言い出したのだって、自分の我侭に仁未を巻き込みたくないからなのだが。
言い換えれば、世話の焼ける二人、というわけだ。
広人は、軽く肩をすくめる。
「ま、確かに時間はあんまり無いとはいえ、余裕がないわけじゃないぜ?」
にこり、と笑う。
「少し、息抜きもしないと、また同じように煮詰まっちまう」
「そうね、そういう考えもあるか」
仁未の顔にもやっと笑みが浮かぶ。
「いいわよ、じゃ、歓迎会、やってよね」
「そう来なくちゃな」
と、携帯から仲文へと発信する。
『広人、下らない用なら、いますぐ切れ』
いきなり、剣呑な声である。
「うっわ、冷たいなぁ。せーっかく九条歓迎会に誘おうと思ったのに」
いつも通りの軽口で広人はかわしてみせる。
くすり、と仁未も笑う。
が、返ってきた声は、相変わらずのもの、いや、先ほどより真剣さが加わったかもしれない。
『仁未が?本当か?』
「嘘言ってどうするんだよ、俺、そのネタではかつぐつもりないんですけど」
口を尖らせながら、仁未へと携帯を渡す。
「信じてなーい」
肩をすくめて、日頃の行いじゃない?と返しつつ、仁未は携帯を受け取る。
「正真正銘、ホンモノよ?」
『レポートまとまってるか?サンプルは送付済みだろうな?』
お帰りも、本当だったのかも、なにもなしにいきなり仕事のことを言い出した仲文に、仁未はさすがに目を丸くする。
「あのね、おかえりくらい言ったらどうなのよ?」
『時間が出来たら、いくらでも。広人の使えばすぐに来れるだろ、頼む、研究室にすぐ来てくれ』
頼む、という単語が出てきたので、反対側から仲文の声を聞いていた広人と、仁未は怪訝そうに顔を見合わせる。
なにかが、おかしい。
『あの時』でさえ、慌てたそぶりは一切見せなかった仲文が、間違いなく焦っている。
「仲文、なにがあった?」
広人が、携帯を持ち直して尋ねる。
先ほどまでの、どこかとぼけた顔つきではない。事件に向かう時と同じ、まっすぐな目だ。
『話すから、ともかくこちらに向かってくれ』
「わかった、車出して九条の家寄るから、少し時間はくれよ」
仁未に、移動すると合図してから、歩き出す。すさまじく大股で速いが、ヒールの仁未も、まったく遅れずについてくる。
「で、どうした?」
『やられた、二年分、サバ読んでやがった』
「サバ?」
一瞬怪訝そうになるが、すぐに、はっとした顔つきになる。
「まさか、亮のヤツ?」
その単語で、仁未にも話が見えたのだろう。その大きな瞳を、さらに見開く。
『検査結果を二年分ずらしてやがった、俺が見てたのは、二年前の検査結果だったんだよ!とっくにタイムリミット過ぎてやがったんだ!』
抑えきれなくなった感情が、声に溢れる。
駐車場に置いてあった自分の車のキーを開ける手が、一瞬揺れる。自分が動揺するべきじゃない、と抑える。
「それで、亮は?」
扉を開け、乗り込む。仁未も、すぐに助手席へと自分で滑り込む。
『消えたよ』
エンジンをかけながら、次の言葉を待つ。
『正真正銘、行方不明だ』



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