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夏の夜のLabyrinth
〜19th  想いの行方〜

■alae・2■



仲文の研究室は、えらく人口密度が高くなっていた。
一斉に、入ってきた広人たちの方へと向いた顔は、皆、血の気が引いている。『緋闇石』の一件の時も、ある意味似たような状況だったはずなのに、今の方がずっと。
だいたい、不安、という空気が支配している『第3遊撃隊』など、最初に『緋闇石』と対峙した時に二週間で二人が行方不明になったとき以来だろう。
広人は、忍たちに向かって、自分と一緒に来た仁未が何者なのかを、軽く説明する。
国立研究所に勤めていることと、つい先日まで留学していたこと。
それだけで済ませてしまったこと自体が、この場の空気が異様であることの象徴だ。
軽く頭を下げるだけの挨拶を済ませてから、忍たちは、一人の人物へと向き直る。
天宮健太郎、リスティア総司令部総司令官であり、『Aqua』最大の財閥の総帥であり、そして、亮の親でもある。
多忙極まりない彼が、こんな時間にこんなところにいる、という事実が、予想だにしないイレギュラーな事態になっているのだというなによりの証拠ともいえる。
「じゃ、揃ったことだし説明してもらえますか?」
微妙に怒りを含んだ声で問いを発したのは麗花だ。
「悪いんだけど」
口を挟んだのは、仲文。
携帯で、亮のタイムリミットが過ぎている、と聞いた時点で、こうなっている、とは思っていたが。
凄まじく冷静で、研ぎ澄まされていて、そして。
精神的に、全く余裕の無い視線。
両親を失うかもしれない瀬戸際に立たされた、あの時と、同じで。
「話は別のところでしてくれ。さっきも言ったとおり、亮はここにはいないし、俺にはどこにいるのかはわからない。いま、出来ることは、可能な限り早く治療法を確立することだ」
感情の無い声で言ってのける。
言っている内容は真実だが、聞く人が聞けば、冷たいと思うかもしれない。でも、これが今の仲文の精一杯だと、広人は知っている。
感情で、心配と思うことも、慌てることも、簡単なことだ。
でも、それをしたら自分の能力が揺れる。最も、してはならないことだと、仲文は肝に銘じて知っている。
一分一秒を損じることも、己の実力がほんの少しでも欠けることも、今だからこそ、あってはならないと。
助ける手段が存在しないのに、帰って来いとはおこがましい。
少なくとも、仲文は自分の立場をそう決めた。
その点は、忍たちにもわかっているのだろう。
大人しく頷くと、健太郎に軽く視線をやってから、ぞろぞろと歩き出す。
仲文は、すぐに本題へと入る。
「仁未、最新報と二ヶ月前の論文の実験データ出してくれ」
「それなら、このメモリーと、これね」
まったく動じた様子なく、仁未は応える。車の中にいる間中、血が出るのではないかというほど両手を握り締めていたが、その間に仲文と同様、どうするのが最も大事か、という点に己を置いたに違いない。
広人の前に研究室を後にしようとしていた忍は、振り返ると、ただ、深く頭を下げる。
最後に研究室を出ようとした広人へと、仲文の視線が上がる。
広人は、その視線を、まっすぐに受ける。
「いつでも手術出来るよう、準備しとけよ」
ほんの一瞬だったし、多分、他の人間では気付かなかったろうが。
仲文の口元が、それとわからぬほど微かに、笑みを浮かべる。
だが、すぐにモニターへと向き直る。
仁未も、その隣からモニターを覗き込み、キーボードを忙しく叩いている。
少なくとも一人ではない、と扉を閉じながら、広人は思う。
それでも、この冷静さをいつまで保てるか、と。

先を歩いていた健太郎が、のんびり、とさえ聞こえる口調で言う。
「近い場所なら、ここにも仮司令室があるな」
なるほど、そこなら人に話を聞かれることも無いし、移動する必要も無い。
というわけで、健太郎がキーをあけて、国立病院の司令室へと入っていく。
指令用の椅子から、ふ、と須于が視線を反らす。今の状況を考えたら、見るに堪えなかったのだろう。
健太郎も、その様子には気付いたらしく、軍師のために用意された椅子ではなく、モニターなどが山のようにある壁へと寄りかかる。
それから、軽く首を傾げてみせる。
俊が、困惑と怒りとをない交ぜにした顔つきで、早口に問う。
「どういうことなのか、きちんと説明してくれよ」
「ずっと前から、二十歳までもてばいい状況の躰だったから、検査を続けてた。が、亮は、その結果を少しずつずらして、つい最近では二年分サバ読んでってことだ。こちらはあと一年は余裕があると思っていたのが、とっくにタイムリミット過ぎていたのを誤魔化していたワケで、とうとうガタがきたのがわかったから、遠方指示許可書を提出して、この手続きは全く合法、完膚なきまでに有効」
健太郎は、半ば棒読みの口調で一気に言ってのける。
後半部分が、特に妙な日本語になっているが、ようするに亮の躰は、最初からもたないはずだった、と言っているわけだ。しかも、亮自身もそれを知っていた、と。
ただ、少なくとも検査して体調を追っているはずが、亮はいつからか結果を前のモノへとずらすことで誤魔化していたらしい。
タイムリミットまで、まだ十分ある、と周囲に思わせていて、実のところとっくに限界は過ぎていた。
それでも、普通に生活できるフリをしていたのが、とうとう無理がきたのだ、ということまではわかる。
だが、どうして姿を消さなくてはならないのかは、わからない。
それだけではない。なぜ、検査結果を誤魔化すようなことをしていたのか。
なぜ、体調が悪いのを、一言も口にしなかったのか……
いま、どこでどうしているのだろう?
限界を超してしまった、ボロボロであろう躰を抱えて。
なにから、どう考えていいのかすら、わからない。
ただ、少なくとも亮がどこからか『第3遊撃隊』に指示を出す気でいることは、わかる。
「遠距離指示書って、なんでそんなのが有効になるの?!」
「いつ病床から指示を出す状態になるのか、読めなかったから……遊撃隊の指示系統には、最初から組み込まれていたよ」
健太郎は、全く感情のこもらない声で答える。
「最初から?」
正確に、その言葉に反応したのは俊。
「じゃあ、最初から亮が軍師になることを想定してたってことか?」
「『第3遊撃隊』の軍師は、亮だと決めていた」
まっすぐに視線を見返して、健太郎が答える。
「でも、私たちの最初の軍師は、優……」
言いかかった須于が、口をつぐむ。
急に行方不明になった優の代理だったはずなのに、亮は最初から忍たちの得意とする動き、得物の特性、全てを把握していたのだ。そうでなければ、あれほど完膚なきまでに初回の作戦から成功など、あり得ない。
それに、亮が正規軍師の方が、話のつじつまが合う。
『紅侵軍』から優は無事戻ったのに、あまりにもあっさりと軍師の座を降りてしまった。
もちろん、本人が犯した失敗の責任を強く感じていたのもあるだろうし、アーマノイドであったという事情もあったろうが。
なぜ、亮が最初から軍師として着任できない状況になったのか、今は、おおよその察しもつく。
『第3遊撃隊』が組織された時。
すでに、『緋闇石』の件は動き始めていた。リスティア・リマルト公国国境付近で頻繁に不審火が観察されるという報告は、入っていたのだ。
初動捜査に関わっていたから、それは知っている。
そして、行方不明になった優の代わりに来た亮は、『緋闇石』に関して、誰よりも詳しかった。
急に動き出した『緋闇石』を抑える術を探し続けて、無理を重ねすぎた。
それ以外、考えられない。
亮は、人が強引に止めない限りは、自分というモノを全く省みずにコトを進める。少なくとも、あの頃はそうだった。
「なにを、遠距離で指示しようと?」
ジョーが、ぼそり、と尋ねる。
夏に、健太郎が刺された時に、亮が、ぽつり、と口にしたことは憶えている。
『Aqua』は、機械仕掛けの星。
人工物なのだ、と。
ただ、なにが起ころうとしているのかは、なにも言わなかった。まだ早い、と判断していたのに違いない。
そのこと以外には、考えられないが、肝心の内容がわからないままでは、亮がなにをしようとしているのかの判断すら出来かねる。
「時期尚早」
ばさり、と斬るように健太郎は言ってのける。
いやに落ち着いた顔つきの健太郎に、俊がぴくり、と眉を上げる。
「親父、亮はどこだ?知ってるんだろ?」
「知らないよ、嘘だと思うなら、屋敷も別荘も全部探して回ってくれて構わないけど」
麗花たちは、誰からともなく視線を合わせる。
健太郎が、嘘をついているとは思えない。亮の居場所は、健太郎も知らないのだ。 でも、妙な落ち着きがあることも、確かなことだ。
いつかは、という覚悟をしていたとして、こうも落ち着けるものか、と思うほどに。
「じゃ、なぜ、探さないの?」
睨みつけているのと変わらない目付きで、麗花が問う。
健太郎は、肩をすくめる。
「資格、ないから」
麗花が何か言おうとする前に、言葉を重ねる。
「亮が自分で選んだ道に、どういう理由であろうと口を挟む資格も権利も、俺にはないから」
まっすぐ、麗花たちを見たまま、健太郎ははっきりと言ってのける。
「俺がどうするかは、俺が決めることだ。それから、悪いがヒマではないので、話はここまで」
「ちょっと、待てよ!」
俊が、思わず腕を掴むが、あっさりと健太郎はふりのける。
「十二分に話はしたぞ」
射るような視線には、完膚なきまでの拒絶が込められていて、俊はそれ以上は、何も言えない。
背を向けた健太郎へと、もうヒトツの声が追う。
「遠距離指示がくるのは?」
ごく静かな、事実を確認するだけの声は、忍のモノだ。
遠距離指示許可書が届いて、亮が姿を消したとわかってから一言も口をきいていなかったので、思わず四人とも、まじまじと見つめてしまう。
忍は、その四人の視線は全く目に入ってない顔つきで、健太郎を見つめている。
健太郎は、忍の目を見て、初めて、微かに視線を落とす。
「一日後、遅くて二日後」
「きたら、軌跡を追うことは出来ますね」
「……繋ぐよ」
ぽつり、と答えると、背を向ける。
健太郎が姿を消してから。
矛先は、忍へと向かう。
「どういう意味?遠距離指示がくるって?」
忍は、声の方、麗花の方へと、らしくなくゆっくりとした動きで視線をやる。
「内容はわからないけど、なにか『Aqua』に起ころうとしているトラブルを止めようとしている、ということは確かだろ」
「そうね」
須于の相槌が、聞こえているのかいないのか、疲れたような視線は床へと落ちる。
「だけどまだ、トラブルは発生してない。いまの亮に出来ることは、予測される事態に対して、俺たちがどう動くべきか、を指示しておくことだ」
壊れていく躰が、トラブル発生まで持つとは亮は思っていない。少なくとも、トラブル終焉までは持たないと思っている、と忍は判断しているらしい。
「自分がもう、考えることが出来なくなると判断するまで、あらゆる情報と可能性を検討した上で」
まるで、氷水でもあびせられたかのように、四人の顔が凍りつく。
忍が言ったのは、亮が遠距離指示を出してくる時は、もう命が終わる時、という意味だから。
そして、健太郎もそれを想定している、と気付く。
さっきの会話は、そうでなければ成り立たない。最後の連絡を、忍たちへ繋ぐ、と約束したのだ。
それから、健太郎の口にした一日後、遅くて二日後、という単語は、亮の遠距離指示が届く時間のこと。
亮に、死が訪れる時間、ということ。
そんな事態だというのに、忍の顔つきも落ち着き払っているようにしか見えない。
俊が、一歩、忍へと近付く。
「知ってたのかよ?」
「なにを?」
「亮の躰が、もたないって知ってたのかって訊いてるんだよ!」
「ずっと、無理をしてるっていうのは、わかってたけど……」
ぐ、と胸元を掴んでいる俊の手を、忍はひねりはずしながら、力ない苦笑を浮かべる。
「別に俺、千里眼持ってるわけじゃないから」
その口調で、はっとする。
亮とは別の域で、驚くほど忍は察しがいい。だが、それを匂わせるようなことは、まずしない。その上、忍自身はなにヒトツ自分のことを口にしない。だから、抜け落ちていた。
いちばん、亮を気にかけていたのが忍だと、四人とも知っている。
でも、その忍にさえ、亮は何も言わなかったのだ。
いちばん参っているのは、忍だ。
でも、参っているのと同時に。
諦めにも似た、覚悟をしているらしいのもわかる。
「じゃ、他になにを知ってるの?」
麗花が、強い視線で、まっすぐに見つめたまま尋ねる。
確実に、なにか自分たちの知らないことを知っている。それだけは、妙に確信出来る。
「俺が?亮が、『第3遊撃隊』の正規軍師だったんだろうってのを、察しつけてたくらいだけど」
ウソ、と直感するが、問いただしても答えない、ともわかる。
多分、亮との間に、なんらかの約束があるのだ。
口にしたかどうかは知らない。
少なくとも、忍は亮が黙っている限りは、自分も口にしないと決めていることがある。
二人しか知らない、なにかがある。
俊が、軽く仮司令室内へ視線を走らせてから、ひとつ、息を吸う。
「さて、俺たちはいま、軍師不在だ」
「物事の決定は、多数決と行きたいところね」
と、麗花が応じる。ジョーも、すかさず口を開く。
「まずは、亮がどこへ行ったのか探すこと」
「忍は、もう一度健さんにあたってみて」
麗花が、決め付ける口調で言う。須于が、微かに首をかしげながら頷く。
「そうね、健さんも、忍には弱いところあるみたいだし」
「というわけで、決定」
きっぱりと俊が言い切る。
「……わかった」
忍はだいたい、四人が何を考えているのか察しをつけているようだが、大人しく背を向ける。



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