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夏の夜のLabyrinth

■■■天の川の夜■■■


「ね、十年前の七夕ってどうしてた?」
その一言は、夕飯の後のお茶の時に、麗花の口から何気なく発せられた。
こういうのは言ったもん勝ち、ということで誰もがなんとはなしに過去に思いを馳せながら眠りにつく。
かくして、十年前の七タ再現の夜が始まる。



にやり、とした笑みは広人が何か企んでいるをいう何よりの証拠だ。
無表情のままながらも、亮は微かに首を傾げる。
「七タってどんな日か、もちろん知ってるよな?」
察しの良さに関しては群を抜いている亮だが、そんな能力を発揮しなくても広人がなにを言わせたいのかは想像がつく。
「一年ぶりに、空で恋人同士が会う日ですね」
冷めた口調ではあるものの、欲しかった答えが返ってきたので広人の笑みは大きくなる。
「そう、恋人の日だ。俺たちの身近にも、恋人がいるよな」
「そうですね」
もちろん、仲文と仁未のことだ。
「な?で、相変わらずもどかしい彼らに、チャンスをやろうというわけだよ、いい考えだろ?」
二人は学生時代から付き合っているはずなのに、亮の眼から見ても進展がほとんどないように見受けられる。そして、そのことを、広人はいたく気にしているらしい。
広人が思いついたのがいい考えかどうかは、企まれた当人たちが判断すべきことだと亮は思う。
自分が関係することは、ヒトツだ。
「何をする気です?」
「いやな、ほとんど俺が仕掛けるからいいんだけど、ヒトツだけどうにもならんことがあって」
広人にしては、嫌に遠回りな言い方をする。
不可思議な気がしつつ、もう一度、ほんの微かに首を傾げる。
「頼む」
いきなり合掌されて、亮はひとつ、瞬きする。少々驚いたのだ。
「健さんに頼んで、笹調達してくれ!どうしても、見つからねぇんだよ、これが」
「笹ですか」
なるほど、広人がどのような演出を企んでいるのかはほぼ読めた。確かに当日に笹を調達しようと思っても、かなり難しいに違いない。一箇所の例外を除いては、だ。
天宮財閥総帥と総司令官という発動させたら凶悪としか言いようの無い権力を握っている健太郎なら、一言発すればこと足りる。
健太郎は仲文と広人、そして仁未のことをことさらに気に入っていて、身内のように扱っているし、仲文たちも健太郎を兄のように信頼しているが、さすがにこんな我侭を直には言いづらいらしい。
直に言ったところで、健太郎の方は全く気にかけないと思うのだが、そこらは広人の方の感覚の問題だから亮が口出しすべきことではない。
「ええ、わかりました」
仲文の家に居候するようになって、四年になろうとしている。なにかと気にかけてくれている三人が望むのならば、絶対不可能でない限りはやると決めている。
「連絡しておきます」
「助かる!じゃ、俺、他にやることいっぱいだから、後でな!」
ぶんぶんと元気良く腕を振ったかと思うと、その後姿はあっという間に遠ざかる。
我知らず、小さなため息をついてから、亮は携帯を手にする。
数少ない登録番号のヒトツを選び出し、呼び出す。
『おう、どうした?』
ほとんど待つこと無く、聞き慣れた声が返ってくる。
いつもそうだ。『Aqua』で最も権力を持つ代わり、最も多忙なはずなのに。
今日の今だって、本当のことを言えば財閥の方にいると知っている。会議かどうかまでは、確認しなかった。ほぼ間違いなく、隙間に入り込むことなど不可能だとわかっているから。
「すみません、お願いがあります」
『お願い?』
珍しいと思ったのだろう、興味深さと驚きとが入り混じった声が返る。
「はい、笹が欲しいのですが……」
『ん?ああ、そうか、七夕か。いいよ、どこに届ける?』
「……仲文のところに」
心なしか小さくなった声に、健太郎の心配そうな声が問う。
『ああ、大丈夫か?』
「あ、はい」
慌てて返した返事に、少し安心したようだ。
『ここ最近、急に気温が上がってきてるから、大事にしろよ』
「はい、ここ最近は、随分と安定していますから」
少し考えてから、付け加える。
「気をつけるようにします」
『……ああ、じゃあな』
無言の間が、気をつける、という単語を本気にしていないなによりの証拠だ。実際、気をつけるということがどういうことなのか、亮自身もよくわからないのだが。
そこらは、口しないのが暗黙の了解になっているので、そのまま口に上った単語上だけの会話を続ける。
「はい、お邪魔して申し訳ありませんでした」
『カリひとつな』
あっさりと一言返り、そのまま通話は切れる。
少し、その画面を眺めてから、亮はまた次の連絡先へと発信する。
その夜、見事に思惑外れて今年も四人での七夕になってじたばた暴れる広人と、けろりとした顔をしている仲文と仁未を見つめるとはなしに見つめながら、ぼんやりと考えていた。
それは、一緒に暮らし始めてからしばらくして、きつく仲文に言い聞かされたことだ。
「いいか?なにかというと広人は一人で逃げるから、絶対に逃すなよ。どんな理由を口にしても、だ。これは俺も仁未も同じこと考えてるからな。わかったな」
自分の考えや要求を押し付けるということが、まず無い仲文からのたった一つの願いを、無下にする気はない。結局のところ、最後には広人も笑顔になるのだから。

目覚ましが鳴って無いのに、いつもの時間通りに起き上がった亮は、軽く髪をかき上げる。
「…………」
あの頃は、人形になりきると決めて、随分と板についてきた頃だ。何が起ころうと、ほとんど表情さえ変わらないというのは『第3遊撃隊』軍師になるまで続いた。
その方が傷つけないと思っていたことが、ひどく傷つけていたのだと今はわかる。
あの頃もほろ苦いなにかがつっかかっていたが、改めて思い出すと実に苦い。
振り切るように、軽く首を振る。誰も悔やむことは望んでいないということを知っている。
カーテンを引きあけると、眩しいくらいの太陽が注いでくる。
見上げて、微かな笑みを浮かべる。
なんだかんだでイベント好きな皆の為に、今日はなにを作ろうかと考えながら。



珍しく、朝早くから起き出していて、しかも酔っていない。
そんな一真を見るのは母親がいなくなって以来、初めてのことだ。
忍も眼を丸くしているが、隣に立っている小夜子も眼を見開いている。と思ったら、いきなり頬をつねられる。
「いてっ」
思わず上げた声に、ぽつり、と小夜子の声が返る。
「そう、夢じゃないのね」
どうにも信じられなかったらしいが、今の一事で、事実なのだと姉弟二人して理解する。
そんな二人の反応が目に入っているのかいないのか、一真は黙々となにやらカバンにつめている。
そして、それを肩に背負いあげて一言。
「笹、探しに行くぞ」
「え?」
「へ?」
今度は、小夜子と忍の口までもがぽかん、と開く。
一真は、そんな二人の反応に怪訝そうに眉を寄せる。
「七夕といえば、笹だろうが」
「で、その笹を今から探しに行くっていうの?」
小夜子が首を傾げる。一真が頷く。
「そうだ、適当なところまでは車で行って、そこから歩く。歩きやすい格好と靴にしとけ」
「どこまで行く気?」
再度の小夜子の問いに、今度は一真が首を傾げる。
「さあなぁ、適当だからわからん。ああ、弁当なら作ったから心配するな」
いつも酔っ払ってて、ここ三年車など運転したことなどないだろうがとか、料理も同じくだとか、いろいろと頭の中がぐるぐるとするのだが、それを超越するなにかがあったのだ、としか説明しようが無い。
気が付いたら、小夜子と忍は二人して一真の運転する車の後部座席に乗っていた。
久しぶりに稼動する割にキレイになっている車の中を見回したり、シートを触ったり、黙りこくったまま所在無げにしている二人に、一真は助手席に置いたカバンを指して言う。
「おやつ、入ってるぞ」
「……うん」
小夜子と忍は、どちらからともなく顔を見合わせてから、小夜子がそっとカバンに手を伸ばす。
開けてみると、無造作に詰め込まれたイロイロが、山のようにあふれ出してくる。
「わ!」
どうやって入ってたんだと問いただしたくなるほどのお菓子やらなんやらの山に、思わず声を上げる。
それから、笑い出す。
「お父さん、コレどこから見つけてきたの?」
その言葉に、忍も身を乗り出して覗き込んでみる。
「すごい」
思わず、目が輝いてしまう。小さい頃馴染みのあった、しかも今時はどこでもみかけないような駄菓子たちがあふれかえっていたのだ。
「どこって……そりゃ、秘密だ」
なんだか照れたような声に、小夜子と忍は顔を見合わせる。それから、ぷ、とどちらからともなく吹き出す。
ああ、そうだ、と思い出す。
一真は、これと決めたら案外こだわるところがある。きっと、懐かしいお菓子を見つけると決めて、探し回ったのに違いない。
「こんなに誰が食べるのよ」
「お前たちに決まってるだろう」
「多すぎだよ、これ」
言いながら、二人でいろいろとあれやこれやと手にとってみる。
なんだか、どれもこれも懐かしくて目移りする。
「あー、こんなのもある」
「これもだ!」
いつの間にか、きゃっきゃとはしゃぎ始めて、気付いたら車内は大笑いになっていた。
一真の宣言通りに、適当に走り、適当に歩き回り、カタチが不揃いのおにぎりをほおばって、ちょっとこげたウィンナーを食べて。
結局、夕方になってやっと、小さな笹を譲ってもらい、帰途につく。
ある意味結果は散々だったけれど、三人とも笑いこけてばっかりだった。
夜は、笹を飾り付けて三人揃って短冊を書いた。

起き上がって、大きく伸びをした忍の口元に笑みが浮かぶ。
そういえば、そうだった。たった一度、三人で行ったピクニックは七夕だった。いまだに、一真がなんでいきなり素面であんなことを思いついたのかはわからない。
しかも、コトが片付くまで後にも先にもたった一度。
それはそうとして、だ。
モノの見事に麗花の術中にはまったものだ、と思う。
着替えながら、考える。
まぁ、今日、麗花が現れた途端に言うことは想像がつくな、と。



皆がこぞって短冊を笹に飾りつける中を、ひっそりと抜け出したのは三人。
あまり人の来ない原っぱに出て、なんとなく三人寄り添って腰を降ろす。
「馬鹿らしい、他人に祈るような願いは無いね」
吐き出すように言い捨てたのは香奈。
どんなに流しても枯れない涙を浮かべて、雲ひとつ無い空を見上げたのは弥生。
「お願いしても、叶わないもんねぇ」
なにも言わないまま、膝を抱えたのは須于。
まだ、あの惨劇から一年も経っていない。
残された大きな傷は、癒えるはずなどない。
大事な家族も生活も、もうどこにもない。失ったモノを埋めるには、まだあまりにも非力だ。
残酷な現実は、夢とかなんとか、甘いモノを全て奪い去っていった。
どうにも出来ないし、どうにもならない。
全く接点がないはずの三人がいつの間にか寄り添うようになったのは、ただヒトツの観点が同一だったからに違いない。
甘ったるいモノなど、現実にはどこにも存在しない。
あるかないかわからない何かに祈ったところで、なにも変わりはしないのだ。
さらり、と風が吹く。
流行く雲も無い空からは、時を計り知ることは出来ない。
どのくらい時がたったのか。
ぽつり、と口を開いたのは、須于だ。
「それでもね、祈りたいこともあるの」
「なにが」
「なぁに?」
くだらないことをというのがありありと滲み出た香奈と、なにかにすがるような弥生と、口調は対照的だが、声は同時だ。
「大事な人たちが安らかでありますように、ここにいる人たちが幸せでありますように」
軽く眼を見開いたのは、二人ともだ。
また、しばしの間があった後。
今度は、香奈が口を開く。
「ばか、泣くな」
それに答えたのは、鼻声の弥生だ。
「ごめんね、でも、私、ちゃんとそんなこと、考えてなかった」
大きく鼻をすすり上げて、いくらかしっかりとした声で続ける。
「うん、そうだよね。残ってる私たちが幸せじゃなかったら、心配するよねぇ」
無言のまま香奈が眉を上げたのを、須于は見る。多分、随分と単純に言い聞かせられるもんだな、とでも言いたかったのだろう。
だが、口にしないだけの分別は持っている。
気付かないままに、弥生は立ち上がる。
「届くかなぁ」
その言葉に、須于も香奈も視線を上げる。
弥生は、まっすぐに立ち、大きく息を吸う。
教室の中にいる時の彼女は、けして目立つ存在ではない。
でも、一度歌いだせば、その存在感に圧倒される。その歌声に、誰もが我を忘れるくらいに心惹かれる。
いつの日にかきっと、彼女はその足で舞台という名の場所に立つことになるのだろう。
いつの間にかほのかに浮かんだ笑みに気付いて、香奈と須于はどちらからともなく顔を見合わせる。
香奈が、軽く肩をすくませる。
「そうだな、私もそれなら祈れるかもしれない……いつかの幸せならば。それは私の手で握るべきものだからな」
須于は、ただ、笑みを返す。

起き上がって、それでもまだ夢の続きにいるような気がして、須于は軽く瞬きをする。
それから、目覚まし代わりにかけていた音楽のせいだ、と気付く。
総司令部経由で届いた、発売されたばかりの弥生のアルバム。そして、今日かけたのは、まさにあの日に弥生が歌っていた歌。
偶然なのか、必然なのか、そんなことはどうでもいいことだ。
カーテンを開き、あの日と同じ雲ひとつ無い空を見上げて微笑む。
祈ることは、今も変わらない。
大事な人が安らかでありますように、そして、ここにいる人々が幸せでありますように。



とてつもなく今更なのはわかっているのだが、問わずにはいられないので問うてみる。
「これって、宗旨に反してはいないのか?」
なにが、というと寺に思い切り飾られた立派な竹だ。笹の葉がやまのように茂っていて、実に勇壮な趣である。
それを、どこにそんな力があるのだが、小柄な和尚が見事に立ち上げて縛り付けている。
「おやおや、そんな質問をされるとはの」
海真和尚は、楽しそうな笑みを浮かべる。
どのようなもこのようなも、寺という場所にはおおよそ不釣合いな金髪碧眼の持ち主であるジョーは、眉を寄せる。
寺、という性質上、節句は宗旨とは全く関係ないどころか、外れている部類だと思うのだが。
それを口にしたのは、理由が無いわけでもない。
どう逆立ちしたとて和尚の子供でも孫でもないと理解してから、問おうとして問えなかった答えを得たのはついこの間のことだ。
自分を長年監視していた男、アレクシス・デニス・ハーシェルを追い詰め、真実を吐き出させた。
あの日の自分が、どんな顔をして帰ったのか、自分でもわからない。
なにもかもに察しの良い和尚は、絶対に気付いていたはずなのに、なにも言わなかった。
ジョーの記憶にある限り、いつもと全く変わらぬ日々が続いている。
自分が引き取られたことで、和尚は相当に苦労をしたはずだ。和尚が言ったわけではない。だが、周囲は余計なことをいろいろと吹き込んでいくものだ。
自分が誰の子であるのか、ということ以外の状況は、だいたいお節介者たちの口から聞くことが出来ていた。
そして、先日知ったのが親の名だ。
父親はカール・シルペニアス、母親はキャロライン・カペスローズ。
ジョーにとっては、とても身近な名だった。
和尚がファンである、というのは嘘ではないと思う。
だが、ファンというだけで、他国に住む和尚がキャロラインの産み落とした子を引き取るようなことになるわけがない。
名と共にカールの思いと願いを伝えたアレクシスも、そのあたりは語ろうとはしなかった。
「それは和尚が語るべきこと」
の一点張りで。
そして今現在、和尚がそのあたりの事情を口にする気はさらさら無いのは見るだけでわかる。
ひとまず自分が出来るのは、自分がここに存在するせいで、宗旨と異なる物体を持ち込んでいるのではないかという疑問をぶつけることだけだ。
「まさか、わざわざ取り寄せてるんじゃないだろうな」
和尚が自分のことを、ことのほか大事に育ててくれていることは、誰に言われずとも知っている。だから、何故、ここにいるのかはわからなくても、自分自身を卑下するようなことなく生きてこられた。
ジョーにとっても、和尚は大事な存在だ。だからこそ、どうしようもない限りは余計な負担をかけたくはないと思う。
難しい顔つきのジョーに、相変わらずの笑顔で和尚は言う。
「檀家さんが持ってきてくださったのよ。誰かを呪うわけでなし、良い眺めであろうが、ほれ」
和尚の視線につられて、ジョーも顔を上げる。
風が吹いて、さらさらと笹の葉が揺れて涼しげな音をたてる。
「なかなか風流じゃあないか」
嬉しそうに、見上げている横顔へと視線を落とす。
もう一度、大きな竹へと視線を上げる。
眉間に寄っていた皺は、いつの間にか消えている。
ジョーがじたじたとしたところで、この泰然とした和尚は微動だにしないことを思い出したのだ。
「こんな立派なのを、良かったんだろうか」
「それよ、わざわざ立派なのをと選んでくださったそうな。大事にせんと」
どちらからともなく、顔を見合わせる。
「はい」
素直に頷いたのに、和尚の笑顔が大きくなる。
「そうそう、七夕といえば、ほれ」
「……ぜんっぜん違う映画を考えてるだろう」
楽しそうに和尚は笑い出す。
いつもそうだ。
なにかあるとは、あの映画を取り出してくる。
ジョーの名を冠した名の役をカールが演じる映画を。
そして、ツッコみつつも、ジョーも嫌いではない。
「コーヒー煎れてからだよな」
「当然」
もう一度、優しい音をたてる竹を見上げてから、二人の姿は寺の中へと消えていく。

額にかかった髪をかき上げながら、ジョーは立ち上がる。
窓越しの日差しに自分の髪がキラキラとするのが映って、軽く眉を上げる。
親の名を知ってからも、しばらくは金髪というのはこんな色なんだと思い込んでいたことを思い出したのだ。
実際のところは、プリラードでも至宝のと言われるほどに見事な色なわけだけれど。
その髪の色は『Aqua』全土探してもたった一人ですよ、と亮が言っていた。
そして、瞳の色は両親の色を見事に混ぜ合わせた色だと教えてくれた。
二人は、遠く離れてしまっているけれど、想いの証はここにある。
悪くない、と思う。



豪華絢爛という単語がぴったりのアレンジメントを見つけたなり、俊が不機嫌そうな声を上げる。
「おふくろ!あれほど言ったのに!」
「なにがよ?」
忙しく手を動かしたまま、佳代が振り返る。
「だーかーら、注文された値段以上のアレンジメントにするなって何度言ったらわかるんだよ!」
注文書を手に、不機嫌そのものの顔つきで俊は睨みつける。
クリスマスやバレンタインに比べればまだいい方だが、やはり七夕も忙しい。
他のイベントとの大きな違いは、和風のアレンジメントが増えるくらいのことだ。二人で切り盛りしている花屋は、修羅場と化している。
試行錯誤の末、佳代のアレンジメントの腕もすっかりプロになり、それなりに軌道に乗り始めたのは去年くらいのことだろうか。
それはそうとして、客の喜ぶ顔が嬉しくて仕方ない佳代は、なにかというと値段以上に花を入れてしまうクセがある。
採算だって見合わなくなるし、客だって分相応以上のモノが嬉しいとは限らない。
値段に見合っていて、他よりもキレイだというのが価値というものだ、という言葉が、すっかり俊の口癖になってしまっている。
で、今日もいつもの悪い癖が出た、とばかりに俊の顔は不機嫌だ。
「ちゃんと番号見たの?イチバン大きいのだったら店頭に出す分よ?」
言われて、俊は巨大といっていいアレンジメントの札を手にする。
いや、それはそのアレンジメントの札ではなかった。その隣の、こじんまりとしたものだ。
「あ」
やっちまった、と思うが、すぐにはた、とする。
「待て、こんなでかいもん飾ってどうする」
この店の客層は、ごくごく平均所得だ。
「ここ最近、家を出た東城の娘が花屋やってるってウワサ広げてるのがいるらしくてね」
やはり、アレンジメントする手を休めないままに返事は返る。
俊は、軽く眼を見開いて顔を上げる。
「そっちの客層は、買うならそれっくらいは最低ラインよ」
振り返った佳代は、笑顔だ。
「誰だか知らないけど、商売広げてくれるんだったらいくらでも歓迎だわ」
東城自動車が『Aqua』で最大の車メーカーである限り、天宮健太郎との結婚に失敗し、家を出た娘のウワサは続く。
それは、けして好意的なウワサではない。
理不尽だ、と俊は思う。
天宮健太郎の方は、なにも言われてはいないのに。
くすり、と笑ったのは佳代だ。
「きっと、おままごとやってると思ってくるわ、どうせなら鼻をあかせてやりたいわね」
どういう風に整理をつけているのかわからないが、自分よりもずっと佳代の方が落ち着いているらしい。
こうと決めたら肝が据わっているところのある佳代だ。
ならば、俊もそれに従うだけだ。
に、と笑い返す。
「そりゃ、当然だろ。んな胸糞悪い連中に付け入られてたまるかよ」
「よーし、やる気になったわね、ということで私はお届けモノに行くから、店頭頼んだわよ」
にっかり、と笑みが大きくなる。
「わかってると思うけど、今日は届け物がとても多いの。午前一杯は帰って来れないと思うから。その胸糞悪い連中に付け入られるもられないも、アンタの双肩にかかってるわよ」
「え?」
ぽかん、と口をあけた俊の肩を、ぽん、と佳代が叩く。
「コレ出来上がったら出発するから、頼んだわよ」
機嫌よさそうに言ってのけたかと思うと、続きのアレンジメントを仕上げ始める。
なんだか、すさまじくイロイロを押し付けられたような気がしつつ、俊は注文書へと視線を戻す。
なにはともあれ、間違いはヒトツも許されない、と肝に銘じながら。

眼を開けて、俊は思わず一人ごちる。
「あー、くそ、休みだってのに働かんでも」
家にいる時は、イベント時こそ忙しい日であったから、当然といえば当然なのだが。せっかく今は違うのに、とかなんとか考えつつ、躰を起こす。
カーテン越しの日差しからして、今日もいい天気らしい。
今日も今日とて、七夕にかこつけたお菓子とか買いに生かされそうだな、などと思いつつ、それも悪くないと思う自分に気付いて苦笑する。
今年も一人だが、上手く切り盛りしてるだろうか、と思いながら。



なにかある度に、そっと側にいてくれたのがフランツだった。
父親に懸想するあまりにその手を次々に血染めにしていく祭主公主のせいで、不穏な事件が起こる度に。
でも、今日は。
いつもの通り、訪ね来た時の約束ごとで二人して木登りしたものの、フランツは遠い空を見つめたまま、黙りこくっている。
その理由を、麗花は知っている。
ほんの二年前、麗花も同じ思いを味わった。
つい、先々月のこと。
桜の花弁が舞い落ち切ったのを待ったかのように、病の床にいたフランツの母親は息を引き取った。
半年前に病気がわかった時にはすでに手遅れで、それでもあらゆる手がつくされた結果だったから、国民の前では父王もフランツも必要以上には悲しい素振りは見せていない。
でも、それは立場上、そうしなくてはならないからだということを、麗花は痛いほどに知っている。
「あのね、行けなくて、ごめんね。私も、桜様にはたくさん優しくしてもらっていたのに」
「いや、母からは気遣い無きようにと伝えてくれと言われているから」
こちらに顔を向けると、微かにだが、笑みが浮かんでいる。
その笑みを見て、麗花の眉が微かに寄る。
「プリンツェッスィン?」
不可思議そうに、フランツの首が傾げられる。
「ねぇ、フランツ、質問するから正直に答えてくれる?」
真剣な視線に、ますますフランツの顔は不思議そうになる。
自分たちが父親を失った時、自分たちの前では朔哉は泣かなかった。目が溶けそうなほどに泣き続ける麗花の側にただ、ずっといてくれた。
雪華も、フランツも、カールもだ。
あれから、随分してから気が付いて朔哉にこれから問おうとしていることを口にした時に、言われた答えを良く覚えている。
「そうだな、こういう立場にいる以上、泣くってのにも慎重にならなきゃならないってのは確かだよ。でも、そんな立場でも泣くところを見られていい人間がいるのなら、そりゃ幸せなことだよな」
朔哉にとって、それが誰なのかを麗花は良く知っている。
きっと、たった一人の前で朔哉は泣いたのだろう。
そして、彼女はそれを受け止めて、おくびにも出さないだけの度量がある。
朔哉は、彼の言うところの幸せな立場なのだ。
もちろん、フランツにはカールがいる。
複雑な事情を越えて、大事な親友のような立場なことは知っている。でも、カール自身、複雑な立場に置かれている以上、今回のことでは大きくは踏み込めないに違いない。
麗花が、フランツにとってそんな存在になれるのかどうかはわからない。
ただ、フランツがそうしていないことだけは、感じられる。
痛いほどにわかる。それだけだ。
「ね、ちゃんと、泣いた?」
フランツは、ひどく驚いた表情になる。
「朔兄に教えてもらったんだけどね、朔兄やフランツの立場の人間は泣くにも状況を見極めなきゃダメなんだって。でも、もしも誰か、そういうの受け止めてくれる人がいるのならば、少しは楽かもって」
朔哉に教えられた、と聞いて、納得がいったのだろう。フランツは微かに頷く。
「それが、国を背負うということだから」
ぽつり、と呟いて、また、視線は空へと投げられる。
静寂が訪れて、場を支配する。
いくらかの、時が過ぎて。
「……プリンツェッスィン、もしも……」
よほど気をつけていなければ、隣にいても聞こえないほどの声だったけれど、麗花にははっきりと聞こえる。
無言のまま、木の幹に下されている手に、自分の手を重ねる。
「私、強くなるから。だから……」
いつの間にか、上にあったはずの麗花の手は、少し大きな暖かい手に包み込まれるように握り締められている。
フランツの視線は、相変わらず遠い空を見つめたままだったけれど。
つ、と細い筋が、頬を伝っていく。
「父のことを思ったら、泣けなかった。カールの立場を思ったら……」
後から、後から。
「うん、うん……」
ぎゅ、と手を握り返す。
そこには、確かなぬくもりがあって。
麗花の眼からも、一緒に涙が溢れ出す。
ぼろぼろと、とめどなく。
どのくらい、そうしていたのか、相変わらずいくらか滲んだままの瞳を合わせて、どちらからともなく微笑む。
「二人だけの、秘密ね」
麗花の言葉に、フランツの笑みが微かに大きくなる。
涙を拭いて、しばらく風に吹かれていると。
「いつまで木の上にいるんだよ、日干しになっちまうぞ!」
朔哉の明るい声が飛んでくる。
「はーい」
返事を返して、もう一度顔を見合わせる。もう、涙の後はどこにもない。
にこり、と微笑みあって。
「朔兄、いくよーん!」
「よーし、来い!」
両手を広げた朔哉と、眼を丸くする顕哉と。
思い切り良く幹から飛び降りて、兄の手へと飛び込んでいく。

起き上がって、自分の目に涙が浮かんでいることに気付いて、麗花は慌てて拭く。
言い出したのは自分だったから、十年前がどんな七夕だったのかはよく覚えていたのだけれど。まさか、皆で遊び出す前のことをこんなに克明に思い出すとは。
「うう、墓穴」
呟きつつ、カーテンを開く。
窓ガラスに向って、に、と笑ってみる。
もっとも、皆で遊んだことを思い出したとしても泣かない自信は無いのだけれど。



「笹がない!」
挨拶も何もなしでいきなりの麗花の声に、カウンターの向こうの亮も、カウンターで朝ご飯を片付けていた俊も、汗を流し終えた忍も、新聞へと視線を落としていたジョーも、お茶を楽しんでいた須于も、一斉に視線を向ける。
今にも泣き出しそうな顔をしていることに、当人は気付いているのかどうか、もう一度言う。
「お願い事飾る、笹が無いよ」
誰からともなく、顔を見合わせる。
「たしかに、七夕といえば笹だけど」
と、忍。
ジョーが、軽く首を傾げる。
「今からで手に入るものなのか?」
「いや、予約でもしてないと難しいぞ」
俊が、首を横に振る。
須于も、首を傾げてしまう。
「それは、困ったわね」
「ヒトツだけ、心当たりが」
最後に口を開いたのは、亮。
「少しだけ、待っていていただけますか」
携帯を手に、廊下へと出て行くのを、五人は無言のままで見送る。
扉が閉じてから、誰からとも無く顔を見合わせる。
「亮の心当たりっていったら、ヒトツだよね?」
と、麗花。現金なことに、すでに顔は期待した笑みが浮かんでいる。それに苦笑しつつ、忍が頷く。
「健さんだろうな」
「うーわー、権力濫用だな」
俊が肩をすくめ、ジョーが難しい顔になる。
「いいのか」
「さぁ、でも亮はもう、連絡取っちゃってるわよね」
いくらか困惑の表情で須于。
期待と申し訳なさの入り混じった表情が、扉へと集中する。
その、扉の向こう側で、亮は携帯を手にする。
十年前と変わらず、数少ない登録番号のヒトツを選び出し、呼び出す。
『おう、どうした?』
やはり、ほとんど待つこと無く、聞き慣れた声が返ってくる。
あの頃よりも、更に多忙になっているはずなのだが。
口元にほろ苦い笑みが浮かんでくるのを感じつつ、口を開く。
「申し訳ないのですが、お願いがあります」
『お願い?……ああ、もしかして』
どうやら、今回は健太郎にも予測がついたようだ。
「ええ、そのもしかして、です」
『了解、どこに届けとこうか?』
「そうですね」
首を傾げてから、自分の思いついたことに、軽く眼を見開く。
だが、そう悪くない考えのような気がする。気のせいではないといいが、と思いつつ、そっと口にしてみる。
「もしもよろしければ、天宮の屋敷をお借り出来ませんか?時間が合うようでしたら……」
『お、そりゃいいな。今日は残業無しだ』
すぐに、ひどく弾んだ声が返ってきて、亮はほっとする。健太郎の声が続く。
『仲文と広人も呼んでいいんだろ?じゃ、時間は追って連絡するから』
そのまま、携帯は切れる。
微かな息を漏らして、亮は携帯をしまいこむ。
扉を開けると、五人の視線が一斉に集まる。
「笹は手配してくれるそうです。それから、天宮の屋敷を貸してくれるそうですので……」
「わーい、じゃ、健さんも来れるんだ!」
バンザイをしながら、麗花が笑顔になる。
「仲さんと広さんは?」
忍の問いに、亮は頷いて微笑む。須于も、笑顔になる。
「あら、ステキ。にぎやかになるわ」
「動員力に頭下がるぜ」
俊の一言に、ジョーが噴き出す。
とにもかくにも、にぎやかな七夕になりそうだ。


〜fin.

2004.07.11 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Milkyway Night〜


■ postscript

『星に願いを』直前話です。
こーんな前置きがあったのだったり、という感じで。


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