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夏の夜のLabyrinth
〜雨降り日和に傘ヒトツ〜

■白牡丹の庭■



ぱたぱた、と子供独特の足音が台所へと響いてきて。
ぴょこん、と俊が顔を出す。
「さかき、いる?」
「はい、おります。なんでございましょう?」
ほんの四歳の子供相手だろうと、天宮家執事である榊は敬意を持った態度を崩さない。
幼い俊から見れば、年齢など想像もつかないような老人なのだが、背筋はまっすぐだし声も張りがある。唯一ないのは、表情だけだ。
いつどんな時であろうと、感情を顔に表すということは絶対にない。
ともかく、その榊は、磨いていた銀のスプーンを置いてこちらへと向き直ろうとしているのを見て、俊は、ぱっと掌を広げる。
父親である健太郎がよくやっている、軽く手を上げて、そのまま聞いてさえいればいい、と合図するのの真似だ。
仕事の邪魔をしないように、と言い聞かされているので、子供ながらに気を使ってみたわけだ。
もちろん、父親の何気ない合図と、榊のす、と軽く頭を下げる様子がかっこいいのとで、マネしてみたかった方が大きかったりもするのだが。
察しの良い榊は、バイバイでもするのではないかという俊のもみじの手が、なにを意味しているのか気付いたようだ。
健太郎にするのと同じように、す、と軽く頭を下げると、磨いていたスプーンを、磨き始める。
「あのね、おとうさん、きょうは、なんじにかえってくるの?」
「健太郎様でございますか」
「うん、きょうはね、はやくかえるからね、ぼくといっしょに、ひこうきつくろうねって、やくそくしたの」
財閥総帥と総司令官を兼任するようになってからの健太郎は、いつ休むのかというほどに忙殺されているが、それでも週に一、二回は早く帰って、俊と一緒に過ごすことにしているのは、榊にもよくわかっている。
そして、今日はその日、だということも。
「そうでございますね、榊は『早めに帰る』としか、聞いておりませんが」
あからさまに、がっかりした顔つきになってきた俊が、可哀相に思ったのかどうか、榊は付け加える。
「そのようにおっしゃいます時には、だいたい十八時頃にお帰りになることが多いと存じております」
言われた俊は、ぱちくり、と目を瞬かせる。
二桁で時間を言われたので、理解出来なかったのだ。
台所にある、大きな時計を見上げる。
にらめっこしてみたところで、わからないものはわからない。
「みじかいはりが、どこにいったとき?」
「はい、六のところに行った時でございます。ただ、ぴったり、とはいきますまいが」
それは、さすがに俊にもよくわかる。
こっくり、と大きく頷く。
「あのね、さかき、おねがいがあるんだけど」
「なんでございましょうか?」
今度は、磨いていたスプーンを置く。
「おとうさんがかえってきたらね、いっちばんさいしょに、ぼくにおしえて」
「かしこまりました」
丁寧に礼をする。
本当ならば、いちおうの女主人たる佳代に伝えるべきなのだが、今日は友人の夕食会に誘われていて不在だ。
「ぜったいだからね」
にゅ、と小指が差し出される。
榊は、表情こそ変わっていないが、凍っている。なんで小指が目前出されているのか、判じかねているらしい。
俊は、さらに小指を差し出す。
「ゆびきりだよ」
「私と、でございますか」
「うん、さかきとやくそくするんだもん」
「では、僭越ながら」
そっと、指が絡められる。それを、俊ががっちりと掴むとぶんぶんと振りながら言う。
「ゆーびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼん、のーますッ!」
ぱ、と指を離すと、にんまり、と笑う。
「やくそく、したからね!」
明るく言い残すと、台所から走り出ていってしまう。
その後姿を見送ってから、相変わらず無表情のまま、スプーン磨きの続きを始める。
幼い頃の健太郎にそっくりの姿に、なにを思ったのかはまったく伺えない顔つきで。

そして、待ちに待っていた十八時よりも、少々早めに健太郎は帰宅した。
約束どおり、榊に帰宅をおしえてもらって、俊は急いで健太郎の部屋へと走っていく。
扉が、薄く開いたままなので、その隙間から部屋へと入っていく。
「おかえりなさー……?」
言いかかった言葉は、途中で立ち消える。
帰ったはずの父の姿が、ない。
部屋へ入った、と榊に教えられたのに。
慌てて、きょろきょろと辺りを見回す。
間違った部屋に来たわけではない、というのは一目瞭然だ。でも、姿はない。
きょろきょろとして、窓が開いていることに気付く。
大きな窓が、ゆるやかに風に揺れている。
ぱたぱたっと走り寄って、窓の外へと顔を出してみる。
俊の顔が、ぱっと輝く。
確かに、父親はそこにいる。
そのままの勢いで側に走り寄ろうとして、はっとする。
外は、雨が降っているのだ。
どしゃ降りではない。
でも、さらさらと、全てを湿らせるような、柔らかな雨が休むことなく。
その雨の中、父親は、なにかの前に膝を付き、じっと見入っているらしい。
いつも、風呂上りに言われていることを、思い出す。
ちゃんと拭かなきゃ、風邪をひくよ。
それは、父親とて同じことのはず。
俊は、窓から顔を引っ込めると、くるり、と方向を転換する。
玄関ロビーまで走り出て、そこにある、父親の傘の柄を掴む。
引っ張りあげようとするが、大きすぎてつっかかる。右へ、左へとくるくる回してみるが、結局のところは背が足りてないわけで、どうやっても持ち上がらない。
「ううー」
あと、ほんの少しなのに。
このままにしといたら、父親が風邪をひいてしまう。
傘立てが倒れれば取り出せる、とは思うけど、重厚な造りのはそれも難しい。
はた、と気付いて、傘立てから出ている一番下を掴んでみる。
「わわわっ!」
上の方に重心がいったせいで、こちらへと傘は倒れてくる。
勢いで、俊も尻餅をついてしまう。
「俊様、どうなさいました?」
玄関の物音に気付いた榊が、なにごとか、と尋ねる。
が、そちらを見向きもせず、俊は健太郎の傘をひっぱるようにして走っていく。
「いいの、これ、いるの!」
俊が父親の部屋へと戻ると、まだ、中へと戻ってきた様子はない。
ずるずる、と引きずったまま、俊は外へと出る。
持ち上がらない大きな傘を、そのままに、ワンタッチのボタンを押す。
ガリガリ、と、ざざざざ、という盛大な音と共に、盛大に傘は開く。
「俊?!」
さすがに、この物音には気付いたらしく、健太郎が振り返って小走りにこちらへとやってくる。
傘に引っ張られるようにしてコケた俊は、膝小僧をなでながら、やっと自分がしてのけたことに目が行く。
金具にきっかかれた庭土はぼこぼこになっているし、傘自体も土だらけだ。
部屋の中はといえば、傘の先を引きずったせいで、みごとに絨毯に痕がついている。きっと、玄関からこうに違いない。
これでは、イタズラしてるのと変わりない。
ごく側まで、なにごとかという顔つきでやってきた健太郎に、なんと言っていいかわからずに、しどろもどろになる。
「あ、えっと……」
何事があったのか、健太郎には見ただけでわかったらしい。
くすり、と笑うと、俊の顔を覗き込む。
「ひざ、大丈夫か?」
「うん、いたくないよ」
「傘持ってきてくれたのか、ありがとうな」
頭にのせられた手は、雨の中にいたせいか、どこかひんやりとしている。
怒られないどころか、しようとしたことに礼を言われて、俊はくすぐったそうな笑顔になる。
それから、首を傾げる。
「なに、みてたの?」
「ん?牡丹だよ、ほら」
と、健太郎は庭の一角を指してみせる。
満開に咲き誇る牡丹は、随分と日が落ちてきた中でも浮き上がるように美しい白だ。
「近くで見ると、本当に綺麗だぞ」
言いながら、健太郎は俊の持ってきた傘を持ち上げる。それから、俊を抱き寄せるように傘に入れてやる。
二人で、さっきまで健太郎がいたあたりへと、行ってみる。
なるほど、確かにすごい。
幾重にも重なる花びらは、透き通るような白さ。なのに、派手さは感じさせない。
不思議と、魅入られる。
目を大きく見開いて、じっと見つめている俊に、健太郎は笑顔を向ける。
「俊、白い牡丹、好きか?」
「うん、すき!すごく、きれいだから!」
「そうか」
くしゃくしゃっと俊の頭をなでた後。
「あのな、俊」
顔を覗き込んできた表情は、いつになく真面目なもの。
俊も、笑顔を消す。
真剣な話をしようとしているのだ、と躰で感じたから。
「きょうだい、欲しいか?」
「きょうだい?」
「そう、弟とか妹とか」
ぱっと、顔が輝く。
同じ年の友達には、みんな、お兄ちゃん、お姉ちゃんか、弟、妹のどれかがいる。
何人も、たくさんいる子もいる。
内心、羨ましくて仕方なかったのだ。
「うん、欲しい!」
「もし、出来たら、仲良くしてくれるか?」
俊は、大きく頷く。
「うん、すっごくすっごく!」
「そうか」
健太郎も、にこり、と微笑む。
俊は、小指を差し出す。
「ぼく、やくそくするよ」
「指切りしてくれるのか?そりゃ頼もしいな」
言いながら、健太郎は小指を絡める。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら、針千本、飲ーます」
一緒に歌って、指を離してから。
イタズラっぽい笑顔で、俊の顔を覗き込む。
「もうヒトツ、約束してくれるか?」
「なぁに?」
「佳代さんには、ヒミツ」
どこか、不思議そうに、ひとつ、ふたつ、瞬きしてから。
「おとうさんと、ぼくと、ふたりだけの、ひみつ?」
「そう、二人しか知らないヒミツ」
「うん、いいよ。カッコいいね」
俊は、また、大きく頷く。
「ありがとうな」
くしゃ、と頭をなでてから、立ち上がる。
「ようし、今日は一緒に風呂入ろうな」
「ホント?!やったー」
はしゃぐ俊を傘からはみ出さないようにしながら、健太郎はゆっくりと歩いていく。
部屋へと戻ると、コトを察した榊が傘を受け取るべく、控えめに立っていた。
慣れた様子で、それに傘を渡してから、俊に笑顔を向ける。
「自分で、お風呂の後の着替え、取ってこれるか?」
「うん、できるよ」
得意そうに頷いてみせる俊の頭を、また、なでる。
「よーし、すごいな、じゃ、お風呂の前に集合!」
「はーい!」
笑顔で走っていく俊を見送ってから。
まるで、凍りつくように、その顔から笑みが消える。
「体調が整い次第、亮を屋敷に迎える。必要な準備は、後で指示する」
「承りました」
榊は、まったく表情を変えずに頭を下げ、部屋を下がる。
健太郎は胸ポケットに入った小さな煌きを二つ、そっと握る。
暗い炎、とでも言うべき笑みが、その顔に浮かぶ。
が、その笑みも、すぐに溶けるように父親のモノへと変わり。
部屋を出る。


〜fin.

2003.04.27 A Midsummer Night's Labyrinth 〜In white peony bloomy garden〜


■ postscript

コンビ投票の時に、入ったのを見た瞬間に思いついた話。
パパ大好き!な俊が、書いてて楽しかったです。亮の体調が整うには、まだ一年近くかかるわけですが。


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