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夏の夜のLabyrinth
〜雨降り日和に傘ヒトツ〜

■温暖的手(wen nuan de shou)■



朔哉、光樹、一樹の三人が顕哉を交えて麻雀に興じている脇で、実に大人しく本を読んでいた雪華が顔を上げる。
「雨」
ぽつり、とした声だったが、すぐに朔哉が反応する。
「おっと、いけね」
言ったなり、脇に置いてあった子供が使うにしては大きめの傘を引っつかんで窓を開ける。
「ちょっと行ってくるから、後頼むわ」
ひらひら、と手をふると、あっという間に飛び出して行ってしまう。
「止める間もありゃしない」
肩をすくめたのは一樹。光樹も、苦笑を口元に浮かべる。
「止められるってのは、思考内にないんだよ」
「止めても無理。麗花が外だから」
また、ぽつり、と雪華が口を挟む。
周囲に神童などと大騒ぎされたせいか、とんと口数が少なくなってしまった。
ぽつり、ぽつりとでも口を開くのは、このメンツの前だけだ。
「というわけで、顕哉、がんばるんだぞ」
ぽん、と一樹が左肩に手をやる。
反対側には、光樹の手だ。
「そうそう、お前の演技力が試されるからな」
光樹と一樹にとって、朔哉たち兄弟は主家にあたるわけだが、こうして一緒に遊んでいる時には尊敬語の類は一切無し、と朔哉が決めた。
なので、その弟妹である顕哉と麗花も、自分たちのと変わらぬ扱いなのだ。
その点は、顕哉も麗花も文句はない。
ただ一点、顕哉には、言いたいことがある。
「なんで、僕?!」
「だって、俺ら、朔哉とはあまりに声が違いすぎるもんなぁ」
「そうそう、やっぱり兄弟だけあって、顕哉は朔哉の真似、上手いよな」
うんうん、と二人して頷きあう。
「んもう、いつもそうやって……」
子供のわりになにかと理屈くさいのは、兄とその友人たちが、時に無鉄砲と思えるほどに行動力があるせいかもしれない。
が、ウルサイものには変わりない。
なにげなく、一樹が雪華へと向き直る。
「今日は、雪華は一緒に行かなかったのか?」
城下散策のことだ。
朔哉が、なにかと城を抜け出すのを知っている麗花は、顕哉とは違って、最初からついて行きたがった。
この頃は、朔哉たちの面倒をかけず、雪華と二人して出かけることが多かったはずなのだが。
「一人で行きたい、と言った」
電文調に、ぼそり、と答える。
「そう、それで、兄上もいいって言うし!」
顕哉は、そのことについても言いたくてたまらないらしい。声を荒げる。
「王家の者っていう自覚が無さすぎるよ!なんかあってからじゃ、遅いのに!」
「麗花は、自分のことは自分で守れる」
珍しく、強めの口調で雪華が反論する。
「馬鹿な真似はしないと、朔哉と約束もしている」
なるほど、たった一人と言っていい親友と、たった一人自分よりも実力が上と尊敬している朔哉を疑っているとも取れる発言に、むっとしたらしい。
まっすぐに顕哉に向き直る目付きも、いつもよりぐっと強い。
気圧されたように、顕哉は小さくなる。
「あ……そ、そうだな」
ぽんぽん、と雪華の頭をなでたのは光樹だ。
「そうだな、朔哉との約束を破るような麗花じゃないよ」
「顕哉も、わかってるけど心配なんだよ」
一樹も、にっこりと笑う。
少し、頬を染めて雪華は視線を逸らせる。
「わかっている……ちょっと、ムキになった」
ぽそり、とつぶやくと、また、本へと目を落とす。
一樹と光樹は、どちらからともなく顔を見合わせる。
先に笑みを浮かべたのは一樹だ。
なにをしても、神童と騒がれたゆえに、雪華はなにがあってもほとんど反応を示さなくなってしまった。兄たちとでさえ、比べられるのを嫌ったのだ。
でも、それをすれば自然と感情も押し殺される。
まるで、人形のように無反応になった一時期は、なにも言わなかったが誰もが心配した。
それが、ここ最近は身内の前だけとはいえ、口もきくようになったし、こうして大事な者の為なら感情を動かすようにもなってきた。
誰がなんと言おうと、態度を変えなかった朔哉と麗花のおかげ、といっても過言ではない。
実兄である光樹でさえ、あまりに比べ続けられた一時期は、さすがに面白くないと思ったのだから。でも、それも普通の感情を持ち合わせている人間ならば、無理も無い。
八歳差もあるのに、武術も知識も互角だと言われ続けたのだから。
雪華は賢いと言われるだけはあって、周囲の空気にも敏感すぎるほど敏感だった。
武術も勉学も、本格的な訓練から手を引こうとした時に、無鉄砲をしてのけたのは麗花だ。
雪華をして、やっとのことで救い出した麗花は言ってのけた。
「私の無鉄砲を止めたり守ったりしてもいいのは、朔哉兄と雪華だけなんだから」
たっぷりと一分は考え込んだのち、雪華は答えた。
「麗花が無鉄砲する頃には、朔哉はとうに暴走してる」
そんなわけで、雪華は武術も勉学も放棄しなかったし、朔哉周辺の数人の前では、ぽつりぽつりと口をきくようにもなった。
こんなにしたのは俺のせいだ、と朔哉と一樹の前で、初めての弱音を吐いた光樹も、微笑んでみせる。
二人とも、雪華の反応の方に気を取られていて、顕哉がぽつりと呟いた言葉には気付かなかった。
「なーんで、兄貴ばっか……」
雪華を救うのも、こうして雨が降ってきたとわかった瞬間に麗花を迎えに行くのも。
顕哉が、やりたくても出来ないことも、さらりとこなしてしまうのだから。

雨を睨みつけてみたところで、どうしようもない。
いきなりの土砂降りは、容赦なく地面を叩きつけている。別に、濡れるのなんて平気だ、と思うのだが、どうしても足がすくんで動かない。
麗花は、ぎゅ、と唇を噛み締める。
理由はよくわかってないのだが、雨は憂鬱な感じがして嫌いだ。
なんかこう、嫌なイメージがある。ともかく、生理的に受け付けない、というヤツだ。
自分の目の端に浮かんできた涙を、きゅ、と拭く。
こんなのに負けない、負けたくない、と気持ちだけは思っているのに。
どうしても、どうしても、足が動かない。
浮かんできた涙は、どちらかといえば自分に腹が立っているのだ。
拭いたのに、また浮かんできて、麗花はちょっとうつむく。
と、不意に影が落ちる。
「麗花に睨まれたら、俺が雨でも意地悪したくなっちゃうなぁ?」
大きな傘の下から微笑んでいるのは、朔哉だ。
「朔哉兄!」
大きな目を、さらに見開く。
「どうして、ここ、わかったの?」
にやり、と朔哉は笑みを大きくする。
「当然だろ、麗花のこと、俺好きだもん」
ぐ、と手を掴む。
「ほら、帰るぞ」
「うん」
素直に笑みいっぱいに頷いて、麗花も、きゅ、と朔哉の手を握り直す。
ほんのりと、暖かい。
「ね、好きだとわかるの?」
「そりゃそうさ、好きってのはすごいんだぞ」
にこり、として、麗花の顔を覗き込む。
「麗花だって、雪華のこと好きだろう?」
「うん、大好き!」
満面の笑みで答えてから、少し考えて、頷く。
「うん、そっか、好きだとわかるねぇ」
「嫌いなヤツのことなんて、知りたいと思わないからな」
うんうん、と大きく頷き返しながら、麗花は尋ねる。
「朔哉兄は、父上も母上も、光樹兄も一樹兄も顕哉兄も、雪華も好き?」
「当然、アファルイオの皆、好きだよ。北方で、自分たちの主張をちゃんとがんばっている人たちのことも、俺は好きだ」
なにかと反乱を続ける北方民族のことだ。
「でも、戦うの?」
「主張するのと、殺していいのとは違う。きちんと話し合えば、分かり合える人たちもたくさんいるんだよ」
もう一度、麗花の顔を覗き込む。いつになく、真面目な顔で。
「麗花も覚えておいてくれよ、北が騒がしくなった時、まずすべきなのは戦じゃない、話し合いだ」
こくり、と大きく目を見開いたまま、麗花も真面目に頷き返す。
「ただ、彼らは大地を慰撫できるのは、力と思ってるからな。彼らを殺す為で無く、慰撫する力を示す為の軍隊は必要だけど」
「むずかしいんだねぇ」
小首を傾げる麗花の頭を、ぽふぽふと撫でる。
「そうだな、でも、アファルイオの人皆が、楽しく過ごせるようにしないとな」
「うん、私も雪華も手伝うからね」
「頼もしいなぁ」
朔哉の笑みが、大きくなる。
「じゃあ、麗花と雪華のことは、俺がなにがあっても守るよ」
「ホントぉ?」
ぱ、と麗花の顔が輝く。
「当然、ルシュテット式に『約』してもいいぞ」
「お、強く出たなぁ、『約』してもらっちゃおうかなー」
父の学友であるフリードリヒが皇王であるルシュテット皇家とは、頻繁に行き来がある。自然と、ルシュテット文化にも馴染みは深い。
す、と朔哉は胸元に手をあて、雨の中、膝を付く。
「俺、孫朔哉は、なにがあろうと麗花と雪華を守ることを『約』します」
幸せそうな笑みが、麗花の顔に浮かぶ。
立ち上がった朔哉の腕に、ぎゅっとしがみつく。
「朔哉兄、だーい好き!」



雨嫌いの麗花が、頑なに主張したにも関わらず。
やはり、またも、雨が落ちてきている。
「やーっぱり、きたー」
少々得意気な声で言いながら傘を広げたのは、絶対今日は降る、と主張した顕哉だ。
むう、と一番最後に母親の墓所から出てきた麗花が、頬を膨らませる。
雨は降らない、と主張してやまないあまりに、一人、傘を持たずに来たのだ。
朔哉も、微かに苦笑を浮かべつつ傘を広げる。
「ほら、入れたげるから」
その声は、ヒトツではなかった。
珍しく、顕哉も手を差し出している。
麗花は、なにごとか、というように目を見開く。
こういう時は、いつも朔哉だけが、そうしていたのに。
朔哉も驚いたらしい。おやおや、という顔つきになっている。それから、先だっての雨の日に麗花を迎えて帰って来てから、雪華がぽそり、と教えてくれたことに思い当たったらしい。
ははぁん、という顔つきへと代わり、また、麗花へと向き直る。
弟が対抗してようが、『約』は絶対だ。
朔哉という人間として、そこらは譲れない。
「おいで、麗花」
兄らしい頼もしい声に、顕哉はぐ、つまったような顔つきになる。が、珍しく、強気の声を出す。
「たまには、僕だっていいだろ」
麗花は、二人を見比べる。
だいたい、何事が起っているのかは、察しがつく。
ここで、いつも通りに朔哉について行けば顕哉を傷つけるし、顕哉についていけば『約』を朔哉に破らせたことになる。
微妙な場面だ。
麗花は、腰に手を当て、むう、と頬を膨らませる。
「ちょーっとお二人とも、気の使い方がなってないんじゃぁなくて?」
へ、という顔つきになったのは、兄二人ともだ。
「仕方ないわね、私が女の子への気の使い方ってのを教えてあげるわ、あらゆることを検討すべきなんだってことをね」
麗花はかまわず、ちょい、と自分の服の裾を持ち上げる。
「はい、今日の私の格好は?」
その単語で、朔哉には麗花がなにを言いたいのか理解できたらしい。
笑みを大きくする。
「失礼しました、お嬢さん。この傘をお使いください」
ひょい、と大きな傘を麗花の手に持たせる。
そして、顕哉には見えない角度で、麗花の頭をくしゃくしゃっと撫でて、そっと言う。
「賢い、それでいい」
にっこり、と満面の笑みを、麗花も浮かべる。
手で雨を避けながら、朔哉は顕哉へと振り返る。
「おい、傘入れろ」
「あ、うん」
戸惑いつつも、顕哉は大人しく朔哉を傘に入れる。
「そうそう、よく出来ましたっ、これで、私のお気に入りのスカートも濡れないってわけよ、わかる?」
戸惑った顔つきのまま、振り返った顕哉に、麗花はちちち、と指を振ってみせる。
「なるほど、そこまで気付かなかった、ごめん」
素直に謝る顕哉の頭を、朔哉はくしゃくしゃっと撫でる。
「いいじゃん、これでヒトツ、二人とも賢くなった」
それは、朔哉も気付いていなかった、という意味。顕哉も、照れ臭そうに嬉しそうに笑う。
「ん、将来役立つかな」
「おう、女の子にヒトツ、モテる要素が増えたってわけだ」
後ろからついて歩きながら、麗花は大きく頷く。
「女の子のことで困ったら、まず私に相談するのが筋ってものよ、お わ か り?」
「はーい」
兄二人の声が揃う。
くすくすと、麗花は笑う。
多分、朔哉はどうすべきか知っていたし、麗花がどうにも選べずに困惑しきったら顕哉に譲る気でいたろう。
でも、麗花がそれを思いつくことを、望んだのだ。そして、彼女なら出来ると、信じてくれてもいた。
まだまだ、顕哉は朔哉には敵わないらしい。
でも、こうやってヒトツずつ。
顕哉も麗花も、朔哉に教えられていくのだろう。
「はやく戻って、オヤツ食べようよう!」
麗花は、はしゃいだ声をあげる。


〜fin.

2003.08.21 A Midsummer Night's Labyrinth 〜wen nuan de shou〜


■ postscript

『脱走麗花を雨の中迎えに行く朔哉』、『雨の墓参り帰りに、兄二人が相合傘所望』という二つの投票結果と、その他アファルイオ絡みの投票よりというおことで、二樹も雪華も一緒です。
アファルイオの周辺も、書いてて楽しいです。


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