炎は虹に氷は風に/甘い物

今日の捜査報告を急いでまとめ終えないと、あと三十分で捜査会議だ。
駿紀は軽く眉を寄せつつ、急いでキーボードを叩く。
「おう、隆南、随分と頑張ってるな」
背後からの声に、弾かれるように顔を上げると、のんびりした顔つきで捜査一課殺人担当班中でも鬼班長として知られる木崎が覗き込んでいる。
「え、あ、はい？」
木崎の班は、いま大詰めの捜査中のはずだ。なのに、こんな場所でのんびりとした顔つきとはいかに。
怪訝な心持ちで駿紀が見上げると、木崎は笑顔のままで周囲を見回す。
「今日は随分とまた、皆張り切ってるなぁ」
「そのようですね」
確かに、課内の机は軒並みがらん、としている。
「ま、こういう時こそ息抜きも大事だ、ほれ、食え」
ぬ、と差し出されたのは、木箱に入った大変に高級そうなどら焼きだ。
「いいんですか？」
「俺がいいと言ってるんだから、いいんだよ」
木崎は捜査に対する姿勢のまっすぐさ、部下に対する態度の厳しさ、そしてコトの他甘い物好きで知られていることは、駿紀も承知している。
が、唯一の気分転換である甘い物を他課のほぼひらたる巡査長におすそ分けとは、よほど機嫌がいいらしい。
もしかしたら、発表されていないだけで、事件は無事解決をみたのかもしれない。
駿紀は、木箱に丁寧におさめられているどら焼きをひとつ、手にする。
「ありがとうございます、じゃ、遠慮なく」
「七曜と言えば七曜餅だが、俺はこのどら焼きも名作だと思うね。求肥の感じが、なんともいえずいいんだ」
嬉しそうに語るのをみながら、ありがたく包みをあけてぱくつく。
「美味いです」
素直に笑顔になる駿紀を、木崎も笑顔で見つめている。
「そうか、美味いか、良かった良かった」
こうして見ていると、鬼班長が人の良いおじさんに見えてくるから不思議だ。
ちょうど小腹が空いてきたところでもあったし、木崎の差し入れはナイスタイミングだった、というわけでもある。
ほぼ半分ほど食べ終えたところで、木崎は、相変わらずのんびりと首を傾げる。
「ところで隆南、今度の人事、聞いてるか？」
「いえ、まだ発表ではないと思ってましたが」
木崎は、軽く頷いて肯定してから、口の端に笑みを浮かべる。
「でもま、ぼちぼち結果も出て、移動も決まる頃ってのはわかってるだろうが」
「そうなんですか？俺、本庁来てから初めてなんで」
素直に眼をぱちぱちとさせている駿紀に、木崎はおかしそうに目を細める。
「ああ、そうだったな。じゃ、嬉しいニュースを俺が教えてやろう」
もしかして、と心では思うが、口にはしない。
「今回の人事で、巡査部長昇格だ、おめでとう」
「ありがとうございます！」
どら焼きを握り締めながら頭を下げても、いまいち決まらないのだが。
好々爺風に眼を細めていた木崎の眼光が、いくらか鋭くなる。
「昇格するってことは、それだけ責任も増すってことだ、ますます頑張れよ」
「はいっ」
「いい返事だな」
また、好々爺に戻ってしまった木崎を、内線が呼び出す。
「木崎だ」
受話器を取った目付きは、鬼班長のモノだ。入った電話は事件に関わるものだろう。
横目で見つつ、駿紀はどら焼きを食べ終え、外装をゴミ箱へと捨てる。
相手の報告を、いちいち頷きながら聞いていた木崎は、真面目な顔つきで電話の相手へと告げる。
「ああ、大丈夫だ、俺含め増援を出す」
その言葉を最後に受話器を半ば放るように置き、駿紀へと向き直る。
「隆南、もうヒトツ教えてやる。今日からお前、俺の部下だ」
「ええ？！」
驚いて飛び上がるように立ち上がった駿紀に、にやり、とした笑みを向ける。
「銃を携帯して、すぐに降りろ。車あるな？」
「待ってくださいよ、あり得ない！こちらの報告書だって、まだ」
実に急で一方的な展開に、さすがに駿紀は抗議の声をあげる。
「事件解決が先！どら焼きのカリ返すつもりで死ぬ気でやれ！」
「んな無茶苦茶な！」
言いながらも、体は反応している。素早い動作で拳銃をおさめ、木崎に続いて走り出す。
「文句なら、時間さえ出来たらいくらでも聞いてやる」
捜査一課、しかも鬼班長の異名をとる木崎の部下となったら、暇な時間などあるわけがない。
一方的に下されたどら焼きは、どうやら甘い罠であり、そして多大なカリへと化けたらしい。
「あーくそ、たっけぇどら焼きだな」
思わず呟いた駿紀の声に、先に走る木崎はにやり、と笑う。
交番勤務時代から目をつけていた部下を手に入れ、今日の事件は必ず解決する、と確信を感じながら。
無論、そんなことを駿紀が知る由もない。

捜査一課配属初日のこの事件で、隆南駿紀はその俊足を課内に知らしめることになる。

～fin.

2004.03.01 LAZY POLICE ～Sweets～