□ 約束 □
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思わず見入った視線に、笑顔が振り返る。
「トシ、アレ欲しいのか?」
「え?!いやっ」
慌てて駿紀は首を横に振るが、父である裕紀は楽しそうに笑みを大きくし、隣に並んで視線の高さを揃える。
「アレで走ったら、トシはすっごく速くなるよなあ」
駿紀が思わず見つめたのは、最近出回り始めたそれぞれのスポーツに合わせた靴だ。
陸上用とされるそれを履いて風のように走るポスターは見慣れているが、ホンモノは初めてだ。普通のよりもずっと軽くてクッションが良いのが見た目でもわかる。
一目で惹かれた。
裕紀の言う通り、あれを履けばもっと軽く走れると確信出来る。
それこそ、風になったような気分になるに違いない。
「今度の誕生日はアレにするか」
「いいよ」
もう一度、駿紀は首を横に振る。
あんな高いものに手が出るような家庭でないことは知っている。
両親が二人共、一生懸命に働いているということがわからない年齢ではない。
が、裕紀ははそんな神妙な顔をしてしまった駿紀を見て笑う。
「なーにワケわかったような顔になってるんだよ、これは俺たちの投資でもあるんだぜ?」
くしゃ、と頭を撫でながら言う。
「アレをやるから、今度の大会では風みたいに走ってくれよ?いっぱい抜いてるとこ見たら、そりゃ気持ちいいぞ。日頃の疲れなんてぶっ飛ぶね」
駿紀も、つられるように笑みを浮かべる。
「うん」
頷いてから、思い切り笑顔になる。
「約束するよ」
「おう、絶対だぞ」
指きりげんまんをして、それからまた、二人で歩き出す。

家に帰り着いて、引き戸を開けて、いつも通りのただいまの声に、母の聡美が顔を出す。
「おかえりなさい。楽しかった?なんかご機嫌ね」
「トシの誕生日プレゼント、決めたぞ」
靴を脱ぐよりも先に、裕紀が満面の笑みで言う。
「あら」
興味深そうに、聡美は眼を瞬かせる。
「なぁに?いいモノがあったの?」
「もう、これしかないってモノだよ」
じゃーんと口での効果音付で、裕紀は両手を広げてみせる。
「陸上用の靴!」
聡美の眼は、丸くなる。駿紀はやっぱり、と思い直す。いくらなんでも、あの靴は高過ぎる。
「あの、母さ」
言いかかった言葉は、あっさりと裕紀に封じられてしまう。
「あれを履いたら、トシは風みたいに速くなるぞ!」
まるで花が咲いたように、聡美の顔にも笑顔が浮かぶ。
「ステキ!じゃ、次の大会はもっともっと早く走れるね」
「そう、見たいだろう?」
裕紀の言葉に、聡美も大きく頷く。
「絶対、それがいいわ」
「な、風みたいに走るってトシとも約束したからな」
ぽんぽん、と頭を撫でられて、なんだか照れ臭くなる。聡美も、大きな眼をくるくるとさせながら駿紀の顔を覗き込む。
「お父さんとだけだなんてズルイわ。私とも約束して」
「うん!」
子供のようにはしゃぐ両親が嬉しくて、思い切りの笑顔で頷く。
絶対に絶対に、イチバンになるんだと心の中で誓う。
それは、焼きついたように記憶に残る二人の笑顔。

その年の誕生日。
飛ぶように走って帰った駿紀を迎えたのは、血の気が引いた顔のしづだった。
冷えきった手が、しっかりと駿紀の手を握り締める。
「裕紀と聡美さんが……」
逆走してきた自動車と正面衝突したの。
どういうことなのか、実感出来なかったけれど理解はした。
今すぐ病院へ、という言葉が続かない意味も。
不思議と、涙は一滴もこぼれ無かった。

あっという間に何もかもが終わってしまい、がらんとした部屋に、ぽつりと一人でいた時だ。
駿紀宛の荷物が届いた。
開けてみれば、丁寧に梱包された約束の靴。
サイズが無く、注文されたものだった。
機械的に手にして、左に小さなカードが入っていることに気付く。
それは、弾むような文字の両親からのメッセージ。
「誕生日おめでとう。今年も元気に迎えてくれて、これほど嬉しいことはありません。今度の大会、二人で見に行くからね。絶対に一位を取ってみせてね」
順番に並ぶ二人の文字が、みるみるうちにゆがんで、にじんでいく。
両親を失って、初めて泣いた。

あっという間に躰が大きくなるあの頃に、履きつぶすほどに履いて走った。
あの靴で、負けたことはない。



今日も、駿紀は仏壇の前で手を合わせて頭を下げる。
両親の笑顔の遺影と、それから、ボロボロの一足の靴。
「俺、警察になったよ」
一位になるというのよりも、ずっとずっと前の約束。
「大きくなったら、刑事さんになるよ」
約束をやり遂げた時の二人の笑顔を、忘れないから。
きっと、今日も笑ってくれている。
「ほれ、駿紀!いつまでぼんやりしてると、初日から遅刻するよ!」
全く衰えを知らない、しづの怒声が飛ぶ。
「はい!」
弾かれるように立ち上がり、身を翻す。
もう一度だけ、振り返る。
「どこだって、走るときゃイチバン取るからさ」
にっと口元に笑みを浮かべ、そして走り出す。


〜fin.

2005.08.24 LAZY POLICE 〜Promise〜

■ postscript

『壱拾萬打多謝記念御題頂戴企画』にて募集の御題より、『約束』。約束にもいろいろありますが、今回はこんな約束。
2004.8にアップしたモノを改稿しました。

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