□ 白虹 □
[ Index | Extra ]

書類へのサインの手を止めて、紗耶香は顔を上げる。
「また、なのね?」
「また、ですね」
テーブルの向こうから、海音寺は肩をすくめてみせる。
何がまたなのかと言えば、業務提携に際し、相手企業に金銭的な見返りを日下部徹が要求するのが、だ。
綺麗な形の眉が、ほんの微かにひそめられる。
「馬鹿はいつまで経っても、自分の馬鹿に気付かないということね。もう、四度目だったわね」
「ええ、四度目になります」
はっきりとした確認に、紗耶香は眉をひそめたまま続ける。
「今回は仕事上のフォローだけでは済まないわね。榊にも動いてもらわないと」
「お手数をおかけします」
頭を下げる海音寺へと、苦笑を向ける。
「海音寺が謝ることではないでしょう。貴方自身の業務も増えるのだから」
「そちらは、ご心配無く」
にこり、と海音寺は食えない笑みを浮かべる。
ひそやかに相手企業に手を回し、金銭的な要求を受けた事業からは手を引いてもらうのだ。無論、別途、損の無い仕事を持ち掛けるのと引き換えに。
ただ、交渉を進めた担当者等の手前、相手方の中での調整はそれなりに難航するだろう。その苦労分を、別途私的にフォローするのが榊の役目、というわけだ。
「仏の顔も三度までという言葉を知っているのかしら。これ以上は無理ね。見込みが全く無いんですもの」
「既に、適材は見つけております」
卒の無い返事に、紗耶香は愁眉を開く。
「そう、なら六月には入れ替えだわ。問題無いわね?」
「はい、社員からの陳情もありますし、全く問題ありません。二人を除いては」
二人が誰のことかなど、考えずともわかる。日下部徹と妻の久代だ。
「そして、その二人のせいでかなりの時間を割かれるものと思われますね」
天宮家の血縁であるだけで、特別な地位にあるのが当然と思っているのだ、うるさくならないわけがない。
「他の損害を考えたら、毎日付きまとわれるくらいは我慢しないと。迷惑被る人数が雲泥の差よ」
「了解しました」
にこりと笑い、踵を返そうとした海音寺は、紗耶香がほんの小さなため息を吐いたことに気付いて、足を止める。
視線が合い、紗耶香の苦笑は大きくなる。
「救いようの無い馬鹿だと思ったのよ。金と力しか目に入ってないのだもの」
これには応えようが無いので、海音寺はただ苦笑を返す。
「そもそもは少々わかっていなかった曽祖父様のせいなんですもの、始末は私がつけるしかないのよね」
言いながら、立ち上がって窓を開け放つ。そして、小さく、あら、と呟く。
「海音寺、御覧なさい。白虹だわ」
隣に並んだ海音寺も、視線を上げる。
「おや、これは珍しいモノが」
「海音寺は、白虹日を貫く、という言葉を知っていて?」
問われて、海音寺は視線を紗耶香へと戻す。
「僭主を討つ心意気を持った者が現れる時、その者の意気に感じて現れる、ですね」
「そう、権力をその手に握った者にとっては忌むべき物というわけね」
紗耶香の言葉に、海音寺は珍しくいくらか戸惑った表情になる。
その意味を正確に悟った彼女は、くすり、と笑う。
「今の私が握っている力は、権力などと呼べたようなモノではないわ。これから握っていくのよ」
あっさり言ってのけた顔には、鮮やかで自信しか無い笑み。
「初代ほどとは言われずとも、二代目以降最高と言われるようになってみせるわよ。見てなさい、海音寺」
海音寺は目を見開き、それから大きく笑み崩れる。
「これは頼もしいですね。私も務めがいがあるというものです」
紗耶香は、笑みを浮かべたまま、空へと視線を戻す。
「ねぇ、あの白虹は誰の権力が失われることを示しているのかしら?リスティアに現れたのだから、リスティアでのことを占っているに違いないわ」
くすくすと笑う。
「こんな兆しを信じるなんて馬鹿でしかないけど、でも、ちょっと楽しみだわ。なにか、私が楽しめるような出来事が起こるといいわね」
それから、振り返る。
「さぁ、海音寺、上手に始末をつけて頂戴ね」
「仰せのままに」
海音寺はわざとらしく大げさに頭を下げると、部屋を辞す。


〜fin.

2007.08.12 LAZY POLICE 〜White rainbow〜

■ postscript

『壱拾萬打多謝記念御題頂戴企画』にて募集の御題より、『白虹』。
現象+古典ネタです。虹以上に珍しい現象は古代にはそうとうに恐れられに違いありません。
2004.9にアップしたモノを改稿しました。

[ Index | Extra ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □