□ 認識と識別 □
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「どうするんだよ、コレ」
手にした書類の分厚さに、駿紀は思わずうんざりした声を上げてしまう。
「先日の件で目出度く課としての存在を認められたということだろう。主に、一課から」
全くありがたがっていない口調で、透弥が返す。すでに、手にした半分をめくり始めている。
「一緒に面倒片付けろってか」
「特別捜査課指名という時点で、一緒にとは思っていない」
平坦な声が、きっぱりと事実を告げる。
警視庁という場所は特殊な存在だ。アルシナド中心部を管轄する警察署であり、アルシナド各署を、更にはリスティア全土の警察機関を統括する立場でもある。庁内には現場に赴く人間と同数かそれ以上の管理要員が存在しているくらいだ。
未決のみならず、直近のモノでも応援要請は随時入ってくる。
それらの中身は、実に様々だ。
駿紀も、生活安全課に所属していた頃には、何度かそういう要請に応えたことがある。広域に渡る協力が必要な事件も存在するわけで、そういうものを抽出するにはいい仕組みだとは思う。
が、回されて来るのはそういう類だけでは無い。
所轄の方も、いつも本庁の応援を歓迎しているわけではない。優秀な人材を集めているのはいいが、それを鼻にかけている人間も少なくは無いのだ。
来てやったという態度をちらつかされて、ありがたいわけがない。
よって、解決出来るものならしてみろ、と言ったモノも少なからず集まってくる。
パラパラと流した限りでは、後者の類の集大成であるらしい。さすがに駿紀でも、うんざりしようというものだ。
それでも、もしかしたら自分達が役立てるものがあるかもしれない、と気を取り直して書類をめくり出す。
半分ほどめくったところで、手を止める。証拠物件の写真を確認してから、申請内容を読んでみる。
重要参考人は上がっているが、アリバイを主張している。証拠物件は犯行時刻直前に到着したモノであることは確認されており、これに触れたことが証明されない限り逮捕は不可能のようだ。
もう一度、証拠写真を見る。
はっきりとした指の痕跡、言い換えれば見本のような指紋が二つは確認可能だ。
申請者は、中央署一課課長、川上、とある。知らない名だ。
駿紀は、軽く眉を寄せて首を傾げる。
どうしたものか、と思ったのだ。
写真だけではなんとも言えないが、縮小がかかっていても、これだけはっきりとした指紋だとしたら、証拠になりうるのではないだろうか。
だが、科研の認知度はまだまだだ。知らない相手に、指紋を使えば、と上手く説明出来る自信が無い。
「隆南」
不意に呼ばれて、弾かれるように視線を上げる。
「なんだ?」
「何だ、はこちらの質問だ。何をうなっている」
透弥が、軽く眉を寄せる。
「あ、悪い。コレさ」
と、今見ていた書面を、透弥へと差し出す。
受け取った透弥は、ざっと確認して駿紀と同じことを思ったようだ。なるほど、と小さく呟く。
「でも、知らない人だからさ、説明するの難しそうだなぁと思って」
「川上さんなら、知っている」
あっさりと返されて、駿紀は目を見開く。
「え?」
「中央の時の上司だ」
単語数が少ないが、本庁の前は中央署一課所属だった、ということなのだろう。
「じゃあ、神宮司から話通るか?」
「これしかアリバイを崩す手掛かりが無いのなら、試してみる気にはさせられるだろう」
「それだけでも充分だろ」
先ずはきっかけからなのだから。
駿紀の目が輝いたのに、透弥は小さく肩をすくめ、受話器を手にする。
ややの間の後、電話口に川上が出たらしい。
「特別捜査課の神宮司です。ご無沙汰しております」
軽く離した受話器から、駿紀にも聞こえるほどの大声が聞こえてくる。
「久しぶりだな!神宮司が特別捜査課だったのか、本庁の三大班長が出し抜かれるわけだな」
ははは、と豪快に笑う声が続く。
どうやら、すでに先日の件に関するウワサが出回ってるらしい。面倒そうに透弥の眉が寄る。
少ししてから、笑い収めた川上の声が聞こえてくる。どうやら、声が大きい性質らしい。
「で、どうした?」
「応援要請の件です」
「アレか?何か難しいのよこせってから、出しただけ……」
言いかかって途切れた言葉に、駿紀はべろりと舌を出す。木崎の、諦めないという言葉に嘘は無かったことが、わずか数日で証明されたのだ。あまり嬉しくない依頼が急に山ほど集まったのは、裏で手を回されたからに違いない。
「もしかして、何か手があるか?」
川上の声が改まったのに、駿紀と透弥はどちらからともなく視線を見交わす。
証拠と証明出来ないと諦めかかっていたのを、押し付けてみただけのつもりだったのだろう。まともに取り合った連絡が入るとは思ってもいなかったに違いない。
「添付の写真が小さいので、はっきりしたことは言えません。或いはというレベルですが、あの写真の荷物しか証拠となりそうなものが無いのでしたら、試す価値はあると判断します」
透弥のはっきりとした返答に、川上の声に別種の期待が篭る。
「何をする気だ?」
「被害者が即死であり、発見時、すでに血液はほぼ凝固していたことから、あの指の跡は犯人のモノと考えて間違いないでしょう。ということは、重要参考人の指と同一と証明出来ればいいわけです」
「それが出来れば、苦労は無いが」
川上が、解せない、という声で返してくる。
「先日の件をご存知なら、福屋の件も耳に入っていらっしゃるでしょう」
「ああ、アレも特別捜査課だったな。それが?」
「決め手は、凶器に残った指紋でした」
淡々とした口調だが、きっぱりと透弥は言い切る。
「指紋?」
「指先の文様です。正確には手のひら全体に掌紋が存在しますが、ひとまずは先だけ見ていただければ構いません。これは、各個人で必ず異なるモノで二つと存在していません。学会でも認められていますし、プリラードではすでに証拠として認められつつあります」
一呼吸置いて、付け加える。
「試す、とおっしゃるなら、照合出来る人間をつれてお伺いしますが」
透弥の声と口調で言われると、二割増しで説得力が増す気がするな、と駿紀は思う。
「神宮司が言うんだ、やる価値がある。が、どうすりゃいい?」
「重要参考人に、ガラスのコップで水を飲ませてやって下さい。他の人間の指紋がつかないようにするのは、簡単でしょう。伺う前までには、そのくらいは出来ると思いますが、いかがです?」
笑みを含んだ声が、返ってくる。
「そう言われちゃ、やらざるを得んだろうが」
「では、すぐ手配して伺います」
透弥が受話器を置くのと同時に、今度は駿紀が電話をかけ始める。
呼びだすこと数度で、聞き慣れた、どこか間伸びした声が聞こえてくる。
「はい、科研ですよ」
「隆南です。どうも」
「ああ、どうも、こんにちは。どうしました?お役に立てそうなことでも起こりましたかねぇ?」
期待が篭った林原の声に、駿紀は笑みを浮かべてしまう。
「ええ、中央署からの応援依頼で、指紋照合をお願いしたいんです。対象物はヒトツは血液によるモノ、もうヒトツはコップからの検出が必要です」
ここ最近の付き合いで、すっかりそういった単語にも慣れてきた。
「対象は一人ですか?」
「はい。これでクロなら、本人からの採取があるかもしれません」
「了解、なら一人で充分でしょう、駐車場に待ち合わせでいいですよねぇ?」
地下に部屋を持つ科研からは、駐車場は目と鼻の先だ。簡単な準備なら、駿紀たちが階段を降りている時間で間に合う。
「はい、お願いします」
受話器を置くと、二人は同時に立ち上がる。
階段を駆けるように降りて行きながら、駿紀が口を開く。
「随分と信頼されてるじゃないか」
何の話だ、というように視線を寄越す透弥に、駿紀は、に、と笑う。
「川上さんにだよ。神宮司のこと信頼してなきゃ、こう簡単には試してみる気にならないだろ」
どちらかと言えば、溺れる者は藁をも掴むといった心境なのではないのか、という言葉を、透弥は喉に押し込める。
事件以外のこととなると、人が良すぎるくらいに好意的な解釈が多いと思うが、悪いことでは無い。わざわざ、ケチをつけるような真似をしなくてもいいと思ったのだ。
かといって、代わりに返すような言葉も思い付かなかったので、小さく肩をすくめ、無言のまま前へと視線を戻す。

中央署へと到着すると、妙に歓迎される。
川上からの指示を受けた担当班は、半分が透弥が所属していた時のメンツだったのだ。お盆の上のコップを指し、班長が、楽しそうに口の端を持ち上げながら言ったものだ。
「で、今度はどんな手品だ?神宮司」
透弥は、隣に立った林原を紹介する。
「科研の林原です。説明と作業は彼が行います」
「どうも」
いつもの愛想の良さに光を帯びた目を加えた林原は、手袋をはめると、手際よく作業を進めながら、口の方では丁寧に説明していく。
ややあって、グラス表面にはっきりと浮かび上がった指紋に、軽いどよめきが起こる。
的を絞って対象のポイントを示しながら、林原はじっくりと比較していく。
細かい作業に入った、と見て、一人が視線を駿紀へと向ける。
「で、こちらはどんな手品を見せてくれるのかな?」
一瞬目を丸くした駿紀は、自己紹介すらしてなかったと気付いて頭を下げる。
「隆南です。俺は手品は出来ませんが」
「隆南さんって、木崎さんとこの?亅
「はい、元、ですが」
おおっ、と別種のどよめきが起こる。
「木崎班の韋駄天くんだ!」
いやもう木崎班ではない、とは言い難い雰囲気だ。想像以上にその通り名は広まっているらしい。
「神宮司、スゴいの連れて来たな」
「どうやって連れてきたんだよ」
わやわやと尋ねられるのに、透弥はあっさりと返す。
「隆南も、特別捜査課ですから」
またも、どよ、とざわめく。
「えー、そうなのか」
「スゲぇなあ、他は誰よ」
話の進む方向が見えたので、透弥が面倒そうに口をつぐむ。そういう反応には慣れているのだろう、皆の視線は、駿紀へと集る。
駿紀には、透弥のように口をつぐむなどという芸当は無理だ。素直に返すしかない。
「いや、二人だけです」
「本当に?!」
「はい、本当に」
誰からとも無く顔を見合わせたところで、川上が入ってくる。
「おう、どうだ」
「あと、少しですよ」
林原の返答に頷き返してから、手元にあるはっきりとした指紋に、ほう、と声を上げる。
「課長、そっちもスゴイですけど、こっちもスゴイですよ。特別捜査課って、神宮司と隆南さんの二人だけなんですって」
「そうだったのか、そりゃ傑作だな」
川上がまたも、豪快に笑い出す。
「二人であれだけ片付けたんじゃ、そりゃ目立つ」
「ですよねぇ、片っ端から片付けてくから、どんな大層な集団かと思ってましたよ。別の意味でスゴかったですね」
わいわいと盛り上がってる中で、林原がのんびりと口を挟む。
「間違いなく、二つの指紋は同一人物のモノですねぇ」
途端に、集った人間全員の顔つきが変わる。
「よし、逮捕状請求だ」
数人が、すぐに部屋を後にする。
「どうします?本人から、再度指紋採取をしますかねぇ?」
林原の問いに、班長が残ったメンツを見回す。
「そうしてもらえるのなら、確実に落とせますね」
「お願いします」
素直に頭を下げられて、少々驚いた顔つきになりつつも、林原は嬉しそうに頷く。
「はい、お引き受けしました、と」
と、のところで駿紀たちを見やったのに、にこり、と笑みを返す。
「では、後は科研の仕事ですので、私たちはこれで」
立ち上がった透弥たちに、川上が笑顔を向ける。
「ありがとう、これで解決出来そうだ」
「ったく、相変わらず神宮司は鮮やかにやってくれるよなぁ」
班長が肩をすくめたのへ、透弥がきっぱりと訂正する。
「科研が、です」
「神宮司が連れてきたのには変わりないだろう」
「そういうことなら、証拠品に指紋が付着していると気付いたのは隆南です」
たまたま自分が見ていただけ、と駿紀は返したくなるが、その前に川上にがっしりと手を握られてしまう。
「そうか、隆南くん、ありがとう。このままでは犯人がわかっているのに逮捕出来ないということになりかねなかった、感謝する」
「いえ」
川上は、にっ、と笑う。
「これからも、よろしく頼むよ。もちろん、イイ意味で」
「こちらこそ」

外へと出て、駿紀は軽く背を伸ばす。
「良かったな」
透弥は、何がとツッコんでも仕方ないとでもいうように軽く肩をすくめる。
駿紀も、そんな反応には慣れている。歩きながら、首を傾げる。
「神宮司って、中央の時に何やったんだ?」
「捜査以外、何をしろと?」
奇妙なことを訊くなというのがありありとした口調だ。
「ただ捜査しただけで、手品なんて言われるかよ。しかも、今度はどんなって」
「科研の真似事のようなものだ。児戯に等しい」
そんなレべルで、川上たちがあそこまで透弥に期待しないと思うが、そこらを議論しても仕方ない。評価基準は人それぞれだ。
「これで、また少しは科研は必要って知れたよな」
「少なくとも、面倒な依頼を寄越す部署がヒトツ減った」
「それ、大事だろ」
駿紀の言葉に、透弥は視線だけ寄越す。
一応は同意なのだろう、と勝手に判断して、もう一度伸びをする。
「さーて、戻ったら、また続き片付けなきゃな。こんな風に上手く行くのは滅多に無いんだろうけど」
言ってから、透弥を見やる。
毒舌を吐きはじめた時以外は口数が少ないが、全くのリアクション無しは珍しい。
「神宮司?」
視線が、こちらへと戻って来る。
「何か、気になるのでもあったのか」
駿紀が先にうなり出したからコチラの件で動くことになっただけで、透弥も何か見つけていたのかもしれない。
が、透弥はややあってから、視線を前に戻してしまう。
「いや」
「何だよ、その言っても無駄って感じのは」
再度、戻ってきた視線は、いかにも面倒そうだ。
「隆南にじゃない」
そこまで言って、どういうことなのか聞くまでは駿紀が諦めない顔をしているとわかったらしい。視線を前に戻しながら、ぽつり、と言う。
「東からの依頼で、凶器特定不能というのがあった」
「それが、どうにか出来そうなのか?」
それなら、どうにかすべきだ、というのがありありとした駿紀の声に、透弥は付け加える。
「いくつか質問が許されるならば、だ。それに合致していないのなら、俺にもわからない」
「東の、誰から?」
「一課課長の浅野氏だ」
透弥なら覚えてるだろうと思ったが、案の定だ。
「浅野さんなら知ってるよ。俺、本庁の前は東だから」
駿紀は、自分を指しながら言う。
「俺で良かったら、訊いてみるけど」
透弥は、前を向いて無言のままだ。やや、あってから。
「傷の詳細な状況と、周囲の血痕がどう散っていたか」
「それで、わかるのか」
「知っているものと合致しているかどうかは」
頷いてから、駿紀は少し足を速める。
「了解、戻ったら問い合わせよう」

浅野の反応も、川上と似たり寄ったりだ。
「え?隆南が特別捜査課なのか?」
「はい、応援依頼の件でご連絡しました」
無理難題とわかってて出した応援依頼がどうにかなるかもしれないという意味だと気付くまでに、いくらかの間があく。
「本当か?」
「いくつか、質問させて下さい」
了承の返事を待って、受話をスピーカーモードにする。それから、透弥が口にしたままのことを訊ねる。
聞こえてきた詳細の異様さに駿紀は目を見開くが、透弥には予想通りだったらしい。
メモ用紙に何か書きつけて、駿紀へと見せる。その文字を見て、更に目を見開く。
「えっ?!」
そこには、ウィルカに関係する人間はいないか、と書かれていたのだ。
リスティアの隣国ながら、『Aqua』でも一、二を争う山脈が国境となっている為に、ほとんど交流が無い。そんな国と、関係ある人間なんていうのが、なぜ出てくるのか。
思わず駿紀があげてしまった声に、もっと驚いたのは浅野だ。
「どうした?」
「すみません。凶器に思い当たりがあるのは、俺じゃないんです。神宮司に代わります」
受話器を差し出され、透弥は迷惑そうな顔つきになりつつも受け取る。
「おっしゃるような傷と血痕を残しているのでしたら、凶器はウィルカの小刀で、ネメと呼ばれる物である可能性が高いと思われます」
「それを持っていたからといって、ウィルカに関係すると考えるのは、安易過ぎないか」
浅野の言うことはもっともだが、それは透弥とてわかっているはずだ、と駿紀は思う。案の定、透弥は淡々と続ける。
「ネメは成人した際に与えられる特別な物で、レプリカは許されておらず、容易に入手可能な類ではありません。近隣では、国立科学博物館に実物が展示されていますので、形状の確認は可能です」
そこまで言い切られてしまえば、浅野たちとしても確認してみないわけにはいかない。
「わかった、情報に感謝する」
半信半疑の声で告げられ、会話は終了する。
「よく、そんなの知ってるな」
駿紀の驚いた顔つきを見やってから、透弥は残りの書類へと視線を戻しながら返す。
「可能性が高いだけで、確定してはいない」
「あんなん出来るのなんて、そうそうあってたまるかよ。それとも、あそこらの国じゃどこも成人すると刀もらうとかって風習があるのか?」
「いや、刀を与えるのはウィルカ独特だ」
「ふうん」
本当に色々と知ってるものだ、と感心しつつ、駿紀も書類へと戻る。

互いのを取り替えて確認したが、結局、まともに取り合えるのは、すでに動いた二件だけのようだ。差し戻しの手続きを終え、息をついたところで電話が鳴る。
「はい、特別捜査課」
少々構えながら取った駿紀の耳に、興奮気味の声が飛び込んでくる。
「東一課の浅野だ、先ほどの件だが、まさにその通りだった。ホシも目星がついたよ」
「それは良かったです」
「ああ、ともかく連絡を入れとこうと思ってな。助かったよ、神宮司さんにも礼を言っといてくれ」
まだ、ツメの段階だが、礼は言っとかねばと思ったのだろう。急ぎ気味に通話は切れるが、それでも十分だ。
「当たりだってさ」
「そうか」
何をしているのか、端末に向かったまま透弥が返す。
口調は不機嫌ではないので、駿紀も自分の手元へと視線を落とす。
最初は、コレがものすごく腹立たしかった、などと思い出して苦笑しそうになったのを堪えながら。


〜fin.

2007.11.14 LAZY POLICE 〜perception and distinction〜


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