□ 空 □
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駿紀は、なにやら難しい顔で腕を組んでいる。
彼のキレイに片付けられた机の上には、紙が一枚。スクールの授業で使いそうな質の半紙に、これまた墨汁でしか出ないような黒々とした毛筆で「空」とある。
いっぱいいっぱいに書かれた文字は、スクールならば元気一杯と朱筆で丸がもらえそうだが、無論、そういう類のものではない。
見る方向を変えれば何かが見えてくるとでもいうかのように、不自然な角度まで首を傾げてみたところで、背後に人の気配を感じる。
現れた最初の方はとっとと自分の席へと向かうが、後から入ってきた方は面白そうに覗き込む。
「年のいった人が書いたモノとしては珍しい雰囲気ですねぇ」
「見たただけで、よくわかりますね」
ふり返った駿紀に、林原は、にっこりと笑う。
「筆跡鑑定も重要でしょう?それって、ダイイングメッセージかなんかですか?」
「そんなんじゃないですよ、事件に関係あるんなら」
言いながら、ちら、と、とっとと席についてこちらを見向きもしない方へと視線をやる。一緒に視線を動かして、林原は笑みを浮かべたまま頷く。
「神宮司が興味示さないわけないですねぇ」
そういうことだと言う代わりに大きく頷いてみせた駿紀は、小さく肩をすくめる。
「ま、遺書ではあるんですが」
「遺書?それがですか?」
林原の軽く見開かれた目が、興味深そうに輝く。
「ええ、近所に住んでたじい様が残したモノなんです。生活はつつましやかだったけど、若い頃に事業で成功したとかで、かなりの財産を持ってたらしいんですよ」
「じゃ、これはさしづめ、遺産の隠し場所というところですか」
まるで推理小説のようだと思ったのだろう、笑みが大きくなる。
「で、ご遺族から謎を解いてくれと頼まれた、わけですか?」
「そんなとこですね。俺、けっこうじい様にかわいがられてたから、なにか聞いてるんじゃないかっていう意図もあるんでしょうけど」
とうとう、我慢しきれなくなったように林原が笑い出す。
「そこまであからさまだと、いっそ爽やかですねぇ。まぁでも、人間模様はともかく、これが遺産の隠し場所っていうなら面白いですねぇ」
駿紀の手元を覗き込む。
「この折線は?」
「残されていた場所が仏壇の中だったそうで、小さくたたんだのは本人と見ていいでしょう。遺族が触りまくってますから、断定は出来ませんけれど」
駿紀と林原は、顔を見合わせて、苦笑を交わす。いつだって、ちょっとした配慮の無さで、科研が発見出来るはずの証拠は消されてしまう。
それはそうとして、だ。
「残されていたのはこの一枚だけですか?」
「ええ、見ろと言われた場所に入っていたのはこれだけだったそうです。他もあたってみたけれど、何も見つかってないようですよ」
なにかしら見つかったのなら、駿紀に泣きつく必要は無い。
「なるほどねぇ。では、これがなんらかのメッセージを伝えようとしているということには間違いないわけですねぇ」
首を傾げながら林原も、もう一度覗き込む。
「ソラ、ですか。でも、通常の家屋ならどの部屋でもソラは見えそうですけど。天井裏などは、真っ先に探すでしょうしねぇ」
「かといって、この文字の空間のあき具合が見取り図になっているとか、そういうわけでもなさそうなんですよ」
駿紀も、また、首を傾げる。
沈黙が落ちた部屋へ、大きくはないが良く通る声が響く。
「カラと読むんだ」
「は?」
すぐに反応したのは、駿紀だ。
「どういう意味だよ、神宮司」
「だから、それは『ソラ』ではなく、『カラ』だと言っている」
いくらか面到そうな顔が書類から上がる。
「ようするに、遺産はなにも無いという意味だ」
「遺産がない?だって、ハイエナ親族が必死で探すくらいなんだから、それなりの形跡があったはずだよ?」
林原は、疑うというよりは説明が足りないという顔つきで尋ねる。
透弥は軽く肩をすくめる。
「ただ金の為に群がってる連中に、一泡吹かせたんだ。死を迎えたら、己の財産が自動的にそれなりの施設なり何なりに寄付されるよう仕掛けておいた」
「なぜ、そこまで確信がもてる?」
見てきたような言い方をするのに、駿紀が唇を尖らせる。
いくらか不機嫌そうに、透弥の眉が寄る。
「数日前、とある施設に匿名で多額の寄付があったというニュースがあった。そもそも、それだけの金額を個人で寄付が出来るという時点で人数が絞られる。その中で、今、寄付をしそうな人間となるとほぼ特定可能だ。隆南が遺書を預かった人物が亡くなり、ハイエナどもが散々探した後に隆南を頼ってくるまでの日数を考えても、その人物は妥当な線だ。表向きは匿名となっているが、調べればすぐに誰なのかはわかるだろう」
言うことだけ言ってしまうと、再び書類の方へと戻ってしまう。
林原が、感心した顔つきで頷く。
「ああ、そうか。漢字の読み方だったわけですねぇ。単純なことほど気付きにくいもんだなあ」
いくらかぽかん、とした顔つきで聞いていた駿紀も、視線を半紙の文字へと戻す。
林原が、年寄りが書くには珍しいと言うくらいに元気一杯の文字は、きっとやっと金が入るとばかりに群がった連中の顔を思い浮かべて、ほくそ笑みながら書いたからに違いない。
「なるほどな」
ぽつり、と呟く。
それこそ、確かに駿紀が知っているじい様にぴったりだ。
「『ソラ』じゃなくて、『カラ』っぽ、か」
笑いがこみ上げてくる。
ただ、もうなにも無いことを遺族に告げるだけならば、こんな思わせぶりなことをする必要は無い。
じい様は、謎解きが誰に託されるのかまで、わかっていたのに違いない。
最後の締めを駿紀に任せてくれた、ということだ。
あの胸糞悪い連中に、どうやって知らせてやろうか。
駿紀が考えている間に、透弥と林原は本来の用事を済ませたらしい。
書類を手に方向転換する。
「あ、そうそう、隆南さん」
「はい?」
顔を上げると、林原の人の良い笑みと合う。
「私に敬語使わなくていいですよ?ほら、先輩なんですから」
確かに、透弥の同期なら警察としての経験値は駿紀の方が長いが。
「それを言ったら、林原さんこそでしょう、階級、ずっと上でしょう」
キャリアは、国家公務員試験にパスした時点でそれ相応の地位だし、その後も駆け足に上がって行くのは知っている。
「いやいや、僕は不真面目なんでまだまだで。神宮司みたいに警視ってわけには」
林原は、にこにことしたまま手を振ってみせる。駿紀も、笑みを返す。
「じゃ、お互い様ってことでは?」
「それはイイ。そうしよう、じゃ」
軽く手を振って見せ、林原は特別捜査課をを後にする。
それを見送ってから、駿紀は透弥を見やる。
「よく『カラ』って気付いたな」
簡単なことだとでも言いたそうに肩をすくめてから、つい、と指を伸ばす。
「それのことだが、一見、何も入れられそうにない場所をチェックしてから、ハイエナ共に結果を話した方がいい」
「は?」
いきなり半紙のことに話題を戻され、今度は駿紀が怪訝そうになる。
透弥は、不機嫌そうな表情のまま続ける。
「あるだろう?ご老人と隆南しかわからないような場所が?」
確かに、そういう場所はある。秘密の場所とも言っていいところだ。だが、じい様を知らず、家も知らない透弥が、なぜそこまでわかるのか。
「根拠は?」
「この手の後始末は最も難しいが、それを隆南に託すほどに信頼している。それだけの思いがある相手なら、何か残しているだろう」
まっすぐ見つめ返したまま、きっぱりと言ってのけてから、付け加える。
「金が出てきたら、二割は謎解き料としていただく」
言い終えると、話は終わったとばかりに視線を落としてしまう。
駿紀は、何をふざけたことを、と言い返そうとして、かろうじて喉元で抑える。
じい様が、金など残すわけが無い。
透弥が、ソレに気付かないわけも、無い。
駿紀は、に、と笑みを浮かべる。
「はいはい、金だったらな。にしたって、ちょっとぼったくりすぎじゃねえの?」
「俺が言わなければ、気付かなったろう。安いくらいだ」
視線を上げず、透弥が返す。
「そういう考え方もあるか」
ある意味感心しつつ、駿紀は半紙へと視線を戻す。
さて、じい様は、駿紀に何を残してくれただろうか。きっと、思わず笑いたくなるようなモノだろう。
せっかくなら、誰かと一緒に謎解きをするというところまで、読んでくれてるといいけれど。
じい様なら、それもあるかもな、と思って、駿紀は笑みを大きくする。


〜fin.

2007.10.15 LAZY POLICE 〜Sky〜

■ postscript

『壱拾萬打多謝記念御題頂戴企画』にて募集の御題より、『空(「ソラ」「クウ」「カラ」読み方はお任せ)』。
お題でいただいた通り、様々な読み方があるというわけで、こんな話に。
2004.11にアップしたモノを改稿しました。

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