□ 音楽 □
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駿紀たちが到着したと、すぐに気付いた海音寺が伝えたらしい。珍しく紗耶香は小走りにこちらに近付いてくる。
顔に浮かんでいるのは、諦めと困惑だ。
「本当にごめんなさい。また、お二人のお手をわずらわせることになってしまって」
笑顔を返したのは駿紀だ。
「いや、この程度はどうってことないですよ」
「でも、本来の仕事では無いでしょう?」
あどけない仕草で首を傾げた、紗耶香の言う通りではある。
なんせ、今回の仕事は旧文明産物を駆使して保存されていたという地球時代のピアノを開放する現場に立ち会う、というモノだ。
本来なら、どちらかというと総司令部管轄の問題になるはずだ。警察が出るにせよ、該当の部署は別にある。
一緒に戻って来た海音寺が、苦笑を浮かべる。
「どうも長谷川さんは、隆南さんと神宮司さんなら、うちの総帥が首を縦に振ると思い込んでしまったらしいんですよ」
「大げさなのが嫌いなだけなんだけど……どうも軍嫌いの警察嫌いになってるらしいのよ」
しかも、両親に手を下した犯人を捕らえ、シャヤント急行開通でも見事にしてのけたのが特別捜査課だったものだから、というところなのだろう。長谷川の脳内には、妙な法則が焼きついているモノらしい。
「この際、うちの総帥が警察に関わらなくてはならない際には、お二人がご指名と諦めていただくほか無さそうですよ」
海音寺の言葉は、けっこうシャレになってなさそうだ。
が、今回に限って言えば、紗耶香がそれほどまでに恐縮する必要は無い。
「たまには、単なる警備というのも気楽でいいですから」
駿紀が笑顔のままで返すと、苦笑が返ってくる。
「そう言っていただけると、少し気が楽だわ」
「そういうお嬢さんも、とんだボランティアを押し付けられたのでは?」
やっと口を開いた透弥の言葉に、紗耶香はヒトツ瞬きをする。
それから、らしい笑みを浮かべる。
「本当に欲しいと思えるモノで無かったら引き受けないわ」
地球時代のピアノが開放されることになったのには、理由がある。
とある資産家が所有していたのだが、破産寸前になって、手放さざるを得なくなったのだ。
本来なら、地球時代の産物などは国に寄贈するのが通常だ。買い上げになることはあっても、金額は微々たるものにしかならない。
それでは、資産家は破産決定だ。そこで、天宮家に買い取ってはもらえないかと打診があった、というわけ。
開放して、通常のピアノとして使っていいのならば、というのが紗耶香の提示した条件で、今日のこの警備ということになった。
旧文明産物を使用しているモノを開放するからには、警備が必要だ、と長谷川が強く主張したらしい。
紗耶香としては、そこまで大げさでなくていい、と返したのだろう。で、結局のところは、また特別捜査課が駆り出されたわけだ。
「正確には、今のところ正式契約ではないのよ。モノの状態次第というところね」
なるほど、天宮財閥総帥としての手抜かりは無いらしい。
思わず、駿紀は笑みを大きくしてしまう。
「紗耶香様、確認していただきたいことがございます」
榊の控えめな声に、紗耶香は振り返る。
「わかったわ」
駿紀たちに軽く頭を下げて、紗耶香は元の場所へと戻っていく。
動こうとしない海音寺へと視線をやると、にこり、と人当たりの良い笑みが返ってくる。
「今回は天宮家の個人的な資産の問題ですから。私は野次馬なんです」
「そうだったんですね」
警備と言っても、カタチばかりだ。駿紀たちも手持ち無沙汰で、どちらかというと野次馬に近い。
業者が開放準備を進めるのを、遠目に見物しつつ突っ立っているのが仕事なのだから、本当に気楽だ。
「やあ、本当に大掛かりなモノなんですねぇ」
と、感心したように海音寺が呟く。
福屋家の捜査の時に、一度目にしているから駿紀たちはさほど驚きはしないが、確かに大掛かりだ。
その中で、お約束の確認をしているのだろう。業者の示す何かへと、紗耶香が頷き返している。
「実のところ、お二方がいらっしゃって下さると聞いて、榊さんと私はほっとしたんですよ」
先ほどまでとは少し違う口調に、駿紀は視線を海音寺へと戻す。
真摯な視線が、駿紀へとまっすぐに向いている。
「とにもかくにも、うちの総帥を妙な色眼鏡で見る人間が多いモノでしてね。でも、お二方はそうじゃない」
視線を、紗耶香へと戻す。
「うちの総帥も、お二方にご迷惑を、と言いながら他の指名を出来ないのは、安心出来るからなんだと思いますよ」
なるほど、と駿紀は納得する。
紗耶香が妙に困惑していたのは、自分たちへの迷惑というのもあるけれど、それを知りつつ断れなかった自分へとの戸惑いもあったからだ。
天宮財閥総帥であり、天宮家当主あり続けなければならない紗耶香にとって、心許せる相手というのはほぼ存在しないに違いない。
どうせならば、そういう相手が来てくれる方がいい、と思ったのだ。
天宮紗耶香にも、人間らしい部分がある、ということ。
「これっくらいなら、時間が空いてる時なら別に、なぁ?」
透弥は、軽く肩をすくめただけだ。が、頭から否定する気も無いらしい。
「ありがとうございます」
我がことのように嬉しそうに微笑んで、海音寺は頭を下げる。
紗耶香のいる方から、業者が声を上げるのが聞こえる。
「開放、完了です」

結局のところ、ピアノは天宮家に引き取られることになった。
屋敷の一室に据え付けられたソレの前に、紗耶香は腰を下ろす。
「随分と長いこと眠っていたものね」
呟くように言いながら、慣れた様子で鍵盤へと指を走らせる。
無造作に押しこまれた鍵盤は、力強くて柔らかい音を返してくる。
「調律は出来てるわ」
口元に、微かな笑みが浮かぶ。気に入ったらしい。
視線を上げて、二人を見上げる。
「お付き合いさせたお礼に、リクエストを伺うわ。何でも良いわよ。リストでもラフマニノフでも」
不思議そうに首を傾げたのは駿紀で、苦笑を浮かべたのは透弥だ。
「本当になんでもと言うのなら、Moanin'」
「それをやるなら、最低トランペットはいなきゃダメよ」
透弥のある意味無茶なリクエストに返してから、紗耶香は鍵盤へと視線を落とし、少しだけ首を傾げる。
人差し指が、もう一度鍵盤を叩く。
ポロン、と音が返る。
「何年ぶりなのかしら?」
半ば独り言のような問いに、透弥は再び肩をすくめる。
「さて」
「ええと?何百年?」
想像もつかない、と駿紀は首を捻る。
「んなシロモノ、保管庫開けて売っちゃうんだから、よっぽど追い詰まってたワケだよな」
「ケースを撫でながら眺めるより、もっとすベきことがあったのを無視していたからだ」
透弥らしい手厳しい言葉だが、否定は出ない。
紗耶香の口元の笑みがいくらか大きくなる。
「私なら、骨董品として閉じ込められているより、朽ち果てるとしても音楽を奏でている方が、ずっと幸せだけど」
呟くように言い、優雅な動きで両手を広げる。
鍵盤に置かれた指が、柔らかに動き始める。
流れ出した曲は「ハンガリー狂詩曲」でも「月光」でも、「ラフマニノフ三番」でもなくて。
「なんていう曲だ?」
きょとんとした顔つきで駿紀が首を傾げるが、透弥は軽く首を横に振って紗耶香を見やる。
紗耶香は指を休めることなく、さらり、と言う。
「さぁ、私も知らないわ」
それから、ほんの微かに肩をすくめる。
「実は、これで合ってるのかもわからないのよね」
透弥が、いくらか眉を寄せる。その気配に気付いたのだろう、紗耶香は続ける。
「母が良く弾いていたのよ、楽譜を探してみたのだけど無くて耳だけが頼りなの。いろいろ聞き漁ってみてもみつからないところをみると、母が勝手に作ったのかもしれないわね」
「ふぅん」
駿紀が、にこりと笑う。
「俺は好きだな」
「……悪くは無い」
ぽつり、と透弥も言う。
紗耶香の顔に、どこか柔らかな笑みが浮かぶ。
どこか寂しく、でも優しい旋律は、静かに空に溶けるように消えていく。


〜fin.

2008.03.21 LAZY POLICE 〜Musique〜

■ postscript

『壱拾萬打多謝記念御題頂戴企画』にて募集の御題より、『音楽』。
2004.10にアップしたモノを改稿しました。

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