□ 風が吹けば □
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目前にあるのは、恐らくは自転車であったろう物体、だ。
乗っていた人物の姿は無いが、どうなったのかは想像に難くない。
交番勤務を経た駿紀は、こういった事故も経験が無いわけではないが。
「事故というより」
「コロシだ」
静かだがきっぱりと言ってのけた透弥が、腰を下ろして金属のカタマリを覗き込む。
「はっきりと塗料が残っている」
「こっちに散らばってるのは高さ的にヘッドライトだろうな」
駿紀は手袋をした手で、破片のヒトツを拾い上げる。
透かすように持ち上げて、いくらか目を見開く。
「神宮司、塗料何色だ?」
「付着した面積が狭いから断言は出来ないが、黒に紫と紺が混じった塗料だ。金属光沢もある」
振り返った駿紀は、呟くようにメーカーと車種を告げる。
「アマミヤのインテレス。ヘッドライトカバーにこの色使ってるの、ソレしかないと思う。車体のカラーが黒そのものじゃないってところからしても」
透弥が無言のままのものだから、駿紀は、もちろん、と付け加える。
「追うにはイイけど、証拠としては弱いよな。何か、イイ方法あるか?」
「林原に言えば、顕微鏡解析は可能だろうが、比較サンプルが必要だ」
らしい冷静な声で返してから、ほんの微かに肩をすくめる。
「車種全般に詳しい、と思っただけだ」
「ああ、まあ。趣味というかなんというか」
小さい頃からの延長線のようなモノなのだが、案外この仕事の役に立つ。なので、意識して新車チェックをしているところはある。が、こんな凄惨な事故現場で口にするのは、少々不謹慎なような気もしてしまう。
「比較サンプルなんて、どうやって?」
「持ってる人間に提出してもらうしか無いだろう」
「出して……あー、そうか」
車種を口にした時には意識してなかったが。
「なるほど、きっちり説明して納得してもらえれば」
駿紀も、頷き返す。
透弥は不機嫌そうな表情のまま、視線を駿紀が見ていたあたりへとやる。視線の動きから、おおよそ考えていることはわかる。
「衝突箇所は、ここだろうな」
駿紀が指したところを見やる透弥の視線が険しくなる。
「間違ったか?」
「いや」
どこか上の空の口調で返し、透弥は腰を下ろす。
ややしばし、食い入るように見つめてから。
「走ってきた方向は、どう考える」
「腹立つくらい、まっすぐ。気付いたのは直前もしくはぶつかってから」
それは、被害者の乗っていただろう自転車の状況から察せられる事実だ。そのくらいは、透弥も当然わかっていそうなものだが。
透弥は相変わらず、路面とにらめっこしたままだ。
「自動車メーカーは、必ず走行テストをしているはずだが」
「ああ、自前のテスト場は必ず持ってるよ。制動テストは必須だから」
素直に返して、駿紀は首を傾げる。
「何か、あるのか?」
「恐らく、自転車に気づいたのは直前だ。急ブレーキはかけたが、間に合わなかった」
透弥が見てきたように言うのに、駿紀は思わず唇を尖らせる。
「何でそんなこと」
言いかかって、口をつぐむ。
「路面になにか残ってるのか?」
「タイヤのゴムが削れた、もしくは溶けたと思われる痕跡がある」
透弥と並ぶように腰を下ろして、指差してるあたりは見つめてみる。
「あ」
確かに、薄黒い痕跡が見える。
透弥が、わざわざ駿紀にひき逃げ車の軌跡を確認したのは、自分の推理を確認する為だったわけだ。
「そっちも、事情を話したら協力してくれるかもしれないな」
あくまで、状況説明可能な痕跡がある、というだけだ。
「まぁ、何にせよ」
立ち上がりつつ言いかかった言葉は、近付いて来た気配に振り返って、飲み込まれる。
「何か、新しいことわかりそうかな?」
一緒に現場検証をして欲しいと言ってきた、交通課の事故担当班長の君塚へと、駿紀は車種を告げる。
「目撃者がいないか、あたってみる価値はあると思います」
はっきりと特定してみせられて驚いたらしい。君塚は目を丸くする。
「万が一、いないようでしたら」
ほぼ無いと思いつつ、もうヒトツ車種を挙げる。
「わかった、ソレであたってみるよ」
「それから、科研を呼びたいのですが、よろしいですか?」
透弥に丁寧に尋ねられて、君塚はこくり、と頷いてから、不思議そうな顔になる。
「もちろんお願いしたからには構わないが、君らでここまでわかっちゃったのに、これ以上必要かい?」
「言い逃れをする余地を与える必要はありません」
きっぱりと言い切った透弥に、君塚は深く頷く。
「確かに。より強固な証拠になるのなら、お願いするよ」



透弥から依頼を聞き終えた天宮紗耶香は、すっかり見慣れた角度で首を傾げる。
「こちらが確認するのではなくて、捜査用サンプルを提出するのね?」
「自動車メーカーはヒトツじゃないですから」
駿紀の一言で、紗耶香は笑みを浮かべる。
「科研にライブラリを構築するわけね」
「ご協力いただけますか?」
「ええ、もちろん。解決の手助けになるんですもの」
笑みを大きくして言うと、控えていた海音寺を見やる。
「どの程度で用意出来るかしら?」
「現在販売中の車種に関しましては、カラーのみですが販売店用のファイルがすぐに。先ずは担当の方にご覧いただき、改善点をご指摘下さい。その上で、他の部品は販売完了分も含めサンプリングさせていただきたいと存じますが、いかがですか?」
相変わらずの卒の無さだ。
「ありがとうございます、担当者に伝えます」
頭を下げてから、付け加える。
「お手数ですが、インテレスに関する情報だけ先行でいただけませんか?へッドライトとカラーでいいんですが」
聞いたなり、紗耶香と海音寺の顔に緊張感が浮かぶ。
「インテレスが事故を?」
「ひき逃げ犯が乗っていた可能性が」
駿紀の言葉を最後まで待たず、紗耶香は視線を海音寺へと向ける。
「すぐにご用意します」
頭を下げ、海音寺は早足で居間を後にする。
「いつもながら、迅速な対応をありがとうございます」
「ひき逃げ犯を野放しなんて、許せることじゃないですもの」
きっぱりと言い切ってから、紗耶香は形のいい眉を寄せる。
「どういう事情があったにせよ、選べる立場ではないのはわかっていても、ウチの車に乗って欲しくは無い人種ね」
「インテレスの乗り心地に酔いしれて、周囲の状況を全く見ていなかったのだろう」
「え?インテレスに乗ったことあるのか?」
透弥の台詞に、思わず駿紀は反応してしまう。紗耶香も不思議そうな顔つきだ。
インテレスは会社の役員や議員などが運転手付きで乗るようなラインだ。個人で持っているとすれば、いわゆる成金趣味のタイプが多いだろう。
「覆面にある」
二人の視線をうけて、あっさりと透弥は返す。
「ああ、二課だとそういうのもあるのか」
張り込む時に、そういう車種でなければ違和感をかもし出す現場もあるのだろう。
駿紀の口調は、ついうらやましそうになってしまう。
「乗り心地イイのか?やっぱ」
「安定感は抜群だ。難をつけるとするなら、発進時に車重を食らうことだろう。プロなら、フォロー出来る程度ではあるだろうが」
珍しく透弥が口数をきいたので、駿紀も紗耶香も、いくらか目を見開く。
「もしかして、神宮司も車好きだったり?」
「隆南ほどじゃない」
あっさりと返された透弥の言葉に、紗耶香は興味深そうに瞬きをする。
「ところで、ひき逃げなのに、なぜインテレスだと?」
「被害者の方の自転車に塗料が移っていたのと、へッドライトの破片とで。色に特徴がありますよね」
駿紀の答えに、紗耶香は頷いてみせる。
「ええ、でもヘッドライトはともかく、車体の塗料までご存知なのは珍しいわ」
「趣味のようなモノなんで。それはそうと、走行テストはされてるんですよね?」
「ええ」
頷いてから、難しい表情になる。
「まさか、今度の事故はインテレスの方にも問題が?」
「あ、すみません、そういう意味じゃ無いんです」
「現場に、ひに逃げ犯の車が残したと考えられる痕跡がありました。急制動をかけたことが判明すれば、直前までブレーキをかけていなかった証拠になります」
透弥が説明すると、紗耶香は目を瞬かせる。
「まあ。それは興味深い事象だわ。今回の件にすぐに役に立つかしら?」
「実験の成果次第でしょう。すぐではなくとも、必ず役立ちます」
頷いた紗耶香は、インテレスのヘッドライトと塗料の手配から戻った海音寺へと首を傾げてみせる。
「最も腕の良いテストドライバーは誰?」
海音寺は、珍しく目を見開く。
「まさか、事故の再現をしようというのではないでしょうね?」
どうやら本気で尋ねているらしいあたり、日頃の天宮財閥がなんとなく知れる。
「いえ、急制動の試験にご協力いただけないかと思いまして。道路に痕跡が残るのではないかと考えているんです」
駿紀の言葉に、海音寺はいつもの笑顔を取り戻して頷く。
「そういうことでしたか。新しいテストコースの使用関始直前なので、ちょうどいいタイミングですよ。もちろん、警察の方も立ち合われますね?」
「え、テストコースに入っていいんですか?」
うっかりと素で言ってしまってから、駿紀は慌てて手を振る。
「場所とか、企業秘密ですよね?」
「もちろんです。ですが、ご信頼の置ける方々と存じ上げておりますので」
個人的にも職業倫理的にも漏らすつもりは無いが、こう言われてしまったら、ますますだ。



ややこしい手続きを、警視総監直下という立場をフル活用して短縮してみせたのは透弥だ。
「使えるモノはフル活用の主義だな」
駿紀が言うと、無表情に
「必要最低限だ」
と返してきたものだから、思わず笑ってしまった。
交通課の君塚は、話がやたらと大きくなっていくのに目を丸くしていたが、開き直ってとことん付き合う気になったらしい。天宮財閥全面協力での制動実験に、専用担当を二人もつけてきた。
やって来たのは、加納と同じ年くらいの青年と、津田の後輩だろうかと思わせるような女性だ。
「神田さゆりですっ!」
満面の笑顔で林原の手を握りしめる。
「先日の件で、東さんにお世話になりました。交通事故以外のことも頑張りますので、よろしくお願いしますっ」
キラキラした目で迫られて、林原は分厚い眼鏡の奥で、瞬きするばかりだ。
「触ったモノとか、血とか、いろんなモノから犯人がわかるんですよね。もう、その、不謹慎なのはわかってるんですけど、楽しみで楽しみで!」
そう言われて、やっと林原も笑顔になる。
「興味を持ってもらえて嬉しいですねぇ。よろしくお願いしますよ」
「はいっ」
やっと林原の手を離した神田の後ろで、青年がひょこん、と頭を下げる。
「有沢英樹です。お世話になります」
言いながら、ちらちらと透弥を見ているのに、駿紀は気付く。
「どうかしたか?」
「いえ」
気付かれたとわかって、有沢は慌てて視線を戻す。
透弥が一瞬、面倒そうに眉を寄せたのに、駿紀も察しがつく。
キャリアの警官は、現場など出世の為のステップくらいにしか思っていなさそうなのが多い上に、現場の場数も無いから階級の割には即戦力になり難い。木崎に限らず、叩き上げの警官たちが毛嫌いするのは、それが大きな理由だ。
そういったのとは違うらしいと珍しがられるコトが多いのだろう。有沢も、君塚に何か吹き込まれたのに違いない。
どうせ、これから驚くことばかりになるだろうから、駿紀もそれ以上は何も言わない。
東と加納の紹介を済ませた林原は、眼鏡を直しながら、のんびりと首を傾げる。
「さて、早速だけどファイリングから始めてもらおうかな。各社さんから塗料サンプルなんかが届いてるんだけど、分類形式がバラバラでねぇ」
と、どこからともなくがっぽりとした山を取り出されて、目を輝かせたのは神田で、微妙にうんざりとしたのは有沢だ。
「分類方式はお任せするけど、皆が見やすいようにねぇ」
「はいっ」
「はい……」
あからさまにやる気の違う二人に、林原はにこやかに告げる。
「この整理が終わらなかった場合は、残念だけど制動実験には連れて行けなくなっちゃうと思うから、よろしくねぇ」
何気ない脅迫は、実に効果てき面だ。有沢の表情が一気に真面目なモノになるのに、駿紀たちは笑いをかみ殺す。



数日後、アマミヤのテストコースに到着すると、いくらか困った表情の海音寺が出迎える。
「総帥のご指示通り、最高の腕のテストドライバーを呼んではあるんですが」
視線の先を辿ると、ふてくされた顔でそっぽを向いている青年がいる。
「どうも、警察嫌いのようで」
だからといって、代わりを呼んで来ないあたりは海音寺らしいというベきか、紗耶香の意思の強さとみるべきか。
駿紀たちは苦笑を返すしか無いのだが、海音寺はお構い無しに少々大きめの声で告げる。
「隆南さん、ウチのテストドライバーをご紹介しましょう」
皆いるのに、なぜ自分の名だけが、と駿紀が思う間もなく、弾かれたようにテストドライバーがこちらを向く。
駿紀と視線が合ったなり、満面の笑みになる。
「隆南さん!」
「あ、新見さん」
思わず、駿紀も目を見開く。
交番勤務から刑事としての第一歩を踏み出したばかりの頃に出会った青年だ。当時は、少年に近かったけれども。
ある傷害事件の犯人と目された新見は、かなり厳しく追求されていたが否認を続けていた。
それまでも目をつけられる程度のことはしょっちゅうやっていたので、あまりに反抗的な態度こそが怪しい証拠と他の刑事たちは思ったようだが、駿紀にはそうは思えなかった。
理由を訊かれたら、勘としか言いようの無いいつものアレだ。
結局のところ、勘は大当たりで真犯人とは自転車対駆け足の大立ち回りのハメになり、未だに大げさに語り継がれてしまっているのだが。
無論、新見からはとてつもなく感謝もされたし信頼もされた。
自分を見かけると悪いことをしてると決め付ける他の警官は大嫌いだけど、駿紀だけは特別だ、と。
海音寺のことだ、そこまで調べをつけているのだろうが、厄介な相手なことは確かだ。
「隆南さんが担当なんですか?」
どことなくキラキラした目で見つめられて、駿紀は少し申し訳ない気もしつつ首を横に振る。
「残念ながら、俺は仲介しただけ。実担当は科研だ」
「科研?」
「科学捜査研究所、現場に残された証拠を分折する部署です。確実に真犯人を捕らえる為に非常に有効ですよ」
珍しく口数多く言ってのけた透弥は、脊髄反射の笑顔まで浮かべてみせる。海音寺とのやり取りと新見の態度とで大よその察しをつけたのだろう。
キレイな笑みに、うっかりと意気を飲まれたらしい新見は、ぽかんと口を開けて透弥を見つめるばかりだ。
そうか、アレはやろうと思えば男にも向けれるし、しかも有効なんだな、などと駿紀はどうでもいいコトを考える。
「少なくとも、隆南と私は信頼している部署です」
透弥は、駿紀の名にさり気なくアクセントを置いて言ってのける。新見は軽く首を横に振ってから、深く頷く。
「隆南さんが、信頼してるなら」
「ありがとうございます」
さらりと返して、いつもの無表情に戻る。見事なくらいの変化に感心しつつ、駿紀も笑みを向ける。
「助かるよ」
「では、始めましょうか」
タイミングを見計らっていた海音寺が声をかけてくる。天宮財閥の方から来ているのは、もちろん新見だけでは無い。
設計や技術や、過不足ないチームが出来上がっている。
紹介された林原は、感心しきりだ。
「こんなに協力していただけるなんて、恐縮ですねぇ」
海音寺は、卒ない笑顔を向ける。
「いえ、こちらも安全性を見直すいい機会ですから。お気になさらず」
他の人々も、各々頷いてみせる。
動き出した皆の後ろからついて行きながら、駿紀は先日から気になっていたことを思い出し、透弥を見やる。
「なあ、神宮司」
視線だけが、駿紀へと返ってくる。
その瞳に、確信する。
「今更か」
「今更だ」
あっさりと透弥は肯定してみせる。



かくして、科研と天宮財閥の共同研究チームなるモノが発足した。
キッカケとなった事故では、速度制御に関する決定的証拠は提出出来なかったものの、証言を引き出すには充分な効果を発揮することになる。
交通課から来た有沢と神田は、いつの間にやら当然のように他の事件も手伝うこととなり、実質的に科研増員というコトになっていくのだが、それは少しだけ先の話だ。


〜fin.

2009.07.19 LAZY POLICE 〜An ill wind that blows...〜


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