□ 貴婦人の罠 □
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メルティの件のケリがついた翌日、透弥はスーツで出た。
非番だが、いくつか片付けておくべきことがある、と判断したからだ。
さすがに、今日は駿紀は家で大人しくしているだろう。いくら体力があるとはいえ、かなり消耗していることには変わりない。
あの事件の間、放っておくカタチとなった科研と交通班、天宮財閥の合同チームのフォローは、一度入れて置いた方がいい。
が、テストコースを毎日使用出来るという訳では無い。今日の予定は適当なところで確認しようと考えつつ、改札を出て歩き出す。
天宮のテストコース近くで、時間を確認して電話ボックスに入ろうとしたところで、後ろから声をかけられる。
「あら、神宮司さん。また事件?」
最高級ラインであるインペラトルの後部座席から、あどけない表情で首を傾げている少女のような外見の彼女は、天宮財閥総帥たる天宮紗耶香だ。これで透弥と四歳しか違わないのだから恐れ入る。
「いえ」
短い返答に、紗耶香は無邪気な動作で首の角度を大きくする。
「では、少しお時間いただけて?お見せしたいモノがあるの」
「ええ、構いません」
昨日、世話になったばかりで邪険にするのは得策ではない。あっさりと頷いた透弥に、紗耶香は笑み崩れる。
「そう、良かったわ。じゃ、どうぞ」
言葉と同時に、運転手が絶妙のタイミングで後部座席の扉を開ける。
隣に腰を下ろすと、目礼と共に扉が閉まる。
ややしてから、振動も無駄も無く動き出す。
向かう先は、どうやらテストコースのようだ。
透弥の視線に、紗耶香は笑みを返す。
「申し訳ないのですけど、今日はウチ専用にさせてもらってます。走らせたいモノがあって」
「そんな場に部外者を連れていって問題ありませんか?」
ふふ、と紗耶香は笑う。
「人に言いふらすような方じゃないですもの。それに、遅かれ早かれ公道の試走も始まるのだし」
確かに、秘密だと言われたことをイチイチ言いふらそうとは思わないが、にしても紗耶香の機嫌がいい。
「何を企んでるんです?」
言ってやった言葉は、間違い無く失礼な部類なのに、紗耶香の笑みはますます大きくなる。
「わかってらっしゃるなら、話は早いわ。先ずは見てみて」
駐車場から、透弥の手を引かんばかりにしながら、紗耶香は早足に歩いていく。
歩幅をそこそこにしてやれば、早足というほどでなくともついていけてしまうのは、身長差のせいだろう。そのことに、紗耶香も気付いたらしい。
見上げて、ほんの少し唇を尖らせる。
「あら、神宮司さんも歩幅だけで合わせてしまえるのね」
「これは失礼」
足の速度を変えるべきだったか、といくらか脊髄反射フェミニストを含めた苦笑を返す。
紗耶香は、一瞬奇妙な表情をしてから、肩を小さくすくめる。
「構わないわ、身長はどうにもならないもの。それから、私の前では表情は作らなくて大丈夫。愛想が無いとか失礼だとかは思わないから」
透弥はいくらか首を傾げてしまう。表情を作ったつもりはなかったのだが。
ややして、ああ、と思い当たる。笑顔のことだろう。
「ああ、コレは癖のようなモノなので、気にしないでいただけるとありがたいです」
たいていの人間相手にはコレで円滑にいくのだが、紗耶香も数少ない方のタイプらしい。
紗耶香は、小さく首を傾げる。
「あら、失礼なことを言ってしまったのね。ごめんなさい」
「いや?」
謝られるとは思わず、透弥は微妙に怪訝に返す。
「迷惑する癖じゃない限り、止めてというのは失礼だと思うわ」
「お気になさらず。それより、見せたいモノというのは?」
話題を戻すと、紗耶香も頷いて歩き出す。
「こちらよ」
すぐに、テストコースが目前に開ける。
「ほら、アレよ」
伸ばした白い指の先を、豪速で何か通り過ぎていく。
何か、というのは正確では無い。エンジン音と大きさから、間違い無く自動車だと判断出来る。車高とスピードからして、スポーツタイプだろう。
曲線が目につくが、こんな車種は見たことが無い。テストコースを走っていることからも、新しいモノだろう。
となると、大幅にリニューアルされる何かがあるわけだ。
「今度のエーリアルは、アレですか」
あたりをつけて言ってみると、紗耶香が満面の笑みで見上げてくる。
「さすがは、神宮司さんね。せっかく『俊足の貴婦人』と呼んでいただいているのだもの、ふさわしい外見にしなくてはと思ったの」
制動を確認していたのだろう、急ブレーキ音と共に目につく位置で止まる。
降りて来たのは、初老のドライバーだ。
「こんにちは、総帥」
「あら、総帥は止めてと言ったはずよ。ご紹介するわ、こちら警視庁の神宮司さん」
機嫌よさそうに透弥を示す紗耶香に、ドライバーは笑みを向ける。
「神宮司さん、こちら天宮が誇るチーフテストドライバーの水沼さんよ。ウチの車を決めてくれているといっても過言ではない存在ね。そして、先日の新見さんを紹介してくれた方」
「初めまして、新見さんには、お世話になっております」
ごく丁寧な態度で頭を下げる透弥に、水沼と紹介された初老のドライバーも丁寧に返す。
「こちらこそ、お世話になります。あの子が命を軽く扱わなくなってもらえらばと思ったのですよ」
ああ、なるほど、と納得する。天宮ともあろう大企業のトップテストドライバーがあれほどの若手のはずがない、とは思っていたのだ。彼はあくまで、技術的なトップなのだろう。
「その点はご心配には及ばないでしょう、隆南を信頼しているようですから」
笑みと共に告げた言葉に、水沼は瞬きをする。
そういう話はしていないのだな、と判断するが、さて、と考える。
友人とは違う。かといって同僚と言えば、駿紀が不満そうな顔をするのが目に浮かぶ。
一呼吸置いてから、続ける。
「私の相棒です。少々大げさな言い方をすれば理想の警察官といった男です」
「そうね、それが合っているわ」
にこやかに紗耶香までが頷くので、水沼は驚いたようにまた瞬く。が、すぐに笑みを浮かべる。
「なるほど、そういった方と知り合いなら安心です。さて、そ、紗耶香さん、制動も確認しましたから、大丈夫ですよ」
キーを差し出されて、紗耶香は笑みをいっぱいに受け取る。
「もちろん、私も運転してみたいけれど」
つい、と横に差し出されて、透弥はヒトツ、瞬きをする。
「神宮司さん、よろしければ乗ってみて、感想を聞かせていただけると嬉しいわ」
何を考えているのやら、とは思うが、いままでにない流線型といい、先ほどの小気味いいエンジン音といい、運転していいという魅力には少々抗いがたい。
「素人を乗せて良いんですか?」
「素人では無いでしょう、警察官ですもの」
「了解しました、では遠慮なく。水沼さんには、先に謝ります」
およそ紗耶香が何を想定しているのかの察しがついたので、水沼に向かい深く頭を下げてから、キーを受け取って乗り込む。
計器を軽く見回し、天宮の通常タイプと変わらないと判断したなり、エンジンをかけながらベルトをしめる。
エンジンに無理はさせ過ぎないが、かなりな急発進をさせる。
不快な音もせず、すんなりとスピードが上がったのはさすがというべきか。
最短のコース取りをしつつも、犯人を追う想定での動きを入れてみる。
紗耶香たちの前で停車すると、首を傾げる動作で、どうだったかと問われる。
「さすがは貴婦人ですね」
キーを手渡しつつ告げれば、紗耶香の笑みは大きくなる。
「そう、楽しみね」
手早く長い髪をひとまとめにしたかと思うと、乗り込む。少々座席を調整しなければならないのはご愛嬌だろうが、動作は慣れきっている。
走り出すのを見届けてから、水沼が透弥へと向き直る。
「実用に耐えますか?」
「実際にはもっと荒いことになるでしょうが、タフさもあるようにお見受けしました」
にこり、とチーフドライバーは微笑む。
「品良くついていきますよ」
「そう伺うと、試したくなりますね」
駿紀がここにいたのなら、さぞかし喜んだろう。最新かつ最高級のスポーツカーを試せる機会なのだから。
だが、残念ながら、駿紀が試すコトは出来無さそうだ。
水沼が自信を持つだけのことはあるのだろうが、残念ながら警察の用途を果たすには一点だけ問題がある。
なんせ、あの外見だ。
とてもではないが、悪目立ちし過ぎて張り込みには使えない。活躍の場があるとしたら、それこそ本当に俊足を発揮する場面だろう。
それだけの為にパトカーとして配備するなど、あり得ない。
あくまで、常識的に考えた場合、だが。
およそ、紗耶香が思いついたことがわかってきた。
今日は、確かに仕事を片付けることになるだろう。ただし、透弥が想定していたモノ以外の。
そして、話を聞いてしまったら悔しがる予定だった「相棒」は目を丸くした後、結局のところ喜ぶに違いない。


〜fin.

2010.08.30 LAZY POLICE 〜Lady Trap〜

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