□ 長い路 □
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なんでこんなことに、という問いに返す答えはヒトツだ。
視界の端に入ったから。
指名手配犯だと気付いたからには、刑事としての仕事をするのみだ。その点には、何の異議も無い。
それどころか、反射的と言っていい勢いで追うモードに入った。
だが、しかし。
「このまま人通りの少ないとこ行かれたら、本気でマズい」
声を殺しながらも、実に情けない口調で駿紀が言う。
手は、胃のあたりだ。
「外から抑えても、音は鳴る」
ぼそ、と透弥が返す。
「わかってる、だからマズい」
なんだかんだで、三課窃盗班である弓削班からの依頼にケリがついたのは、意外と遅くなってからだった。
証拠物件を届けたのは早かったのだが、勢い込んで説明する林原の専門用語を翻訳しなくてはならず、付き合ってるうちにすっかりとっぷり、という状態になてしまっていた。
弓削班が犯人と目星をつけている容疑者の指紋入手は、明日になった。さすがに、まだ確定出来ない状態では、あらぬ時間に訪ねる訳にはいかない。
そのあたりは、弓削班と科研でどうにかする手はずだ。
やっとメシにありつける、とばかりに出て、適当に目星をつけるかそうでなければ、行きつけになりつつある二件のどちらかにでもしよう、と歩き出したところで、見つけてしまった。
犯罪と犯人はいつだって待った無しとは知っているのだが、夕方から腹が減りっぱなしの駿紀にとっては、あまりに切ない状況だ。
今のところ、繁華街で発見した犯人との距離はつまりきっていない。
元々、アチュリンで犯行を犯し、警察が追っていると気付いて逃げだした相手だ。追われているコトは重々自覚しているに違いないので慎重な対応が必要だ。
下手に人ごみをかきわけて目立ちでもしたら、あっという間に距離を開けられる恐れがある。
しかも、一次会流れだろう人で道はごった返していて、あまり派手に捕り物が出来る状態ではない。
犯人と共にいる連れやら、周囲やらが、うっかりと人質にでもされたら、それこそ目も当てられない。
という訳で、じっくりと尾行という状況なのだ。
ほんの少しずつ距離はつまっているが、まだ、手が届くような距離ではない。
駿紀と透弥はじりじりと相手との距離を詰めていくが、瞬殺は無理だ。
「あー、こういう時に限ってソースの匂いとか勘弁してくれ」
「集中力を欠いてる」
「すまん、だが、それっくらい腹減った」
行動にスキは無いが、どうしても神経の一部は飲食店ばかりの周囲にいってしまう。
「はなから、追ってるとかなら気付かないんだけど」
空腹になったことすら気付かないままなのは、よくあることだ。ようは、集中してしまえば空腹も睡眠も忘れていられる。
問題は、だ。
腹が減ってから、しかも、もうすぐありつけるとわかってからのコレは、ある意味拷問だ。
「本当に、腹が減ると厄介だな」
「当人がイチバン自覚してるんだから、トドメ刺すな」
下らないことを言い合っているが、相手への間合いをつめることは、二人共が忘れていない。
「な、連れだけど」
「この距離では、判断出来ない」
追っている手配犯の、たんなる知り合いなのか、それとも共犯か従犯なのか。少なくとも目にした手配書の中にはいなかった人間だ。
「ってことは、様子見だな」
「もう少し距離は必要だ」
透弥の言う距離の意味を、駿紀はすぐに理解する。
もし、二人共を捕らえなくてはならなくなった場合、多少手荒なコトも必要になるだろう。
人通りの少ないところまで、移動して欲しい。
「応援頼みたいところだけど」
「間違い無く見失う」
一人が連絡を入れている間に、印を残しながら移動する術を持っていない訳ではない。が、この人混みと夜闇では、いくらなんでも追いかけるのは難しい。
最終的には二人必要だと、それは直感出来る。
「このまま行くしかないな」
一定の距離を保ち、かといって気配を覚らせもせず、二人は犯人とその連れを追っていく。
ややして、周囲は本当の繁華街よりは、いくらか人通りの少ない道へと入る。
相手を補足するのは簡単だが、コチラも見つかりやすくなっているので気は抜けない。
繁華街を通っている時から、前を行く二人は話に夢中らしい。時折、人にぶつかって謝っているくらいには。
コチラとしては追いやすいから、助かる。
ついでに腹が鳴っても気付いてくれるなよ、と駿紀はまたも空腹を思い出して、腹を撫でる。
「?」
軽く視線を横に振る。
先ほどまで隣を歩いていた透弥が、いつの間にか一歩遅れている。
派手に声を立てる訳にもいかないので、すぐに追いついた顔を、ちら、と見やる。
透弥は、なんでもない、という風に小さく肩をすくめたのみだ。
追っている二人の会話は、どうやら先ほどまでの楽しそうなモノから毛色が変わってきたようだ。
連れの方の声が、時折、鋭いモノになってきている。
駿紀と透弥は、ちら、と視線を見交わす。このままケンカにでもなってくれれば、話は早い。
だが、そうコチラに都合のいいコトにはならず、手配犯と連れは人通りの少ない方へと向かう。
少なくともここらへんの地理なら、隅々まで頭に入っているから、どんな細道へと入られても追える自信がある。悪くない方向に進んではいるようだ。
ややしてから。
薄暗い通りを、彼らは左手へと折れる。
そこで止まったのは、声でわかる。角の少し先にある街灯の下あたりにいるらしい。
気配を消して、ちょうど角にある細めの電柱の陰から、様子をうかがう。
やはり、相変わらず話に夢中で、コチラの様子に気付く気配は全くといってイイほどに無い。
連れがどういう立場か見極める程度の時間は、ありそうだ。
持久戦だが、そう長くはかかるまい、と言い聞かせながら、半ば無意識に駿紀は、また腹を撫でる。
その視界に、ぬ、と何かが突き出される。
「?!」
かろうじて声を飲み込んで、よくよく見れば、なんと紙に挟まれたあんぱんではないか。
突き出してるのは、もちろん透弥だ。
「耳は生かしておけ」
と、唇の動きだけで告げてくる。
いつの間に、と思ってすぐに気付く。一歩遅れていた時だ。
確か、あそこらへんには明日の朝食用にと焼きたてのパンを屋台売りしてることがあるはず。透弥ならば、身分証と脊髄反射スマイルとで無言での買い物くらい、問題無くしてのけられるのだろう。
片手で軽く拝みつつ、視線を戻す。
ひそめていた声は、徐々に聞こえやすくなってきている。
少なくとも、駿紀の耳はくっきりと捉えられるようになってきた。
急いで、せっかくのパンをほおばる。大口なら、さほどはかからない。
背後で、小さく、カサ、という音が鳴るのを聞きつつ、駿紀は前方へと集中する。
連れは、ニュースを見てアチュリンでの事件を誰が起こしたのかを知って、説得しようとしているのだ。
説得されて、自分で近所の所轄なりなんなりに行くのならば、そこまでを見届けて終了だが。
「無理だ」
低く、透弥が言う。
電灯の下で、手配犯の横顔はやけにくっきりと見えている。言葉にする前に、その表情で何を言おうとするかは察しがつく。
ちら、と視線を見交わし、透弥がす、と身を引く。
手配犯と連れの会話は、案の定の破たんを迎える。
絶対に逃げ切ってみせる、とタンカを切ってコチラへと歩き出そうとした手配犯の前に、駿紀は立ちはだかる。
フルネームを呼んでやると、あっという間に血の気が引く。
身分証を見せる間もなく、喉の奥でひきつれたような声をあげて、見事な反転をする。が、すでにそこには透弥が立ちふさがっている。
無言だが、その冷徹な視線は手配犯を怯えさせるのに十分だったようだ。
反射的に、次の方向へと向く。
が、そこには手配犯の連れだった男が、必死の顔つきで両手を広げている。
唇を噛みしめ、何かを取りだそうとする前に駿紀の手刀が落ちる。反対の腕も、透弥がひねりあげて手錠をかける。
大きく表情を歪ませて、手配犯は膝をつく。

護送で、またも本庁に逆戻りした上に、付随している書類を片付けた頃には完全に夜中だ。
全てを終えたと確認してから、駿紀は苦笑を向ける。
「あんぱん、ありがとう。助かったよ」
「構わない、あのまま空腹で貧血でも起こされる方が迷惑だ」
透弥らしい返しに、駿紀は笑みを大きくする。
正直、あんな小ぶりのあんぱんで満足するような空腹では無かったはずだが、何らかを口にしたと思ったなり、普通に刑事モードになれたのだから現金なモノだ。
「でも、ちょっと残念だな」
「何が」
「あの屋台のパンって、評判イイらしいじゃないか。味わって食べられなかったよ」
透弥は、小さく肩をすくめる。
「自分で買いに行け」
「そうだな、そっちはまたの機会ってことで、神宮司」
ケリがついた、となれば、思い出すのは、やはりヒトツで。
名前を呼ばれた透弥は、目前のパソコンが落ちたことを確認しつつ、立ち上がる。
「いつものところで良ければ、まだやっている」
そう、腹が減っている。
駿紀も、机の余計なモノを引き出しへと突っ込んで、立ち上がる。
「そりゃ助かるな」
に、と笑えば、苦笑気味の笑みが返る。
ややして、特別捜査課の灯りが落ちる。


〜fin.

2010.09.07 LAZY POLICE 〜On the long haul〜

■ postscript

ぱんだもちサマよりの『駿紀と透弥』御礼に。
やはり、張り込みにはあんぱんですよ!


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