□ 五里霧中 □
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最近、特別捜査課は警視庁の便利屋扱いになってる気がしないでもない。
悪意があってというよりは、何を持ち込んでも解決してくれるという妙な期待感によってなのだが。
「かなり、無茶だ」
無駄口など禁物と知りつつ、駿紀が低く呟いてしまうくらいには、無理な状況だ。
なぜなら、周囲は真っ白に近い。
ここは中央公園の、木立が途切れ、広場になっている箇所のはずだ。
はず、としか言えないくらいの濃い霧に囲まれている。
なのに、場所をほぼ特定してるのは、ごく頻繁に通っているからだ。やはり、慣れというのは大事な感覚要素のヒトツである。
などと、どこぞのベテラン刑事が言い出しそうなことが、思考を掠める。
ともかく、この全く視界の無い広い公園から、殺人犯を誘き出して逮捕しなくてはならない。
それが、今の特別捜査課のミッションだ。
コトの始まりは、つい先ほど。
この霧の中、ホシが逃亡した、協力してほしいと戸田が自ら現れた。
本庁捜査一課殺人担当三大班として、木崎、中条と並び称される班長が特別捜査課に協力を求めてくるとは思わず、うっかりと身構えてしまう。
戸田も機嫌を損ねた様子は無く、すぐに言葉を継いだ。
「木崎さんは、中条さんと出てるよ。この間、浅野から色々と聞いて協力してもらえるのではと思ってね。裏は無いし、木崎さんに何か言ったりもしないと約束する」
それから、すぐに状況を語り出した。
ホシが、この近辺のカフェに出入りしていることを知り、張っていた。
そこまでは普通だ。
が、抑える寸前で霧が出始め、物慣れた戸田班の刑事たちも少々戸惑ったのだ。
中央公園に逃げ込んだことは確認したものの、視界がほぼない状況でむやみやたらと探索することも出来ずに難渋している、という。
ホシは、木陰やらを使って、スキをみて逃げる気なのだろう。
戸田班は、あえて拡声器で一般市民に退出を呼び掛けた。
ミルクの中にでもいるような気分にさせられるほどに濃くなる前に、人々の退避は完了したとみていいと戸田は言い切った。
「本当なら、機動隊に動いてもらうんだが」
と戸田はここで珍しい困惑顔になった。
「木崎さんと中条さんの合同班の方に、ほとんどが割かれててな」
殺人担当として、知らぬ者はいないほどの二班が合同戦線を張るくらいだから、相手は厄介なのに決まっている。機動隊は検問に駆り出されているのだ。
この霧だ。
そちらも重要な局面に違いない。
普通に機動隊を動かせるなら、中央公園を取り囲み、この霧が晴れるのを待って、包囲網を縮めていけばいい。
が、それが出来ない。
「この霧で決着をつけろって言われても、俺だって闇雲には走れないぞ」
あまりに重い霧は、駿紀の髪もスーツもじっとりと濡らしていく。
濡れていないのは、ぴたり、と合わせている背中くらいだ。
その背中を預けている透弥は、ぼそり、と返してくる。
「ここで走ったらただのバカだ」
相変わらず遠慮も呵責も無い。
「問題は、相手がナイフを所持しているということ。扱いにかなり慣れているということの二点だ」
視界が無い中で下手に動かれたら、さすがに駿紀たちにも避けようが無い。
「そして、格闘する、追いかける、の二点が選択肢から消されている」
「おびき寄せるしか、無いってのはわかってるけど」
挑発して引き寄せ、ギリギリを察知して捕らえるしか無い。
ただ、闇雲に引き寄せてもダメだ。
前髪が額に張り付いて、つ、とまぶたの上を水がつたう。
「誘い出して、ナイフを落とす」
透弥が言う。
間が空いたのは、ホシの気配が無いか探っていたからだ。
駿紀も五感をとぎ澄ませて確認してから、返す。
「手にしてるのはともかく、もう一本は?」
犯人は、利き手側の足元に予備を仕込んでいるらしい。下手なスキを与えれば、それを抜かれてしまう。
「あえて、抜かせればいい」
低く声を抑えているが、語調はきっぱりとしたモノだ。
撃つ気なのはわかるが、抜かせるということは一本目のナイフを確実に落とす、ということだ。
「視界ゼロだぞ」
「音は聞こえる」
明らかな言葉足らずだが、言いたいことはわかる。
駿紀は小さく唇を尖らせるが、それきり口をつぐむ。瞼も閉ざす。
ただ、耳だけに神経を集中する。
先ほどまでのやり取りは、背中合わせになるほどに近くにいるのだから、勅使班仕込の合図を使えば無言でやり取り出来ると二人とも知ってのことだ。
内容はわからないが、どこかに人のいる気配を知らせる声。
それが突然途切れれば犯人は必ず誘い出される、とは公園に侵入する前の透弥の言葉。
透弥のこの手の判断を駿紀は疑う気が無い。口にしないだけで、緻密に分析しているのを知っているからだ。
しばしの、静寂。
駿紀もだが、透弥も身じろぎヒトツしない。
「……!」
瞼を閉ざしたまま、駿紀は微かに指先を動かす。
いる。
透弥の方は、相変わらず動かない。
人より少々軍隊経験が長かったからか、犯人はもう聞こえない声の方向を正確に察して近付いてくる。無論、気配を消しきっているつもりで。
相手はすでに、木陰や草むらの中にはいない。
そろり、と、気配を殺しながら、透弥が駿紀に並ぶ。
駿紀は、はっきりと瞼を上げる。
ほんの微か、犯人の足の速度が落ちる。
と、いうことは。
透弥が音も無く胸元からヴェシェIIを抜くと同時にトリガーを下ろす。
駿紀の手が、透弥の左手を微妙に調整する。
轟音が、霧に反響する。
同時に、少し離れた場所からの舌打ち。
走り出した足音は、みるみる近付いてくるが駿紀も透弥も微動だにしない。
まだ、姿は全く見えない。
隣に立つはずの透弥の顔さえ、霞んでいるくらいだ。
跳躍する音。
混じる微かな金属が擦れ合う音を、駿紀は聞き逃さない。
着地点を狙い、下へと透弥の腕を下ろすと同時に、迷い無く透弥は発砲する。
轟音に、金属が立てる高音が重なる。
大きく跳ぶように踏み出したのは駿紀だ。
着地と同時に姿勢を低くしきって、過たず犯人の襟を取って放る。
この不意打ちは想定していなかったらしく、犯人は、うわあ、とも、うお、ともつかない情けない声を上げる。
どうっ、と大きなモノが地面に叩きつけられる音が響くと同時に、駿紀は相手の背に完全にのしかかるようにして腕をひねり上げる。
銃を収めた透弥が、ひねり上げた手に手錠を落とす。
まるで、それを待っていたかのように、空気が動き出す。
水の気配が、弱くなっていく。風が流れて、景色が開けていく。
そうなると、晴れていくのは早い。
おおよそ開けたところで、戸田班の刑事たちが駆けてくる。
駿紀の下に抑えつけられた犯人がいることに、彼らは驚きと安堵が入り混じった顔つきだ。
そんな彼らに犯人を受け渡しつつ、透弥は涼しい顔で言ってのける。
「そちらと、あちら方向にナイフが落ちています。回収をお願いします」
言われて初めて、彼らは犯人の手にも身にも凶器が無いことに気付いたらしい。
瞬きをしつつ、すぐ側と、少々離れた箇所からナイフを拾い上げている。
「威嚇射撃じゃなかったのか」
いくらか変形した刃を目にした戸田が、驚いた顔つきで振り返る。
「威嚇程度でひるむ相手とは思えませんでしたが」
事実なので、戸田は返す言葉に一瞬ではあるが、窮したらしい。
「だが、見えなかっただろう」
「隆南には聞こえました」
ぽかん、とした顔が駿紀を見るので、苦笑気味に頷く。
「金属系の音は特殊ですから」
駿紀も透弥も、出来ることをしただけだ。が、この手は必ず驚かれて根掘り葉掘りになってくる。引き時だろう。
丁寧に頭を下げる。
「では、俺たちはこれで」
「ああ、協力に感謝する」
まだ、戸惑い気味の表情ながらも戸田が頷き返したので、二人は背を向けて歩き出す。
そこそこの時間、霧の中にいたせいですっかり濡れ鼠だ。
「あー、こりゃスーツはクリーニング出さないとダメだな」
このままではワイシャツも濡れる、と上着を脱ぎながら言うと、透弥も小さく肩をすくめる。
少し長めの前髪をかき上げているのを見て、ふと思う。
「それ、落ちてきたら見えないんじゃ?」
犯人の出現を待つ間、透弥がそういう動きをした気配は無かった。離れた犯人の動きが手に取るようにわかっていたのだから、ごく近くの透弥の動きに気付かないはずがない。
透弥は、ごくあっさりと返す。
「どちらにしろ見えない、同じことだ」
「そういや、そうか」
確かに、霧は濃くて隣すら見えないくらいだったけれど。
なんとなくほころんでしまう口元を引き締めながら、駿紀は足を速める。
「風邪ひく前に、着替えよう」
「ああ」
当然だと言わんばかりの返事と共に、透弥が並ぶ。


〜fin.

2010.09.24 LAZY POLICE 〜A dense fog〜


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