□ 通常運転 □
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「昨日の件は片付いた。今から戻る」
律義に透弥が連絡してきたのは、少々変わった分析を国立大の教授が引き受けてくれるかと駿紀が気にしていたからだろう。
「そっか、そりゃ良かった」
我知らず声が緩みかかるが、そういう場合では無い、と駿紀は表情を引き締める。
「あのさ、悪いんだけど、戻りついでに神宮司が知ってるあのカフェでなんか買って来てくれないか?」
「何があった?」
「協力依頼の書類がどっさりなんだよ。一昨日の件で木崎さん、また怒らせたかと思うくらいに」
先ほど届いた協力依頼書類の量に、思わず軽く目を見開いてしまったのだ。
一昨日、捜査一課殺人担当班である戸田からの要請で、濃霧の中逃亡した殺人犯を捕えるのに協力した。当然、それはすでに知られているはずだ。
約束通り戸田は口を開いてはいないだろうが、班の刑事全員にかん口令をひく訳にもいくまい。
戸田が依頼してきた理由は、木崎班と中条班が追っている犯人の検問で機動隊が駆り出されてしまっていたからなのだが、そんなことは関係ないというのは、もう知っている。
本庁の殺人担当三大班と言われる木崎、中条、戸田はなにかというと密接に協力することが多いから、不可抗力だろうがなんだろうが面白くないのかもしれない、と思ってしまうくらいにはなってしまった。
「でもさ、ちょっと確認したらそうでもなさそうでさ。意外とまともな内容が多いというか」
どちらにせよ、中身をきちんと確認せずに単なる嫌がらせかどうかなど判断出来ない。
これだけの量をこなすには、食堂に行っているヒマは無い、と思ったのだ。
「わかった」
透弥も状況は把握したのだろう、ごくあっさりと返すと、電話は切れる。

最初にある概要で、はなから協力不能なモノかどうかを判断して分類し終えたくらいに、透弥が戻ってくる。
「おう、おかえり」
「ああ」
手にしていた袋を駿紀に手渡して、透弥も上着を脱いで椅子にかける。
その間に、駿紀は袋を開き、二人分のコーヒーを取りだす。
大きめのサイズなのは、書類相手の眠気を紛らわす意味もあるからだ。
もうヒトツの方を開いていると。
「赤いテープの方が、BLTのレタス増量のだ」
透弥が、ぼそりと言う。
「へ?」
顔を上げて、透弥を見上げる。
視線が合った透弥は、一瞬ためらったように瞬きをする。
「違ったか」
「いや、合ってる。ありがとう」
駿紀は、にっかりと笑う。
細部まで良く観察が行き届くとは知っていたが、自分の些細な好みまで覚えてくれているとは思っていなかった。
手を洗い終えた透弥が、自分の分を手にしつつ反対には書類を手にする。
「ひとまず、絶対無理ってのだけハズしてある」
「ああ」
頷き返すと、手早くめくって行く。後で相手にもチェックを頼みたい箇所には付箋だ。
そこから先は無言の時間が続く。
紙だけが、素早くめくられていく音。時折、付箋を貼るために小さく動く音。それから、コーヒーを手にする音。
食べ終えた袋は、少しだけ離れたところに放って置かれたまま、陽はいつしか方角を変えて差し込んでくる。
「よっしゃ、こんなもんか?」
サンドのゴミが入っていた袋をくしゃっと丸めて、ゴミ箱へと放りつつ駿紀が首を傾げる。
「そうだな、返却分はこの程度か」
「減ったなぁ」
思わず、駿紀は声に出して言ってしまう。
九月になったばかりの頃に初めて持ち込まれた依頼は、ほとんどが返却だったのに。
「こっちは電話連絡分か」
「要確認分含めてだが」
「うん、で、コッチのは林原さんと直にやり取りしてもらうのがいいのだな」
はっきりと証拠になりうるモノが存在している以上、筋としてはそうなる。すでに事実上の五人体制である以上、特別捜査課が変に間に入るよりも解決もスムーズなはずだ。
もっとも、全部が全部という訳にもいかないのだが。
そういったモノは、別の山だ。
「で、こっちが神宮司スペシャル」
ぽん、と叩いた、突出した書類の山に透弥の眉が寄る。
「どういうことだ」
「神宮司なら知ってるか説明出来るって思うモノ」
「根拠は」
「俺の勘」
いっそ清清しいくらいにきっぱりと言い切った駿紀に、透弥は微妙な表情で視線を逸らす。
が、手元にあるすっかり冷めたコーヒーを手にすると、ぐ、と妙な勢いで口にする。
「神宮司?」
それ、不味いんじゃとかなんとか、うっかりとした軽口はすぐに駿紀の喉に飲み込まれる。
透弥は珈琲を喉に流し込み終わると同時に、駿紀がひときわ高く積んだ山から手にして、素早く視線を走らせていく。
ページを繰り、同じ行を何度か確認して、電話を手に取る。
うっかりと視線でその動きを追っていたことに気付くと同時に、透弥の視線も上がる。
「隆南?」
我に返って、頷き返す。
「ああ、他は俺がやるよ」
先ずは、確認が必要なモノの問い合わせを進める。当然のように、その中のいくつかは神宮司スペシャルの中に入り、いくつかは科研行きだ。時折、いつもの勘が働く時には適切な言葉のオブラートに包んで、こういうコトは考えられませんか、などと伝えてみる。
役立つかどうかは、更なる捜査を待つしかない。だが、元の依頼が嫌がらせだろうがなんだろうが、自分が出来る限りのことはしたいと思うし、しようと思う。
積み終えた科研への書類をまとめて、林原へと連絡を入れる。
「また事件?」
楽しげに聞き返してくる林原に、駿紀は電話のコチラで頷く。
「そう、他の班とか、所轄のだったりだけど。証拠の解析がほとんどなんで、ソチラで判断してもらった方がいいと思って」
「イイけどねぇ、科研からの連絡なんて歓迎されないでしょ」
「もう、そんなこと無いと思うよ。ウチに協力依頼してる時点で科研のコトを考えて無い訳じゃないし」
実際、特別捜査課と科研は切っても切れないし、すでに周囲もソレは認識しているはずだ。
「そうかなぁ。そうだねぇ、ウチで出来そうなコト逃すのは惜しいし、引き受けるよ。連絡入れる時は特別捜査課からって言えばいいよね」
「もちろん、構わないよ。問題無ければ、今から届けに行くけど」
「あ、いやいや加納ちゃんに取りに行ってもらうから」
林原が気を使うのへと、駿紀は返す。
「いや、こっちも他の書類があるんだ。大丈夫」
「了解、よろしくねぇ、待ってるから」
受話器を下ろして、まとめておいた書類の山二つを手にすると、電話中の透弥へと扉と書類を指して見せる。
言いたいことはわかったのだろう、あっさりと透弥は頷き返す。

駿紀が足取り軽く階段を下りていると、見慣れた人影がある。
「勅使さん、こんにちは」
声に、振り返った勅使は、笑みを返してくる。
「機嫌が良さそうだな」
「え、そうですか?」
思わず顔に手をやる。その仕草がおかしかったのか、勅使の笑みがいくらか大きくなる。
「いいコトでもあったか」
「ああ、ささやかなコトを覚えておいてもらえるのって嬉しいモノだなとは、思ってました」
「神宮司に?」
具体的に問い返されて、駿紀は照れくさくなる。イイ年の男が言うようなことではない。
「ま、最初がちょっと険悪だったから、思うのかもしれませんけど。俺、書類届けに行かなきゃいけないんで」
と、背を向けようとした足が、止まる。
勅使の顔に、実に柔らかな笑みが浮かんだのだ。
「いや、わかるよ」
「ありがとうございます、では」
「ああ」
頭を下げなおしたのへと、勅使もそれ以上は引きとめようとせずに軽く手を上げる。
勅使にもそういう経験があるのだな、と駿紀はなんとなく嬉しくなりながら地下まで降り、ガラクタがすっかり片付き、測定機や観察機器が整然と並び始めた部屋の扉を開ける。
「こんにちは」
「あ、いらっしゃーい」
すぐに林原が笑顔で振り返る。
「ここ、どうぞ」
と勧められた椅子に腰を下ろし、持ってきた書類を手渡す。分厚い眼鏡の奥の林原の目は、すでに面白いモノを探すモードだ。
「ふうん」
などと時折呟きながら、全部に軽く目を通して顔を上げる。
「うん、了解。特別捜査課がコチラが適当と判断したのでって前置きして連絡するよ。ウチを使うかどうかはアチラさんの判断次第だけどね」
「じゃ、お願いします」
と、周囲にも頭を下げて、科研を後にする。
受付に寄って、すっかり顔なじみになったメール担当の青柳に返却分の処理を頼み、特別捜査課に戻る。
ちょうど、透弥が受話器を置くところだ。
視線を上げて、駿紀を見やる。
「そちらは?」
「返却分まで完了」
返して、机の上を見て。
「もしかして」
「全て片付いた。今日分は完了だ」
昼食の時間をつぶした効果だろうが、まだ定時を一時間回った程度だ。
「早いな」
駿紀が素直に感心すると、透弥は軽く肩をすくめる。
「分類が的確だったからだ」
「アレ、全部わかったのか?」
思わず目を見開きながら駿紀が問い返すと、透弥の眉が微かに寄る。
「問い合わせ先を教えただけのモノもあるが」
確かに自分の勘は妙に働く、とは思うが、あの雑多なジャンルを本当に全て片付けてしまったとは頭が下がる。
が、それをイチイチ言われるのが好きではないと、駿紀はもう知っている。
「じゃ、早く終わったってコトで、どっかで食って帰ろう」
「食べる、じゃなくて、飲む、の間違いだろう」
「ま、な。美味いモノには美味い酒だから」
悪びれない駿紀に、透弥はあっさりと頷き返す。
「それには、反対しない」
らしい返答に笑い返しながら、さて、今日はどこにしようかと首をひねりつつ立ち上がる。


〜fin.

2010.09.30 LAZY POLICE 〜Normal operation〜

■ postscript

ぱんだもちサマよりの『駿紀と透弥』御礼に。
刑事のご飯、昼の部です。


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