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 風至  ズカゼイタル

小さな石ころを踏んだらしい。
ごとん、という大きな音を立てて馬車が文句を言う。
が、乗ってる方は道が悪いのには慣れているらしく、一人などは楽しそうに笑い声をたてる。
「この馬車って、丈夫が取り柄だねぇ」
とは、この衝撃で起きたらしい青年の弁。
幌から顔を出して、眠そうに目をこすりながら、手綱を握っている男の肩の上へと声をかける。
「ポリー、まだっぽい?」
「そろそろだと思うんだけどぉ」
先ほど笑い声を上げた妖精サイズの少女が唇に手をあてながら、目を凝らす。外見は少女だが、仕草は女のモノだ。
声をかけた青年の肩にいた同じく妖精サイズの少年が、手綱を握る男の反対側の肩へと飛び移る。
「近い感じするけどな」
「あ、見えたぁ!」
ポリーこと、ポリアンサスが一点を指さす。
それまで全く表情を変えずに前だけを見ていた男も、ポリアンサスが指した方へと視線を向ける。
青年が、にやり、と口の端に笑みを浮かべる。
「おやおや、今回もまた、やりがいがありそうだ」
「見えてきたの?」
もう一人、声が加わる。
そう大きくはないのに、誰よりも通る声。だが、どこか眠そうだ。
「おっはよ、アイリーン」
妖精サイズの少年が、にんまりと笑う。
「いーま起きたの?」
「そうよ。なにかご意見でも、ベック?」
アイリーン・ガードナーに、にっこり、と微笑まれてベックは慌てて首を横に振る。青年が、くすり、と笑う。
「アイリーン起こそうと思ったら、天地ひっくり返さないと」
「ニール?」
笑顔が、今度は青年の方へと向く。
が、ニール・ラーセンは気にする様子なく、くすくすと笑う。
「いいじゃないか、『睡眠』は大事なことなんだし」
「女の子にイジワルすると、幸せになれないんだよぉ?」
どこか、悪戯っぽい笑みを浮かべたポリアンサスが、ニールのほっぺたをむにっと引っ張る。ポリアンサスとアイリーンは顔を見合わせると、
「ねぇ」
と頷きあう。
手綱を握っている男が、ぼそり、と口を挟む。
「天地がひっくり返っても、起きないと思うが」
「ひどいわね、リフまで!」
リフと呼ばれた男は、自分の額にかかるクセっ毛を払いながら、口の端に笑みを浮かべる。
「そろそろ『入る』ぞ」
「はぁい、リフ団長♪」
返事を返したポリアンサスの顔に、先ほどまでの無邪気なモノとは別種の笑みが浮かぶ。
それは、ベックもニールも、だ。
瞼を閉ざし、ヒトツ、大きく息をしたアイリーンも、まっすぐに目的地へと視線を向ける。

街、というよりは、村、と言った方がよさそうなこじんまりとした目的地の、空地へと馬車は止まる。
すぐにアイリーンが飛び降りてきて、馬を馬車から離してやりはじめる。
リフとニールは、幌の中から大きな布や綱を取り出し始める。テントの用意だ。
カタチが半分ほど出来始めた頃だろうか。
やっと汲みだして来た水を馬にやっていたアイリーンの周囲へと、小さな影が近付いてくる。
それも、複数だ。
アイリーンは顔を上げる。
視線の合った先頭の少年が胸をそらせるようにして、尋ねる。
「おまえら!ここで何してる?」
「こんにちは」
おっとりという表現がぴったりの表情で、アイリーンは首を傾げてみせる。
それから、にっこりと微笑む。
「私たちはね、ラオシア・マジック・サーカスっていうの。ちょうど良かったわ、この村の代表の方はどこかしら?」
少年は、少々笑顔につられつつも、かろうじて語勢を弱めずに尋ね返す。
「村の代表に、何の用だ?」
「ここで公演する許可をいただかなきゃダメよね」
「…………」
少年は、後ろからついてきている数人の同じ年頃の子供たちへと振り返る。
マジックとかサーカスという単語に、興味を惹かれない子供はいない。
誰もが、期待するまなざしで少年を見つめ返している。
もちろん振り返った少年とて、それは同じだ。
少々渋い顔つきながらも、アイリーンの方へと顔を戻し、おそらくは彼が出来る最大限の威厳を見せて言い放つ。
「いま、この村の大人はわけあって出払ってる。だから、今の代表は僕だ。特別に許可する」
アイリーンは、大人に対するのと同じように丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます」
わ、という声が少年の後ろから上がる。
「ね、何時から?」
「今日、やるんだよね?」
「今日のね、月が昇る頃からよ」
「皆、一緒に入れる?」
「大丈夫、皆、一緒に来てね」
「お金、たくさんいる?」
「子供は、お金いらないのよ」
口々に問われるのに、ヒトツヒトツ、アイリーンは丁寧に答えていく。
その肩口から、不意に新たな声が加わる。
「そうそう、だから子供は遠慮なく来なきゃソン!」
「あ!」
「すごい、小さい人だ!」
子供たちは、口々にアイリーンの肩を覗き込む。
「ねぇねぇ、男の子だけ?」
「女の子いないの?」
そんな声々の中に、小さな声が混じる。
「え?女の子しか……」
アイリーンは微笑んだまま、子供たちに告げる。
「さ、これから魔法をかけるからね。始まるまではここへ来ちゃダメよ?」
「はぁい」
「ぜったい、来るからね!」
「あとでね!」
思い思いに手を振りながら、子供たちはばらけていく。
その後姿が、完全に見えなくなってから。
右肩に乗っているポリアンサスが、口の端を歪めて笑う。
「みーぃつけたぁ」
「アイリーン、顔、覚えたか?」
左肩のベックの目も細まっている。
「ええ、憶えたわ」
はっきりとアイリーンは頷いてみせる。胸元で、きゅ、と固く手を握り締めながら。
「だぁいじょぉぶ、アイリーンの腕は、ぜぇったい確かなんだから」
「そうそう、俺たちが認めてる腕だからね」
「ありがとう」
微かな笑みが、アイリーンの顔に浮かぶ。
ニールの呼ぶ声がする。
「テント、仕上がったよ!」
「はぁい」
真っ先にポリアンサスが返事を返し、ベックも飛んでいく。
それでも、まだしばらくアイリーンは子供たちが消えた方向を見つめていたが。
自分に言い聞かせるように、ひとつ頷く。
そして、きびすを返す。

月が、空へと昇る頃。
村の真ん中に出現したテントは、色とりどりの明かりに取り囲まれて煌めいている。
そして、その中からは、いつ始まるのかと固唾を飲んでいる子供たち。
ただでいいと言われた年頃ばかりで、もしも冷静な人間が混じっていれば、こんなで採算がとれるのかと首を傾げたくなるが、中止という知らせはない。
眩しいくらいだったテント内が、急に真っ暗になる。
流れ出す音楽と、ライトがヒトツ。
にこり、と笑ったのはピエロだ。
アンバランスなくらいに大きな帽子を被って、首を傾げる。
「皆様、ようこそラオシア・マジック・サーカスへ!」
ぱっと手を広げると。
いや、手は上がらない。どうやら、衣装に縫い付けられてしまっているらしい。
くすくす、という笑い声が子供たちの口から漏れている。
あせった様子で袖をはずしてから、ピエロは微笑み直す。
「これはこれは、失礼を。これから、この偉大な私……」
得意気に言い始めたピエロの帽子が、ひょい、と持ち上がる。
「ああ?!ポー?!」
くすり、と笑うように鼻を鳴らして、ポーと呼ばれた馬は大きく跳ねて、ピエロの反対側へと飛ぶ。
その口には、ピエロの帽子をくわえたまま。
「こら、ポー!この偉大なピエロ、ニール様の帽子を取るとは失礼な!」
くすくす笑いは、どっという大笑いへと変わる。
明るくなった舞台では、観客そっちのけで馬とピエロの追いかけっこが繰り広げられはじめる。
飛んだり跳ねたり、輪をくぐり、ボールに乗り。
障害物だらけの舞台を、所狭しと駆け巡る一匹と一人に、やんやの声があがる。
「ポー、右、右によけて!」
馬を逃がそうとする声が上がると思えば、
「ピエロさん、あと少し!」
哀れなピエロを応援する声。
小さな観客たちが、すっかりピエロと馬に引き込まれたのを見ながら、舞台での演目以外の全てを扱っているリフは隣へと視線をやる。
すっかり舞台用の衣装へと着替え終えたアイリーンが、こくり、と頷き返してみせる。
無表情のまま音響装置を調整しつつ、リフが左手を自分の口元へと持っていく。
それを見て、アイリーンはもう一度頷く。
微かな笑みが、口元へと浮かぶ。
少々ぎこちないようだがと思いつつも、リフはライトも調整する。
舞台上では、ピエロがやっと帽子を取り戻したようだ。
息を切らせながら、帽子を被りなおして観客へと向き直る。
「いやはや、ホントに失礼しました。本来ならば、ここで偉大な私……」
また、帽子がひょい、と持ち上がる。
「こら!」
慌てて追いかけながら、ピエロが言う。
「代わりに、魔法の手を持つ奇術の姫の登場です!」
追いかけっこをしたまま、馬とピエロは薄暗闇へと消えていく。
舞台の中央だけに明かりが落ち、その下には。
人形のように瞼を閉ざし、無表情に立つ一人。
背の高い帽子を被り、手を胸の前でクロスさせている。
その指先には、小さなボールがヒトツずつ。
さっと手が両側へと動くと、ボールは二つずつ。
もう一度、クロスされた時には。
ボールは、四つずつ。
両手が握り締められて、ぱ、と開かれると。
ボールは、どこにもない。
同時に、彼女は瞼を開き、にこり、と微笑む。
わ、と歓声が上がる。
指輪をはずし、握り締めて開くと、美しい色のハンカチがふわり、と広がる。
きゅ、と掌につめられれば。
次の瞬間には、消えている。
かと思えば、反対の手から二枚になって現れる。
帽子に入れば、とめどなく繋がって出てきて、握り締められれば花になる。
咲き始めた花は、あっというまに増えていき、花火のように会場中へと散っていく。
ステッキを手にすれば、それは宙を自由に飛び、トランプのカードたちは、あらゆる場所から場所へ現れては消えていく。
彼女は見入る子供たちの中から、一人の少女の手を引くと、舞台の中央へと連れて出す。
少女は、期待と不安のないまぜになった表情で、アイリーンを見上げる。
アイリーンは、にこり、と微笑む。
いやがおうにも高まる期待の音を表すかのような、ドラムの音とともに、ひらり、と大きな布が少女の前に掲げられ、そして。
ひらり、と取り除けられると。
そこにはもう、誰もいない。
背の高い帽子を手に、アイリーンが深々と頭を下げて見せると、子供たちからは歓声が上がる。
盛大な拍手が沸き起こったのを合図にしたかのように、舞台の明かりは、全てが消える。
そして、静かな声。
「本日は、ラオシア・マジック・サーカスをご覧いただき、まことにありがとうございました」
終わりを告げる声。
まだ、興奮冷めやらぬ様子で、一人、また一人と子供たちは席を立っていく。

静寂が支配し始めたテントに、やっと灯りが点く。
舞台にいるのは、たった一人。劇団長である、リフ・バーネットだ。
観客席には、まだ一人の子供が残っている。
村に着いたときに、今は僕が代表だと言い放った少年だ。
リフが微笑む。
「今日の出し物は、終わりだよ」
だが、少年は席を立とうとはしない。
睨みつけるように、リフを見つめている。
「メアリを、どこへやった?」
低い声で、ぼそり、と尋ねる。
「メアリ?」
不思議そうに首を傾げたリフへと、少年は駆け寄ってくる。
「最後に消しただろ?!メアリ、消えたままじゃないか?!どこやったんだよ?!」
相変わらず、リフは微笑んだままだ。
「帰るべき場所に」
「メアリの帰る場所は、ここだけだ!自分で選んだんだから!返せよ!メアリを返せったら!」
リフの服をひっつかんで、少年は必死の形相で叫ぶ。
眼鏡の奥の瞳から、笑みが消える。
「そして、寂しい子供を増やすのかい?」
静かな声に、ぎくり、としたように少年の瞳が揺れる。
「さ……寂しくなんかない、皆いるんだから!」
「じゃ、なんでメアリを呼ぶ必要があった?寂しくないのなら、呼ぶ必要なんかなかったろう?」
「違う、僕らが寂しかったからじゃない、メアリが……メアリが僕らを呼んだんだ」
「君たちが、ここにいるって知らなかったのに?」
ぐ、と少年は言葉に詰まる。
だが、すぐに首を横に振る。
「でも、僕らには聞こえた!メアリの声が!」
「そして、連れて来た。自分たちと同じ、終わり無い死の世界へと導く為に」
怯えたような目付きになった少年は、掴んでいたリフの服を離す。
化け物でも見るような目つきになり、数歩、後ずさる。
「し……死んでなんかない、僕らは……」
「そう、死を認めない限りは、終わらない」
新たな声が、加わる。
視線の先には、マジシャンの姿をしたままのアイリーンが立っていて、左肩には見覚えのある小さな人がいる。
声の主は、その小さな人だ。
「君には、僕だけが見えているね?それは、終わらぬ死の世界にいる証拠」
「どうしてそれが、証拠になる?!」
ふ、とベックの口元に笑みが浮かぶ。
「なぜなら、君には、相方が見えていないから」
ベックの視線が、アイリーンの右肩へとうつる。つられるようにして、少年の視線もうつっていく。
だが、そこには、なにもいない。
「う、ウソだ!騙されないぞ?!」
「嘘かどうか、彼女に尋ねてみたらどうかな?」
また、新たな声。
ピエロを演じていたニールのものだ。だが、その声も衣装も、ピエロとは似ても似つかない落ち着いたモノとなっている。
そして、彼の手に引かれるようにして現れたのは、最後の手品で消えた少女、メアリだった。
「メアリ!」
少年が駆け寄ろうとするが、リフに制される。
メアリはどこか不安そうな瞳で、少年を見つめ返している。
少年は、必死の声で尋ねる。
「メアリにだって、一人にしか見えないだろう?!小さい人、男の人しか、いないだろ?!」
大きく目を見開いたまま、メアリは少年を見つめたままだ。
「メアリ?!」
「ヴィキンズ、私……私、右にいる、女の子しか見えない……」
ヴィキンズと呼ばれた少年は、大きく目を見開く。
そして、がくり、と肩を落とす。
アイリーンの右肩にいるポリアンサスがにっこり、と微笑む。邪気がないせいで、返って怖さを感じさせる笑みで。
「そう、それは死の世界の中にいる、生ある者という証拠」
ポリアンサスとベックの声が揃う。
「二人一緒に見えぬのは、歪んだ存在という証拠」
「メアリにはまだお父さんもお母さんもいて、一生懸命に探しているんだよ」
リフの声に、ヴィキンズは顔を上げる。
その顔からは、先ほどまで浮かんでいた怯えも恐れも、そして焦りも消えていた。
ただ、どこか哀しい笑み。
「どれくらい経ったの?」
「百年と聞いたよ」
「そんなに経ったんだね、あれから」
呟くように続ける。
「このあたり一帯が、ものすごい飢餓だった……戦争とか天災とか、悪いことが皆、一度にやってきて。大人たちは、決死の覚悟で食料を探しに出て、そして……間に合わなかった」
言葉が途切れる。
少し、唇を噛み締める。
「……死んだ子供たちを見るに忍びなくて、大人たちは距離をとって、新しい村を作ったんだ」
メアリは大きく目を見開いたまま、ヴィキンズを見つめている。
ヴィキンズは、リフをまっすぐに見つめたままだ。
「僕以外はまだ、親たちがいつか帰ってくるって信じてる。自分たちが死んでるってことすら、知らないんだ……そう言い聞かせてやらなかったら、泣いて泣いて止まらなかったから」
一歩、メアリが近付くが、そちらへは視線をやらずに続ける。
「今晩ならお祭り気分でいるから……どうにか出来ると思う」
にこり、と微笑む。
「最後に、夢を見せてくれてありがとう」
とうとう、最後までメアリの方へは向き直らないまま、ヴィキンズは背を向けた。
すっかり、姿が見えなくなってから。
見開かれたままのメアリの瞳から、涙が零れ落ち始める。
「私……私、病気で、ぜんぜん、外に行けなくて……ずっとずっと、外へ行きたいってお祈りしてたの……」
大きくしゃくりあげながらも、必死で言葉を綴る。
「呼んでいたのは、私だわ……ヴィキンズは、悪くないわ……私……私、ヴィキンズたちとここで走り回れて、すごくすごく、嬉しかったの……私……」
アイリーンが、そっと抱き寄せる。

翌朝。
朝日がまぶしいくらいの街は、昨晩の華やかさが嘘のように静まり返っている。
テントが幌の中に収められ、馬が馬車に繋がれ、あとは人が乗るだけになった時。
かさり、と音がする。
真っ先に声を上げたのは、メアリだ。
「ヴィキンズ!」
ヴィキンズは、にこり、と微笑むと、リフへと視線をやる。
「もう、皆は行ったよ。きちんと、事情も理解して」
「……そうか」
それから、ヴィキンズはメアリへと向き直る。
「メアリ、短い間だけど、君が一緒に遊んでくれて僕らはとても楽しかったよ」
慌てたように、メアリは首を横に振る。
「ううん、私の方こそ、私こそ、お礼を言わなきゃ!だって、こんなにいっぱい走り回ったの初めてだったの、すごくすごく、楽しかった」
ふ、とヴィキンズの笑みが大きくなる。
「これ、僕らからのお礼。受け取ってくれるかい?」
そっと出されたのは、小さな小瓶だ。
「いいの?」
「うん、僕らはもう、いなくなっちゃうから……メアリがもらってくれたら、皆、すごく喜ぶよ」
いなくなってしまう、という単語に、メアリの瞳が一瞬揺れるが、こくり、と大きく頷く。
「ありがとう、大事にするね」
そっと受け取ったビンを、言葉どおりに胸に抱え込む。
ヴィキンズはくすり、と笑う。
「そのビンね、開けてみて」
「開けちゃうの?」
「そう、開けて欲しいんだ」
メアリはもう一度、こくり、と頷く。
「うん、ヴィキンズが言うなら、そうするね」
蓋を開けると、きらり、と光が飛び出して、メアリの周りをくるくると回る。そして、すう、と吸い込まれるように消えていく。
驚いて周囲を見回すメアリを、ヴィキンズが笑顔で見つめている。
「もう、苦しいことないし、いくらでも走り回れるよ」
「ヴィキンズ……?」
「僕たちのあったはずの命。メアリにあげる」
「ありがとう……大事に、するね」
それしか言えずに、メアリはヴィキンズを見つめる。
「これは、私たちからの祝福」
両側からくすぐったい感覚がして、見ると、ポリアンサスとベックが笑っている。
ヴィキンズが微笑む。
「確かに、ちゃんと二人見えるよ」
「うん、私も」
メアリも、にこり、と微笑む。
お互い、それ以上の言葉が見つからないまま、立ち尽くしている。
落ちた沈黙を破るように、リフが問う。
「ヒトツだけ、聞きたいことがある」
首を傾げたヴィキンズを見つめるリフの眼は、真剣だ。
「金髪の女の子が来なかったか?このくらいの背で、髪がふわふわとカールしてて、氷のように青い瞳をした」
「うん、来たことがあるよ。でも、他の子らに死を教えようとしたから、出て行ってもらった」
「どこへ行ったか、わかるか?」
ヴィキンズは、首を横に振る。
「さぁ、そこまでは……」
「そうか、ありがとう」
「じゃあ、僕、もう行くから」
くるり、と背を向けたヴィキンズを止めたのは、メアリの声。
「ヴィキンズ!」
驚いたように振り返ったヴィキンズに、メアリは必死の声で言う。
「私、忘れないわ!ヴィキンズのことも、皆のことも!仲良くしてくれたこと、ずっとずっと忘れないわ!」
にこり、とヴィキンズが笑う。
「婆さんになっても忘れないでくれよな」
それから、背を向けて走り出す。
一度だけ、振り返る。大きく、手を振った。
「メアリ、ありがとう!」
そして、その姿は、かき消されるように消えてしまう。
「ヴィキンズ!」
また、メアリの瞳に涙が浮かぶ。
そっと、リフが肩に手をやる。
「さ、行こうか」
大人しく頷いたのを、馬車へと乗せあげてやる。それから、自分は御者台へと歩いていく。
ニールが、アイリーンに笑顔を向ける。
「また、手品の腕を上げたね。あのボールさばきは見事だったよ」
言われたアイリーンに、笑みは無い。
「そう、それはラオシア・マジック・サーカスにとって喜ぶべきことね」
それだけ言うと、くるり、と背を向けて馬車へと乗り込んでしまう。
ニールは、肩をすくめて己の影へと視線を落とす。
「やはり、直接じゃないとダメみたいですねぇ」
影がなにやら答えたようだが、それはニールにしか聞こえない。
「ほーら、置いてっちゃうよぉ?」
幌の中から、呆れたような声でポリアンサスが呼ぶ。
ベックも顔を出す。
「そうそう、いくらピエロだからって、現実オチつけなくっていいからさ」
「言ってくれるねぇ?」
にっこりと笑いつつ、ニールも幌へと乗り込む。
「乗り込んだなら、行くぞ」
リフの声。
「はぁい、大丈夫よぉ」
ポリアンサスが笑顔で答える声がする。
がたん、という音を立てて、馬車は動き出す。
後にする街には、もう『死の影』はない。


Vespertin Masic 〜liang feng zhi〜

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