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ニ宮
 牛宮  羯宮

深い森が続いたあと。
視界がひらけたところには、湖がある。
澄んだ水に住まう者は、たった一人。
半身が人で、半身が魚。
人魚、ではない。
性別も、ない。
ただ、話し振りやスレンダーな上半身から、便宜上、彼、とされているようだが。
名前は宵藍(シャオラン)。
山羊座守護司だ。
『仕事』は、『全てを知ること』。
全てを記しつづける本を、読むことが仕事。
その躰の構造上、地上に上がることも許されず、水に潜ることも許されない。
ただ、湖畔が彼の、唯一の存在できる場所。
彼に会おうと思ったら、自分から訪ねるしかない。
毒舌で知られる彼に、自分から会いに行く者は、少ない。
が、その森に、気配があったらしい。
宵藍は、本から視線をあげながら、抑揚のない声で言う。
「珍しい客だな」
「……まぁな」
木陰から現れたのは、黒い服に身を包んだ紅狐(ホンフー)だ。
マントがひるがえっているところを見ると、『仕事』を終えたばかりなのだろう。
「いいか?」
「イヤだと言っても、無駄なんだろう?」
本を閉じ、自分の前を指す。
座れよ、とは口にしない。
紅狐は、その黒い姿を陽の下に現すと、少し、目を細める。
それから、腰をおろした。
「すぐには、戻りにくくてな」
ぽつり、と言う。
全てを知ることが仕事の山羊座守護司には、説明の必要はないから。
宵藍は、かすかに眉をあげる。
紅狐は、口の端だけに、笑みを浮かべた。
苦笑、だ。
「まぁ、気付くわけもないけど」
牡羊座守護司は、信じているから。
乳白(ルーハイ)は、疑いもしないから。
祝福を与えられた者たちは、与えられる前と変わりないことを。
天に感謝し、地を愛してやまないと。
「適材適所、という言葉もあるからな」
「乳白にぴったりだな」
宵藍の言葉にも、紅狐は苦笑を浮かべたまま。
「なぜ、祝福を与えた者を俺が知っているのか、疑いもしない」
だからこそ、一緒にいて心地いい。
だけど。
ときには、それが、痛いことも、ある。
そう、いまも。
『仕事』だと、わかっている。
それでも、『痛い』のだ。
「戻ったら、きっと」
本に手をかけながら、宵藍が言う。
「また、次の祝福のことを言い出すさ」
「……ああ、そうだな」
紅狐の苦笑は、ゆっくりと溶けるように笑みにかわる。
そして、立ち上がった。
座ったときとは、まったく違う身のこなしで。
「そろそろ、戻るよ」
「ああ」
宵藍の返事はもう、上の空で。
その瞳は、『全てを記す本』に向いていた。
-- 2000/06/13

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