[  ]

〜 空の影 〜


快晴の空が、怖かった。
雲ひとつない青空は、小さな自分を飲み込んでしまいそうで。
その色が、澄んでいれば澄んでいるほど。
でも、それは。
幼かったころの話だ。


ほかの者たちの考えていることは、己の保身のみのことばかりだ。
自分は違う。
天下を見据えている。
乱れた天下が、どうやれば収まるのかを、考えることができる。
そして、機会さえあれば、やりとげることも。
この、程c仲徳になら。
そんな自分の話を学舎で唯一、正確にとらえられる男がいる。
それが、諸葛亮孔明だった。
打てば響くように答えが返ってくる。
孔明と話していると、自分の考えに深みを持たせることができる。ときには議論にさえなる会話が、磨きをかけてくれる。
天下が収まるだけでは、駄目なのだ。
大事なのは、この戦乱が終わったあとのこと。
いかにして、民を安んじるか、それが本当に大事なこと。
だから、戦乱は早く収束させるべきだ。
収束させるためには、やはり、それなりの力は必要。
程cと孔明が力ある者に組すれば、この戦乱は終わる。
敵対する愚は、避けるべきだ。
同等の能力を持つ2人が、同等の力を持つ者に互いに組すれば、戦乱はさらに泥沼の様相を呈するから。
だから、共に組するべきだ。
いま、もっとも力を持つ者は誰か?
それは、曹操。
話がそこまで進むと、孔明はふと口をつぐむ。
そして、ほとんど独り言のように呟く。
「だが、私は納得できないのだ」
落ちた視線が、らしくなく思えて、元気付けようと肩に手を伸ばした。
が、その手はそこで止まる。
孔明の落ちた視線の先は、自分は見たことのない、何かを見ていたから。
自分には、わからないなにかを、彼は抱えている。
そして、それゆえに、彼は迷っている。
「力と力がぶつかるのだ、血が流れるのは当然だろう」
程cが言う。
孔明は、微笑んだ。
「理解はできる、だが、納得できないんだ」
このままでは、血は流されつづける。
多少の犠牲は覚悟して、この戦乱は終わらせなくてはならない。
そこまでは、同じだ。
その先も、自分にとってははっきりしていた。
だけど、孔明には。
唯一の、磨き合える相手だ。
共に並んでいきたい。
先んじることはあっても、遅れることだけはしたくない。
迷っているかぎり、孔明が先んじることはない。
だが。
ふと、不安になるのだ。
彼から迷いが取り去られたら、どうなるのだろう?
彼が、その視線をまっすぐに前に向けたら?
彼は、なにかに、似ている。
いったい、なにに?
考えを振り払うように、首を横にふる。
何を考えているんだ。
迷いがなくなったところで、行きつく結論が変わるわけではない。
いま、最高の力を持つ男は曹操で、これに組するのが最も戦乱を早く収める手段なのだから。


機会は、訪れた。
曹操からの、使い。
名が広まることは、止めなかった。優秀な人材と認めたならば、どんなに遠方の者でも求める男、それが曹操だと知っていたから。
使者が訪れたのは、いわば必然。
目の前に機会が訪れたと知れば、きっと。
孔明の迷いも、消えるに違いない。
はずんだ足取りで、草庵に向かったが。
「やはり、納得できないんだ」
誘いの答えは、いつもと変わらない。
がっかりした表情が顔に出たのだろう。孔明は少し、困ったように微笑んだ。
それから、視線を少し落とす。
いままでは、そのまま黙り込んでしまったのだが。
今日の彼は、もう一度視線を上げた。
そして、静かな口調で言った。
「幼いころ、徐州で曹操が無辜の民を皆殺しにするのを見た」
話には聞いたことがある。
父親を殺された報復に、大量殺戮を行った曹操。
後にも先にも、自己を見失ったと思える行動は、あれだけだ。
賢い者がおれば、それはあるまい。
「だけど、納得できないんだよ」
あまりにも、多くの血を流しすぎる。
孔明は言う。
まったく流れないままに戦乱を収束させようというのは、奇麗ゴトだ。
だが、限度がある、と。
「曹操が、もっとも天下に近い男だというのは、わかっているよ。君がつくのだから、尚更」
さらりと言う口調に、嫌味はない。
「だけど、私の身の振り方は、もう少し考えてみたいんだ」
これ以上、誘っても無駄だとわかる。
物静かだが、こうと決めたら動かない頑固なところがある。
もっとも、それは程cとて同じことだが。
「そうか」
頷かざるを得なかった。
だけど。
心の中に、なにかがわだかまる。
いや、知っている。
孔明は、きっと来ない。
彼はいつか、迷いを断ち切るだろう。
それが、できる男だ。
そして、自分とは異なる道へと進んでいってしまう。
消えない焦燥感。
まっすぐ前だけを見つめつづける彼が、ずっとずっと、先へ行ってしまうのではないかという。
だが、それは、根拠のないこと。
ふ、と微笑む。
まだ、目前の彼は、迷っている。
迷った末に出る答えは、誰も知らない。
本人でさえ。
だけど、焦燥感は、消えない。
彼は、なにかに似ている。
漠然とした不安。
「敵対は、したくない」
「私もだよ」
孔明も、にこり、と微笑んだ。
その瞬間だ。
なにに似ているのか、わかったのは。
彼は、空に似ている。
誰にも、捕らえられない、青い空に。
そして、迷いが消えたとき。
彼はきっと、快晴の青空になる。

幼いときからずっと、恐れずにはいられない、快晴の空に。


〜fin.〜
2000.05.11 Phantom scape III 〜Shadow of the blue sky〜


蛇足!
22222hit前後賞ってことで、かなえさまに押し付けます。
ネタ的には、スーパー歌舞伎の『新三国志』です(笑)。旬ネタってことで。
程cの話にするはずが、なんだか孔明の話になっちゃった気がしますね。
あっはっは(笑って逃亡)。



[ 戻 ]