『 イツカノ為ノ約束 』



青年の口から、呪がこぼれだす。
目前にある暗い球に、薄い光が宿る。
その光は、みるみる明るさを増していく。
青年の声は、高くなることも無く、大きくなることも無く続く。
やがて、眩いばかりの光は収まり、球の中には景色が映し出された。
球の中では、戦が繰り広げたられている。
遠い場所の、現実。
いや、この山を降りたら。
どこにでもある、日常の風景だ。
球の中の戦いは、一方的だ。
赤の軍勢が、みるみる緑の軍勢を押していく。
球を見つめる青年の口元に、笑みが浮かんだ。
酷薄な、とも言うべき冷たい笑みが。
景色の中にいれば、剣と剣がぶつかり合う音、矢が天を翔ける音。
そして、人々の声が入り乱れているのだろうが。
ここは、静かだ。
が、その静けさは、あっさりと破られる。
部屋の扉が大きく開かれ、軽やかで慌しい足音がする。
これでも、彼女は相当静かにしているつもりなのだ。
ぴょこん、という擬音がぴったりの仕草で、青年の後ろから球を覗く。
「また、劉備さんが負けてますね」
驚いた様子もなく、青年の妻である彼女は言う。
青年は球を見つめたまま、気のない声で返事を返す。
「曹操には『天命』がありますから」
追い詰めている赤い軍勢が、曹操の軍。
明らかな劣勢に立たされている緑の軍勢が、劉備の軍だ。
「あ、でもほら」
彼女は、球の端の方の景色を指差した。
「劉備さんに、援軍です〜」
「あれだけの兵では、戦況は変わりません」
その口調は、冷めているというよりは。
何か言おうとして、彼女が何も言えないでいる間に。
青年の言うとおり、緑の軍は撤退をはじめる。
「援軍の方も、ついて行くみたいです」
嬉しそうに言ったのは、彼女だ。
猛将らの殿のおかげで、緑の軍隊は大きな被害を出すことなく、撤退に成功したようだ。
いや、ほぼ無傷の援軍がついていったから、戦が始まる前よりも兵は増えたかもしれない。
そこで、球の景色は消える。
弾けるような光が広がり、やがて暗い球に戻る。
彼女は、青年の後ろで首を傾げた。
「不思議だと思うことがあるんですけど、質問してもよろしいです?」
好奇心旺盛な彼女は、森羅万象全てが疑問の対象だ。
青年は静かな表情のまま、振り返る。
「なんです?」
「『天命』は曹操さんにありますのね?」
「そうですね」
彼女は、ますます大きく首を傾げる。
「じゃあ、劉備さんは『天命』に逆らっていますのね?」
「そういうことに、なりますね」
「なのに、だんだんたくさんの人が、劉備さんに付いていきますわね」
まっすぐな視線で、青年を見つめる。
「どうしてなのでしょう?」
「…………」
青年は無言のまま、光を失った球に視線を戻す。
「曹操さんに付いて行くよりも、死んでしまう可能性も高いし、ご飯だって満足に食べられないかもしれませんのよね」
言っていることは子供のようだが、その声は真面目そのものだ。
「生半可な気持ちでは、付いて行けないと思いますのよ」
だが、青年からの返事はない。
「にしても、劉備さんのところにくる援軍は、いつも武将の方ばかりですね」
彼女は、青年の肩に手をかけた。
「足りませんよね?」
「……そうですね」
らしくなく、ぽつり、とした声が返ってくる。
「お願いが、あるのですけれど」
彼女の話題が飛ぶのは、いつものことだ。
が、そのことに青年は安堵したのか、柔かな笑みで振りかえった。
「どんなことでしょう?」
「行く時は、私もつれて行ってくださいね」
青年は、少し驚いたようだ。
「私は、どこへも行きませんよ」
彼女は、首を横に振る。
「いまじゃないですけれど、いつか、そういう時が来たら、です」
「…………」
毎日の日課のように、球を覗く。
そして、映るのは、いつも緑の軍。
聡明な彼女が、気付かぬはずは、ない。
わかってはいたけれど。
「わかりました、いつかその時が来たら、一緒に行きましょう」
「嬉しいです〜」
ひとしきりはしゃいだあと。
彼女は、もう一度、首を傾げた。
「質問が、もうヒトツあります」
「はい?」
「少し、お腹がすきませんか?」
今度は、青年のほうが首を傾げた。
「いますぐに、麺なんて食べたいな、なんて思いません?」
彼女は、一生懸命言う。
青年は、なにが言いたいのかわかって笑顔になった。
「また、新しい発明品ができたのですね?」
「はい!粉惹き人形なのです〜」
「ほう、さっそく成果を見せていただきたいものです」
言いながら、青年は立ちあがる。
彼女は、待ちきれぬように青年の手を引いた。
「それはもう、あっという間に粉が轢けてしまうのです」
早口に説明する彼女に、いちいち頷きかけている青年。
二人の姿は、台所の方へと消えていく。

誰もいなくなった部屋で。
青年の呪文もなしに、球がぼうと光をおびる。
そして、うっすらと景色が浮かび上がる。
球の中には。
緑の軍勢を引きつれた、大将が映し出される。
彼は、言った。
「俺たちには、軍師が必要だ」
妙にはっきりと、その声だけが部屋に響き。
そして、光は消え、静寂が訪れる。


〜fin.
2001.05.13 A Promise for Tomorrow.

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蛇足!
決戦II版の孔明夫婦。
黄月英があまりにきゃぴきゃぴなしゃべりようのせいか、「会話してるところが想像不可能」とスタッフにまで言われていたのですが、そうかなぁ?想像しやすいけどなぁと思って書いたブツ。
孔明のとこって、子供も遅かったし、すっごい仲良かったんじゃないかと思っております。
ついでに、あまりにあっさりと出盧したので、そこらの謎解きも込めてみたりとか。


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