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降ル

 草盧対


正直なところ、困惑している。
劉備は、目前に膝をついたまま微動だにしない。
親子ほども年の離れた若造の前に、皇叔であり一城の主である男が土下座に近い姿でいるのだ。
こんなところを一緒に着いて来た韋丈夫たちが見ようものなら、どんなことになるか知れたものではない。
孔明はため息をかみ殺して、目前の人物を見つめる。
「私はこの通りの田舎者。ここで畑を耕しているのが精一杯です」
「先生、へりくだるのも度が過ぎれば、ただの嫌味でしかありません。先ほど、あれほどにはっきりと進むべき道を示されたではありませんか」
「買いかぶりすぎです。机上で物を言うことに少々長けているだけで、実行することには向いていません」
「ええ、そうでしょうとも」
ごくあっさりと肯定してみせた劉備は、ひた、と孔明を見据える。
「一人で何かを動かせる人間など、いません。先生の大策を実行するのは私です。私と共にある皆です」
膝をついて懇願する姿なのに、瞳だけはまっすぐに孔明を捉えて離さない。
吸い込まれそうに澄んだ目だ。
幾度も死線を越えてきたようには、とても見えない。
「まかり間違って献策などさせたら、人か鬼かと疑われることをしてのけよ、と言うかもしれませんよ」
「それしか、民を救う策が無いのならば」
一拍の間は、むしろ劉備の本気の表れだ。
「それは、貴方個人の意思です。皆もという保証はありません」
「いいえ、皆、理解します」
きっぱりと返してくる。
「先生がお示しになった計は、己が知識を得るが為のみに学問を修めた者が思いつくものではありません。民をないがしろにしても考えつきますまい」
劉備の言葉は、けして口説き上手というのでは無い。が、至誠が篭っている。
「どうか、私の元でご指導下さい」
とうとう、床に頭をつけてしまう。さすがに、孔明は手を伸ばすが、触れる前に、劉備は言葉を継ぐ。
「軍師となるのが、どうしてもお嫌ならば、客人として城に来て下さい。私に道を示していただきたい」
劉備にとって、これは最大の譲歩に違いない。
少なくとも、劉備軍の内情をつぶさに見、考える猶予は与えられたわけだ。
孔明は膝を折り、床についたままの劉備の手を取る。
「わかりました。お役に立てるかどうかは別ですが」
「先生!」
力強く握り返してくる手は、節くれだって骨ばっているのに、柔らかな暖かさに満ちている。
「先生は勘弁して下さい」
大きな手に包み込まれて照れくさくなりながら孔明が言うと、劉備は頷いてみせる。
「わかりました、孔明殿」
「殿もいりませんよ」
劉備は、いくらか目を見開いてから、柔らかい笑みを浮かべる。
「そうか、よろしく頼む、孔明」
そうはかからず、我が君と呼ぶことになるだろうと考えつつ、孔明は頷き返す。


〜fin.
2009.05.11 Coming thrice

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