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降ル

 星見


気配を感じた趙雲が、槍を下ろして振り向く。
呼応するように振り返ったのが孔明だと気付いて、いくらか眉を寄せる。
劉備が三度も草盧に尋ねていって連れてきたこの青年は、ぬけぬけと武芸は不得意と言い放った。寡兵の劉備軍では、文官が担う仕事をしている者でも当たり前に武器を手にするというのに。
当然、皆の間には不愉快な空気が広がった。
おかまいなしなのは、劉備と当人くらいだ。
いつも一緒に何やら話をしている上に、滅多なことでは感情を顔に表さない劉備が嬉しそうにさえ見える。
それがまた、皆の気持ちを逆撫でする。
劉備は、今まで苦労を共にしてきた皆をないがしろにして、青年に入れ込み過ぎだ、と誰もが思っている。
張飛などは面と向かって文句を言ってのけたのだが、劉備は「孔明を得たのは魚が水を得たようなもの」と返し、意に解さなかったという。
以来、彼は聞こえよがしに水野郎とかと呼んでいる。実のところ、影では皆、似たり寄ったりだ。
趙雲も含めて。
そんな不機嫌を察したのかどうか、先に、困惑気にしろ笑みを浮かべたのは孔明だ。
「すみません、お邪魔するつもりは無かったのですが」
振り返ったのはむしろ気配を消していたからだ、とは言いにくくなった趙雲は曖昧に頷いてから首を傾げる。
「このような時間に、何を?」
「星を見ています」
手にしている羽扇で天を指す。
趙雲が不信そうに眉を寄せたのがわかったのだろう、孔明はほんの小さく肩をすくめてみせる。
「星は、大局を教えてくれます」
「大局、ですか?」
「ええ、北から戦雲が近付いています。曹操の南下が近いですが、この荊州を守るべき劉表の星は弱まっています。命旦夕ということですね。だというのに、混乱の兆しが見えますから、後継者争いが起こるでしょう」
ごくあっさりと告げられた言葉に、趙雲は目を見開く。
曹操が本気で南下してくるというのなら、今、後継者争いなどしている場合ではあるまいに。
いや、と軽く首を横に振る。
「まさか、そんなことまで」
「確かに、星のみで後継者争いと断じるのは、少々乱暴です。ですが、劉表の次男を生んだ蔡夫人と兄の蔡瑁が権勢を握っていることを考えれば、容易に想像がつきます」
蔡瑁といえば、荊州乗っ取りを企んでいると因縁をつけて劉備の命を狙ったこともある男だ。この青年の言うことが本当ならば、曹操と戦う以前に面倒なことになる。
「まだ星に現れたばかりですから、幾ばくか猶予はあります」
難しい顔つきになってしまった趙雲へと、孔明は笑みを見せる。
「打てる手を打ちましょう」
そんな気楽に笑顔を見せられても困る、と趙雲は思う。
「どのような?」
「劉表が、真に愚かでなければ荊州を我が君に預けるでしょう。もしくは後継者争いの隙に乗ずるという方法も考えられますが、ともかくも荊州が手に入れば、曹操も簡単には攻め下れません」
告げられた言葉に、趙雲は眉を吊り上げる。
「殿は、火事場泥棒のような真似はされない」
「そうですね。となると、皆で逃げるしかありません。曹操軍に対して、我が軍はとてもじゃないですが太刀打ち出来るだけの人数がいませんから」
ごくあっさりと、孔明は返す。
「そして、貴方も逃げるわけですか」
珍しく、皮肉な問いかけをしてしまう。
が、孔明は簡単に頷く。
「ええ、我が君が逃げることを選ばれるならば」
趙雲は、思わず目を見開く。
逃げる、という言葉を否定しなかったことに驚いたのではない。自軍から逃げるのか、という皮肉を解さなかったからでもない。
孔明は、劉備を我が君と言い切った。
「今、なんと」
確かめようとした趙雲の言葉を聞いているのかいないのか、孔明はしきりと首を傾げている。
「生き延びれば、その先を提示することが出来るのですが。さて、これはなかなか難しい問題です」
三度も訪れた劉備の懇願を、青年はなかなか聞きいれなかったという。客人としてでも、と請われて、やっと重い腰を上げたらしい。
だが今、はっきりと我が君と言い切った。
更に、その先のことで首をひねっているらしい。
少なくとも、目くじらを立てて敵視するような相手ではないのではないのか。
趙雲は、息を軽く吐いてから、まっすぐに目前の青年を見やる。
「生き延びる為でしたら、我々がおります。殿を守る策があるのでしたら、お示し下さい」
言われて、孔明は数度瞬きをしてから。
「ええ、無論。考え付いてみせますよ」
少し、照れたような笑みを浮かべる。


〜fin.
2009.05.10 A star sighting

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