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降ル

 跳躍


長坂破、赤壁連戦の傷も癒え、次をにらみつつの訓練の日々が始まった頃のこと。
「そういやさ」
と、張飛が首を傾げる。
「あん時、どうやって登ったんだ?」
いきなり、あの時と指示語で指定されても、どの時やらわからず、趙雲は瞬きをする。
「あの時?」
「ほら、周瑜のかみさん助けた時だよ。物見台の上、登っただろ」
「ああ」
理解して頷いてから、趙雲はあっさりと返す。
「槍を使いました」
「槍?」
張飛はますますわからなくなったようだ。その大きな目を、何度も瞬かせる。
「ええと」
趙雲も説明しあぐねて、首を傾げる。
いきおい、結論は決まってくる。

訓練場という名目で使用中の広場では目立つだろうと、裏手になる場所に移動してきたのは、途中で会った関羽のみならず、通りがかりの物陰で何やら込み入った話をしていたはずの劉備と孔明も、その方がいいと言ったからだ。
通常の兵らの視線は無いものの、いつの間にやら見物人が増えていて、趙雲は少々困惑気味の表情で槍を構える。
「ようするに、こう」
言いながら、土手のような形状になった個所の高い位置に槍を突き刺したかと思うと、身体をひねるように持ち上げる。
槍の柄がわずかにしなり、趙雲は軽々と宙へ舞う。
次の瞬間には、人の背などよりは優に高い土手の上だ。
「おわっ」
「ほう」
「おお」
口々に感嘆の声が上がるのに、趙雲は照れくさそうになりながらも、傾斜がゆるいところを選んで駆け降りてくる。
「まあ、こんな感じです」
「すっげえ!」
張飛は子供のように大はしゃぎだ。
「見事なものだ、子龍」
劉備が深く頷けば、関羽も髭をしごきながら言う。
「本当に」
「なるほど、東門突破が早かったわけです」
孔明までもが素直に感心しているのに、趙雲はますます照れた顔だ。
「いえ、その」
「なあ、槍ってこんなこと出来んだな、すげえなあ」
きらきらと目を輝かせている張飛の言うことに、関羽が横目を向ける。
「翼徳がやったら槍が折れるのが落ちだぞ」
「ええ?!」
不満そうに声を上げるのへと、劉備も頷く。
「雲長も翼徳も、止めとくのが無難だな」
人相手の話をしている中、一人しきりと首を傾げながら趙雲が手にしている槍へと手を伸ばしたのは孔明だ。
「槍とは、あのようにしなるものだったのですね。知りませんでした」
「ええ、そうです」
なにやら目をきらきらとさせている孔明に戸惑いつつも、趙雲は素直に頷く。
その脇で、腹立ち紛れに張飛が怒鳴る。
「兄貴も駄目だからな!」
「わかったわかった。槍を使って跳ぶのは、子龍だけだ」
苦笑気味に言いながら、劉備は張飛の背を押す。いつまでここにいると、なんのかんのと試し始めるとわかっているからだ。
ある意味、劉備軍らしい幕切れで、話は終わったはずだった。



それは、どう聞いても尋常の音では無かった。
何か、そうとう大きなものが無造作に投げられたような。しかも、裏手の方からだ。
趙雲は槍を握り締めて、急いで裏手へと走る。
が、たどり着いた途端に目を丸くする。そこには、一本の槍が突き刺さっているだけだ。
「?」
何気なく手にし、引き抜いてみて、さらに目を見開く。
「見つかってしまいましたか」
頭上から、照れくさそうな声がしてきたのを見上げる。
土手の上から顔を出しているのは孔明だが、声を聞いていなければ、本人かどうか疑いたくなるような姿だ。
なんせ、顔中泥だらけになっている。
「軍師殿、これは一体?」
「お手にされた通りですよ、失敗しました」
相変わらず、照れくさそうだ。なるほど、確かに。
「これは、失敗ですね。ですが?」
槍の改造が失敗したというのだけでは、孔明が泥だらけで土手の上にいる説明にならない。
「いや、ええ」
孔明は土手に座り込んで、照れたように笑っているだけだ。
「何事だ?」
なんと、駆けつけてきたのは劉備だ。
「殿」
趙雲は振り返って、劉備の懸念を払拭しようと笑みを浮かべる。
「大丈夫です、侵入者ではなくて」
と視線を上げたのだが。
思わず、瞬きをしてしまう。
そこに座り込んでいたはずの、孔明の姿が無い。
たった一瞬のうちに、どこかに隠れたらしい。
「子龍?」
「や、軍師殿が、この槍を」
手にしていたものを、劉備に手渡す。首を傾げつつも槍を手にして、劉備も目を丸くする。
「これは」
「柄にしなやかな木を使っていて、普通より、よくしなるようです」
失敗、と言ったのはこのしなり具合だ。柔らかすぎて、実戦に使えない。
「軍師殿の発明品のようなんですが」
困惑気味に土手の上を見上げる趙雲に、劉備は軽く眉を寄せる。
「子龍、この槍はどこにあった」
「あそこに、刺さっていました」
土手の、そこそこの高さを指す。
難しい顔をしたまま、劉備も土手を見上げる。
「孔明、出て来なさい」
悪戯が見つかった子供のような顔つきで、大人しく孔明は顔を出す。袖で顔をぬぐったようだが、おかげで頬の擦り傷から血が滲んでいるらしいのが見えている。
「我が君までおいでになるとは、お騒がせしてすみません」
などと殊勝に言うが、相変わらず土手の上だ。
「好奇心旺盛なのは、大いにけっこうだ。こうして色々と興味を持つのも、孔明らしいが、な」
言いながら槍を趙雲の手に預け、劉備は傾斜のゆるいところを身軽に上って、すぐ側に行く。
「身体は、大事にしなさい」
言い含めるように言って、手を差し出す。
「すみません」
誤魔化せないとわかったのだろう、孔明は困ったような表情のまま、素直に手を握り返す。
劉備が引っ張りあげると、ひょこん、と左足が不自然に動く。
「軍師殿、足が」
「少しだけ、ひねりました」
珍しく、視線が漂っている。
なるほど、ずっと土手の上にい続けたわけだ。姿を隠したのは、察しのいい劉備に見つかるまいとしたかららしい。
劉備の手に支えられるようにして、足を引きずりつつも孔明は土手から降りてくる。
薄手の色でまとめられた着物は、どこも泥だらけだ。
「ほら、足をみせてみなさい」
「我が君、後は自分で出来ますから」
「いいから、みせなさい」
頑として譲らない顔つきの劉備に、孔明はますます困り顔だ。
「軍師殿、殿は譲ってくれませんよ」
趙雲が苦笑を噛み殺しながら言うと、諦め顔になって大人しく腰を降ろす。
素直に差し出された足は、少し腫れている。
これは、そうとう無様に着地したのだろうなあ、となんとなくは予想がつく。そもそも、武芸は得意でないと言い切ったくらいなのだから、身のこなしが軽いという訳ではないのだろう。
「軍師殿は、なぜご自分で試そうとなさったんですか?」
訓練で怪我をした兵士の手当てでもしていたのだろう、準備よく取り出された膏薬を貼られていく足から視線を上げた孔明は、瞬きをする。
「この槍を試すのでしたら、私に言ってくだされば」
「ああ」
質問の意味を理解した孔明の顔には、鮮やかな笑みが浮かぶ。
「子龍殿のように跳べたら、気持ちがいいものだろうな、と思ったのです。幸い、私は禁止されませんでしたし」
悪戯っぽく付け加えるのに、劉備が苦笑しつつ眉を寄せる。
「今後は、禁止だ」
子供のように、孔明は首をすくめる。
「はい」
「まあ、気持ちはわかるが」
劉備の苦笑も、溶けるように笑顔になる。
「あのように跳べたら、心地よいだろう」
膏薬を貼り終え、そのまま孔明の顔を覗き込む。
「どうだった?」
「ええ、楽しかったです。色々と失敗はしましたけど」
肩をすくめてみせるのに、劉備も笑う。
「何よりだ」
珍しい悪戯っ子のような笑顔に、趙雲は慌てて手にしていた槍を後ろ手にする。
「お二人共、本当に禁止ですよ」
顔を上げた劉備と孔明は、困り顔の趙雲に、思わずというように笑みを大きくしてから、どちらからともなく顔を見合わせる。
「子龍に言われてはな」
「仕方ありませんね」
それから、声をたてて笑い出す。あまりに楽しそうなのに、趙雲も笑顔になっていく。
そっと、後ろ手にしたままの槍を握り直す。
ある意味、とても良い発明だな、と思いながら。


〜fin.
2009.05.13 Jump!

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