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降ル

 偽笑


同盟と決まり、夏口での話がまとまった後。
「兄者」
と、いくらか声を落としてきたのは関羽だ。劉備は、視線を上げて問い返す。
「どうした、ここらには人もおるまいに」
「いや、軍師殿の様子がおかしいので、気になってな」
劉備は、いくらか眉をひそめる。
「孔明が?」
「だってよう、何があっても笑ってるんだぞ」
耐え切れなくなったように口を挟む張飛へと、関羽が慌てて指を立ててみせる。う、と奇妙な声を上げて、張飛は自分で自分の口を覆う。
声が大きい、という自覚はあるらしい。
何があっても、という言葉で劉備にはおおよその察しは着いたのだが、ふむ、と難しい顔をつくってみせる。
「そんなに、おかしかったかな」
「はい、新野での一戦では、こちらが心配になるくらいに気色が変わっておられたのですから」
一緒にきた趙雲が心配そうに眉を寄せて言うと、張飛も大きく頷く。
「だよな、こっちが少しでも危なくなると、すっげぇ顔しててさ。大丈夫だってわかると緩むんだよ。ったく、おちおち怪我も出来ねぇよ」
本来、素直な性質の孔明は、戦場だというのに百面相していたらしい。
その後でこれでは、確かに不安にもなろうというものだ。
「それは、孔明に直に尋ねるしかあるまい」
あっさりと出された至極当然の提案に、三人は深く頷く。

出立の準備を整える合間に、劉備軍の諸将は一室へと集まる。
留守の間の手配や今後の確認は、同盟相手とはいえ孫権軍の者がいてはやりにくい。無論、そのことは相手方も心得ていて、付近には気配も無い。
改めて確認していた趙雲が頷くと、皆が一斉に孔明へと向き直る。
「赤壁の陣に到着した後ですが」
皆の視線を受けて、さっそく口を開いた孔明へと、手を振って止めたのは張飛だ。
何事かと、瞬きをした孔明へと、張飛はまっすぐに向き直る。
「軍師、大丈夫か?」
「もちろんです。すでに孫権は開戦を決意しましたし」
「そうじゃなくて」
張飛はいらだたしげに首を横に振る。
「軍師殿が、です」
趙雲に言われて、孔明は再び瞬きする。
「戻ってからこの方、何か変だぞ」
口を尖らせた張飛に、関羽も趙雲も頷く。
「私が、変ですか?」
ますます不思議そうになり、とうとう首をあきらかに傾げてしまう。子供のような仕草に、三人はじっとみつめてから。
「今は、変じゃないけど」
「うむ」
「そうですね」
どう見ても、いい大人がする仕草では無いのに「変ではない」と太鼓判を押された孔明は、首を傾げたまま羽扇であおいで考え込んでいる。
苦笑を浮かべたのは劉備だ。
「しばらくは仕方ない。軍師の仕事だからな」
ようするに張飛たちは、相手にこちらの心を読ませない為に、のらりくらりと微笑んでいるか無表情でいるかしか無いというのが「変」だと言っているわけだ。
兵力の少なさは、音に聞こえた三武将の勇をもってしても補いきれるものではない。対等の同盟を保つには、食えない軍師が存在していると思わせ続けるしかないのだ。
孔明は理解して、苦笑する。
「ああ、そうですね。ともかくも曹操を破るまでは、申し訳ないのですが我慢して下さい」
「これからは我々も同道するのだから、いくらかは大丈夫だろう」
劉備が静かに言い、孔明の肩に手を乗せる。
最初から理由を察していた彼の手には、暖かないたわりが篭っている。
「そうですね」
張飛たちには、いまいち話が見えないままのようだ。
「うーん、まぁ、本当に変じゃないならいいんだけどよ」
「殿と軍師が必要とされるのでしたら、仕方ありませんが」
「だが、孫権共に謀るに足りずと判断されたなら、すぐに申されよ」
口々に言うのへと、頷き返す。
「大丈夫です」
表情を作り続けるくらい、孔明には児戯に等しい。この大事な人々を守ることが出来るというなら、苦痛でもなんでもない。
その上、こうして自分を心配してくれると思えば、心はもっと強くなるというものだ。
素直な笑みを浮かべた孔明に、劉備も頷き返す。
普段はとても表情豊かだということは、事が済んでから教えてやろう、と思いつつ。
さて、それを知ったら孔明はどんな顔をするのだろう?
ささやかな楽しみの為にも、目前の苦難は乗り越えなくてはなるまい。
劉備も決意を新たにする。


〜fin.
2009.08.11 A alliance

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