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降ル

 一掴三城


曹操自身が率いる大軍という強大な敵を退けてしまうと、荊州という拠点をどちらが抑えるか、という現実が現れる。
当然、大敗したからこそ曹操は守備を万全にして許都へと向かっており、すぐに分配をどうこうと語れる状況ではない。
「やはり、孫権と戦わねばならんだろうか」
難しい顔つきの劉備へと、孔明は笑みを浮かべて首を横に振ってみせる。
「いえ、その愚は周都督もご存じです」
「だが、互いに別の城を攻め始めたのだとしても、三城のどこかでぶつかることになろう」
荊州城、襄陽城、南郡城を落とせば、荊州北部は手中に収めたも同然だ。
「相討たぬよう、策を講じれば良いかと」
それが手のひらを返すことよりも簡単であるように言ってのけると、孔明は悪戯っ子の笑みを浮かべる。
「出来る限りは、兵も民も傷つけたくはないですから」
「当然、そうだが」
劉備は数回瞬きをするが、孔明の笑みが消えないのを見て、ほほ笑む。
「何か、考えがあるのだな」

赤壁戦勝を祝う使者への返しとして、周瑜自身が訪ねて帰った後。
その大きな目を、更に大きくして食ってかかったのは張飛だ。
「軍師、どういうつもりだよ?!荊州を周瑜にくれてやるって言ったようなもんじゃねぇか!」
「なぜです?」
きょとん、と首を傾げる孔明へと、関羽も眉を寄せてみせる。
「荊州、襄陽、南郡の三城のうち、二城を獲った者が三城を得ることにする、という取り決めは、兵力に勝る孫権軍の方が有利であろうに」
「そうでもありません」
孔明は、にこり、と笑みを浮かべる。
「周都督らを始めとする、孫権軍の方もそう思って下さっている限りは」
「軍師殿には、何かお考えがあるのですか」
趙雲に問われると、姿勢を元に戻して孔明ははっきりと頷く。
「はい、荊州は私たちがいただきます」
「どうやって?」
張飛たちは、興味深々で身を乗り出す。



曹操が守将として残していくくらいだ、曹仁とて、けして暗愚の武将では無い。
周瑜が身に矢を受け、甘寧や凌統が危機に陥るなどの苦難を乗り越えて、やっと南郡城を獲った、と駆け入ろうとした呉軍は、横手から走りくる伝令に驚く。
背に翻っているのは、劉、の一字だ。
「お待ち下さい!南郡城は、我らがいただくが筋」
駆け寄って来たのが趙雲と知り、懐かしげに目を細めかかった周瑜は、口にされた言葉に眉を寄せる。
「それは、どういう意味だ?」
「よもや、二城を獲った方が三城を得るという約をお忘れではありますまい」
周瑜は、頷き返す。
「無論」
「襄陽、荊州の二城は我らが手に入りました。南郡城も快くお明渡下さい」
悪い冗談は言わない性質と知っているだけに、周瑜は乾いた笑みがこみ上げてくるのを、必死に我慢する。
「趙将軍、しばし待ちたまえ」
言って、周囲に状況を確認するよう命ずる。
「襄陽城には雲長殿が、荊州城には翼徳殿が入っておられます。お疑いになりますか?」
物見を走らせた周瑜へと、趙雲はまっすぐな視線を向ける。
「いや、だが」
趙雲が嘘をつくような人間では無いことは確信している。と同時に、劉備へはあくまで忠実である、ということも。
だから、これが策とは限らないではないか、と言いかかった周瑜は口をつぐむ。
自分たちの兵力をもってすら、南郡一城にこれだけの時が必要だったのだ。なのに、兵数が圧倒的に少ない劉備軍が、先に二城を落とすなど。
視線を逸らそうとしない趙雲を見つめ返すうち、はた、とする。
二城を先に得た方が、と言い出したのは、誰だったか。
互いに相討つのは得策では無い、とは周瑜が言った。これから荊州を争うこととなるのを、けん制するつもりだった。
劉備たちも、すぐに頷いた。もちろん、と。
だが、こうも言った。拠るべき地が無い自分たちは、荊州奪取を諦める訳にもいかない、と。
主張としてはもっともだったし、出来るならあからさまな敵対は避けたいと思っていた周瑜は、返答に困った。
沈黙が落ちてしまったところで、扇で緩やかに仰ぎながら、孔明がおもむろに口を開いたのだ。
「では、二城を先に制した方が三城を得るということにしては?最初に攻めかかる城が異なればいいわけですから」
だが、それでは同時に一城すつ落とした時に三城目でまっこうからぶつかるのに変わりない。
それにも、孔明は解決を示した。
「もちろん、赤壁で正面から多大な犠牲をおはらいになった、周瑜殿たちから攻めかかるのが筋でしょう」
それはいい、と劉備も頷いたし、周瑜もおおよそ似たようなことを口にした。もちろん、兵力から考えてこちらが三城を得ることは必然、と確信したからだ。
愚かしい判断だったと、今、まさに気付く。
荊州を諦めないと言った傍から、不利な条件を持ち出すはずが無いではないか。
しかも、相手は孔明だ。
条件は、はなから劉備軍が条件を先に満たすことが出来ると算段した上で言い出したに違いない。
「どうやって」
かすれた声が、出る。
「私が仰せつかったのは、こちらへの伝令のみです」
趙雲は、まっすぐに見つめ返すばかりだ。
やがて戻ってきた物見たちが、趙雲の言葉を裏付けた時には、軽装と思われた趙雲の兵らしき者たちも遥かに控えていると報告される。
「お約束だ、お明渡しいたそう」
ざわめく将らを目線で抑え、周瑜は趙雲を見つめる。
「電光石火の城獲り、お見事でした」
静かに頭を下げる趙雲へと目礼を返し、周瑜は駒を返す。
不満そうながらも、共に駒を返した将らが言う通り、何か策を弄したに違いないが、それが何かが全く読めない。しかも、あまりに鮮やかだ。
周瑜は、奥歯をぐっと噛みしめる。

舞い降りる鳩の足から、伝言を解いて読んだ孔明は、にこやかにほほ笑む。
「南郡城にも、無事兵が入りました」
「実に見事であった」
笑みを返す劉備へと、孔明は照れるように扇を横に振る。
「上手くいって、安心しました。都督に知れたらどうしようかと」
大げさに肩をすくめるのに、劉備は笑みを大きくする。
「割符を持つ者のみに狙いを定めるなど、思いもよらぬだろう」
南郡城から追い立てられる曹仁軍から、割符を手にしている陳矯だけを狙い定めて身を捕えた。後は簡単だ。
曹操軍に偽装した兵を襄陽城と荊州城へと走らせた。
南郡城危うし、至急全軍にて救援されたし、と。割符を見ては疑う余地も無く、まんまと双方の守将たちは城を空けて動いた。
後には、空き城が残る。
「方法はどうあれ、我が君の国が出来ました。肝要なのは、どう育てるかです」
笑みを消し、真面目に向き直る孔明に、劉備も大きく頷く。
「うむ、これからだな。頼むぞ」
「もちろんです」
二人は、しっかりと頷き合う。


〜fin.
2009.08.21 He seizes three castles at once.

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