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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 魔手


身を寄せたい旨の使者を立てたら、何の条件も無しにあっさりと了承されて驚いた。
許都に向かったら、孟徳当人が笑顔全開で迎えたので、もっと驚いた。
だが、多分、最も驚いたのは、その笑顔に何の陰りもなかったことだ。
董卓の手から開放された献帝を手に入れ、着々と権力を手にしているというあたりは懸念していたのだが。
駒を並べて、満面の笑みで孟徳は言う。
「理想の国を作りたくてね。君の考えとそう遠くないと思ってるんだけど、一緒にやらないかい?」
「目指すものが同じだというのなら、こちらこそお願いしたいことだ」
玄徳が真摯に返すと、孟徳の笑みが大きくなる。
「よし、では色々と話さなくてはな。楽しみだ」
挙兵してから初めて、肩の力が抜けた。
共に歩める人間が、出来るのかもしれない。
その安心感は、これほどまでか、と、また驚いた。

忙しいはずの孟徳は、ちょくちょく客館へと顔を出す。
話題は朝廷の現況やら、地方での動きやら、基本的に政治的なモノが多いのだが、なぜか孟徳と会話しているとその重さを感じない。
さらり、と当たり前の事実として入ってくる。多分、孟徳という人間のなせる業なのだろう。
「徴税のことなんだけどさ」
「ああ、不公平だという声が多いな」
玄徳が道行く中で聞いた声を思い出しつつ言うと、孟徳は頷く。
「だろうね」
「流浪してきた者が多いから、把握しきれないのだろう。もっとも、そういった人間に税を納める余裕も無いがな」
「そう、先ずは定住する場所を提供する」
あっさりと孟徳はカタチにしてみせる。その軽やかさに乗せられたように、玄徳も返す。
「守る為の術も教えれば、どうにかなるか」
孟徳の表情が、ひどく明るくなる。
「畑を耕す兵か。いい考えだね」
へにゃり、と笑う顔は、幼いくらいだ。
「やっぱり、いいね。こういうのはすっごくいいよ」
「え?」
玄徳が不思議そうになるのに、孟徳は唇を尖らせてみせる。
「他の連中と話をしていてもさ、無理だとか出来ないとか仕方ないとか、そんなんばかりで一向に前に進みやしない。国を良くしようって気がそもそも無いんだろうけどさ」
それは、許に来る前から玄徳も何度も経験していることだ。
「確かに、こんなに話をしたのは初めてだ。そもそも、身分が無いという理由で、話すら聞いてもらえない」
苦笑してみせる玄徳に、孟徳は肩をすくめてみせる。
「くだらない。身分などでなく、実力で登用すべきなのに」
それから、小さく息を吐く。
「でも、現実から目を逸らす訳にもいかないしね。そうだな、頭の固い連中を黙らせるには、最低限の地位が必要だな」
孟徳が言うのに、玄徳はいくらか困る。
「だが、俺にはそういった地位は無い」
「黄巾の乱の時の恩賞が正しくない、とぶちあげるのは簡単だけど敵も作るから考えないと」
つい、と指をあごのあたりにあてる。
「血筋はどうなの?劉姓じゃないか」
「血筋?ああ、母から途方も無い話を聞かされたことはあるが」
玄徳が眉を寄せつつ言うのに、孟徳はにっこりと笑みをみせる。
「途方もなくてもなんでもいいよ、聞かせてよ」
「いや、中山靖王劉勝の末裔なんだとか。だが、確か」
不審の理由をはっきりとは言い難く、言葉を濁す。
「ああ、中山王といえば子沢山だね。でも、玄徳の母上が根拠なく言い出すというのは考え難い気もするけど。どこらへんまで名前は辿れるの?」
はっきりと言ってから、孟徳は再び首を傾げる。
「曽祖父くらいまでなら。そんなことが、役に立つのか?」
「もしかしたら、ね」
にこり、と、また邪気の無い笑みを浮かべる。
その翌日、許都での劉備の通り名は劉皇叔になる。
孟徳が、あっという間に謁見を設定した上、玄徳の血筋を辿ってみるべきだと進言した結果だ。

宮殿での立場が出来、玄徳にとって風通しは良くなるのと同時に、余計な話も耳に入るようになってくる。
ほとんどが、やっかみを含んだモノで気にすべきで無い類だ。だが、数が重なれば、それなりに問題だ。
確かに、孟徳は切れる。
群を抜いていることは確かだ。
が、他人をあまりにないがしろにするようでは、人はついて来ない。
一度、話をした方がいいかもしれない。
そう、思い始めた頃だ。
どこか疲れた顔で、孟徳が顔を出す。
「あのさ、俺、明日からちょっと北に行ってくるよ」
北側が騒がしいことは、玄徳も聞き知っている。ここ数日、孟徳の姿を見なかったのは出陣の準備をしているからだということも。
「そうか。武運を」
「ああ、状況次第じゃ、援軍を頼むかもしれない」
どこかすがるような視線に驚きつつも、当然のことと玄徳は頷く。
「ああ、もちろん。俺で役に立つなら」
「立つさ。ただ、ここを完全に留守にするのも面倒そうでね。文若は残すけど」
孟徳は、正確に朝廷の空気を察しているのだろう。
が、すぐに振り切るように笑みを浮かべる。
「戻ったら、ゆっくり酒でも飲みたいよ」
「そうだな、そうしよう」
そして、腹を割って話をしてみよう。言葉を尽くせば、苦言も聞き入れるだろう。
玄徳は、深く頷く。



苦戦が伝えられ、孟徳の要請通りに援軍に向かって。
陣幕へと案内された玄徳は、ぎくり、とする。
孟徳の腕を覆っていた包帯の白さにではなく、その視線に。
前と同じように、無邪気な笑顔が浮かんでいる。
「玄徳、来てくれて嬉しいよ」
無傷な方の手で、玄徳の肩を叩いて、そのまましっかりと掴む。
「ねえ、君は、俺と一緒に戦ってくれるよね?」
ねっとりと、暗い光を宿した目は、逆らうことを許さない。
「ああ、もちろん」
かろうじて返した玄徳は、内心で瞑目する。
もう、同じ位置で同じように何かを見ようとはしていない。ただ、ただ、自分の欲しいモノを失いたく無いだけの瞳。
何よりも。
これは、人を信じない瞳だ。
何があった、とは問わない。
懸念が真実になるのなら。
この手から、離れるしか、方法は無い。
「孟徳の助けになるよう、努力するよ」
今、この場に限り、嘘でない一言と共に、笑みを浮かべる。


〜fin.
2010.04.19 Evil influence

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