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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 胸襟


話がある、と現れた玄徳を見て、孟徳は自分の執務室の扉を開ける。
元譲と文若は心得たもので、いつの間にか姿を消している。
「話って?」
いくらか目を細めつつ尋ねる孟徳へと、玄徳はまっすぐに視線をやる。
「詫びに来た」
「へえ、なにを」
「世話になった時、挨拶も無しに去ったことを、だ。礼を失していた。すまない」
す、と下げられた後頭部を、いくらか眉根を寄せて孟徳は見つめる。
「それ、花ちゃんに言われたから?」
「言われたことは事実だが、礼を失していたことも本当だ。不義理であったことを詫びるのは筋だろう」
冷徹なくらいの光を放っていた孟徳の目は、いくらか困った表情になる。
「ひとまず、顔上げてよ」
言われるがままに上がってきた玄徳の視線は、相変わらずまっすぐなままだ。
「何を企んでる、とか思わないんだ?」
「礼を失したことを謝るのに、策があるかと考えるべきじゃない」
孟徳は、小さなため息を吐く。
「そこまで言ってくれるならさ、なんであの時は、黙って行ったんだい?」
「…………」
「言っておくけど」
「嘘を吐くと、わかるだろう」
半ばため息交じりの言葉に、孟徳は目を見開く。
「しかも、あの時の孟徳殿は、俺を、というより誰も信じようとはしていなかった。本当のことを告げたとしても、すでに俺が参画していると思うのは目に見えていた」
何のことかは、言わずとも二人ともわかっている。献帝簒奪計画だ。
「誰も信用しようとはしない人間が力をつければ、間違いなく陛下は傀儡になる。その前に、やり方を変えるべきだと話をするつもりでいたんだが……」
眉が、知らず寄っている。
「あの時の孟徳は、誰の話も聞く気など無くなっていた」
親友だと思っていた男に裏切られ、信頼を寄せていた部下を失い。
誰も信じない、と、腹心と呼ばれる従兄弟に告げた。誓ったことを、玄徳は知るまいが。
「だったら、一度、冷静になってもらうのがいいと思った。で、参画することにした」
後は、言われずともわかる。
献帝簒奪計画に参加することを決めたから、玄徳は孟徳から離れると決めた。そして、面と向かえば、間違いなく孟徳に何かあることを見抜かれる。
「何かあるのかと訊かれて、ある、と言う訳にもいかなかったから」
実に正直に吐露された言葉に、孟徳には、まあね、くらいしか返す言葉が無い。
一人が突出した権力を持っては、政策がどんなに良くても政治は歪む。それが玄徳の信念であることは、今回の一連の出来事で証明されている。その点を議論するのは今更だ。
「聞かない、信じない俺が悪い、というのはわかったよ」
孟徳はあっさりと言って、肩をすくめる。
「正直に言ってくれたことだし、過去のことは水に流す。だから、そちらも流してくれないかな。今後のことは」
一度、言葉を切る。
玄徳の視線は、逸らされないままだ。
「信じたい、と思う」
少し、声が掠れている。
「嘘じゃない」
「ああ」
下手をすると、泣きそうな表情になっていると孟徳は気付いているのだろうか。苦笑になりかかりそうなのを、笑みに変えて玄徳は返す。
「真摯に言ってもらっているかどうかくらいは、俺にもわかる」
大きな手が、差し出される。
「これから、よろしく頼む」
「うん」
骨ばった手が、しっかりと握り返す。


〜fin.
2009.04.13 Opening his heart

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