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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 牽制


執務室へと戻ってきた玄徳へと、孔明と花が視線を向ける。
問われずとも何が訊きたいかは、わかっている玄徳は、ヒトツ頷く。
「過去のことは、水に流すことになった。これからのことは、信じたい、と」
それではなくても大きな花の目が、ますます大きく目を見開かれる。
「本当ですか?」
「ああ。これから先のことは、互いに努力するしかないが」
玄徳が頷き返すと、孔明は白羽扇を口元へとやりながら、肩をすくめる。
「でも、その一言を引き出しただけでも、かなりな収穫です。今後のことがやりやすくなります」
「そうだな」
大きく頷いて、にこり、と玄徳らしい笑みを浮かべる。
「花のおかげだ、ありがとう」
その言葉に、花は嬉しそうに笑みを返す。
「良かったです、本当に」
なぜ、その顔が泣きそうに歪んでいくのだろう。
そんなことが玄徳の心をよぎるが、これ以上見つめていられなくて視線を外す。
「で、孔明」
いくらか強引に、話を切り替える。
「はい」
孔明も、花の様子には気付いていないような表情で、玄徳へと向き直る。
「今後のこと、少々詰める必要がありますね」
それから、にこり、と笑う。
「ですが、少し休憩をいれるのもいいでしょう。花、お茶を持ってきてくれる?」
「はい、師匠」
花は、ほっとしたように息を吐いて、執務室を後にする。
なぜ、という疑問を心の底に沈めたまま、玄徳は孔明に向き直る。
「そろそろ、頃合かと思うんだが」
「尚香様、のはずの方のことですね」
孔明は、玄徳の元に嫁いだとされる尚香が刺客であることを知っている数少ない人間だ。あっさりと、頷き返してくる。
「ええ、そろそろでしょう。このまま成都に残しておいて、余計なことをされる前にケリをつけてしまった方がいい」
「よし、長安へ来るよう伝えよう」
一息置いて、問う。
「動くと、思うか?」
「間違いなく。役目を果たす、最後の機会と言っていいのですから」
我知らず、ため息が漏れる。
「そうか。警備を増やさねばな」
「ええ、生きて捕らえねばなりません。処断は仲謀に任せる、とすれば、こちらの立場は更に有利になります」
刺客を捕らえれば、当然、コトは明るみになる。
偽者が玄徳を暗殺しようとした、はともかくとして刺客が放たれたことは皆に知られることになる。
「折を見て、孟徳殿には話をつけておくべきでしょう」
「孟徳に?」
いくらか戸惑って、玄徳は問い返す。
孔明は、表情を変えないままに頷き返す。
「ええ、我が君を信じると仰ったとなると、軽く釘は刺しておかれた方がいいですよ。我が君が怪我を負われるようなことにでもなれば、真っ先に相手を殺しにかかるでしょうから」
「……ああ、そうだな」
あり得ない、と言い切れないのが孟徳の怖いところだ。大事だと思う者に対しては、子供のような執着をみせる。
それは、前から知っていることだ。
「早めに、言っておこう」
玄徳が頷くのへと、孔明は笑みを向ける。
「多少の小競り合いにはなるでしょうが、無茶はなさらないで下さいよ。もし、我が君に本当に何かがあったなら、仲謀軍を殲滅にかかりたくなるかもしれませんから」
「え?」
玄徳は、驚いたように瞬きをする。
が、次の瞬間には苦笑する。
「大丈夫だ、俺はそう簡単にはやられない。これでも、それなりに腕に覚えがあるのだから」
それに、自分の仇を取ろうとする人間がうようよといるとなれば、もっと、うかうかはしていられない。
孔明は、微笑んだまま頷く。
「ええ、期待しております」
言葉が終わったところで、花が顔を出す。
「あの、お茶をお持ちしました」
「ありがとう、じゃ、休憩にしようか」
いつもと変わらぬ、師匠の顔で花を振り返る孔明を眺めつつ、玄徳は苦笑を押し殺す。
どうやら自分は、思っていた以上に見込まれているらしい。
孟徳にも、孔明にも、そしてたくさんのついて来てくれる人たちにも、応えられる人間でありたい、あらねばなるまい。
その為には、やはり。
独りよがりな想いは、殺して沈めるしか、あるまい。


〜fin.
2010.04.23 Restraint

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