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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 狂宴


玄徳が立ち上がると、それだけで、座がどよめく。
「皆のおかげで、理想の国造りへの真の一歩を踏み出すことが出来た。心から感謝する。そして、これからも俺を支えて欲しい」
ゆっくりと大広間を見渡しながらの言葉が終わると、またひときわ大きなざわめきだ。
皆の顔に浮かんでいるのは笑顔。
それは、身近な雲長や翼徳、子龍や芙蓉だけでない。この広間に集まっている誰もが、だ。
玄徳は、高く杯を上げる。
「今日は、心行くまで楽しんでくれ。乾杯!」
「乾杯!」
どっと声が揃い、わあっと楽しそうな声が広がっていく。
「玄兄、翼徳のことなら俺が見ておきますから」
隣で、雲長が穏やかな笑みを見せる。いつもなら神経質なくらいの気遣いをしてくれる彼も、今日の笑みは明るい。
「雲長こそ、たまには遠慮するな。翼徳は暴れださない程度に見ておけばいいし、俺も気をつけておこう」
そこから先は、喉元に押し込められるが、さすがに雲長も気付いた様子は無い。
「そうですか?では遠慮なく」
珍しいことを言って、雲長は杯片手に離れていく。
そもそも玄徳は酒が強い方だが、加えて精神的に制御する能力に長けている。一軍を率いる、という立場からきているモノもあるのだろうが、酔わないと決めた時には、そうとうな量を過ごしても、先ず酔わない。
もっとも、いつもなら、多少は酔っていた方が場の雰囲気に溶けるので、軽く調整はしているのだが。
今日は、どうしても酔う訳にはいかない。
あえて、宴会には早過ぎるというしかない時間に始めた理由は、そこにあるのだから。
後、ほんの少し。
間を置かず、この長安に到着する人物がいる。
孫尚香、表向きは玄徳の正室だ。
その正体は、などと言うと、苦い笑みを浮かべざるを得ない。
婚儀の話が来た時から、罠の可能性は考えてはいた。
まさか、これほどまでに堂々と刺客を送り込まれるとは、さすがに思わなかったが。
このまま抱え込んでいくには、もう無理がある。
あちらも、これ以上は耐えられないだろう。
均衡が破れるのはいつか。
機先を制した方が、有利なのは明白だ。
だから、今日、この宴会を催した。
しかも、酒を飲むには、あからさまに早い時間から。
宴たけなわの頃、尚香は到着する。
酒が入っている、と知れば。
必ず、動き出す。
この機会を逃すほど、あちらには余裕が無い。
そういう意味では、ある意味では常にこちらが優位を保ってきたと言える。
最後まで、この優位を譲る気は無い。
にこやかに兵たちの間を回りながら、玄徳は到着を告げる者が入ってくるだろう扉へと、時折視線を走らせる。
同じく、皆に付き合いながら酒を煽っているように見えて、そうは飲んでいない孔明が低く告げる。
「後、四半刻ほどでしょう」
「そうか」
軽く頷き返して、また、皆の中へと混じっていく。
芙蓉と花をかばう為に、手合わせという名目で刺客と剣を合わせたことがある。
剣技では、一段こちらの方が上だ。まして、あちらは堂々と腕を磨く時間が無い。その為に、常にこちらの見張りをつけていたのだから。
この日中の日差しの中では、暗器もさほど役立ちはしまい。
あの細腕で、本気で繰り出す重量ある剣を二本受け続けることは無理だ。
一対一へと持ち込みさえすればいい。
手合わせの際の尚香の動きを思い出しながら、将らの杯を受ける。
今日は、子龍もいくらか頬が染まっているようだ。皆と一緒に、楽しそうに笑みを浮かべている。
その様子は、到着してすぐに尚香の耳にも入るだろう。
すっかり、空気は緩んでいる。
思い込んでくれれば、こちらはますます優位だ。
祝いの言葉と、これからのことを楽しげに話す将たちと。
ふ、と違和感を感じる。
いるべき人間が、いないような。
そこまで考えた時。
孔明の羽扇が軽く動く。
裏手の扉から、そっと使いの者が入ってくる。
「殿、尚香様がご到着です」
「わかった」
ちら、と孔明と視線を見交わす。孔明は、かすかに頷き返す。
玄徳は、衝立の後ろに用意していた愛剣を握り、そっと広間を後にする。
まだ高い日の光に、一瞬、目を細める。
が、すぐに視線を前に真っ直ぐに投げて、大きく一歩踏み出す。
あと、少し。
目前に現れる刺客を片付けることは、容易のはずだ。
玄徳にとって、真の厄介な問題は。
『帰る』ことになる彼女と、その事実とに、真正面から向き合えるか。
そのことだけだ。
最後くらいは、笑顔で話すことが出来るよう。
別れを告げることが、出来るよう。
心の準備をすることは、刺客と剣を交えることより、よほど難しい。
あと、あの角を曲がれば。
何か、気忙しげな声が聞こえてくる。
すでに、相手も動き始めている。
柄に手をかけながら、存在を伝えてやる。
「どうかしたのか?」
あと、一歩。
最も望んでいなかった想定外が待っていることを、まだ、知らない。


〜fin.
2010.05.03 Crazy party

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