[  ]


幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 日溜


顔を出したのが孟徳だと気付くと、玄徳が寝台から体を起こす。
「まだ寝ていた方がいいよ」
「いや、寄越してくれた医師が良かったから大丈夫だ。礼を言う」
律義に頭を下げる玄徳の傍に、適当なモノを動かして孟徳は腰を下ろす。
その顔は、不機嫌そのものだ。
「ったく、君は人が良すぎるよ。君だけじゃなくて花ちゃんの命まで狙ったヤツを、全く傷めつけもせずに返すなんてさ」
成都から呼び寄せた尚香のふりをしていた刺客は、孔明の読み通りに動いた。
しかも、花が通りかかるという、最悪のタイミングで。
人質にされた花を傷つけさせない為に、玄徳は何箇所も切られることになった。
その手当がいくばくか遅れた結果、頑丈が取り柄の玄徳にしては珍しく、微熱が出た。
本人は全く気にしなかったが、周囲が許さなかった。
筆頭は、花と孟徳だ。
孟徳は、己の侍医を名医だからと寄越したし、花に至ってはつきっきりになった。
発覚した時はあまり何も言わなかった孟徳だが、色々と溜め込んでいたらしい。今更なことから文句を言われてしまった。
玄徳は、素直に返す。
「同盟をこじらせたくなかったんだ。それには、生きててくれないと」
少々固まってしまったような気がする腕を軽く回しつつ返すと、孟徳は不満そうな顔のまま言う。
「仲謀に裁断を任せた方が穏便だってわかるけどね。俺としては野犬に食わせても足りないくらいだ」
「ああ、法整備については孔明に意見があるようだったな」
思わず、玄徳は苦笑して言うと、ますます孟徳の顔は不機嫌になる。
「仕事の話をしにきたわけじゃないよ。花ちゃんは?」
「休ませた。彼女が倒れたりしたら本末転倒だからな。医師に、軽くなら動いてもいいと言われたし」
「そうか」
あっさり頷いたのは、玄徳が嘘をついていないと確信したからだ。
が、相変わらず機嫌の悪そうな顔のまま、じっと見つめる。
「何か、あったのか?」
怪訝そうになる玄徳に、孟徳は大きく頷く。
「玄徳、君だよ」
「俺?」
きょとん、と目を見張るのへと、孟徳は言い募る。
「いいかい?刃物の傷はバカにしちゃいけない。もし毒でも塗ってあったら」
「痛みで、毒はないとわかったてたから」
「玄徳」
つ、と目が細くなるのに、慌てて玄徳は万歳をする。
「すまん、心配をかけたことは悪かった」
「ったく、本当に君はいつも」
と孟徳が言いかかったところで、扉が軽く音を立てる。
「玄徳さん、起きてますか?」
花の声に、玄徳がすぐに応える。
「ああ、起きている」
そっと開いた扉の向こうから、笑顔が覗く。
「やっぱり孟徳さんもいらっしゃったんですね。お茶を用意してきたんです」
という言葉が終わるか終わらないかのうちに、大きく扉が開け放たれる。
「お二人がお茶を飲むのは、もう少し後でですがね」
「孟徳様に関しては、全くもってその通りです」
にこやかな孔明と、額の皺が三割り増しの文若の登場に、玄徳は目を丸くし、孟徳は唇を尖らせる。
「怪我人の寝室に入ってくる顔じゃないね」
「もう、軽くなら動いて良いと医師より伺いました。おめでとうございます」
孟徳の言葉を軽く無視して、孔明は玄徳へと笑顔を向ける。が、すぐに困り顔になる。
「大変恐縮だとは思いますが、どうしても玄徳殿の裁可を仰がねばならない書類がありまして。必要最低限に抑えてありますので、ご確認頂きたく」
「ああ、もちろんだ。長く休んでしまって、すまないな」
にこやかに手を伸ばす玄徳に、文若が聞こえよがしなため息を吐く。
「孟徳様も、玄徳殿くらいな気概を持って仕事をしていただきたいものです。黙ってお逃げになるのはお止めいただきたい」
「大事な友人が怪我して寝込んでるってのに、落ち着いて仕事なんて出来ないよ」
「貴方がきっちりと仕事をして下されば、玄徳殿に回る仕事が減ります。十分に友人の役に立つことになるかと」
正論を返されて、孟徳は頬をふくらませてそっぽを向く。
それを見て、明るい笑い声をあげたのは花だ。
「孟徳さん、ここでいいから頑張って下さい。師匠も文若さんも、ずっと休日無しでお仕事してるんですから」
「花が心配して、少しでもいいから休憩して欲しいと言ってはくれるんですけどねぇ」
「お二人が仕事して下さらねば、私どもの仕事は増える一方ですので」
しれっと言ってのける孔明と文若に、くすくすと花は笑い声を添える。
「だから、ここでお茶にすることにしたんです。そうしたら玄徳さんも孟徳さんも執務室よりお仕事しやすいでしょうし、師匠と文若さんも少しはお休み出来るかと思って」
孟徳は、くしゃり、と髪をかき上げる。
「ま、玄徳が仕事するって言ってるんだし、花ちゃんにまでそう言われたら逃げられないな。でも、お茶は後回しじゃなくて今だよ」
「はい、すぐ用意しますね」
にっこりと笑って、花は茶器を動かし始める。

ややしてから。
床の上のまま胡坐をかいて書類を確認する玄徳と、それを覗き込みながら頷いている孟徳と。
片付いた書類の中身を確認しつつ、詳細を話し合っている孔明と文若と。
お茶のお代わりを玄徳の手元に置きつつ、花はこみあげてくる笑みを押さえきれないようだ。
「花ちゃん、どうかした?」
孟徳が、小さくもれた笑い声に気付いて、視線を上げる。
「あの、ええと」
嘘を吐いても仕方ない、と知っている花は、大人しく白状する。
「幸せだなって、思ったんです。本当に良かったなって」
そう華のような笑顔になる花に、玄徳も目を細める。
「そうだな。花がいてくれたおかげだ」
くしゃ、と頭を撫でられて、花がくすぐったそうに笑う。
「我が君、お手が止まっていますよ」
孔明の一言に、二人は我に返って慌てて離れる。
「ああ、すまん」
玄徳は書類に戻り、花は孟徳の方へとお茶を置く。
孟徳は、ありがとう、と微笑みかける。
「良かったね、花ちゃん」
「はい」
全く含みの無い笑みに、満足そうに孟徳は頷いてお茶を手にする。
花の言う通り、幸せなんだと思う。
ふわふわとしたこの空気を守る為なら、なんだって出来る。それはカタチこそ違っても、きっと玄徳も花も一緒で。
本当に幸せだ、と思ったら自然と笑みが大きくなる。
「いつまでニヤニヤしていないで、仕事を片付けてはいただけませんか」
また、文若の眉間に皺が寄る。
それさえも、なんだか幸せなことに感じて、孟徳は笑いながら書類を手にする。


〜fin.
2010.04.20 A sunny spot

[  ]