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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 同盟


目前で平伏している人間へと、孟徳は妙に物柔らかな口調で尋ねる。
「で、この曹孟徳に何用なのかな?」
相手は、その声に安心したのだろう。
「折り入って、お願いの儀があって参上いたしました」
「お願い?」
無邪気な声しか、平伏している相手には聞こえてはいない。どれだけ冷たい視線が降りているのか知っているのは、孟徳の両脇を固めている元譲と文若だけだ。
目前の男は、仲謀軍の使い、とだけ名乗った。
考えずとも、先日の玄徳が刺客に狙われた件に関わることだとわかる。
先日の後始末は、それなりに大掛かりだった。なんせ、同盟の証たる婚儀相手であるはずの尚香が、刺客と入れ替わっていたのだから。
正確には、元々入れ替わっていたのを知らぬ振りで玄徳が預かっていた、ということなのだが、さすがにそれは公にはされていない。
生きたまま刺客を捕らえた玄徳は、同盟はこのままで、と言い送った。真実を知らされていなかった仲謀は驚いて、話し合いをしたい、と長安に向かってくることになった。
明日、会談する、と玄徳からは聞いていたのだが。
なぜか今日、孟徳に目通りしたいという人間が現れた。
言いだすことのおおよそを予測しながら、一応は引見したのは、一重に腹が立っているからにほかならない。
なんせ、大好きな二人の幸せが引き裂かれかかったのだから。
玄徳と花は世界一幸せになればイイ、と孟徳は思っている。
孟徳に嘘を吐かない稀有な存在が二人、幸せに笑っていてくれる為なら、きっとなんでも出来る。
それが例え、この手を朱に染めることであろうとも。
今回の件とて、そうしてやろうかと思わなくもなかったが、しなかったのは玄徳たちが喜ばないと知っていたからだ。
二人のいる暖かい場所に、自分も一緒にいられたらいい。
ほかほかと陽だまりに包まれるような感覚は、一度知ってしまったら、二度と手放せない。
それを邪魔する存在は、どんなモノであろうと排除してしかるべきなのだ、本音のところでは。
が、相手はそんな孟徳の腹のうちなど知らず、猫撫で声で言う。
「先ずは、これをお受け取り下さいませ」
声に合わせ、同じく平伏した人間が、つ、と大きな箱を押し出してくる。二人がかりで、なかなかに重量がありそうだ。
「元譲」
孟徳に視線を向けられ、いくらか困ったように眉を寄せつつも元譲は箱へと手をかける。
蓋に鍵はついておらず、すぐに持ち上がる。
「む」
思わず、元譲が声を上げてしまうほど、それは絢爛な内容だ。
真珠、珊瑚、琥珀。
遠目に見ただけでも、それらが混じっていることがわかる。賄賂だ公然と宣言する中身に、文若の眉が実に不機嫌に寄せられる。
元譲も、あまり機嫌が良さそうな顔つきでは無い。
孟徳の口調だけが、先ほどまでと同じ柔らかなものだ。
「へーえ、随分と豪勢じゃないか?これを、俺に?」
「もちろんでございます」
皮肉な形に、孟徳の唇は引き上げられる。
「それで?俺にどうして欲しいのかな?」
「ええ、ぜひ、玄徳殿にお取り成しを願いたいのです」
相変わらず、相手は平伏したままだ。卑屈なことこの上ない。
「取り成し?何を?」
「今回の件、お聞き及びのことかと思いますが……」
わざとらしい殊勝な口調が、余計に孟徳の心をざわつかせる。
どうやら、仲謀陣営も、孟徳と玄徳が単なる講和以上の関係となったことをかぎつけたらしい。ただ仲謀が詫びるより、孟徳が取り成せば、大事無いと踏んだ人間がいるのだろう。
それが、仲謀なのだろうと配下なのだろうと、孟徳にとっては姑息な真似をするいただけない相手であることは間違いない。
何より、玄徳が同盟相手として選んだというのが許せない。
色々と経緯があるのはわかっている。それでも、許せない。
「取り成しねぇ」
孟徳は、もったいぶった口調で言いながら、文若を見やる。
文若なら、孟徳の意図を正確に悟るはずだ。本来、そういう趣向は好きではないが、もっとこの腹立たしい状況への怒りの方が上回るだろう。
視線が合った文若は、案の定、眉間の皺をさらに増やす。
が、這いつくばったままの男へと視線をやり、それから微かに頷く。
に、と孟徳の口の端が持ち上がる。
「考えないことも、無いかな」
「ありがとうございます」
輝いた顔が上がってくるのへと、にこやかにほほ笑んでやる。
「喜ぶのは、まだ早いんじゃないかな。まあ、ともかく、文若」
つ、と頭を下げると、文若は部屋を後にする。
「俺が出来るのは、あくまで繋ぐことくらいだよ。わかってるのかな」
のんびりと言ってやると、相手はまた這いつくばるように頭を下げる。
「ええ、ええ、ただそれだけで」
それ以上も約束されたもの、と思っているのだろう。愚かな男だ、と孟徳は投げやりに思う。
こんな愚か者を飼うような男との同盟なぞ、とっと破棄してしまえばいい、とも。こんなの、清廉な玄徳には似合わない。
だが、仲謀が率直に頭を下げたなら、あっさりと許してしまうだろう。玄徳はそういう男だ。
もっとも。
それは、こういうことを知らなければだが。

玄徳の執務室へ現れた文若は、丁寧に頭を下げてから告げる。
「突然で申し訳ないのですが、孟徳様の客の間へおいでいただけないでしょうか?」
その言葉だけで、玄徳と共にいた孔明には話が見えたらしい。目をいくらか細める。
「仲謀殿の使者でもいらっしゃいましたか」
「ええ、南方産の宝物を山と持って」
頭痛がする、というように手が額にあたる。
「全く、本当に困ったことをしてくれます」
会話の流れで、玄徳にも話は飲み込めたらしい。口元が機嫌よくなさそうに歪む。
「賄賂でもって、俺に取り成せと言ってきたわけか」
小さなため息を吐いて、続ける。
「孟徳を馬鹿にするにもほどがあるな」
ごくあっさりと出た言葉に、文若は軽く目を見開く。そして、眉間の皺を消して、困ったように微笑む。
「はい、おかげで大変機嫌が悪くなっておられます。お手数をお掛けしますが、一緒になだめていただけると大変助かります」
孟徳の情というのが執着と紙一重だと知っているのは、身近にいる文若たちだ。そして、その情が玄徳に向けられていることも。
「わかった、行こう」
「私も参りましょう、その方が孟徳殿の趣向に合うでしょうから」
孔明の言葉に、文若は苦笑気味に頷く。
「今後、余計なことをさせぬためにも、その方がいいでしょう」

三人が客の間に現れた後は、ある意味見物ではあった。
今、この場に直に玄徳が現れるなどとは思うはずもない。
しかも、軍師である孔明までついて来たとなれば、うっかりすれば、これが公式会談ということになってしまう。
目を白黒させて、詫びらしき言葉を口走ると、ほうほうの態で逃げ出してしまう。
その後姿を見送ってから。
孟徳が、不機嫌そのものの顔つきで、玄徳を見やる。
玄徳は、苦笑を浮かべる。
「不快な思いをさせて、すまなかった」
「なんで玄徳が謝るのさ。馬鹿やったのは仲謀だろう」
ますます不機嫌になるのに、玄徳は真摯な顔つきで返す。
「まだ、仲謀殿の差し金と決まった訳ではないだろう」
「そうじゃなかったとしたら、まだ君は同盟を続ける気かい?」
視線に温度があるとしたら、極寒としか言いようがないのだが、玄徳はいたって真面目な顔つきのままだ。
「その方が、何かとやりやすいからな」
言い切ってから、、ふ、と困ったような笑みを浮かべる。
「孟徳との間には、同盟という形を取る必要は無いかと思っているんだが」
絶対零度だった視線が、きょとん、とした瞬間に温度を取り戻す。
わざわざ契約の形を取らなくても信頼している、という意味だ。それがわからないほど、孟徳は鈍くは無い。
「俺の勝手だから、もちろん必要だと孟徳が判断するなら」
困ったような笑顔のまま玄徳が続けるのを、孟徳は、いや、と止める。
「別に、同盟なんて必要ない」
返して、へにゃり、と笑う。
文若と孔明は、どちらからともなく顔を見合わせる。やはり、玄徳をこの場に呼んだのは正解だったようだ。
明日、やって来る仲謀は、大変だろうが。
「ところでね、玄徳」
と、足元を指差す。
「あいつ、コレ置いてっちゃったんだけど、どうしようか?」
そこにあるのは、財宝の山といっていい箱だ。孟徳は、実に期限が良さそうに笑う。
「この際、山分けにする?」
「そういう訳にもいかないだろう」
本当の困惑顔になりつつ、玄徳はくしゃ、と髪をかき回す。
同盟が必要となれば、刺客であろうがそ知らぬふりで我慢出来ることは実証済みだが、それにしても、だ。
明日の会談では、文句の一つくらいは言っても許されるんじゃなかろうか、と思ってしまう。
「明日の仲謀殿との話次第にはなるだろうが、俺から返しておこう」
「そうですね、賄賂を渡された孟徳殿からでなく、我が君から返されれば、両者の間に強固な繋がりがあることが示されますし、よろしいかと」
孔明の言葉に、文若も頷く。
「今後のけん制にはなるでしょう」
「まどろっこしいことせずに、俺がぶっちゃけてもいいんだけどな」
微妙に唇を尖らせ、子供のようなことを言う孟徳に、玄徳は苦笑を向ける。
「まあ、そう言うな。今回の件は俺に預からせてくれ」
「玄徳が言うならね。でも、何かあった時は、わかってるよね?」
目を細めるが、温度はある。
「ああ、わかってる」
困った性格だ、とは思う。でも、信じたいという言葉を疑う気は無い。
そう思い続けてくれる限り、玄徳も信じるだけだ。
「だから、今度は孟徳が狙われるような真似は、しないでくれるとありがたい」
もう一度、きょとん、と瞬いてから。
「うん、そうだね。気をつけるよ」
孟徳はそれこそ、面映そうに笑う。


〜fin.
2010.05.17 Alliance

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