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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 


少しためらってから、玄徳は意を決して、孟徳の執務室の扉を開ける。
「相談に乗って欲しいことがあるんだが」
山ほどの書簡から視線を上げた孟徳は、玄徳だと知って、へにゃ、と笑う。
「うん、喜んで」
内容を聞く前に、あっさりと承諾する孟徳に、玄徳はいくらかおどけた表情になる。
「ずいぶんと頼もしいが、俺はまだ何も言ってないぞ」
「玄徳からの相談なら、仕事だろうがそうでなかろうが、なんでもいいんだよ。で、何?」
「ああ、その」
ためらいつつ、玄徳は懐から何か小さな包みを取り出す。
「これを、細工出来る人間を紹介してもらえないか」
これ、を覗き込んだ孟徳は、興味深そうに瞬く。
玄徳が持っているにしては綺羅な織りの布の上には、それに引き立てられるように艶やかに白い、雫型が二つ。
「へーえ、真珠だね。雫の形とは、珍しいな」
「ああ、そうらしいな。俺はこういったモノには詳しくは無いんだが、滅多に取れないものだそうだ」
玄徳の言葉に、孟徳は軽く眉を寄せる。
「仲謀だね?」
「どうしても、これだけは受け取って欲しいと言われて、断れなかったんだ。それに、つい、な」
孟徳が少々へそを曲げることは予測していたのだが、それ以上に言い難いことがある。
言いよどんだことに気付いたのだろう、孟徳が不思議そうに視線を上げる。
誤魔化したところで話が進まないので、玄徳は軽く息を吸ってから、言う。
「その、花に似合うだろうと」
一度、目を瞬いてから、孟徳はくしゃっと笑み崩れる。
「玄徳でも、そういうこと思うんだ」
「悪かったな」
照れくさくて首の後ろをかく玄徳に、孟徳は笑顔のまま頷く。
「いやいや、そうとなったら誠心誠意協力させてもらうよ」
ふむ、と顎に手をやって、孟徳は首を傾げる。
「そうだな、金が合うかな、銀もいいけど、花ちゃんなら珊瑚とか赤い石と合わせたのも似合いそうだよね」
「それなんだが」
「ん?」
玄徳がいくらかためらった理由は、実のところコレなのだ。
孟徳なら、絢爛な装飾品など見慣れていて、それが当たり前なのだろう。当然、彼が知る職人らもありとあらゆる技術をつぎ込んで豪勢な物を仕上げるのに慣れているに違いない。
「出来れば、質素な方がいいんだ。それと壊れにくい方が」
孟徳は、きょとん、と目を見張る。
「どうしてまた?だって、玄徳の奥さんになる人の耳に飾るモノでしょ?質素って訳にはいかないよ」
ごくあっさりと花を奥さんと言われて、玄徳の頬は我知らず染まる。
「ああ、そういった場に相応しいのは、また別に用意したいとは思ってる。だが、これは花のいつもの姿に似合うようにしたいんだ」
この先、玄徳の妻になった後も、花は軍師の一人としてやっていくことを望んでいるのは、孟徳も知っている。
実際、彼女の影響力は計り知れないものがあるので、表舞台に残る意味は充分にある、と玄徳も孔明も判断していることも。当然、孟徳だって歓迎だし、珍しく文若も眉間に皺をよせたりはしなかった。
「かなり特殊な例とは言えるでしょうが、一緒に仕事していただけるのはとても助かります」
あの文若にそこまで言わせるのだから、本当に稀有な存在だ。
「なるほどね、花ちゃんがいつもつけてられるようにってわけか」
孟徳の笑みが、ますます大きくなる。
「うん、いい考えだね。でもやっぱり、かわいくはないと。耳元にくるあたりに金属で細工とかさせるのはどう?ほら例えばさ」
そこにある筆を取り、書類となるべく積まれた管にさらさらと絵を描きだす。
「ほら、そんな派手じゃないけど、花ちゃんらしくない?」
「なるほど、そういう方法もあるのか。やはり孟徳はよく知ってるな」
ふふ、と楽しそうな笑みをこぼしながら、孟徳はあれやこれやと描いてみせる。
仕事の合間のつもりが、玄徳もつい釣り込まれて、裁可の確認に訪れた文若の眉間の皺が三倍に増えたのはご愛嬌だ。



控えめな訪いの音に、玄徳は竹簡の山から顔を上げる。
「花か?」
予測は、あたりだ。
そっと開いた扉の向こうから、花が照れたような顔を出す。
「お仕事中にお邪魔してすみません。夜食を作ってみたんですけれど」
「それはありがたいな」
花が来てくれたことと、気遣ってくれたことの両方が嬉しく、玄徳は笑みを浮かべる。
山のような竹簡を寄せて、食べる場所を作ると、花が盆を乗せてくれる。
どうやら、汁物の中に粉で出来た何かを入れてあるものらしい。それに色とりどりの具材が乗っていて、目にも明るい。
「美味そうだな」
言うと、花はなにやら頬を染める。
「あの、伸びちゃうので、食べちゃってください」
まじまじと眺めてしまったせいか、照れてしまったらしい。せっかくの好意を無にしてしまってはもったいないのも確かだ。
「ああ、いただこう」
一口、二口。
視線を感じて顔を上げると、花が真剣なくらいの顔でじっと見つめている。
「花?」
「あ、あの、口に合いますか?」
「ああ、美味い。温まるのもありがたいな」
素直な感想を言うと、花は名の通りの明るい笑顔になる。
「良かった!最近、玄徳さん忙しいから、何かおなかに優しいものがいいなって思って」
色々と考えてくれたのだろう、こうして夜食を持ってきてくれたことだけでなく。
「気遣ってくれたんだな、ありがとう」
一番優しい笑顔になっていればいい、と思いながら告げる。
花は、頬を染めながら、こくり、と頷く。
箸を進めつつ、ふと思ったことを尋ねてみる。
「しかし、忙しいのにすまなかったな」
長安に来てから、新野や成都にいた頃とは比べ物にならない忙しさが続いている。花も、孔明に様々なことを学びながら走り回る日々だ。
こんなことをしている暇など、ほぼ無いはずなのに。
「あ、今日は師匠が、夕方からゆっくりしていいって言ってくれたんです。体壊したら元も子も無いからって。でも、皆さんもそうですよね」
「確かに、そうだな」
政治関係に携わっている孔明たちも忙しいが、軍の再編成を担っている雲長や子龍もなかなか顔を合わせる機会が無いくらいだ。
「玄徳さんなんて、病み上がりなのに」
ちょっと頬をふくらませる姿はかわいいが、拗ねられてしまっては意味が無い。
「心配させてすまなかった」
「もう、ああいう無理はしないで下さいね」
口にはしていないが、花のおねだりには弱いのだ。苦笑気味に、頷く。
「ああ、気をつける」
「約束ですよ」
などと話しているうち、ゆっくりと食べていた夜食も片付く。
あまり、邪魔していても悪いと思ったのだろう、花は盆へと手をかける。
「じゃあ、私、片付けますね」
「ちょっと、待ってくれないか?」
「はい?」
いたって真面目な顔つきで呼びとめたことに気付いたのだろう、花は不思議そうに首を傾げる。
「受け取って欲しいモノがあるんだが」
「私に、ですか?」
大きな目を、さらに大きくして玄徳を見上げてくる。
「ああ、これを」
出来あがったものに似合うよう、花の雰囲気に合うよう、薄桃色の布を取り寄せて包んだものを懐から取り出して、差し出す。
そして、ゆっくりと開いていってやると。
「あ」
思わずなのだろう、花の口から小さな声が漏れる。
雫型の真珠に、小さいながらも繊細な金の細工をほどこした耳飾りが、ろうそくの灯りを受けて、きらり、ときらめく。
「すごい、きれい……」
息をのむような声に、自然と玄徳の口元に笑みが浮かぶ。
「花に似合うよう、細工をしてもらったんだ。この程度の細工ならば、派手過ぎないからいつでもつけてもらえるのではないかと思ってな」
みるみるうちに、花の頬が染まっていく。
それに、自分でも気付いたのだろう。慌てたように頬を抑える。が、言葉は出てこない。
玄徳は、わざと首を傾げてやる。
「気に入らなかったか?」
それこそ、音がしそうなほどに花は首を横に振る。
「ち、違います!とっても素敵なので、その、私なんかがもらっちゃっていいのかなって思って。それに、あの、下世話になっちゃいますけど、こんなに凄いの、安くないですよね?」
さすがは孔明の弟子、というべきか。最近は経済のことまで、色々と覚えつつあるようだ。長安と許都の同時奇襲で、かなりな軍費を費やしたことを彼女も知っているのに違いない。
下世話と知りつつ、値のことを言い出したのも玄徳と共にあるという立場を考えたからこそだろう。
「ああ、その点は心配ない。第一に、これは花の為に用意したものだ。第二に、経済的なことならウチの懐に見合った支出しかしていない」
玄徳が微笑むと、花はますます頬を染める。
「そ、そうですよね。玄徳さんがそういうこと考えないわけないですよね。すみません」
「謝らなくていい、色々と心を配ってもらって、お礼を言いたいくらいだ」
笑みを深めて、かわいらしい頭を軽く撫でる。
「だから、快く受け取ってもらえると、嬉しいんだが」
「は、はい、ありがとうございます」
いくらか緊張した面持ちで、花は玄徳の手から布ごと耳飾りを受け取る。
ややしばし、まじまじと見つめてから、頬を染めたままの顔を上げる。
「本当に、キレイですね。嬉しいです」
満面の笑顔になってくれるのが、玄徳にとってもなによりの喜びだ。
「良かった。せっかくだ、つけて見せてくれないか?」
満面の笑みのまま、こっくりと深く頷くと、花は少しだけおぼつかない手で耳飾りをつける。
それから、ちょこん、と立ち直して、玄徳を見上げる。
「あの、どうでしょう?」
「ああ、とても良く似合っている」
お世辞で無く、心からそう思う。
言葉をもらった花の笑顔が、一層深くなる。
「素敵なのを、ありがとうございます」
それから、少しだけ首を傾げてみせる。
「このくらいの大きさなら、毎日しててもおかしくないんでしょうか?」
「大丈夫だ」
むしろ、そうしてもらいたいからこそ念入りに細工の大きさなどを考えたのだから。
しっかりとした肯定に、花はくすぐったそうに笑う。
「嬉しいです」
「喜んでもらえて良かった。遅くに引き止めて悪かったな」
玄徳の言葉に、花は首を横に振る。
「玄徳さんも、無理はしないで下さいね。おやすみなさい」
「おやすみ」
改めて盆を手にし、身をひるがえす花の耳元で真珠がきらきらと揺れる。
似合っていて、かわいらしい、と見送ってから。
実に絶妙な時に、花の時間が空いたものだ、と思う。だが、孔明には贈り物の件は何も言ってはいないのだが。
避けておいた竹簡を手にしながら、首を傾げる。
数個の案件を片付けて、はた、と気付く。
最初に相談しに行った時、文若に見つかったことに。眉間の皺を三割増しにしつつも、仕事に戻って下さいとしか言わなかった彼は、いつの間にやら孔明に伝えたらしい。
もしや、こういうことも彼らが重要視する情報の一つだったりするのだろうか。というよりは、政治を担う者同士、親しくやっているということなのだろう。
花が、孟徳と仲良くする、と言いださなければ、こうはなってなかった。
本当に、稀有で大事な少女だ。
考えにふけりそうになって、玄徳は軽く首を横に振る、ひとまずは、今日の分の仕事を片付けないと、また心配をかけることになってしまう。
それでは、本末転倒だ。
明日も、明後日も、いつだって花の笑顔を見ていたいのだから。



翌日、いつも通りに玄徳の執務室には孟徳がやって来ている。
いくつかの案件を、共に片付けていると。
「失礼します」
訊き慣れた声に、玄徳の視線が上がり、孟徳もにこやかに振り返る。
「やあ、花ちゃん」
「こんにちは、孟徳さん、玄徳さん」
花も、笑顔を返す。
「師匠と文若さんに頼まれた書類を持ってきました。相談したいことがあるそうで、お二人ともすぐにいらっしゃるそうです」
「自分たちが来るのに、花ちゃんに持たせてるの?しょうがない人たちだね」
「師匠も文若さんも、こぼれそうなくらいに持ってますよ、私はかなりオマケしてもらってます」
花が肩をすくめるのに、玄徳は目を見開く。
「そりゃ凄いな。何が始まるんだ?」
「その、私の国のことをお話したら、役立ちそうなものをいくつか実現出来ないかということになって。具体的に出来てきたから話をしたいそうです」
孟徳は、にんまりと笑う。
「へーえ、そりゃ面白そうだ」
「そうだな」
二人が嫌そうな顔をしないことに、花はほっとしたように笑みを深める。
「話が長くなりそうですし、私、お茶をいただいてきますね」
にこにこと言いながら、身をひるがえすと、きらり、と光を受けたモノがある。
孟徳がにこりとしながら言う。
「かわいいのつけてるね」
ぽ、と花の頬が染まる。
「あ、はい」
当然、孟徳は誰がどうしたものかを知っている訳だが、そうでなくとも十二分に伝わる顔だ。
「とっても似合ってるよ」
満面の笑顔に、花も嬉しそうな笑顔を返す。
「ありがとうございます!」
それから、本当に身をひるがえして執務室を後にする。
「思ってた以上に似合ってるね、花ちゃん」
孟徳が振り返ると、玄徳も笑みを返す。
「ああ、いい職人を紹介してくれたおかげだ。ありがとう」
素直に言えば、孟徳の笑みは子供のようにあどけないものになる。
「いつでも言って。これっくらいは、お安い御用だから」
玄徳は、笑みを深める。
「装飾品だけでなく、いつだって頼りにしている」
それは、嘘は欠片すら含まれない真実だ。
呂布に追われて受け入れられた、あの時から、同じ視点でモノを見て、話すことが出来る相手が、どれほど貴重かと思っていた。
一瞬、目を見開いた孟徳は、先ほどよりも笑み崩れる。
「ありがとう」
「こちらこそ、これからもよろしく頼む」
返してから、足音が近付いたことに気付いて扉を開けと、花の言っていた通り山のような書類を抱え込んだ孔明と文若が現れる。
「本当に、山だな」
思わず目を丸くしてしまう。
「これでも半分以下に絞っています」
「ええ、そこそこは練ってまいりましたから、ご安心を」
口々に言いながら、孔明と文若は容赦なく竹簡を山積みにする。
「ったく、主に少しは楽をさせようって思わないのかな」
唇を尖らせたのは、孟徳だ。
「お二人に練ってもらった方がいいと思うものだけを持ってきています」
「花の耳飾をどうするか相談するくらいな熱心さでやっていだだければ、すぐに片付きますよ」
しれっと孔明が言ってのけるのに、玄徳と孟徳は、どちらからともなく顔を見合わせる。二人とも、手加減する気は無いらしい。
「ま、ちゃっちゃとやちゃうかな」
「そうだな」
軽く袖を孟徳がまくり、玄徳も肩をすくめてから上の一つを手にする。
そこへ、軽い足音が戻ってくる。
「お茶の道具を持ってきました、今から淹れますね!」
笑顔で言いつつ、花は玄徳と孟徳が微妙にうんざり顔になっていることに気付いたらしい。
「その山、元は三倍か四倍あったんですよ。師匠と文若さん、いつものお仕事のほかに検討して下さってたんです」
先ほど、二人は半分とかと言っていたはずだ。
思わず玄徳が口を開きかかったところへ、孔明が花を見やって言う。
「花、早くお茶淹れちゃってよ。これから話が続くから喉が渇くとやってられない」
「はい」
慌てて動き出す花の耳で、真珠が揺れる。
玄徳と孟徳は、もう一度顔を見合わせて、そっと笑う。


〜fin.
2010.05.23 A scintillator

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