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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 花茶


軽い足音が止まり、扉が開いて花の明るい声が響く。
「師匠、文若さんのところから預かってきた書簡です」
「ありがとう、急ぎのはある?」
孔明が顔を上げると、花は首を横に振る。
「いえ、この中には。でも、伝言があります」
抱えてきた竹簡を種類別に分別しはじめながら、花は言葉を続ける。
「先日の案件で相談したいことがあるが伺って良いか、それから、今年の茉莉花茶が出来たのだが、とのことです」
孔明の顔に、笑みが浮かぶ。
「どちらも、いつでも歓迎です、と返しておいで」
「はいっ」
嬉しそうに花は返事をすると、キラキラと耳元を煌かせながら走っていく。
彼女は、自ら「残る」と決めた。
ならば、一人前の参謀となれるようにしていくだけだ。
玄徳の妻が参謀としても一流となれば、それだけでけん制力がある。孟徳との関係も良好だし、漢の復興はやりやすくなる。
何より、かわいい弟子には幸せでいてもらいたい。
花が、皆が可能な限り死なないようにしたいと言うなら、そうする道を選び続けるだけだ。
「失礼する」
四角四面な声がして、腕にいっぱいの竹簡を抱えた文若が現れる。
「どうも、お待ちしてました」
笑顔を向けると、少しだけ表情が緩む。それなりに親しい相手と認識しているのだろう。
先日、文若さんは生真面目で人見知りな方なんですね、きっと、などと花が評していたが、あながち間違ってはいないのだろう。
「花殿には、茶器を借りてきてもらうようお願いしてしまった」
「使ってやって下さい。文若殿の薦めてくださるお茶は美味しいと彼女もいつも喜んでいますから」
彼女も、という言葉の意味は、文若にも当然通じる。
「そう言ってもらえると、ありがたい」
孔明は、文若が運んできた竹簡を広げる場所を空ける。
すでに、分類を済ませてきているらしく、文若は数個の山を作る。
「順としては、この件からがいいと思う」
「ああ、なるほど」
上の文字を走り読みして、孔明も頷く。
「では、これから行きましょう」
二人で額を寄せ合い、文若が用意してきた資料と今までの案件などを鑑みた議論を始めて、ややしばし。
ふ、と文若が我に返った表情になる。
「花殿が、まだ戻らぬな」
「そういえば、遅いですね」
と、二人で顔を見合わせたところで、噂をすれば、というように花が入ってくる。
「すみません、遅くなりました」
「どうしたの?」
孔明が首を傾げてやると、花は困ったような笑顔になる。
「文若さんのオススメの花茶をいただきにきました、って言ったら、許都からいらっしゃったっていう料理人さんが出てきて、せっかくだからとお茶菓子を下さったんです」
なるほど、彼女の手にしてきた盆には確かに菓子も乗っている。
「ああ、彼が出てきたのか」
文若は思い当たる人物がいるのだろう、少し懐かしそうに目を細める。
「今日は私が茶を淹れよう」
「お願いします」
花は、大人しく場を譲る。
孔明から見ても、文若が茶を淹れる手つきは繊細で優美だ。とても、四角四面で常に眉間に皺があるとは思えないくらいに。
もっとも、茶を扱っている間の文若の表情は実に穏やかなのだが。
似たようなことを考えているのだろう、花の口元が緩んでいる。
「どうしたの、嬉しそうだね?」
孔明が言ってやると、花は素直に頷く。
「はい、文若さんの淹れて下さったお茶は美味しいので、大好きなんです」
真っ直ぐな褒め言葉に、文若はいくらか照れたらしい。
「そうか」
とだけしか返ってこないが、微妙に表情が動いている。花はそれに気付いた様子もなく、言葉を継ぐ。
「それに、お茶の淹れ方もすごく綺麗で勉強になります。私も早く文若さんみたいに美味しいお茶を淹れられるようになりたいです」
「で、我が君にふるまうのかな」
からかってやると、すぐに頬を染める。
「み、皆さんにです!お仕事大変な時に、美味しいのを淹れたいんです」
「花殿は、随分とお茶を淹れる腕をあげている。いつも、ありがたくいただいているぞ」
文若が淹れ終えた茶器を並べながら、言う。
「そうですか?ありがとうございます」
ぺこん、という音がしそうな仕草で頭を下げる花と、その隣で笑っている孔明へと、文若は茶器をさしてみせる。
「入ったぞ」
「ありがとうございます」
「では、早速」
遠慮なく茶器を手にした師弟は、まずは香りを楽しむ。
「ああ、これはすばらしいですね」
「ホント、いい香り!」
口に含めば、その香りは清涼な茶葉の香りとあいまって鼻へとぬけていく。
「さすがは、文若殿お勧めのお茶です」
文若の表情がいくらか緩み、彼も茶器を手にする。
「ああ、今年もいい出来だ」
半ばひとりごちたのを、花がにこにこと聞いているので、もう一度言ってやる。
「ホント、嬉しそうだよね。お菓子があるからかな?」
「もちろん、お菓子は嬉しいですけども、違います」
花は、お茶を手に笑みを大きくする。
「お茶の時間は、文若さんが笑ってくれるからいいなあって思ったんです」
「ま、確かにね」
眉間に皺が寄るのは、すでに文若の癖だから仕方ないとは思う。が、その分、穏やかな表情をしていると、こちらまでもが落ち着いた気持ちになってくるのも確かだ。
「でも、僕は文若殿の表情が厳しくてもかまわないかな」
ストレートな花の言葉に、どう返していいのかわからない顔をしていた文若は、ますます困惑顔になる。
「え、どうしてですか?」
花も、不思議そうに首を傾げる。
孔明は、笑みを大きくする。
「我が君の言葉を借りるなら、同じ視点で国政を語ることの出来る相手だから、だよ」
ぱち、ぱち、と花は二度瞬きをしてから、ぱっと笑顔になる。
「それで、師匠と話している時の文若さんの眉間の皺も少ないんですね」
文若の表情は、困惑しきったものから困ったような笑顔へと変化する。
「長安で陛下をお連れすると言われた時、孔明殿と語らえるなら打開の策もあると思えた。それが現実となったことを喜ばしく思っているから、花殿の言う通りなのだろう」
姿勢を正して真剣な表情へと変わるのに、花も無意識にだろうが姿勢を正す。
「孟徳様を動かしてくれたこと、心より礼を言う」
「いえ、私は何も」
慌てたように首を横に振る花に、孔明はくすり、と笑う。
「時折、師でも予測をつかないことをしてのけるんですよ。しかもその自覚がないから始末が悪い」
「師匠、褒めてないです、それ」
「褒めてるよ、心から」
にやり、と孔明は返す。
「文若殿も長安には来てくれたけど、孟徳殿と緊張があったままじゃ、こうして話すことは無理だったからね」
孟徳のことだ、そんなことをすれば玄徳軍に通じていたのだろうと文若を責め殺していただろう。
「君には感謝してるんだよ、本当に」
珍しい参謀二人からの礼に、花は目を白黒させている。
なかなかに参謀として有能な能力を持っているというのに、こういったことにはてんで素直にしか返せないあたりが、実に面白い子だと思う。
そんな様子が文若にも微笑ましいのだろう、表情は明るい。
本来なら、お茶を手に議論を進めようと思っていたのだが。
もうしばらく、こうして休憩にするのもいいだろう。きっと、文若も悪くないと思っているに違いないから。


〜fin.
2010.05.23 Frower tea

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