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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 参謀


決裁を終えた書簡と頼まれていた資料を手にした花は、回廊で歩調を、ふ、と緩める。
戦乱の主だった舞台となって荒れに荒れた古都は、復興が最優先とされたこともあり、かなりな速度で華やかさと賑わいを取り戻しつつある。宮殿も同様で、回廊から見える箱庭のような場所には四季折々の花々や木々が植えられ、花の目を楽しませてくれる。
今のところ本日の仕事も順調で緑もキレイ、と良いことづくしに軽い足取りになりつつ、目的の場所へと向かったのだが。
あれ、と思うと同時に、小さく首を傾げる。
孔明の執務室を遠巻きにするように、数人の文官が寄り集まっている。
なぜか、息をひそめているように見えるのは、気のせいだろうか。
ともかくも、挨拶くらいはと息を吸ったところで、コチラに気付いた一人が慌てたように指を立てる。
静かに、だという意味だとはわかったので、そこから先は口をつぐんで足音に気をつけつつ、文官たちへと近付き、そっと尋ねる。
「どうか、なさったんですか?」
なぜか、文官たちは気まずそうに口をつぐんだまま、顔を見合わせるばかりだ。
花は首を傾げたまま、文官たちを見回してみる。それぞれ手に何らかの書簡を手にしているので、部屋の主の決裁、もしくは意見が必要なモノに違いない。
なのに、どうやら部屋に入ることをためらっているらしい。
この先の部屋に問題があるのかしら、と考えつつ、師匠である人の部屋へと近付く。
耳に入ってきたのは、声だ。
興奮した気配は少しも無いが、早口に言葉がやり取りされているのがわかる。大声では無いので、内容まではわからない。
が、議論が白熱しているコトだけは、はっきりと感じられる。
声の主は、孔明と文若。
今や政策の全ては二人が関わっている、と言っても過言ではない状態の昨今だ。
たいていは、片方が確認すれば済むのだが、重要案件になるとこうして二人で議論して練り上げることが多い。
声だけなく、話し方、そして会話の速度。特に速度は、二人ならではだから、花には迷いようが無い。
なるほど、と花は頷く。議論を邪魔しては悪い、と文官たちはためらったのに違いない、と結論に達して。
にこり、と振り返る。
「急ぎの案件でしたら、大丈夫ですよ。お二人とも中断しても、そこから話を始められますし」
そんな場面を、花は何度も見ている。よくもまあ、キレイに話が途切れたところから開始出来るモノだと思うけれど、二人にしてみれば当然のことでしか無いらしい。
いつだったか尋ねてみたが、意味がわからない、という顔をされた。二人ともがそうだったから、返って納得したのだ。
彼らはそうだからこそ、彼ら、だと。追いつけないけれど、追いたい目標であるのだ、と。
それはそうと、花のにこやかな表情に反比例するように、文官たちの顔は曇る。
ますます首を傾げる花に、文官たちは誰からとも無く顔を見合わせる。
そして、誰からとも無く頷き合う。
「花殿、特に急ぎの書類はありません。恐れ入りますが、時機を見てお渡しいただけますか?」
そう言われてしまえば、花に否やは無い。
「はい」
素直に頷けば、手に次々と書簡が積まれる。
細腕には、少々重荷ながら、どうにか扉を開けて、部屋へと入って。
同時に振り返った二人の視線に、思わず小さくなる。
「お話途中にお邪魔してすみません」
「いや、問題ないよ」
「ああ、全くもって」
きっぱりはっきり言い切った割には、孔明も文若も機嫌のいい表情ではない。
思わず花は、二人の表情をかわるがわる見やってしまう。
「でも?」
「君に書簡を押し付けた連中は別だけどね」
「国政を担う者として、感心出来ん」
冷ややかとしか言いようの無い表情が、孔明と文若の顔に浮かぶ。
全く理解出来ないままに、ぽかん、としている花に気付いたのは、どちらが先立ったのか。
どちらからともなく顔を見合わせ、そして苦笑する。
「ねえ、花、彼らがどうして僕の部屋に入らなかったか、わかるかい?」
視線を戻した孔明が、尋ねる。
「え、それは、師匠たちが議論を邪魔したくなかったからですよね?」
「確かに、それも正しくはある」
正確を期することにかけて、右に出る者がいない文若がきっぱりと言い切る。
が、口にした全てが正解ではない、と感じる。
いっぱいいっぱいに考えるが、どうにもわからず、花は首を傾げる。
「途中で話の腰を折っては悪い、と思っただけでは、無かったんでしょうか?」
「ま、それは置いといて、ね」
最初に問いかけたくせに話を途中で切り上げた孔明は、にこり、と文若を見やる。
視線を受けた文若も、眉間の皺をいくらか減らして頷く。
「花殿の意見を、伺いたい」
「私の、ですか」
「さっき、ある程度説明しといたでしょ、この件だよ」
手にしていた簡を孔明が花へと向ける。
「はい」
新しく制定しようとしている法の件だ、とすぐに理解して覗き込む。
全ての文章が読みこなせるようになった訳ではないが、孔明の言う通り、要旨は先ほど聞いている。
「この項目だ」
文若が、その長い指で一文を指してみせる。
「このままでは読む者によって解釈が異なるのではないか、と危惧している」
花がおそるおそる文章を目で追ってみると、幸い、読める文字ばかりだ。
声に出して読んでみると、合っているというように文若が頷く。口元にうっすらと笑みを浮かべたまま、孔明が小さく首を傾げる。
「君はこの文章を、どう解釈するんだい?」
「最初に思い付いたのは」
と、素直に思った意味を述べる。最後に、でも、と付け加えつつ、だが。
「でも?」
「この字には」
と、文章の一点を指す。
「もうヒトツ、意味がありますよね。確かあまり使われないとは聞きましたけど」
「うん、そうすると?」
「この文の、意味が変わってしまいます。師匠たちは、最初の意味で書いたんですよね?」
法令のこととなれば、必要以上の不可解があってはならないという二人だ。こんなところで滅多に使われない字をあてるとは思わない。
が、法をかいくぐりたい人間がいたとしたら、ねじまげて解釈されてもおかしくない。
「花なら、どうする?」
「ええと」
小さく、首を傾げる。思い付くいくつかは、孔明たちはとうに考えているだろうことばかりだ。
が、もう師匠たちは考えていると思います、では望む答では無いことも知っている。
「他の意味には取れない字で、ふさわしいのがないか考えます。もしかしたら、近い文がある法令が過去にあったりしないか、調べてみてもいいかもしれません」
花は、言葉を一度区切ったが、続きがあると察した二人は口をつぐんだままだ。
「どうしても、この文章でなくてはならないなら、注釈をつけたら駄目でしょうか?法律の文章の決まりがわかっていないので出来るかわかりませんけど」
孔明と文若は、どちらからともなく顔を見合わせる。
「やはり、その方向しかないかな」
「そのようだな」
二人は納得したらしく、頷き合う。
そのまま文章を練る作業に入ろうとするのがわかったので、花は慌てて口を挟む。
「あ、あの、コレを預かってきたんですけど」
「ああ、僕らの話が終わるまで待ってて大丈夫な代物でしょ、そこらに放っておいてくれていいよ。時間があるなら、文若殿と議論した方がいい内容が含まれてないか、確認しといてくれないかな」
視線も上げずに孔明は言い、文若も軽く頷く。
「すまんが、頼む」
そのまま議論の続きに没頭し始めた二人に、花は小さく肩をすくめる。結局、先ほどの答えは教えてもらえないままらしい。
だけど、今は答えを探すより、孔明に頼まれた仕事を片付けるのが先だ。それでなくとも忙しい二人の手助けが、ほんのわずかでも出来る機会でもあるのだから。
手にしてきた書簡を、一つずつ広げて中身を確認していく。
決裁だけが必要なモノ、中身を再度あらためる必要があるモノ、全く判断がつかないモノ、と分類していく。
数がそう多い訳ではないので、比較的あっさりと終わってしまう。
判断がつかないモノが少ないコトにほっとしつつ、視線を上げる。
孔明と文若の議論は、まだ続いている。
花は、二人が議論している時の真剣な瞳も大好きだ。意見を戦わせていく中で全く新たな案が出た時など、ふ、と少し笑み浮かんだりするのを見つけるのも嬉しい。
なんというか、そう、楽しそうに見える。
見てるコチラまで、幸せな気持ちになってくる。
「何か、おかしなことでもあるか?」
「え?!」
いきなり、文若が真顔で尋ねてきて、花の心臓は跳ね上がる。
「人の顔をニヤニヤと見てるから、何事かって訊いてるんだよ」
にやり、と笑いながら、孔明が付け加える。
「その、お二人が楽しそうに見えたので、それが嬉しくて」
この二人に、誤魔化しは通用しないのは骨身にしみているので、花は頬が高潮するのを感じつつ、素直に白状してみる。
「あの、ニヤニヤしてたのなら、失礼ですよね、すみません」
ぺこん、と下げた頭の向こうから、くすり、と笑い声が返る。
「楽しそうなのが嬉しいっていうのが、花らしいね。ま、確かに楽しいかも。僕は、だけどね」
「それは、私も同じだ」
孔明の視線を受けて、文若も頷く。
「こういう方が向いてる」
んだよね、と孔明の方には語尾がついたけれども、二人の声は間違いなく揃う。
「戦より、ずっとね」
と孔明は肩をすくめ、
「こちらの方がずっと建設的だ」
と文若は眉ひとつ動かさず言う。
一瞬、瞬きすら忘れた花は、すぐに笑み崩れる。
ようするに、と花は思う。
「お二人とも、皆が幸せに過ごせる方法を考えるのがお好きなんですね」
「二人だけじゃないよー」
急に加わった声に、三人が視線を向ける。
孟徳は、にんまりと後ろを振り返る。
「ねぇ、玄徳?」
「まぁな」
にこり、と玄徳が笑う。
「花もだろう?」
「はい、お手伝い出来るように頑張ります」
ほんわりと空気が緩んだところで、孔明が首を傾げる。
「お二人お揃いで、どうなさいました?」
「うん、そろそろ先日言ってた草案が出来る頃かな、と思ってね」
にこり、と邪気なく孟徳は笑うと、また玄徳を見やる。
「確認ついでに、もう少し議論したいこともあってさ」
「もう加わっているのかもしれんがな」
玄徳が言うと、孔明がにっこりと笑い、文若の表情もいくらか緩む。
「そうとは限りません、ぜひお聞かせ願いたい」
「私、お茶の準備してきます」
話が長くなりそうだ、と察して、花が言う。
「うん、頼むよ」
「はい」
頷き返す花に、孔明は、に、と笑う。
「そうそう、さっきのお客様方に会ったら言っといて。逃げるより、精一杯の方がかわいげがあるってね」
「次は無い、ともだ」
きょとん、と瞬きをした花の代わりに、おおよそを察した孟徳が笑いだす。
「それ、花ちゃんに言わせたらかわいそうだよ。逃げたくなる気持ちもわかる気がするなあ」
ぴくり、と文若顔がひきつるのにおかまなく、孟徳は続ける。
「ねぇ、玄徳。二人が完璧に仕上げた内容に意見しろとか難易度高いよね」
「緊張はするかな」
苦笑気味に返す玄徳を見て、花にもやっと話がわかる。入るのをためらっていた文官たちは、孔明と文若が議論している内容について問われるのが怖かったらしい。
ぱっと、明るく笑う。
「わかりました、伝えておきます。お二人とも、一生懸命考えた答えなら怒りませんからって」
ふわり、と上着を翻して花が去った後。
孔明と文若は、どちらからともなく顔を見合わせる。
ぷ、と声を立ててふいたのは、孟徳だ。
「これは、一本取られたな」
「違いないな。やはり花も策士だ」
玄徳も、声を立てて笑う。あまりに楽しそうな主君二人に、孔明たちの顔にも苦笑が浮かぶ。
「ま、善処しますか」
「限度はあるが」
結局のところ、全てを好転させた少女に敵う訳などない。そういうことだ。


〜fin.
2011.11.24 The wisest brain

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