[  ]


幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 観察


前から、気にはなっていた。
なっていたのだけれど、気にしてはいけないだろうと、目線をそらし続けていた。
えてして、気にするまいとするほどに気になるもの。
しかも、しょうもないモノであればあるほど。
「どうしても、気になっちゃうんだよねぇ」
うっかりとため息まじりに呟いた瞬間、上から影がふってくる。
それが玄徳の大きな手だと気付いたのは、次の瞬間、いつもの調子で頭を撫でられたから。
「どうした花、ため息なんてついて」
「げ、玄徳さん?!」
驚いて見上げる花に、苦笑が下りてくる。
「なんだ、ずいぶんと考え込んでいたんだな?」
確かに、頭を撫でられる直前まで気付かないくらいに夢中で考えていた。
「す、すみません。でも、ものすごくたいしたコトないんです」
「たいしたことあろうがなかろうが、花の顔を曇らせてるのがなんなのか、教えてくれると嬉しい」
口調は柔らかだが瞳が真剣なコトに気付いて、花は頬を染める。そんなに真剣になられるようなコトでは無いのだが、このまま黙っていても心配させるだけだ。
言葉にしないままで誤解するのもされるのも、もう繰り返したくは無い。
「えーと、あの、笑いませんか?」
「ああ、笑わない」
大真面目な顔つきで頷かれてしまい、ますます穴に入りたいような気持になりつつ、花はおそるおそる、口にする。
「あのですね、師匠の」
「孔明の?」
「コレ、です」
言いながら右手の人差指で、ひょ、と自分の頭付近で、跳ねるように一本の線を描く。
「コレ?」
不思議そうに、玄徳は自分の頭の付近で、同じように跳ねるような曲線を描く。
「はい、ソレです」
「ソレ……?」
不審そうな顔つきになりつつ、玄徳は、今度は花の頭のあたりに跳ねるような曲線を描いて。
「ああ、なるほど、コレか」
ひょ、ともう一度、自分の頭の上に曲線を描く。
その形は、まさしく花が想像で描く通りのモノで、うんうんと大きく頷いてみせる。
「はい、ソレです。ええと、こっちではなんて言うんでしょう」
「さて、な?そのままを言う端的な言葉は無いと思うぞ。お前の世界では、名前があるのか?」
「はい、あります」
そう、その名前ゆえに、それが頭脳明晰な彼の頭にあるがゆえに、更に気になっているのだから。
「なんて言うんだ?」
会話の当然の流れとして、玄徳は問うたのだが。
花は、はっとして、ますます小さくなってしまう。
「花?」
「ええとですね……」
でも、ここまで言って言わない訳には、いかない。
「うん?」
「……アホ毛、です」
きょとん、と玄徳の目が見開かれる。
「アホ、毛?」
「はい、アホ毛です」
うっかりと力強く肯定してしまう。
「…………」
「…………」
奇妙な沈黙が、数秒続く。
の、間に、玄徳の見開かれていた目が、みるみる笑み崩れていく。耐えきれず、笑いだす。
「あの、頭脳明晰な軍師殿の頭にあるのが……?……アホ毛?」
笑わない約束はどこへやら、どころか、珍しいくらいな大笑いだ。
けれど、花が気にしているコト自体を笑われた訳ではないし、むしろ一緒に気になってくれればありがたい。
「はい、そうなんです。なんか違うよね、と思うと、どうしても気になっちゃって。すごくカッコいいこと言ってる時も、真面目な話をしてる時も、ひょこっひょこって」
花が手真似をするので、情景が浮かんだのだろう。玄徳の笑いが更に大きくなる。
「や、やめてくれ。今度から軍議の時、まともに顔が見られなくなりそうだ」
うっかり想像したらしく、しばらく玄徳の笑いは続く。
やっと収まってから。
花と玄徳は、どちらからともなく顔を見合わせる。
実のところ、花が気になっているのは天才軍師の頭にアホ毛があるという事実だけではなく、だ。
「で、ですね、アレは寝ぐせではないように思うんですが、玄徳さんはどう思いますか?」
「確かにな。寝ぐせなら、毎回違う方向に跳ねるだろうからな」
ごくごく真面目に、玄徳も頷く。
「でも、他の髪は別に跳ねてないんですよね」
「ふーむ、なるほどな」
軽く首を傾げてから、玄徳はヒトツ頷き、また花の頭をくしゃくしゃっと撫でる。
「よし、俺も気をつけてみよう」
こうして、ここに「師匠のアホ毛を観察し隊」がこっそりと発足したのである。



ささやかな罪の無いヒミツの共有は、忙しい日常のちょっとした楽しみになる。
ほんの少しの間に、そっと報告し合う。
「今日の朝議では、はりきって立っていたように見えました」
孔明が発案した新しい法案がお披露目される日だったから、当然と言えば当然だ。
「地方長官との会談時は、少々苛々してるようだった。確かに長い割には要領を得なかったからな」
実のところ、玄徳も少々苛々としたのだが。
「忙しくって、芙蓉が作ってくれた御菓子を食べそびれちゃったんです。ちょっと、しょぼんとしてました」
仕事が増えたのは、多分八つ当たりです、と花は頬を膨らませる。
「痩せた土地でも実るという野菜の栽培が成功してな、嬉しそうだったぞ」
そう報告する玄徳も、ものすごく嬉しそうだ。
ともかく、二人の報告には必ず、例のアレがどういう角度だったか、が手真似で加わる。おでこのあたりで、ひょ、とばかりに。
忙しい間をぬう、ささやかな報告会。
なんだか、楽しくて仕方が無いのは、どんなに忙しくても後で報告する何かがあることだろう。離れていても、後で話せると思えば、それだけで心は温かくなるモノだ。
そんなこんなで、何度目になるかわからない報告会は、珍しく四阿で開かれている。
公務に忙殺されてばかりの二人に周囲が気を使った結果を、ありがたく楽しんでいるところだ。
花が淹れた香りのいいお茶に皆の心使いの御茶菓子と、いつものささやかな報告。
「師匠も、疲れてると思うんですけど」
ひょ、と手を動かしつつ、花が言う。玄徳も、苦笑気味に頷く。
「ああ、文若殿もな」
「こんどは、二人に休憩してもらいましょうね」
「二人も、かな。孟徳が黙ってそうにないから」
「にぎやかで、楽しそう」
想像して、花はふっくらと幸せそうに笑ってから、少しだけ難しい顔になる。
「でも、師匠のアレですけれど」
「うん?」
「気分でどうこう、じゃ、無さそうですねぇ」
「そうだな」
あっさりと玄徳も頷き返すあたり、花が口にしたことなどとっくに気付いていたのだろう。
でも、アレを理由に、我が陣営が誇る軍師殿を観察し続けるのは、悪くなかったと思う。玄徳が、にこやかに付け加える。
「アレが動かないからといって、感情が無いんじゃないがな」
いつだって飄々としていて、自分の感情は露も見せないと思っていたのに。きっと、他人は気付いていない、ひょ、と生えたあの髪の下で、微かに動く感情の色。
二人とも、報告しあっている内容が、アレの観察結果ではなくその下の表情の、微妙な動きなんだと知っていた。
孔明が、実に卒なく自分たちに気を使ってくれるのと同じとはいかないけれど、気付ければ、少しは何か返せるから。
だから、結果がわかってしまったはずの、今も。
実に真面目な顔つきになりつつ、玄徳は続ける。
「それに、全く関係ないと結論付けるのは早いだろう」
「そうですね。これからも、要観察、ですね」
花も大真面目に深く深く頷いてから、お菓子を手にする。
「美味しいですねぇ」
玄徳も同じように思っているのだと知って幸せな気持ちの花を見詰めつつ、玄徳は少し首を傾げる。
「玄徳さん?」
自分が淹れたお茶が不味かったのだろうか、と心配心配になってしまった花に、玄徳は笑みを返す。
「花は、お茶を淹れる腕が上がったな」
うっかりと花は笑顔になるが、すぐに不思議にも思う。
「でも?」
「気になってるのは、別のことだ。気がついたんだが、孟徳にもな」
ひょ、と見慣れた手の動き。
「へ、孟徳さんですか?」
比較的、全般がひょこひょことした動きをする彼の髪にも、例のアレが存在するとは。
花は昨今の記憶辿りながら、視線を宙へと漂わせる。最近は、よく玄徳の部屋に入り浸っているから顔を合わせる機会も多い。
あまりその付近をじっくり見ていたことは無いけれど、よくよく考えてみると孔明ほどではないが、確かに。
「あー!ホントだ!確かにありますね!」
大発見だ!と思う。
玄徳にとっても発見だったのだろう。大きく頷き返してくる。
「な?そうなると、名前はアレだが」
初手に腹筋が壊れるかと思うくらいに笑った後、二人ともあの名前を口にはしていない。どうしても、孔明とアホ毛と、並べただけで笑ってしまうから。
それはともかく、玄徳が言いたいコトは、花にもわかる。
「アレってもしかして、頭のいい人に生えるんでしょうか?」
「文若殿にもあったら、そうかもしれない」
頭のいい人に生えるのなら、文若だって生えてておかしく無い。むしろ、生えてないなら理論が破綻するくらいな勢いだ。
けれど、きっちりかっちりとまとめられた、あの髪の中にアレが混じっているかどうかを発見するのは大変そうだ。
それでも、きっと。
「師匠も、孟徳さんも、文若さんも観察してたら、きっと謎が解けますよね」
「ああ、そうだな」
玄徳と花は、笑顔で頷き合う。
もしかしたら、ひょこひょこと跳ねるアレは、その下の表情をよく観察すべし、という印かもしれない。
そんな訳で「師匠のアホ毛を観察し隊」は、「皆のアホ毛も観察し隊」へとかわりつつ活動継続中だ。


〜fin.
2012.09.06 Observation

[  ]