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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 優しい手


今日もまた、孟徳が仕事から逃げ回るせいで後始末の方に時間を取られ過ぎた、と考えた文若の口から、深い深いため息が漏れる。
我知らず、眉間の皺も増える。
「文若さん」
花の声に我に返り、視線を上げる。
「ああ、なんだ?」
どんなに考え事をしていたとしても、花の声はすっと耳に入ってくる。不思議なものだと思っていると、花がにこりと笑う。
「文若さん、今日もお仕事お疲れ様でした」
嬉しく思うと同時に、苦笑ももれる。
「すまん、仕事を持ち帰るようなことはするまいと思っているのだが」
せっかく花と水入らずの時間を過ごしているはずなのに、いつの間にか仕事のことを考えていたのでは本末転倒だ。
が、花は、ふるふると首を横に振る。
「いつもいつも仕事のことを考えてて、真面目で几帳面なのは、とっても文若さんらしいです。尊敬もしているし大好きですから」
いきなりの告白に、文若は言葉を失って口をぱくぱくさせる。
そんな文若を見て何を考え付いたのか、花の笑みが大きくなる。
「あの、文若さん、肩こったり、してませんか?」
「肩?」
いきなり何を言い出すのか、と文若は軽く目を見開く。
「はい、いつもいつも書類に向かっていらっしゃるでしょう?字を書く量も多いし、肩が痛いんじゃないかなって思ったんです」
見上げるように花に言われた文若は、瞬きをする。
「いや、そういうことは無い、と、思うが」
なにやら歯切れが悪くなってしまったのは、考えたことが無かったからだ。
花は笑みを浮かべると、立ち上がる。
「じゃ、確認させて下さい」
きらきらとした瞳で言われた上、いきなり背に回られて文若は困り顔になるしかない。
「いったい何を始める気だ」
「痛かったら痛いって、ちゃんと言って下さいね」
いくらか弾んだ声が聞こえると同時に、肩越しにぬくもりが伝わってくる。どうやら、花が肩に手をかけたらしい。
「おい?」
本当に何が始まるのかわからず、文若は思わず声をかけたのだが。
ぐ、と急に肩に力が加わって、思わず声を上げてしまう。
「つっ」
「やっぱり」
花の声は、同時だ。
「やっぱり、肩、がっちがちですよ!」
発見した、と言わんばかりの花の声に、文若は軽く首を後ろへとひねる。
「がちがち?」
「はい、肩、ものすごくこってます。首が痛かったりとか、頭痛したりしません?」
真剣に尋ねられて、文若はまた困惑顔になる。
「確かに、頭痛はすることがあるが」
主に原因は孟徳だ、と言う前に、花が大きく頷く。
「ですよね、このまんまは良くないです。私、ほぐしてあげますから!」
「え、いや、そういうことは」
密着せんばかりに花に近づかれた挙句に言い出されたことに、文若は目を白黒させる。
が、花はかまわずしっかりと肩に手をかける。
「はい、文若さんは前向いてて下さい。考え事してても、寝ててもいいですから」
この状態で寝るのは無理だろう、とは言えないまま、文若は大人しくしている他無い。

最初は、小さな手が触れていることに緊張して、どうしていいかわからずにいたのに。
着物を通して伝わるほのかな温もりは、ゆっくりと何かをほぐしていく。
何か、とりとめも無いこといに気をとられているうち、ふ、と、気付く。
「花」
「はい?」
柔らかな声が、すぐに返る。
「肩が軽く……いや、首も」
思わず上げた手が、まだ肩にあった花の手に重なる。
振り返ると、頬を染めた花と視線が合う。
「本当に軽くなったな、礼を言う」
「そうですか?良かった!」
名の通りの、明るい笑顔が浮かぶ。
「今度から、文若さんの肩がこったら揉んであげますから」
「そうか、それは助かるな」
確かに首から肩にかけてあった、重さが消えた。無論、その事実から目を逸らす気は無いのだが。
花の、その優しさが。それを伝えてくれる手が。
ひどく愛しく思えて。
肩で重なった手を取ったまま、立ち上がって腕の中に閉じ込める。
「今度、私にも肩もみとやらの方法を教えてくれ。お前の肩が凝ったなら、私がほぐしてやろう」
「え、文若さんがですか?!」
頬を、さらに上気させている花の額へと、唇を落とす。
「ああ、本当に心地良かったからな。私もそう出来たらと思ったのだ」
自分にとって花の手がそうであるように、花にとって自分の手が優しいものであるように。
祈りを込めて、抱きしめる。


〜fin.
2010.04.28 Hand-friendly

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