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幻旅路ノ果テニガ住マウトハ言ウ

 日向ぼっこ


花は、お茶の時間が大好きだ。
正確には、仕事の合間に文若と過ごすお茶の時間が。
なぜなら、文若の眉間の皺が取れるし、骨ばっているが武将よりほっそりした長い指が器用に動く様がキレイだし、何より、文若の淹れてくれるお茶は美味しい。
早く自分も上手になって、文若に褒めてもらえるくらいになりたいとは思っているのだけれど。
「今日は、桂花の香りのものだ」
と、柔らかに告げる表情が嬉しくて、ついつい文若に淹れてもらってしまう。
茶器を手にして、いっぱいに香りを吸い込んで。
「いい香りですね」
と笑みを返せば、文若も柔らかに口元をほころばせる。
「そうか」
仕事の時には、今までどおりの厳しい表情と態度だが、休憩の時にはこうして笑みを見せてくれることが多くなったのは、気のせいではないと思う。
花は、それが嬉しくて嬉しくて、笑みを大きくする。
「どうした?」
「お茶の時間は、文若さんがにこにこしてくれるから、嬉しいなって思ったんです」
正直に告げると、文若は軽く目を見開き、それからゆっくりと頬を染める。
「そうか」
それだけだが、以前のように理解不能とは言われない。それも、花にとってはとても嬉しいことだ。
こういう穏やかな時間が、たくさんあればいい、と思う。
ずっと、出来るだけ長い間。
文若が茶器を手に、ゆっくりと傾けるのを見つめながら、なんとはなしに思いつく。
「一緒におじいさんとおばあさんになって、縁側でゆっくりこうしてお茶飲めたら、いいなあ」
仲の良い夫婦の、幸せな老後の典型図だ。
せっかくなので、想像してみる。
年を取ったという設定なので、違和感無く目前の文若が縁側に馴染んでいる。間にお茶を運んできたお盆があって、その隣にはおばあさんになった花。
うん、とてもいい図だ、と満足げに頷いて、我に返る。
文若が、微妙に複雑な表情をして、花を見つめている。
何を口走ったかに気付いて、茶器を置いて慌てて手を振る。
「あの、文若さん、帰りたいって思って言ったんじゃないんです。ただ、文若さんと一緒に仲良く年を取れたらいいなって思っただけなんです」
花が必死に言い募るにつれ、文若は困ったような笑みになっていく。
「その気持ちはとても嬉しい。私も、そうありたいと思っている」
まっすぐに返され、花は頬を染める。
が、文若の表情は、微妙に複雑なものに逆戻りだ。
「だが、花」
「はい」
「縁側、とは何だ?」
至極もっともな質問に花は目を見開き、そうですよね、と頷く。
「ええと、縁側っていうのは、私の世界の家にあるもので」
木で出来ていて、などと、おおよその形状を説明する。
「そこで、庭を眺めたりとか色々するんです」
文若が何か返事をする前に。
「へーえ、皆で並んで座れるなんて、面白そうだね、ソレ」
にょき、という表現そのもので、窓から孟徳が現れる。
「丞相」
あっという間に眉間に皺を刻む文若へと、孟徳はにこやかな笑顔を向ける。
「俺だって休憩時間くらいあってもいいだろう?本当なら、お茶くらい勧めて欲しいところだけど」
にこやかなまま、視線は花へと移る。
「花ちゃん、その縁側のこと、もっと詳しく教えてくれる?」
「あ、はい」
花は素直に、形状やら大きさやらをもう少し詳細に話す。一通りを聞いた孟徳は、無邪気な笑みを大きくする。
「じゃ、作ろう」
「え?」
「丞相」
目を丸くする花と眉間に皺を増量させる文若を尻目に、孟徳は振り返ってちょうど探しに来たらしい元譲を差し招く。
「元譲、工人を呼んでくれ。軽い土木工事だ」
「あ、ああ?」
工事と言われて、どこか修理でもせねばならぬと思ったのだろう、すぐに元譲は引き返していく。
不機嫌な声で、文若が抗議する。
「丞相、工人をそのような私的な」
「働いた分のモノは出すさ、当然。彼らにとっちゃ、立派に仕事だろう」
などとやり取りしているうちに、材料であろう木材と工具を用意した工人たちが数人、元譲に連れられてやってくる。
「あ、来た来た」
孟徳は、自分の側に差し招いて、気楽そうに声をかける。
「ちょっとしたものを作ってみて欲しいんだ。試作品みたいなものだよ」
言いながら、先ほどの説明の時に花が描いた絵を取り出す。
「ここの長さはね」
などと、こちらの単位で指示していく手際は、相変わらず鮮やかだ。指示の内容が縁側だ、ということを除けば、だが。
花は、だんだんと申し訳ない気持ちになってくる。
文若とお茶を飲んでいるのが嬉しくて、柔らかい空気が幸せなだけだったのだが。
話が見えない元譲は、なんともいえない表情で二人に並ぶ。
「一体、どういうことだ」
「すみません、私が余計なことを言ってしまったので」
小さくなる花を、労わるように文若が肩に手を乗せる。それだけで、少し安心出来るから不思議だ。
「いや、花は悪くない。ただ、話をしていただけなのだから」
元譲も、ここまで聞けば、孟徳が何を始めたのか、おおよそ察しをつけたらしい。
「運が悪かったと思え。お前が作らせている訳ではない。で、あの木は何になるのだ?」
当然の疑問に、花は目を瞬かせてから、答える。
「縁側です。私の国にあるものです」
「縁、側?ふうむ、なんとも奇妙な物体だな」
会話の端々が聞こえたのだろう、機嫌良さそうに孟徳が振り返る。
「皆で並んで座るんだってさ。面白そうだろ」
「椅子の一種、ということか?」
相変わらず怪訝そうな元譲に、文若が一つため息を吐いてから言う。
「東屋にある椅子を、長くしたように思えばいいらしい」
「でも、家の側にあるものなんだよね?」
孟徳に確認されて、花は頷く。
「はい、そうです。そこで、お茶を飲んだりします」
「ふうむ?」
飲み込めていない元譲に、孟徳が笑う。
「いいでしょ、同じ景色を一緒に眺められるんだよ」
などと話しているうちに、さすがは、というべきか白木の縁側らしいものが出来上がってくる。
孟徳は、眺めまわして頷く。
「うん、いいんじゃないかな。ここに置いてくれる?」
指した場所に、花も文若も元譲もぎょっとする。なんせ、すぐそこだ。
文若の執務室の真ん前、とも言う。
「いいだろ、ここからなら中庭が一望出来るし」
いたって満足気に言われて、文若の眉間の皺はさらに増量だ。
「丞相、ここは執務室であって」
「休憩くらいはするだろ、さっきだってそうだったんだし」
ごくあっさりと告げると、工人たちに、行っていいと告げる。
「工賃は、後で届けるよ」
独り決めしてしまう孟徳を、誰も止められないままに、白木の縁側が残される。
「さて」
と、先ほどよりもさらに笑みを深めて孟徳は、文若と花を見やる。
「俺はそろそろ、仕事に戻らなきゃいけないみたいだから、行くね。そのうち、使い心地試しに来るから」
ひらと袖をひるがえすと、ぽかん、としている元譲を見やる。
「ほら、行くよ、元譲」
「あ、ああ」
急な展開に全くついていけないまま、元譲はそれでも孟徳の後を追う。
結局のところ、残されたのは花と文若と、縁側だ。
半ば呆然と二人の後ろ姿を見送ってから、花は文若を、ちら、と見上げる。
せっかくの休憩時間だったのに、こんなことになってしまって眉間の皺はきっちりだ。
「あ、あの文若さん」
視線が落ちてくるまでには、不機嫌な顔は苦笑へと取って代わっている。
「花が気にすることではない」
「でも」
花が縁側などと言いださなければ、こんなことにはならなかったと思う。見れば見るほど、この絢爛な銅雀台には相応しく無い白木の縁側だ。
「銅雀台に縁側はやっぱり、似合わない、ですよね」
小さくなりながら言った言葉に、文若は軽く目を見開く。が、すぐに、柔らかに微笑む。
「いや、そうでもないのではないか。少なくとも私はこういった質素な雰囲気は好きだ」
すっかり、いつもの休憩の時の笑顔になったことに、花もほっとして笑みを返す。
「せっかく縁側が出来たのだ。ここで茶にするか」
「いいんですか?」
驚いて目を丸くしてしまう。そもそも、すでに休憩していたのだし、縁側を作る騒ぎで小半刻ほど経っている。通常なら、とうに仕事に戻っている時間だ。
だが、文若は笑みを浮かべたまま、頷く。
「花の言う、縁側から庭を見るというのがどのようなものか、知りたいのだ」
「あの、私がお茶入れます」
料理人のところに茶葉をもらいに行った時、自分の世界に近いモノを見つけて分けてもらってある。いつ言い出そうかと迷っていたものだ。
「私のところにあったのと、似たお茶を見つけたんです。ちょうどいいと思うんです」
「わかった、そうしよう」
微笑んだままの文若に、ほっとして花は早速とお茶を淹れる。
二人で茶器を手に、縁側に並んで腰掛ける。
文若は、茶器を寄せて目を細める。
「ほう、清涼な香りだ」
花は、目を見開いて文若を見守ったままだ。お湯の温度は少し下げた方がいいとか、知っていることをフル回転で淹れたものの、好みに合うかどうか全く想像がつかない。
ゆっくりと茶器を傾けて、一口。
「少し、甘みもあるのか。美味しいな」
「そうですか!」
ぱっと笑顔になる花に、文若は笑顔を向ける。
「ああ、とても」
「よ、良かったです」
優しい笑顔に、花は頬を染めて自分のお茶を口にする。
ややして、空いた茶器を脇に避けて、なんとなく視線を上げて。
「あ、文若さん、あそこに小鳥が」
「ああ、花の蜜を吸いに来たのだろう」
花の指差したのがどこか、文若もすぐに理解して返してくれる。
「かわいいですね」
「そうだな」
柔らかい返事が、本当に嬉しい。
「あっちの蕾は、もうすぐ咲きそうです」
「満開になると、とても美しい景色になる」
「そうなんですか」
何気なくおろしていた手に、ぬくもりを感じて見下ろす。いつの間にか、文若の大きな手が重なっていることに気付く。
見上げると、いくらか照れた表情の文若と、視線が合う。
「花」
「はい」
そっと手を握られて、引き寄せられる。
「?!」
肩を抱き寄せられて、驚くが、文若はそのままだ。
「縁側というのは、近い高さの視線で同じ景色を見ることが出来るのだな」
耳元での柔らかな声に、どきどきもするが、嬉しくもなる。
「そうなんです。文若さんも好きですか?」
「ああ、お前と一緒に、こうして見るのはいいと思う」
やはり、お茶の時間が大好きだ、と花は思う。
「はい、私も文若さんと一緒にこうしていられるの、とっても嬉しいです」
もう少し強く、抱き寄せられる。
いつもより長い休憩時間は、もう少し続きそうだ。


〜fin.
2010.05.15 They sit in the sun.

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