『 桜ノ森満開ノ下 壱 』



あの頃は。
自分の気持ちに名前があるなんて、知らなかった。
どうしても会いたくて、側にいたくて。
壊れてしまうくらい強く、抱きしめたくて。
そして、笑って欲しくて。
たった一人を想いつづけてた。
会えない夜は、苦しいくらいに胸が痛んで。
明日会える夜は、自然と笑ばかりこぼれて。
ただ、手をつないでいたくて、声が聞きたくて。
ずっとずっと、笑っていて欲しかった。
笑顔を守りたかった。
それだけだった。

桜が咲く。
満開に咲く。
青い天を覆い尽くして、咲き乱れる。
彼は、静かに薄紅色の空を見上げる。
何年振りに、ここに立ったのか。
あれは、いつのことだったのか。
人が落ち着くことを許される場所、故郷を捨て去った後。
どこに落ち着くことも許されぬと知った後。
たった一度だけ、いつまでもいたい、と思った場所。
でも、その思いは見上げた視界に咲き乱れる花と一緒で。
ひとたび風が吹けば、いとも簡単に舞い散ってしまった。
あの時。
またも、安住の地ではないことを思い知らされた時。
差し出された手を、取るべきだったろうか?
そうすれば、いまでも。
側にいることが、できただろうか?
笑顔を見ることが、できただろうか?
そこまで考えて。
彼は、口の端に苦笑を浮かべた。
考えてもせん無いことだ。
あの時、彼は差し出された手を取らなかった。
そして、彼女も追いかけようとはしなかった。
それだけのことだ。
二人とも、わかっていた。
どこまでも一緒にいくことなど、夢物語にすぎないと。
生き延びることを望むならば、一人で生きていくべきなのだと。
二人は、生き延びることを望んだのだ。
手を取ってはしれば、ほどなく力尽きることを知っていたから。
笑いあえる未来など、ないと知っていたから。
本当に望んだのは。
いつか、また。
生き延びた二人が、出遭うこと。
そして、今度こそ。
一緒に歩めるようになっているように。
もっと、長く一緒にいられるように。
笑顔を見ていられるように。
一緒にいなくても、よかったのではない。
いつかの未来の為に、生き延びることを選んだのだ。
二人とも、同じ未来を望んだのだ。
満開の桜の下で。
お互い、口にはしなかった。
だけど、たしかに。
約束したのだ。
いつかの未来、生き延びて共に歩もうと。
子供の約束だった。
だけど、忘れたことはなかった。

部下から入った報告は、一言。
枯れた桜の花びらの中で。
彼女は自ら命を絶った、と。

この世を我が物にしようとした男を二人、弄び、滅ぼした女。
そう、伝えられることになるのだろう。

ただ一人、満開の桜を見上げる彼だけが。
彼女の本当の望みを、知っている。
いつか、想う者と共にあるために。
平安な時が、欲しかっただけと。


〜fin.
2001.03.26 Under the full blossom cherry trees I

**************************************************

蛇足!
桜の下にたたずんでいるのは、関羽。二人の男を弄んだのは貂蝉。
史実であるんですよね、呂布の妻を欲しいって曹操に頼んだって言うのが。
そこから派生したらしい民間伝承もあったりとかしますし。
でも、史実はともかく、貂蝉をいったいドコで見初めたんだよ!!とツッコミたい。
私の勝手なイメージとして、関羽って劉備たちに出会う前は放浪してたっていうのがあって、出遭うとしたらそこらへん?とかと勝手に想像してみました。
なんか、純愛な二人です(照)。


[ 戻 ]